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中間テスト危機到来す
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そんな土曜日の朝、パジャマに着替えて、起こさないでとカードをかけて。すこし眠ってバイト前のエネルギーチャージ。お母さんがゆり起こしたのは、お昼前。
「美樹・・アルバイト行かないの?」
はっとあわてて見た時計は12時前・・まだ時間があることに少しだけほっとした。ご飯を食べて、歯を磨いて。髪型を整えて。洋服に着替えて。お化粧・・・は、リップスティクだけ・・。そして、鏡の中の私にちゅっと唇を差し出してニヤニヤしていると。
「美樹ぃ~。だれか、お目当ての彼でもいるの?」
と、肩越しに聞いたお母さん。結構鋭いんだな・・と思った。
「うれしそうな顔しちゃって・・・すてきな人?」
そんな言葉に振り向くと、「まったく」と指先でおでこをつついたお母さん。だから、へへっと笑って。
「行ってきまぁす・・」
と、出かけた。こんなにわくわくな気分は生まれて初めてだ。うきうきしてしまう。自転車をこぐ姿が通り過ぎる建物のガラスに写る。つい、速度をゆるめて、眺めてしまう。絶対かわいい。すぐに着いてしまうお店。遠くからでも見分けれるあの真っ黒のオートバイ。透明な曲線にプリントされた、HARUKI KATAYAMA。ようやく逢えるんだ。あの日、涙を拭ってくれた日がまるで前世の思い出のような懐かしさ。でも・・オートバイの隣の自転車・・むかっとしてしまう。だから、ごそごそと間を開けて、私の自転車を隣に入れて。ハンドルを傾けてみた。少し離れてみると、私の自転車と、春樹さんのオートバイ、まるで、肩を抱き合って寄り添ってるみたい。悦な気分だ。鍵をかけて。もう一度眺めてしまう。とても仲の良さそうなオートバイと自転車。ものすごく悦な気分。でも・・ふと、感じた視線・・。振り返ると店の中から美里さんが不思議そうな顔で私を見つめていた。少し恥ずかしくなった。だから知らん顔でとぼけてみる・・でも、一歩一歩店に近づくたびに、心臓がどきどきしはじめた。そぉっと、重たい扉を開けてみた。
「お疲れさま・・美樹ちゃん、どうしたの? そんなにかわいい格好して・・」
と、美里さん・・やっぱりかわいいでしょ。と、思って、えへへっと笑ってみた。
「よっ、美樹お疲れ・・どうしたんだ? リカちゃん人形みたいな格好で」
・・えっ?・・と、思った店長の一言・・。リカちゃん人形? 本当は・・リカちゃん人形なのだろうか・・。まじまじとガラスに写る私を見つめて。そう言われればそんな気もする。不安が押し寄せてきた。そんなはずはない・・絶対かわいいはずだ。邪念を押し退けて、そぉっと外からキッチンをのぞいた。誰もいない・・。きょろきょろ店のなかを見渡してみた・・。店長と、美里さん以外、誰もいない。お客さんもいないし・・不安な気持ちが微かにすると、「リカちゃん人形・・」な邪念があふれてくる。ぶるぶると振り払って・・。おそるおそる中に歩いてゆく。どきどきが大きくなり始めた。いよいよ、待ちに待った瞬間。そこの角を曲がると・・春樹さんがいるはずだ。外からは見えないところにいるはずだ。とりあえず心の中でリハーサル。
「お疲れさまです・・」
しまった・・どんな仕草を添えるか・・はっきり決めていなかった・・。でも・・ここまで来たら、もう・・どうでもいい。スカートを摘んで・・とりあえず、万端な準備をしたつもり・・・カウンターの角を曲がって・・。キッチンをのぞき込み。
「お疲れ・・さま・・です・・・」
スカートを左右に摘み上げて、斜めにお辞儀して・・ふるえてる膝・・。そぉっと顔をあげたら・・・誰もいなかった。外からカウンターを拭いている店長がいた。
「んっ・・誰に挨拶したの? チーフ帰ってきてるの?」
と、キッチンをのぞき込む店長。むちゃくちゃ恥ずかしい。あわてて逃げ出した。でも・・由佳さんと春樹さんはこの時間いるはずなのに。休憩室? だとすると、状況は違ってしまう。全然予想していない。急いでするシュミレーション。なにか食べているのだろうか。椅子に座ってる・・ドアをがらっと開けて・・。
「お疲れさまです・・」
と、言えば。春樹さんは・・座って食事してるなら・・お箸をくわえたまま・・この姿を見つめて、ぽかぁぁんと見上げてくれそうだ。それに・・低いところからの視線・・おへそも見えてしまうかもしれない・・そぉっとチェック。見える見える・・うししっ・・でも・・恥ずかしい・・いや・・恥ずかしさはこらえてみよう・・何かの本に書いてたような、誰かがそんなことを言ってたような気がする。そうすれば、春樹さんは私の虜に・・それも、誰かが言ってた気がする。春樹さんは私の虜になる。絶対そうだ・・そして・・私は・・「お疲れさまです・・」と、もう一度とびきりの笑顔を添えて言ってみよう。お母さんも言っていた。素敵な彼氏が釣れれば・・ものすごい自信があふれてる・・よし・・と、深呼吸。休憩室。扉に手をかけて・・。その瞬間、扉の向こうから・・。声が聞こえた・・。
「あぁ~ん・・いい・・そこ・・そこ・・あん・・あん・・感じる・・気持ちいい」
びくっとした・・由佳さんの声? ドアに伸びた手をすぼめてしまった。
「ちょっと・・由佳・・変な声出すなよ・・もぉ」
それは、春樹さんの声?
「あん・・いい・・気持ちいい・・感じる・・声がでちゃうよ・・あっ・・あん・・そこそこ、もっと強く・・・あぁ~ん」
わなわな・・わなわな・・なに・・してるのだろう・・まさか・・と思うけど・・。まさか・・こんなところで・・それに・・由佳さんの声・・あぁん・・という音・・聞き覚えがある・・あのDVD・・・。まさか・・と、思うのだけど・・
「あっ・・あん・・いい・・」
「由佳・・その声なんとかして。誰かに聞かれたら誤解されるでしょうが・・」
「だって・・むちゃくちゃ気持ちいいんだもん」
「ったく・・」
「なに照れてるのよ・・純情なんだ。かわいいねぇ春樹くん」
「ばぁか・・」
「あいった・・いたぁい・・」
「あっ・・ごめん・・痛かった? でもここ、がちがちにこってるぞ」
「うん・・あいたた・・変なところに力・・そこは・・力・・入れちゃだめ・・でも・・そこも・・今くらいの・・そうそう、そのくらいの力なら・・入れて・・入れていいよ・・あぁ・・気持ちいい・・もっとぉ、もっと」
「はいはい・・これくらい?」
「あん・・そこじゃない・・そこは痛い・・違う・・あん・あっ・・いい、そこ・・そこ・・もっと強く・・あぁ~ん・・」
「そんな声だすなってば・・もぉぉ」
「あぁ~ん・・そ・・そそるでしょ・・」
「馬鹿」
「あん・・いい・・そこそこ、気持ちいい・・いきそぉ」
「いくいくって言ってみてよ」
「やぁ~ん・・えっち・・でも・・本当に気持ちいい。いくぅ・・ホントにいきそう」
「ったく・・おチチとか、おシリも揉んでやろうか」
「いやぁ~ん・・もぉ・・でも、春樹になら・・うふふっ。ちょっとだけよ」
「ばぁ~か・・本気にするなよ・・ったく。なに言ってんだよ」
「うんもぉ・・揉ませてあげるっていってるのにぃ~。触っていいよ。ほらぁ~いいのよ・・おねぇさんが優しくしてあげる。ご褒美よ、もみもみしてぇ・・」
「やめなさいもぉ・・」
本当に・・なにしてるんだろ・・まさか・・と、思うけど・・。絶対・・そんなこと・・と、思うけど。ドアを開けるのがむちゃくちゃ恐い。膝がふるえてしまう。立ちすくんでしまう。そのとき。
「美樹・・どうしたの?」
背後に急ぎ足でやってきた美里さんが。
「由佳・・春樹・・お客さんきたよ、オーダーよろしく」
と、あっけなくドアを開けて。由佳さんの肩を揉んでいる春樹さんと目が合った。由佳さんはうっとりしていた。
「よっ・・美樹ちゃん、お疲れさま」
由佳さんの肩を揉みながら春樹さんは私にそう言った。ただ、それだけだった。あん・・・と、つぶやいて、ぶるぶると肩を震わせてる由佳さん。
「いいとこなのにぃ~」と言いながら、大きく背伸びして、
「あー・・すっきりしたぁ・・ほぐれたぁ~」
と大きな声で呟いてから。テーブルを片づける由佳さん。帽子をかぶる春樹さん。
「何人?」
「4人ずつ、2組」
「はいはい」
「これからなのにねぇ」
「ばぁか・・あんな声・・俺も一応オトコの子なんだからな」
「うん・・べつに春樹なら、その気になってもいいよ。あたし」
「べぇぇ」
「あぁぁなによそれぇ」
「由佳じゃーねー」
「じゃーねーってどういう意味よ、あたしだって女の子なんだからね」
「よっ。美樹ちゃん、今日もかわいいな」
ぽかぁ~んとしたままの私の素肌な肩をたたいた春樹さん。一瞬、肩に触れた手にぴくっと反応したのに・・あっという間にまた・・誰もいなくなった。遠ざかる二人の声が聞こえる・・。
「こら、春樹、逃げるな、今のは傷ついたぞ」
「だって、わざとらしいすぎるよお前」
「なによ、本当に気持ちよかったのに」
「お前、どこまでが冗談かわからないから・・」
「全部本気」
「ばか・・」
「何照れてるのよ、かわいいんだから・・またお願い。今度はもっと気持ちをこめて悶えてあげる、だから、次は脚ね、腰からふくらはぎにかけてお願い」
「もう、由佳と同じシフトはやだよ」
「何言ってるのよ、長い付き合いでしょ、マッサージくらいいいじゃん。スキンシップってやつでしょ」
そんなきゃいきゃいと聞こえる声だけが頭の中こだました。まだ、ぽかぁんとなってる私・・。
「美樹・・どうした? 早く着替えてこいよ・・」
コーヒーを片手に、店長が休憩室に来てそう言った。
いったい、なんだったの? 今の・・そう言う気分。
とりあえず、仕事をはじめて。ぱらぱらと来るお客さん。愛想を振りまいて。オーダーを取って、お水とかを汲み直してあげて。キッチンをのぞいてしまう。由佳さんと話してる春樹さん。本当は・・この二人・・恋人どうし・・なのかな。そんな予感がものすごく恐い。視線が合うと、必ず手を振ってくれる春樹さん。あわてて視線を反らしてしまう。
奈菜江さんと真吾さんが手をつないで店に来た。
「お疲れさまです・・」
と、挨拶して。うらやましい視線で追ってしまう。店の中、うろちょろしていると、春樹さん、今度は奈菜江さんとまじめな顔で話ししてる。真吾さんは由佳さんと笑いながら話してるし。なんだか働いてるのは私だけみたいだ。わたしも・・カウンターに行っておしゃべりしたいと思っているけど。話すことなんて全然思いつかないし。そうだ・・と、思いついて、レモンを切ろうとすると・・。
「美樹・・今日はいいよ」
と、由佳さんが言う。しかたなくあきらめた。取ってきたオーダーをあげてくれた春樹さん。その瞬間だけこんなにそばに近づけるのに。
「全部持てるか? 無理しちゃだめだよ、熱いからやけどしないように気を付けて」
と、優しく心配してくれる春樹さんに。ただうなずくだけしかできない私。あわてて、お料理を運んで。そうこうしてる間に、
「じゃっ・・お疲れさま。交代しようか・・」
と、バイトの時間は終わってしまった。帰り際、春樹さんに挨拶した。「お先に失礼します・・」と、でも、「おっ、お疲れさま」
とだけしか、言ってくれなかった。フライパンをじゅーじゅーさせながら。こんなにかわいい洋服なのに。そのことには見向きもしてくれなかった。
いつもと同じ、奈菜江さんと一緒に帰る帰り道。私の自転車を押してくれる真吾さん。私を見つめる奈菜江さん。
「美樹・・それ、どこで買ったの? スカート、シルクでしょ・・きれぇー」
と、奈菜江さんはスカートを摘んで聞いてくれたけど。
「美樹ちゃんって、本当に初々しいよね。かわいい」
と、真吾さんは言ってくれたけど。
「美樹って本当・・子供っぽいよねぇ・・あっ・・違う・・うらやましくって言ってるの、馬鹿にしてるんじゃないよ」
奈菜江さんの一言。ぐさっとまた、なにかが刺さった。
「本当に、うらやましい・・。私もこんなにかわいい頃があったのに・・。ハタチ過ぎるとお肌が曲がり角を曲がったこと・・わかるよホント」
「えっ・・そうなの・・そういえば奈菜江、最近おばさんっぽく・・・」
「なによぉ・・」
「ほら・・その目つき・・日曜日によく来るあのおかっぱのおばさんに似てきたんじゃない」
「えぇぇぇぇぇ・・そんなこと言われたら、無茶苦茶気になるよ・・」
黙ったまま、二人の会話を聞いてしまう。うつむいて。とぼとぼと歩いてしまう。二人の声がひそひそと聞こえる。
「美樹・・変じゃない・・・きょう・・」
「俺も・・思ってた・・」
「あんなにかわいい洋服・・」
「どうかしたのかな・・」
少しすると。ひそひそ話しをやめた二人。
「美樹って彼氏とか、いないの?」
と、唐突に奈菜江さんが聞いた。うなずいた。
「美樹ってかわいいから。すぐにできるよ。その悩み気な顔・・そんな原因なんでしょ」
そんなことが原因なんだろうか? うつむこうとしたら、自分の顔を指さして・・。
「あっ・・俺は、俺俺・・俺なんてどぉぉ」
と、おちゃらけてる真吾さん。わざとらしく笑顔で返事してみたけど。
「真吾ぉ・・・私の前ではやめてよ、それ」
ぎゅぅぅっと真吾さんをつねる奈菜江さん。いててっと顔をしかめた真吾さんをうらやましいと思ってしまう。今の奈菜江さんみたくこんなに可愛い洋服のこと、見向きもしてくれなかった春樹さんをつねっている私自身を想像して。くすくす笑ってみる。そんな私の笑顔に不思議そうな顔をした奈菜江さん。
「真吾は駄目だからね」
と、念を押して。ちぇっとつぶやく真吾さんに恐い顔をする奈菜恵さん。奈菜恵さんの顔がすこしだけ恐くなって。じゃぁね、また明日。と別れた。ずっと見送るのは恐いからやめた。でも・・想像してしまう。また、軽くけんかをして、ぽかぽか。そして、あの街灯のした・・ちゅっ、てしてたら。だから、急いで、角を曲がって、うちに帰った。
玄関を開けると、
「美樹・・お帰り・・」
お母さんがにこにこ迎えてくれる。
「どうだった? 大漁だった?」
なんてことを聞くから、ううんと首を振って。
「なにか食べる?」
あまり食欲がない。だから、ううん・・とまた首を振って、部屋に上がった。鏡を見つめて・・こんなにかわいいのに。なにも言ってくれなかった春樹さん。私には、そんなに興味がないのかなぁ・・。そう思うと、うつむいてしまう。
「美樹ぃ~。お風呂入るでしょ」
「はぁ~い」
とりあえず・・明日・・また逢えるんだし。それに・・明日は忙しくなる日曜だし・・。お風呂に入って、パジャマに着替えた。テーブルのご飯を摘んで。ふぅとため息。ぶつぶつ考えるとなかなか眠れない。由佳さんとはあんなに仲がいいなんて・・思い出してしまう、由佳さんの肩を揉む春樹さん・・由佳さんの気持ち良さそうな顔・・いやらしい声・・前髪をかきあげて、ごろごろ。頭の中、ざぁぁっとしている。深夜放送の終わったテレビみたい。ごろごろ。なにも思いつかないし、なにも考えられない。
日曜日。やっぱり普段着で出かけることにした。あの洋服はどことなくよそいきな雰囲気がしはじめたから。それに・・春樹さんは見向きもしなかったから。店に入ると、相変わらずな日曜日の重たそうな雰囲気。しぃーんとしている。レモンを切る仕事は、とりあえず、私の仕事になってしまった。でも、今日は、包丁、むちゃくちゃよく切れる。これを言い訳にして、また、そっと抱きしめられそうな予感を期待したのに。でも、レモン。春樹さんに言われたとおりに、15度くらいの角度ですぅぅっと。今日はうまく切れる。妙に心が静まってるなと思う。そのとき。
「あぁ~・・春樹さんだ」
優子さんの声に、はっと振り向いてしまった。
「どこどこ・・あぁ~ほんとだ・・また、みゃぁと遊んでるよ」
駆け寄ったのは由佳さん。みゃぁって何だろ? そぉっと優子さんに肩ごし、つま先でたってその向こうをながめてみた。駐車場。野良猫だろうか・・。まるで死んでるみたいなぐにゃぐにゃしてる猫。春樹さんが、ごろごろさせて。尻尾を摘んでぶらぶらさせて。
「なにしてんのよ・・もぉ。みゃぁがかわいそうじゃない」
「でも・・みゃぁ・・気持ちよさそう」
「ホント・・仲いいよねぇ~」
みんなとながめてしまう。なんだかおもしろい。ぐにゃん ぐにゃん と甘えてる猫。あの猫がみゃぁ? 春樹さんがいつか私にしてくれたような・・顔をつかんで、耳を撫でて。お髭を引っ張ってる? そして。座らせて、ぽかっ。
「あぁ~・今たたいたよね」
「たたいた・・たたいた」
「なにしてんだろ?」
「お手、してるみたい・・」
「猫がするわけないじゃん」
でも、猫は、春樹さんにお手をしていた。そして、おなかを向けてごろごろ、猫のおなかを撫でている春樹さんの笑顔・・うれしそうな春樹さん。優しいんだ・・と思ったとき・・もう一度・・ぽかっとみゃぁをたたいた春樹さん。
「あぁ~、またたたいた・・」
「絶対いじめてるよねぇ・・」
立ち上がった春樹さん。もう一度しゃがんで、みゃぁの頭をごしごし撫でた。振り向くと、私たちに気がついたみたい・・一瞬止まってから、照れくさそうにぽりぽりしていた。
「おはよ・・」
店に入る春樹さん。みんなが恐い顔で追求している。
「春樹、みゃぁをたたいたでしょ・・」と、由佳さん。
「えっ・・あれは・・たたいたんじゃなくて・・」
「絶対たたいた・・」と、奈菜江さん。
「またなって・・挨拶しただけだよ・・・」
「春樹さんそんなひどい人だったんだ・・」と、優子さん。
「違いますよ・・なんですか、みんなで・・」
みんなに責められている春樹さん。しどろもどろな感じがかわいい。そして、少しだけ、みんなと離れたところにいる、うつむいてる私に気づいてくれた。
「美樹ちゃん、おはよっ・・たたいてなんかないよな」
少し遠くにいる私をまっすぐ見つめた、照れくさそうにしている春樹さん。
「今日もかわいいな、美樹ちゃんは」
それは・・うれしい言葉。かわいいな・・とこだましてる頭の中。いそいそと歩く春樹さん。みんなの恐い顔をちらちらと気にしてから、笑みを浮かべて私を見つめてくれる。私に用があるかのようにいそいそと歩いてくる。すれ違う瞬間・・。
「おはようございます・・」
と言う。
「おはよ・・」
春樹さんは振り返りながら、くすっと笑ってくれた。そして、裏に消えた。ほぉっと心臓が静まり返っている。あの日から一週間、ようやく、私の方から一言話せたんだ。しばらくしてから聞こえはじめたみんなの声。
「絶対あの人・・変だよねぇ」
「でも・・みゃぁ・・って名前。春樹さんが付けたんでしょ」
「春樹さんによく慣れてるよねぇ、みゃぁって」
「本当は優しい人なのかなぁ・・」
「動物好きな人っていいよねぇ・・」
「猫が好きなだけじゃない」
「でも・・たたいてた・・」
「絶対たたいたよねぇ」
さっきまでしーんと重苦しく沈んでいたのに、急に和やかな雰囲気になったことが不思議。春樹さん・・妙な魅力がある人なんだなと思った瞬間・・キッチンに現れた春樹さん、冷蔵庫をばたばたと開け閉めしてる。みんなには気づかれないように横目で見つめてみた。何をチェックしているのだろう・・そのまじめな表情を見つめて感じたこと。私は本気で思っている・・この人が好きだと。自分自身がそんなことを感じていることに気づくと、心臓がまたどきどきしはじめた・・。お客さんが入りはじめる。深呼吸・・・とりあえず・・おちつこう・・今日はどたばたして、店長に怒られて、そんなことで泣きたくない。
お客さんの数はこの前と変わらなかったと思う。でも。
「はい、美樹ちゃん・・これと・・あと、クラブハウスサンドか、もうすぐできるから待っていようか」
と、私のオーダーをチェックしてくれる春樹さん。この前は由佳さんと優子さんがしてくれたけど・・今日は、春樹さんがオーダーごとの料理をチェックして並べてくれる。
「忙しい?」
「・・うん・・」
「じゃぁ、深呼吸してみよう。大きく息を吸って、吐いて。こんな時は心に余裕を持たせて、時間は無限にある、大丈夫、一つ一つを確実にこなせばどんなこともできちゃうから・・慌てず焦らず、一つ一つを確実に。と呪文を唱えなきゃね」
と、お料理を取りにくるたびに、にこにことなにかを話してくれる。足りないお料理ができるまでのわずかな時間の春樹さんとのおしゃべりと。
「大丈夫、時間は無限にある、一つ一つを確実に」
この呪文が、気持ちを冷静に保たせてくれるみたい。
真吾さんが「おまたせ・・」と、カウンターにあげたクラブハウスサンドイッチ。
「はい・・あがった。全部もてるか? テーブル番号間違えないように」
「・・うん・・これは、8番」
「OK じゃ、帰ってきたら、次は、7番のペスカトーレときのこスパが上がるから、それで一応、ピーク過ぎるね」
「はい」
だから、この前みたいなパニックにはならなかった。そして・・落ちつきはじめたころ。
「ねぇ春樹さん・・どうして、美樹のオーダーは全部揃ってるわけ・・真吾ぉ・・早くあげてよぉ」
と、ぼやいたのは奈菜江さん。そういえば・・春樹さん、今日は私にだけ気を使ってくれているみたい。
「美樹ちゃんを何度も往復させたら、かわいそうでしょ。まだ日曜日2回目だよね」
と言った。もっともな、期待はずれな言い訳だと思った。うなずくと・・
「ふぅぅん・・」
と、奈菜江さんが膨らんでる。そして、にゃっとして。
「春樹さん・・美樹のこと好きなんだ」
なんてことを、こんな時に、こんなに素気なく言う。「ホントに?やっぱりそうなんだ・・」という意識が湧きあがって、ものすごい期待をこめて春樹さんを見つめてしまうけど。
「ばっ・・馬鹿・・そんなつもりはないよ」
「そんなつもりって、どんなつもり?」
「ただ、かわいいから」
「それって、好きってことでしょ」
「まぁ・・その・・だから、うるさい・・」
それは・・突然そびえたった希望がすぐさま崩れた無茶苦茶残念な返事だったけど。春樹さんのあわててる恥ずかしそうな顔は、かすかな希望が残っていそうなどことなくうれしい気分。そこに帰ってきた由佳さん。
「じゃぁ・・美樹。次行ったら、オーダー切れるでしょ。休憩一番。いっといでよ、奈菜江引き継げる」
と、言ってくれた。そしたら。
「なにか食べるか?」
と、すかさず聞いた春樹さん。だから。あわてて振り向いて。どうしても食べたいのは・・。
「うん・・こないだの・・」
「チキンピラフ? 気に入ってくれた?」
「・・うん・・」
「うれしい・・」
この前は、おいしさがよくわからなかったから。それに・・春樹さんの手作りだから・・。ほかのインスタントもおいしそうだけど・・。やっぱり・・。独り占めしたい気分がある。この人の手作りを。
そして、カウンターに上がったオーダーをお客さんのところまで運んで、愛想を振りまいて、帰ってくると、「はい、愛情たっぷりのチキンピラフ」と春樹さんがにこにこと迎えてくれて。「いただきます」といってから、独りぼっちの休憩室。もぐもぐと味わいながら食べた。むちゃくちゃおいしいじゃないこれ。焦げたバターかな、この匂い、こんなにおいしい食べ物だったんだ。うっとりと味わってしまう。春樹さんの手作りかぁと思う。ぱくぱく食べてしまう。本当においしい・・。
そして、そのまま、一人ぼっちで休憩時間が過ぎて。
「ごちそうさまでした・・」
と、今日はせりふを変えてみた。
「おっ・・うまかった?」
と、聞いてくれた春樹さん。
「・・うん・・」
と、うなずくと。にこにこと笑ってる春樹さん。
「食べてくれる娘がこんなにかわいいから、おいしく仕上がるんだよ、ねぇ」
どう返事していいかわからない一言に戸惑ってしまった。
「どういう意味よ・・それって」
カウンターごしの由佳さんの声。あわてて逃げ出した私。
「ったく・・春樹ってロリコン?」
「ばか・・・かわいい女の子が好きなだけだよ」
「それって、ロリコンじゃない」
「なんとでも言ってください。美樹ちゃんは特別なんですよ」
「そぉですか、私じゃぁ~ねぇ~って言ったのはそんな理由なんですか、私は特別じゃないんですね」
「言ったか? そんなこと」
「昨日言いました。私傷ついた。絶対許してあげないから」
「あっ・・じゃぁ。もう、肩揉みしなくていいんだ」
「あぁ~ん・・それはずるいよ・・あたし、春樹じゃないと感じないしぃ」
「おまえ・・その声がいやらしいよ・・」
「そそるでしょ・・わざとよ」
「ばぁか・・うんざりするだけだよ」
「あっ・・そぉですか、うんざりですか」
「そぉですよ、うんざりですよ」
「ふんっだ・・春樹なんて大っ嫌い」
「そんなこと言うんだったら、カタモミ絶対してあげないもーん」
「もぉぉ」
「べぇぃぃぃだ」
遠くから見つめている由佳さんと春樹さんのそんなやり取り。おちゃらけあってる二人。楽しそう・・由佳さんも春樹さんのこと好きなのかなぁと思ってしまう。でも。今日は、私にだけ気を配って、にこにこと笑顔を見せてくれる春樹さん。うきうきしてしまう。なんども頭の中にこだまする。「食べてくれる娘がこんなにかわいいから・・・」あの洋服着てくればよかった・・。6時。着替えながらそんなことを思っていた。奈菜江さんが着替えてる間にまた、勇気を振り絞ってみた。一人でキッチンに向かう。
「お先に失礼します・・」
それも、ようやくまともに言えた挨拶。だれにも見られていないから言えた挨拶だとも思う。
「お疲れさま」
と、答えてくれた春樹さんをじぃっと見つめて。
「どうかした?」
「・・えっ・・」
「お疲れさま・・帰り道・・気をつけて」
また・・どうかしていたようだ。数秒間の記憶が飛んでいた。あわてて、逃げ出してしまった。店をでて、ふぅぅとため息。でも・・一人っきりで店を振り返ると、顔がほころんでしまう・・。私のことを「かわいい」と言ってくれた。少しだけど、言葉も交わせた。これは、大きな進展だと思う。大きなオートバイ。透明な曲線の、HARUKI KATAYAMA。手で優しくなぞってしまう。そして、はっと思い出して、知らん顔を装った。予想通りな声が聞こえた。
「美樹・・今日は真吾のおごりだよ。アイスクリームでも食べにいこっ」
「おい・・誰のおごり・・」
「あんたのおごり」
「どうして・・」
「あんたって、お料理あげるのおそいわよぉ・・春樹さんを見習いなさいよ、私、何回往復したとおもう?」
「あの人にはかなわないよ・・春樹さんって能力者だし」
「なによ、能力者って・・」
「ほら、変な木の実を食べて、手がびょーんと伸びる人いるじゃん」
「そんな人いるわけないでしょ」
「春樹さんって手が4本くらいある感じがする。フライパン5つだよ、見たことある? フライパン5つ同時に振り回してランチタイムノーミスでなんて・・俺にはムリ」
とりあえず、ばれなかった・・よかった・・。それに・・自転車の鍵をはずしてると、目の前の、HARUKI・KATAYAMA。その文字をちらっと見つめるだけで、うれしくなって。
「じゃぁ、行きましょうか」
と、声が弾んでしまう。うきうきしてしまう気分はどうしても抑えきれない。そんなうきうきしてる私に奈菜江さんが聞いたこと。
「どうしたの? うれしそうに・・。真吾のおごりだから?」
とりあえず。えっ? と思いながらうなずいてみた。奈菜江さんが真吾さんの顔を横目でじぃぃっと見つめていた。慎吾さん、ゴクリとのどを動かして、奈菜江さんって変な誤解してるみたい。くすくす笑ってしまった。
「真吾ぉ~・・・」
「なっ・・なに?」
「美樹となにか取引したでしょ?」
「するわけないよ」
「したでしょ・・白状しろよ」
「してませんよ、なに考えてんだよ」
「だって・・美樹が・・」
奈菜江さんは、どんな誤解してるのだろう・・とりあえず・・黙り込むことにしよう。真吾さんのおごり・・アイスクリームがものすごくおいしい。今日・・春樹さんは私のことを気持ちのこもった雰囲気で、かわいいと言ってくれた。ぶつぶつ言っている奈菜江さん。おろおろと言い訳してる真吾さん。そして、にやにやしている私。不思議な構図だ。まだこだましている春樹さんの声。「食べてくれる娘がこんなにかわいいから・・」あのとき、声に本当に気持ちがこもっていたと思う。そういえば、初めて逢ったときも・・かわいい・・おいしそう・・ぷにぷに・・何度も思い出すと、また逢える土曜日が今から待ち遠しくなった。
家に帰って、ごろごろと枕を抱きしめて・・。
「食べてくれる娘がこんなにかわいいから・・」
春樹さんの声が頭から離れない。やっぱり・・私はかわいいんだと思い出す、春樹さんの声、笑顔。はぁぁ・・と、うっとりなため息をつきながら、カレンダーを見つめてしまう。土曜日・・明日が月曜だから、その次が・・火曜日・・バイトだけど・・春樹さんはいない・・。そして水曜日・・・もバイトだけど、春樹さんはいない・・木曜も・・、金曜日はバイトは休み・・その次が土曜日だ。また・・あの洋服を着て行こう・・。そうしよう・・。まくらに顔を埋めて、うししししっと笑う。ひょっとして・・これって初恋? そんなことを考えるともっとうしししっと笑ってしまう。無性に告白したい気分、思いつく。
「春樹さん・・好きです・・」
を、つぶやくと、自分の声がむちゃくちゃ恥ずかしい。ぷぷっと笑ってしまう。そんなこと・・私には絶対声にできないと思う。だから、手紙・・・机に向かって・・かわいいボールペンを持ってみた。でも・・ラブレターなんて一度も書いたことない・・かわいい封筒と便せんは山ほどあるけど。ごそごそ探してみる机の引きだし・・でてきた中間テストの日程表、はっと気づいた。そういえば・・中間テストがあるんだ。でも・・私の頭は同時に二つ以上を考えられないようだ・・かわいいミッキーの便せんに綴ってしまうHARUKI・・な文字。うふふっ・・。悦な気分、快感だ・・でも、それ以上ペンが進まない。ためいき・・。こんなもの書いても渡せる勇気なんてどこにもないし・・しかたがない・・勉強でもするか・・無意識にノートを開いて、そこにも、HARUKI・・なんて。くすくす笑ってしまう。でも・・こんなことしてる場合じゃないな・・テスト勉強もしなくちゃ。でも、そういえば、月曜から勉強することにしたんだっけ。自分でした決断を思い出すと、妙な安心感。いいんだ、中間テストなんてどうでも・・今はこの恋に一途になるべきだ。春樹さんは言っていた。
「食べてくれる娘がこんなにかわいいから・・」
頭の中でエンドレスな声がこだましていた。春樹さんは私をかわいいと思ってくれている。それを確かめることができた・・。春樹さん「かわいい子が好きなだけだよ」だって、私は・・かわいいんだ・・やっぱり。自信持とう。
中間テストへの秒読みが始まると、学校、どことなくみんなの会話がいつもと違う。一緒に勉強しようよ・・。彼に教えてもらってるから・・。私も混ぜてよ・・。人生あきらめが肝心だよ・・。そうだ・・あきらめが肝心なんだ・・。テスト前の土日・・。休もうかどうしようか、微かに悩んでいるけど。春樹さんに逢いたいと思う気持ちは強烈だ。でも・・テストも大事だ・・と微かに思う。でも・・春樹さんに・・。よし・・あきらめよう、今回の中間テスト・・成績が悪くなった時の言い訳を考えることにしよう・・。バイトが忙しかったから・・。は、駄目だと思う。お父さんはそういうことにとにかくうるさいから・・でも・・ほかにどんな言い訳があるだろうか・・恋してるから・・。も、まずい気がする。お父さんはそんなことにもうるさいはずだ・・。だから・・。全然いい言い訳が思いつかない・・。
待ちこがれていた土曜日が訪れたときは、中間テストなんてものは宇宙の彼方の出来事のように思っていた。
「よっ・・美樹ちゃん・・どうしたんだ? そんなにかわいい格好で・・彼氏とデートかな?」
あの洋服をようやく褒めてくれた春樹さん。だけど、彼氏とデートか? それは、予想だにしなかった言葉だった。返事に詰まった。そして・・・。春樹さんと何を話題にして話そうか・・一週間それを考えていれば良かった・・。ものすごい後悔。取ってきたオーダー・・カウンターにできあがったお料理を取りにきたときだけ、春樹さんと言葉を交わせる距離に近づけるのに・・。
「ちょっと熱いからね、火傷しないように気をつけて・・」
「・・うん・・」
そして、もくもくと仕事をする春樹さんを振り返って・・。ため息。その繰り返しが、あっという間に時計の針を進めていた。
「お先に・・失礼します・・」
「お疲れさま」
笑顔で手を振ってくれたけど・・。だから、なにかを話したいのに・・。
「美樹・・どうしたの? 早く帰るわよ」
と、奈菜江さんに背中を押されて・・。帰り道・・。店を出て、振り返って・・なんだかむちゃくちゃ淋しい気持ちがあふれてしまう。その瞬間。あまりにも突然だった奈菜江さんの一言。
「美樹ってさぁ、春樹さんのこと好きなんでしょ?」
言ってから、じぃぃっと私を見つめている奈菜江さんに大慌てで首を振る私。
「ど・・どうしてですか?・・」
と、聞くと。
「ただ、そんな気がしただけ・・。最近ぼぉっとしてることが多いから。今日・・ぼぉっとしてる視線が春樹さんにずぅーっと向いてたから」
どきどきしはじめた。誰にも知られたくないのに・・。ばれかけてる・・。
「違います・・そんなことないです」
そうつぶやくと、奈菜江さんは、ふぅぅんと意味深な目で私を見つめた。明日は意識しよう・・。だれにも知られたくない・・とにかく隠し通したい。美樹がねぇ・・春樹さんのこと好きなんだって・・。そんな噂が流れたりしたら・・私は恥ずかしすぎて、生きてゆけない気がする。だから・・。日曜日・・また・・チキンピラフを作ってくれた春樹さん・・そのとき以外・・春樹さんのことは見ないようにした。こんなことになるだなんて・・。来週はもっと・・作戦を練ろう。また・・一週間があっという間に過ぎてしまいそうだ。
でも、作戦は練れなかった・・。原因は中間テスト・・春樹さんのことをぶつぶつと考えていたせいか・・そんなものがあること、完璧に忘れていた・・。誰よりも重たい鞄をもって学校に行ってようやく気がついた。体育の服まで用意していたのに・・。お弁当まで持って行ったのに・・。一日3科目・・昼前に終わってしまった・・それに・・テストの結果を予想すると・・全滅・・どころじゃない・・ため息も出なかった。そんな悩みごとは日に日に絶望へ変わってゆく。短い人生の中で最悪の成績・・。それは、ものすごくリアルなイメージ。間の土日。相変わらず、春樹さんと言葉を交わせないもどかしさが悩み気な表情に輪をかけて。どうしてもできない真夜中の勉強。テストの最中も春樹さんを思い出して現実から逃げてしまう。そして、帰ってきた答案用紙・・受け取った成績表・・。私に手渡す先生の顔で、大体の予想が現実となった・・。先生の表情に感じてしまうテレパシー・・この娘はもう駄目だ・・。そぉっとあけてみた成績表・・。68/79。とりあえずワースト10には入らなかったけど、両親にコメントを書いてもらわなきゃならない欄を見つめて・・。ようやくはぁぁとためいきがでた。
なるように・・なれ。ほとんど開き直ったけど。両親のせりふは予想通り・・
「美樹!! この成績はいったいどういう訳?」
お母さんの目が三角になっている。
「アルバイト・・辞めて勉強しなさい。今時、こんな成績で大学にも行けなかったらどうするんだ」
お父さんの顔は鬼みたいになってるし。正座したまま聞く両親の説教・・。
「そんな約束だったよな・・」
「泣いても駄目だからね・・」
私が泣いた理由。春樹さんに逢えなくなることがなによりも悲しいから・・。さめざめと泣いてしまった。そして・・。
「アルバイト辞めるなんて絶対いや・・」
生まれて初めて両親に反抗した・・。
「絶対いやだ・・辞めたくない・・」
でも、許してくれなかった・・。部屋に閉じ込められて。こんな気分で勉強なんてできるわけないのに。お母さんはこんなにひどいことまでしたようだ。
「店長さんには、アルバイト辞めますって電話で言っておいたから。とにかく、成績良くなるまでアルバイトは辞めなさい」
本当に、そんなことを言ったのだろうか・・。まだ、目が三角だから・・。本当に・・言ったんだ。机に向かって、シャーペンを手にして、しかたなく、あきらめに似た気分で開いた社会科の教科書。勉強してるふりを装えばそのうち許してくれるのが家の両親だし・・。でも・・本当に許してくれるだろうか・・。不安なため息をついた。そのとき、ふと、住民投票・・懇願書?・・その文字が目についた。ぴんっとひらめいた。懇願書・・これにはなにか意味がある。そんな直感。辞書を開いてみた。「願いを聞き入れてもらうために熱心な気持ちを込めて、頼みごとを書き綴った書類」これだ・・これしかない。一晩かけて書いてみた。
「懇願書・・次は必ず10番以内の成績を取りますから。土曜と日曜だけでもアルバイトをさせてください」
そぉっと両親に提出してみた。
「本当だろうな」
と、恐い顔で言ったお父さん。そして・・そんな私をじぃぃぃっと観察していたお母さん、二人っきりになったとき、にやっとしながら。
「ひょっして・・やっぱり・・誰か・・好きな人でもできたの?」
と重く真剣な雰囲気で聞くから、正直に小さくうなずくと、お母さんは、にたぁーっと予想もしなかった笑顔で、言った。
「美樹もそんな年頃になったんだね・・・こんどお母さんにも紹介して・・どんな人なの?・・告白とかしちゃったの?」
ううん・・と、首を振って、くすくす笑ってるお母さん。
「・・方想いなんだ・・そういうことか。でも・・成績悪すぎでしょ・・勉強も一生懸命すると本当に約束できるの?」
小さくうなずいた。とりあえず・・危機は去ったようだ。教科書、生まれて初めて役にたったみたい。
でも・・。
「美樹・・テストがあるんだったら、休んでも良かったんだぞ。ずいぶん成績が悪くなったみたいだけど」
店長と二人っきりの休憩室。テーブルの上の茶封筒。
「次は10番以内・・本当に取れるのか?」
お父さんの馬鹿・・。「娘の心意気よろしく面倒見てやってください。店長殿・・・」お父さんが達筆なのは知っていたけど・・。こんなもの、フツー、筆書きで手紙にするだろうか? 江戸時代じゃあるまいし。
「なにかと思ったよ・・お母さんは辞めさせるって電話してくるし、この、お父さんからの手紙・・わざわざ持ってきてくれたんだけど・・いきなりで、恐縮しちゃったでしょうが・・まあ・・それなりの協力はするけど・・。勉強するのは美樹自身だし、テスト前とかは言ってくれな。休みあげるから」
恥ずかしかった。でも・・。10番以内・・50番・・いや・・100番以内にすればよかった。もう一つ0を書けば・・。いまから・・と、思って手をそーっと伸ばすけど。
「これは、美樹がめげそうになったときの為に取っておくよ・・」
と、店長は懇願書をファイルに綴じて・・。あっ・・と、思う前に曖昧な決意がものすごいプレッシャーになってしまったようだ。そして・・。
「美樹・・アルバイト行かないの?」
はっとあわてて見た時計は12時前・・まだ時間があることに少しだけほっとした。ご飯を食べて、歯を磨いて。髪型を整えて。洋服に着替えて。お化粧・・・は、リップスティクだけ・・。そして、鏡の中の私にちゅっと唇を差し出してニヤニヤしていると。
「美樹ぃ~。だれか、お目当ての彼でもいるの?」
と、肩越しに聞いたお母さん。結構鋭いんだな・・と思った。
「うれしそうな顔しちゃって・・・すてきな人?」
そんな言葉に振り向くと、「まったく」と指先でおでこをつついたお母さん。だから、へへっと笑って。
「行ってきまぁす・・」
と、出かけた。こんなにわくわくな気分は生まれて初めてだ。うきうきしてしまう。自転車をこぐ姿が通り過ぎる建物のガラスに写る。つい、速度をゆるめて、眺めてしまう。絶対かわいい。すぐに着いてしまうお店。遠くからでも見分けれるあの真っ黒のオートバイ。透明な曲線にプリントされた、HARUKI KATAYAMA。ようやく逢えるんだ。あの日、涙を拭ってくれた日がまるで前世の思い出のような懐かしさ。でも・・オートバイの隣の自転車・・むかっとしてしまう。だから、ごそごそと間を開けて、私の自転車を隣に入れて。ハンドルを傾けてみた。少し離れてみると、私の自転車と、春樹さんのオートバイ、まるで、肩を抱き合って寄り添ってるみたい。悦な気分だ。鍵をかけて。もう一度眺めてしまう。とても仲の良さそうなオートバイと自転車。ものすごく悦な気分。でも・・ふと、感じた視線・・。振り返ると店の中から美里さんが不思議そうな顔で私を見つめていた。少し恥ずかしくなった。だから知らん顔でとぼけてみる・・でも、一歩一歩店に近づくたびに、心臓がどきどきしはじめた。そぉっと、重たい扉を開けてみた。
「お疲れさま・・美樹ちゃん、どうしたの? そんなにかわいい格好して・・」
と、美里さん・・やっぱりかわいいでしょ。と、思って、えへへっと笑ってみた。
「よっ、美樹お疲れ・・どうしたんだ? リカちゃん人形みたいな格好で」
・・えっ?・・と、思った店長の一言・・。リカちゃん人形? 本当は・・リカちゃん人形なのだろうか・・。まじまじとガラスに写る私を見つめて。そう言われればそんな気もする。不安が押し寄せてきた。そんなはずはない・・絶対かわいいはずだ。邪念を押し退けて、そぉっと外からキッチンをのぞいた。誰もいない・・。きょろきょろ店のなかを見渡してみた・・。店長と、美里さん以外、誰もいない。お客さんもいないし・・不安な気持ちが微かにすると、「リカちゃん人形・・」な邪念があふれてくる。ぶるぶると振り払って・・。おそるおそる中に歩いてゆく。どきどきが大きくなり始めた。いよいよ、待ちに待った瞬間。そこの角を曲がると・・春樹さんがいるはずだ。外からは見えないところにいるはずだ。とりあえず心の中でリハーサル。
「お疲れさまです・・」
しまった・・どんな仕草を添えるか・・はっきり決めていなかった・・。でも・・ここまで来たら、もう・・どうでもいい。スカートを摘んで・・とりあえず、万端な準備をしたつもり・・・カウンターの角を曲がって・・。キッチンをのぞき込み。
「お疲れ・・さま・・です・・・」
スカートを左右に摘み上げて、斜めにお辞儀して・・ふるえてる膝・・。そぉっと顔をあげたら・・・誰もいなかった。外からカウンターを拭いている店長がいた。
「んっ・・誰に挨拶したの? チーフ帰ってきてるの?」
と、キッチンをのぞき込む店長。むちゃくちゃ恥ずかしい。あわてて逃げ出した。でも・・由佳さんと春樹さんはこの時間いるはずなのに。休憩室? だとすると、状況は違ってしまう。全然予想していない。急いでするシュミレーション。なにか食べているのだろうか。椅子に座ってる・・ドアをがらっと開けて・・。
「お疲れさまです・・」
と、言えば。春樹さんは・・座って食事してるなら・・お箸をくわえたまま・・この姿を見つめて、ぽかぁぁんと見上げてくれそうだ。それに・・低いところからの視線・・おへそも見えてしまうかもしれない・・そぉっとチェック。見える見える・・うししっ・・でも・・恥ずかしい・・いや・・恥ずかしさはこらえてみよう・・何かの本に書いてたような、誰かがそんなことを言ってたような気がする。そうすれば、春樹さんは私の虜に・・それも、誰かが言ってた気がする。春樹さんは私の虜になる。絶対そうだ・・そして・・私は・・「お疲れさまです・・」と、もう一度とびきりの笑顔を添えて言ってみよう。お母さんも言っていた。素敵な彼氏が釣れれば・・ものすごい自信があふれてる・・よし・・と、深呼吸。休憩室。扉に手をかけて・・。その瞬間、扉の向こうから・・。声が聞こえた・・。
「あぁ~ん・・いい・・そこ・・そこ・・あん・・あん・・感じる・・気持ちいい」
びくっとした・・由佳さんの声? ドアに伸びた手をすぼめてしまった。
「ちょっと・・由佳・・変な声出すなよ・・もぉ」
それは、春樹さんの声?
「あん・・いい・・気持ちいい・・感じる・・声がでちゃうよ・・あっ・・あん・・そこそこ、もっと強く・・・あぁ~ん」
わなわな・・わなわな・・なに・・してるのだろう・・まさか・・と思うけど・・。まさか・・こんなところで・・それに・・由佳さんの声・・あぁん・・という音・・聞き覚えがある・・あのDVD・・・。まさか・・と、思うのだけど・・
「あっ・・あん・・いい・・」
「由佳・・その声なんとかして。誰かに聞かれたら誤解されるでしょうが・・」
「だって・・むちゃくちゃ気持ちいいんだもん」
「ったく・・」
「なに照れてるのよ・・純情なんだ。かわいいねぇ春樹くん」
「ばぁか・・」
「あいった・・いたぁい・・」
「あっ・・ごめん・・痛かった? でもここ、がちがちにこってるぞ」
「うん・・あいたた・・変なところに力・・そこは・・力・・入れちゃだめ・・でも・・そこも・・今くらいの・・そうそう、そのくらいの力なら・・入れて・・入れていいよ・・あぁ・・気持ちいい・・もっとぉ、もっと」
「はいはい・・これくらい?」
「あん・・そこじゃない・・そこは痛い・・違う・・あん・あっ・・いい、そこ・・そこ・・もっと強く・・あぁ~ん・・」
「そんな声だすなってば・・もぉぉ」
「あぁ~ん・・そ・・そそるでしょ・・」
「馬鹿」
「あん・・いい・・そこそこ、気持ちいい・・いきそぉ」
「いくいくって言ってみてよ」
「やぁ~ん・・えっち・・でも・・本当に気持ちいい。いくぅ・・ホントにいきそう」
「ったく・・おチチとか、おシリも揉んでやろうか」
「いやぁ~ん・・もぉ・・でも、春樹になら・・うふふっ。ちょっとだけよ」
「ばぁ~か・・本気にするなよ・・ったく。なに言ってんだよ」
「うんもぉ・・揉ませてあげるっていってるのにぃ~。触っていいよ。ほらぁ~いいのよ・・おねぇさんが優しくしてあげる。ご褒美よ、もみもみしてぇ・・」
「やめなさいもぉ・・」
本当に・・なにしてるんだろ・・まさか・・と、思うけど・・。絶対・・そんなこと・・と、思うけど。ドアを開けるのがむちゃくちゃ恐い。膝がふるえてしまう。立ちすくんでしまう。そのとき。
「美樹・・どうしたの?」
背後に急ぎ足でやってきた美里さんが。
「由佳・・春樹・・お客さんきたよ、オーダーよろしく」
と、あっけなくドアを開けて。由佳さんの肩を揉んでいる春樹さんと目が合った。由佳さんはうっとりしていた。
「よっ・・美樹ちゃん、お疲れさま」
由佳さんの肩を揉みながら春樹さんは私にそう言った。ただ、それだけだった。あん・・・と、つぶやいて、ぶるぶると肩を震わせてる由佳さん。
「いいとこなのにぃ~」と言いながら、大きく背伸びして、
「あー・・すっきりしたぁ・・ほぐれたぁ~」
と大きな声で呟いてから。テーブルを片づける由佳さん。帽子をかぶる春樹さん。
「何人?」
「4人ずつ、2組」
「はいはい」
「これからなのにねぇ」
「ばぁか・・あんな声・・俺も一応オトコの子なんだからな」
「うん・・べつに春樹なら、その気になってもいいよ。あたし」
「べぇぇ」
「あぁぁなによそれぇ」
「由佳じゃーねー」
「じゃーねーってどういう意味よ、あたしだって女の子なんだからね」
「よっ。美樹ちゃん、今日もかわいいな」
ぽかぁ~んとしたままの私の素肌な肩をたたいた春樹さん。一瞬、肩に触れた手にぴくっと反応したのに・・あっという間にまた・・誰もいなくなった。遠ざかる二人の声が聞こえる・・。
「こら、春樹、逃げるな、今のは傷ついたぞ」
「だって、わざとらしいすぎるよお前」
「なによ、本当に気持ちよかったのに」
「お前、どこまでが冗談かわからないから・・」
「全部本気」
「ばか・・」
「何照れてるのよ、かわいいんだから・・またお願い。今度はもっと気持ちをこめて悶えてあげる、だから、次は脚ね、腰からふくらはぎにかけてお願い」
「もう、由佳と同じシフトはやだよ」
「何言ってるのよ、長い付き合いでしょ、マッサージくらいいいじゃん。スキンシップってやつでしょ」
そんなきゃいきゃいと聞こえる声だけが頭の中こだました。まだ、ぽかぁんとなってる私・・。
「美樹・・どうした? 早く着替えてこいよ・・」
コーヒーを片手に、店長が休憩室に来てそう言った。
いったい、なんだったの? 今の・・そう言う気分。
とりあえず、仕事をはじめて。ぱらぱらと来るお客さん。愛想を振りまいて。オーダーを取って、お水とかを汲み直してあげて。キッチンをのぞいてしまう。由佳さんと話してる春樹さん。本当は・・この二人・・恋人どうし・・なのかな。そんな予感がものすごく恐い。視線が合うと、必ず手を振ってくれる春樹さん。あわてて視線を反らしてしまう。
奈菜江さんと真吾さんが手をつないで店に来た。
「お疲れさまです・・」
と、挨拶して。うらやましい視線で追ってしまう。店の中、うろちょろしていると、春樹さん、今度は奈菜江さんとまじめな顔で話ししてる。真吾さんは由佳さんと笑いながら話してるし。なんだか働いてるのは私だけみたいだ。わたしも・・カウンターに行っておしゃべりしたいと思っているけど。話すことなんて全然思いつかないし。そうだ・・と、思いついて、レモンを切ろうとすると・・。
「美樹・・今日はいいよ」
と、由佳さんが言う。しかたなくあきらめた。取ってきたオーダーをあげてくれた春樹さん。その瞬間だけこんなにそばに近づけるのに。
「全部持てるか? 無理しちゃだめだよ、熱いからやけどしないように気を付けて」
と、優しく心配してくれる春樹さんに。ただうなずくだけしかできない私。あわてて、お料理を運んで。そうこうしてる間に、
「じゃっ・・お疲れさま。交代しようか・・」
と、バイトの時間は終わってしまった。帰り際、春樹さんに挨拶した。「お先に失礼します・・」と、でも、「おっ、お疲れさま」
とだけしか、言ってくれなかった。フライパンをじゅーじゅーさせながら。こんなにかわいい洋服なのに。そのことには見向きもしてくれなかった。
いつもと同じ、奈菜江さんと一緒に帰る帰り道。私の自転車を押してくれる真吾さん。私を見つめる奈菜江さん。
「美樹・・それ、どこで買ったの? スカート、シルクでしょ・・きれぇー」
と、奈菜江さんはスカートを摘んで聞いてくれたけど。
「美樹ちゃんって、本当に初々しいよね。かわいい」
と、真吾さんは言ってくれたけど。
「美樹って本当・・子供っぽいよねぇ・・あっ・・違う・・うらやましくって言ってるの、馬鹿にしてるんじゃないよ」
奈菜江さんの一言。ぐさっとまた、なにかが刺さった。
「本当に、うらやましい・・。私もこんなにかわいい頃があったのに・・。ハタチ過ぎるとお肌が曲がり角を曲がったこと・・わかるよホント」
「えっ・・そうなの・・そういえば奈菜江、最近おばさんっぽく・・・」
「なによぉ・・」
「ほら・・その目つき・・日曜日によく来るあのおかっぱのおばさんに似てきたんじゃない」
「えぇぇぇぇぇ・・そんなこと言われたら、無茶苦茶気になるよ・・」
黙ったまま、二人の会話を聞いてしまう。うつむいて。とぼとぼと歩いてしまう。二人の声がひそひそと聞こえる。
「美樹・・変じゃない・・・きょう・・」
「俺も・・思ってた・・」
「あんなにかわいい洋服・・」
「どうかしたのかな・・」
少しすると。ひそひそ話しをやめた二人。
「美樹って彼氏とか、いないの?」
と、唐突に奈菜江さんが聞いた。うなずいた。
「美樹ってかわいいから。すぐにできるよ。その悩み気な顔・・そんな原因なんでしょ」
そんなことが原因なんだろうか? うつむこうとしたら、自分の顔を指さして・・。
「あっ・・俺は、俺俺・・俺なんてどぉぉ」
と、おちゃらけてる真吾さん。わざとらしく笑顔で返事してみたけど。
「真吾ぉ・・・私の前ではやめてよ、それ」
ぎゅぅぅっと真吾さんをつねる奈菜江さん。いててっと顔をしかめた真吾さんをうらやましいと思ってしまう。今の奈菜江さんみたくこんなに可愛い洋服のこと、見向きもしてくれなかった春樹さんをつねっている私自身を想像して。くすくす笑ってみる。そんな私の笑顔に不思議そうな顔をした奈菜江さん。
「真吾は駄目だからね」
と、念を押して。ちぇっとつぶやく真吾さんに恐い顔をする奈菜恵さん。奈菜恵さんの顔がすこしだけ恐くなって。じゃぁね、また明日。と別れた。ずっと見送るのは恐いからやめた。でも・・想像してしまう。また、軽くけんかをして、ぽかぽか。そして、あの街灯のした・・ちゅっ、てしてたら。だから、急いで、角を曲がって、うちに帰った。
玄関を開けると、
「美樹・・お帰り・・」
お母さんがにこにこ迎えてくれる。
「どうだった? 大漁だった?」
なんてことを聞くから、ううんと首を振って。
「なにか食べる?」
あまり食欲がない。だから、ううん・・とまた首を振って、部屋に上がった。鏡を見つめて・・こんなにかわいいのに。なにも言ってくれなかった春樹さん。私には、そんなに興味がないのかなぁ・・。そう思うと、うつむいてしまう。
「美樹ぃ~。お風呂入るでしょ」
「はぁ~い」
とりあえず・・明日・・また逢えるんだし。それに・・明日は忙しくなる日曜だし・・。お風呂に入って、パジャマに着替えた。テーブルのご飯を摘んで。ふぅとため息。ぶつぶつ考えるとなかなか眠れない。由佳さんとはあんなに仲がいいなんて・・思い出してしまう、由佳さんの肩を揉む春樹さん・・由佳さんの気持ち良さそうな顔・・いやらしい声・・前髪をかきあげて、ごろごろ。頭の中、ざぁぁっとしている。深夜放送の終わったテレビみたい。ごろごろ。なにも思いつかないし、なにも考えられない。
日曜日。やっぱり普段着で出かけることにした。あの洋服はどことなくよそいきな雰囲気がしはじめたから。それに・・春樹さんは見向きもしなかったから。店に入ると、相変わらずな日曜日の重たそうな雰囲気。しぃーんとしている。レモンを切る仕事は、とりあえず、私の仕事になってしまった。でも、今日は、包丁、むちゃくちゃよく切れる。これを言い訳にして、また、そっと抱きしめられそうな予感を期待したのに。でも、レモン。春樹さんに言われたとおりに、15度くらいの角度ですぅぅっと。今日はうまく切れる。妙に心が静まってるなと思う。そのとき。
「あぁ~・・春樹さんだ」
優子さんの声に、はっと振り向いてしまった。
「どこどこ・・あぁ~ほんとだ・・また、みゃぁと遊んでるよ」
駆け寄ったのは由佳さん。みゃぁって何だろ? そぉっと優子さんに肩ごし、つま先でたってその向こうをながめてみた。駐車場。野良猫だろうか・・。まるで死んでるみたいなぐにゃぐにゃしてる猫。春樹さんが、ごろごろさせて。尻尾を摘んでぶらぶらさせて。
「なにしてんのよ・・もぉ。みゃぁがかわいそうじゃない」
「でも・・みゃぁ・・気持ちよさそう」
「ホント・・仲いいよねぇ~」
みんなとながめてしまう。なんだかおもしろい。ぐにゃん ぐにゃん と甘えてる猫。あの猫がみゃぁ? 春樹さんがいつか私にしてくれたような・・顔をつかんで、耳を撫でて。お髭を引っ張ってる? そして。座らせて、ぽかっ。
「あぁ~・今たたいたよね」
「たたいた・・たたいた」
「なにしてんだろ?」
「お手、してるみたい・・」
「猫がするわけないじゃん」
でも、猫は、春樹さんにお手をしていた。そして、おなかを向けてごろごろ、猫のおなかを撫でている春樹さんの笑顔・・うれしそうな春樹さん。優しいんだ・・と思ったとき・・もう一度・・ぽかっとみゃぁをたたいた春樹さん。
「あぁ~、またたたいた・・」
「絶対いじめてるよねぇ・・」
立ち上がった春樹さん。もう一度しゃがんで、みゃぁの頭をごしごし撫でた。振り向くと、私たちに気がついたみたい・・一瞬止まってから、照れくさそうにぽりぽりしていた。
「おはよ・・」
店に入る春樹さん。みんなが恐い顔で追求している。
「春樹、みゃぁをたたいたでしょ・・」と、由佳さん。
「えっ・・あれは・・たたいたんじゃなくて・・」
「絶対たたいた・・」と、奈菜江さん。
「またなって・・挨拶しただけだよ・・・」
「春樹さんそんなひどい人だったんだ・・」と、優子さん。
「違いますよ・・なんですか、みんなで・・」
みんなに責められている春樹さん。しどろもどろな感じがかわいい。そして、少しだけ、みんなと離れたところにいる、うつむいてる私に気づいてくれた。
「美樹ちゃん、おはよっ・・たたいてなんかないよな」
少し遠くにいる私をまっすぐ見つめた、照れくさそうにしている春樹さん。
「今日もかわいいな、美樹ちゃんは」
それは・・うれしい言葉。かわいいな・・とこだましてる頭の中。いそいそと歩く春樹さん。みんなの恐い顔をちらちらと気にしてから、笑みを浮かべて私を見つめてくれる。私に用があるかのようにいそいそと歩いてくる。すれ違う瞬間・・。
「おはようございます・・」
と言う。
「おはよ・・」
春樹さんは振り返りながら、くすっと笑ってくれた。そして、裏に消えた。ほぉっと心臓が静まり返っている。あの日から一週間、ようやく、私の方から一言話せたんだ。しばらくしてから聞こえはじめたみんなの声。
「絶対あの人・・変だよねぇ」
「でも・・みゃぁ・・って名前。春樹さんが付けたんでしょ」
「春樹さんによく慣れてるよねぇ、みゃぁって」
「本当は優しい人なのかなぁ・・」
「動物好きな人っていいよねぇ・・」
「猫が好きなだけじゃない」
「でも・・たたいてた・・」
「絶対たたいたよねぇ」
さっきまでしーんと重苦しく沈んでいたのに、急に和やかな雰囲気になったことが不思議。春樹さん・・妙な魅力がある人なんだなと思った瞬間・・キッチンに現れた春樹さん、冷蔵庫をばたばたと開け閉めしてる。みんなには気づかれないように横目で見つめてみた。何をチェックしているのだろう・・そのまじめな表情を見つめて感じたこと。私は本気で思っている・・この人が好きだと。自分自身がそんなことを感じていることに気づくと、心臓がまたどきどきしはじめた・・。お客さんが入りはじめる。深呼吸・・・とりあえず・・おちつこう・・今日はどたばたして、店長に怒られて、そんなことで泣きたくない。
お客さんの数はこの前と変わらなかったと思う。でも。
「はい、美樹ちゃん・・これと・・あと、クラブハウスサンドか、もうすぐできるから待っていようか」
と、私のオーダーをチェックしてくれる春樹さん。この前は由佳さんと優子さんがしてくれたけど・・今日は、春樹さんがオーダーごとの料理をチェックして並べてくれる。
「忙しい?」
「・・うん・・」
「じゃぁ、深呼吸してみよう。大きく息を吸って、吐いて。こんな時は心に余裕を持たせて、時間は無限にある、大丈夫、一つ一つを確実にこなせばどんなこともできちゃうから・・慌てず焦らず、一つ一つを確実に。と呪文を唱えなきゃね」
と、お料理を取りにくるたびに、にこにことなにかを話してくれる。足りないお料理ができるまでのわずかな時間の春樹さんとのおしゃべりと。
「大丈夫、時間は無限にある、一つ一つを確実に」
この呪文が、気持ちを冷静に保たせてくれるみたい。
真吾さんが「おまたせ・・」と、カウンターにあげたクラブハウスサンドイッチ。
「はい・・あがった。全部もてるか? テーブル番号間違えないように」
「・・うん・・これは、8番」
「OK じゃ、帰ってきたら、次は、7番のペスカトーレときのこスパが上がるから、それで一応、ピーク過ぎるね」
「はい」
だから、この前みたいなパニックにはならなかった。そして・・落ちつきはじめたころ。
「ねぇ春樹さん・・どうして、美樹のオーダーは全部揃ってるわけ・・真吾ぉ・・早くあげてよぉ」
と、ぼやいたのは奈菜江さん。そういえば・・春樹さん、今日は私にだけ気を使ってくれているみたい。
「美樹ちゃんを何度も往復させたら、かわいそうでしょ。まだ日曜日2回目だよね」
と言った。もっともな、期待はずれな言い訳だと思った。うなずくと・・
「ふぅぅん・・」
と、奈菜江さんが膨らんでる。そして、にゃっとして。
「春樹さん・・美樹のこと好きなんだ」
なんてことを、こんな時に、こんなに素気なく言う。「ホントに?やっぱりそうなんだ・・」という意識が湧きあがって、ものすごい期待をこめて春樹さんを見つめてしまうけど。
「ばっ・・馬鹿・・そんなつもりはないよ」
「そんなつもりって、どんなつもり?」
「ただ、かわいいから」
「それって、好きってことでしょ」
「まぁ・・その・・だから、うるさい・・」
それは・・突然そびえたった希望がすぐさま崩れた無茶苦茶残念な返事だったけど。春樹さんのあわててる恥ずかしそうな顔は、かすかな希望が残っていそうなどことなくうれしい気分。そこに帰ってきた由佳さん。
「じゃぁ・・美樹。次行ったら、オーダー切れるでしょ。休憩一番。いっといでよ、奈菜江引き継げる」
と、言ってくれた。そしたら。
「なにか食べるか?」
と、すかさず聞いた春樹さん。だから。あわてて振り向いて。どうしても食べたいのは・・。
「うん・・こないだの・・」
「チキンピラフ? 気に入ってくれた?」
「・・うん・・」
「うれしい・・」
この前は、おいしさがよくわからなかったから。それに・・春樹さんの手作りだから・・。ほかのインスタントもおいしそうだけど・・。やっぱり・・。独り占めしたい気分がある。この人の手作りを。
そして、カウンターに上がったオーダーをお客さんのところまで運んで、愛想を振りまいて、帰ってくると、「はい、愛情たっぷりのチキンピラフ」と春樹さんがにこにこと迎えてくれて。「いただきます」といってから、独りぼっちの休憩室。もぐもぐと味わいながら食べた。むちゃくちゃおいしいじゃないこれ。焦げたバターかな、この匂い、こんなにおいしい食べ物だったんだ。うっとりと味わってしまう。春樹さんの手作りかぁと思う。ぱくぱく食べてしまう。本当においしい・・。
そして、そのまま、一人ぼっちで休憩時間が過ぎて。
「ごちそうさまでした・・」
と、今日はせりふを変えてみた。
「おっ・・うまかった?」
と、聞いてくれた春樹さん。
「・・うん・・」
と、うなずくと。にこにこと笑ってる春樹さん。
「食べてくれる娘がこんなにかわいいから、おいしく仕上がるんだよ、ねぇ」
どう返事していいかわからない一言に戸惑ってしまった。
「どういう意味よ・・それって」
カウンターごしの由佳さんの声。あわてて逃げ出した私。
「ったく・・春樹ってロリコン?」
「ばか・・・かわいい女の子が好きなだけだよ」
「それって、ロリコンじゃない」
「なんとでも言ってください。美樹ちゃんは特別なんですよ」
「そぉですか、私じゃぁ~ねぇ~って言ったのはそんな理由なんですか、私は特別じゃないんですね」
「言ったか? そんなこと」
「昨日言いました。私傷ついた。絶対許してあげないから」
「あっ・・じゃぁ。もう、肩揉みしなくていいんだ」
「あぁ~ん・・それはずるいよ・・あたし、春樹じゃないと感じないしぃ」
「おまえ・・その声がいやらしいよ・・」
「そそるでしょ・・わざとよ」
「ばぁか・・うんざりするだけだよ」
「あっ・・そぉですか、うんざりですか」
「そぉですよ、うんざりですよ」
「ふんっだ・・春樹なんて大っ嫌い」
「そんなこと言うんだったら、カタモミ絶対してあげないもーん」
「もぉぉ」
「べぇぃぃぃだ」
遠くから見つめている由佳さんと春樹さんのそんなやり取り。おちゃらけあってる二人。楽しそう・・由佳さんも春樹さんのこと好きなのかなぁと思ってしまう。でも。今日は、私にだけ気を配って、にこにこと笑顔を見せてくれる春樹さん。うきうきしてしまう。なんども頭の中にこだまする。「食べてくれる娘がこんなにかわいいから・・・」あの洋服着てくればよかった・・。6時。着替えながらそんなことを思っていた。奈菜江さんが着替えてる間にまた、勇気を振り絞ってみた。一人でキッチンに向かう。
「お先に失礼します・・」
それも、ようやくまともに言えた挨拶。だれにも見られていないから言えた挨拶だとも思う。
「お疲れさま」
と、答えてくれた春樹さんをじぃっと見つめて。
「どうかした?」
「・・えっ・・」
「お疲れさま・・帰り道・・気をつけて」
また・・どうかしていたようだ。数秒間の記憶が飛んでいた。あわてて、逃げ出してしまった。店をでて、ふぅぅとため息。でも・・一人っきりで店を振り返ると、顔がほころんでしまう・・。私のことを「かわいい」と言ってくれた。少しだけど、言葉も交わせた。これは、大きな進展だと思う。大きなオートバイ。透明な曲線の、HARUKI KATAYAMA。手で優しくなぞってしまう。そして、はっと思い出して、知らん顔を装った。予想通りな声が聞こえた。
「美樹・・今日は真吾のおごりだよ。アイスクリームでも食べにいこっ」
「おい・・誰のおごり・・」
「あんたのおごり」
「どうして・・」
「あんたって、お料理あげるのおそいわよぉ・・春樹さんを見習いなさいよ、私、何回往復したとおもう?」
「あの人にはかなわないよ・・春樹さんって能力者だし」
「なによ、能力者って・・」
「ほら、変な木の実を食べて、手がびょーんと伸びる人いるじゃん」
「そんな人いるわけないでしょ」
「春樹さんって手が4本くらいある感じがする。フライパン5つだよ、見たことある? フライパン5つ同時に振り回してランチタイムノーミスでなんて・・俺にはムリ」
とりあえず、ばれなかった・・よかった・・。それに・・自転車の鍵をはずしてると、目の前の、HARUKI・KATAYAMA。その文字をちらっと見つめるだけで、うれしくなって。
「じゃぁ、行きましょうか」
と、声が弾んでしまう。うきうきしてしまう気分はどうしても抑えきれない。そんなうきうきしてる私に奈菜江さんが聞いたこと。
「どうしたの? うれしそうに・・。真吾のおごりだから?」
とりあえず。えっ? と思いながらうなずいてみた。奈菜江さんが真吾さんの顔を横目でじぃぃっと見つめていた。慎吾さん、ゴクリとのどを動かして、奈菜江さんって変な誤解してるみたい。くすくす笑ってしまった。
「真吾ぉ~・・・」
「なっ・・なに?」
「美樹となにか取引したでしょ?」
「するわけないよ」
「したでしょ・・白状しろよ」
「してませんよ、なに考えてんだよ」
「だって・・美樹が・・」
奈菜江さんは、どんな誤解してるのだろう・・とりあえず・・黙り込むことにしよう。真吾さんのおごり・・アイスクリームがものすごくおいしい。今日・・春樹さんは私のことを気持ちのこもった雰囲気で、かわいいと言ってくれた。ぶつぶつ言っている奈菜江さん。おろおろと言い訳してる真吾さん。そして、にやにやしている私。不思議な構図だ。まだこだましている春樹さんの声。「食べてくれる娘がこんなにかわいいから・・」あのとき、声に本当に気持ちがこもっていたと思う。そういえば、初めて逢ったときも・・かわいい・・おいしそう・・ぷにぷに・・何度も思い出すと、また逢える土曜日が今から待ち遠しくなった。
家に帰って、ごろごろと枕を抱きしめて・・。
「食べてくれる娘がこんなにかわいいから・・」
春樹さんの声が頭から離れない。やっぱり・・私はかわいいんだと思い出す、春樹さんの声、笑顔。はぁぁ・・と、うっとりなため息をつきながら、カレンダーを見つめてしまう。土曜日・・明日が月曜だから、その次が・・火曜日・・バイトだけど・・春樹さんはいない・・。そして水曜日・・・もバイトだけど、春樹さんはいない・・木曜も・・、金曜日はバイトは休み・・その次が土曜日だ。また・・あの洋服を着て行こう・・。そうしよう・・。まくらに顔を埋めて、うししししっと笑う。ひょっとして・・これって初恋? そんなことを考えるともっとうしししっと笑ってしまう。無性に告白したい気分、思いつく。
「春樹さん・・好きです・・」
を、つぶやくと、自分の声がむちゃくちゃ恥ずかしい。ぷぷっと笑ってしまう。そんなこと・・私には絶対声にできないと思う。だから、手紙・・・机に向かって・・かわいいボールペンを持ってみた。でも・・ラブレターなんて一度も書いたことない・・かわいい封筒と便せんは山ほどあるけど。ごそごそ探してみる机の引きだし・・でてきた中間テストの日程表、はっと気づいた。そういえば・・中間テストがあるんだ。でも・・私の頭は同時に二つ以上を考えられないようだ・・かわいいミッキーの便せんに綴ってしまうHARUKI・・な文字。うふふっ・・。悦な気分、快感だ・・でも、それ以上ペンが進まない。ためいき・・。こんなもの書いても渡せる勇気なんてどこにもないし・・しかたがない・・勉強でもするか・・無意識にノートを開いて、そこにも、HARUKI・・なんて。くすくす笑ってしまう。でも・・こんなことしてる場合じゃないな・・テスト勉強もしなくちゃ。でも、そういえば、月曜から勉強することにしたんだっけ。自分でした決断を思い出すと、妙な安心感。いいんだ、中間テストなんてどうでも・・今はこの恋に一途になるべきだ。春樹さんは言っていた。
「食べてくれる娘がこんなにかわいいから・・」
頭の中でエンドレスな声がこだましていた。春樹さんは私をかわいいと思ってくれている。それを確かめることができた・・。春樹さん「かわいい子が好きなだけだよ」だって、私は・・かわいいんだ・・やっぱり。自信持とう。
中間テストへの秒読みが始まると、学校、どことなくみんなの会話がいつもと違う。一緒に勉強しようよ・・。彼に教えてもらってるから・・。私も混ぜてよ・・。人生あきらめが肝心だよ・・。そうだ・・あきらめが肝心なんだ・・。テスト前の土日・・。休もうかどうしようか、微かに悩んでいるけど。春樹さんに逢いたいと思う気持ちは強烈だ。でも・・テストも大事だ・・と微かに思う。でも・・春樹さんに・・。よし・・あきらめよう、今回の中間テスト・・成績が悪くなった時の言い訳を考えることにしよう・・。バイトが忙しかったから・・。は、駄目だと思う。お父さんはそういうことにとにかくうるさいから・・でも・・ほかにどんな言い訳があるだろうか・・恋してるから・・。も、まずい気がする。お父さんはそんなことにもうるさいはずだ・・。だから・・。全然いい言い訳が思いつかない・・。
待ちこがれていた土曜日が訪れたときは、中間テストなんてものは宇宙の彼方の出来事のように思っていた。
「よっ・・美樹ちゃん・・どうしたんだ? そんなにかわいい格好で・・彼氏とデートかな?」
あの洋服をようやく褒めてくれた春樹さん。だけど、彼氏とデートか? それは、予想だにしなかった言葉だった。返事に詰まった。そして・・・。春樹さんと何を話題にして話そうか・・一週間それを考えていれば良かった・・。ものすごい後悔。取ってきたオーダー・・カウンターにできあがったお料理を取りにきたときだけ、春樹さんと言葉を交わせる距離に近づけるのに・・。
「ちょっと熱いからね、火傷しないように気をつけて・・」
「・・うん・・」
そして、もくもくと仕事をする春樹さんを振り返って・・。ため息。その繰り返しが、あっという間に時計の針を進めていた。
「お先に・・失礼します・・」
「お疲れさま」
笑顔で手を振ってくれたけど・・。だから、なにかを話したいのに・・。
「美樹・・どうしたの? 早く帰るわよ」
と、奈菜江さんに背中を押されて・・。帰り道・・。店を出て、振り返って・・なんだかむちゃくちゃ淋しい気持ちがあふれてしまう。その瞬間。あまりにも突然だった奈菜江さんの一言。
「美樹ってさぁ、春樹さんのこと好きなんでしょ?」
言ってから、じぃぃっと私を見つめている奈菜江さんに大慌てで首を振る私。
「ど・・どうしてですか?・・」
と、聞くと。
「ただ、そんな気がしただけ・・。最近ぼぉっとしてることが多いから。今日・・ぼぉっとしてる視線が春樹さんにずぅーっと向いてたから」
どきどきしはじめた。誰にも知られたくないのに・・。ばれかけてる・・。
「違います・・そんなことないです」
そうつぶやくと、奈菜江さんは、ふぅぅんと意味深な目で私を見つめた。明日は意識しよう・・。だれにも知られたくない・・とにかく隠し通したい。美樹がねぇ・・春樹さんのこと好きなんだって・・。そんな噂が流れたりしたら・・私は恥ずかしすぎて、生きてゆけない気がする。だから・・。日曜日・・また・・チキンピラフを作ってくれた春樹さん・・そのとき以外・・春樹さんのことは見ないようにした。こんなことになるだなんて・・。来週はもっと・・作戦を練ろう。また・・一週間があっという間に過ぎてしまいそうだ。
でも、作戦は練れなかった・・。原因は中間テスト・・春樹さんのことをぶつぶつと考えていたせいか・・そんなものがあること、完璧に忘れていた・・。誰よりも重たい鞄をもって学校に行ってようやく気がついた。体育の服まで用意していたのに・・。お弁当まで持って行ったのに・・。一日3科目・・昼前に終わってしまった・・それに・・テストの結果を予想すると・・全滅・・どころじゃない・・ため息も出なかった。そんな悩みごとは日に日に絶望へ変わってゆく。短い人生の中で最悪の成績・・。それは、ものすごくリアルなイメージ。間の土日。相変わらず、春樹さんと言葉を交わせないもどかしさが悩み気な表情に輪をかけて。どうしてもできない真夜中の勉強。テストの最中も春樹さんを思い出して現実から逃げてしまう。そして、帰ってきた答案用紙・・受け取った成績表・・。私に手渡す先生の顔で、大体の予想が現実となった・・。先生の表情に感じてしまうテレパシー・・この娘はもう駄目だ・・。そぉっとあけてみた成績表・・。68/79。とりあえずワースト10には入らなかったけど、両親にコメントを書いてもらわなきゃならない欄を見つめて・・。ようやくはぁぁとためいきがでた。
なるように・・なれ。ほとんど開き直ったけど。両親のせりふは予想通り・・
「美樹!! この成績はいったいどういう訳?」
お母さんの目が三角になっている。
「アルバイト・・辞めて勉強しなさい。今時、こんな成績で大学にも行けなかったらどうするんだ」
お父さんの顔は鬼みたいになってるし。正座したまま聞く両親の説教・・。
「そんな約束だったよな・・」
「泣いても駄目だからね・・」
私が泣いた理由。春樹さんに逢えなくなることがなによりも悲しいから・・。さめざめと泣いてしまった。そして・・。
「アルバイト辞めるなんて絶対いや・・」
生まれて初めて両親に反抗した・・。
「絶対いやだ・・辞めたくない・・」
でも、許してくれなかった・・。部屋に閉じ込められて。こんな気分で勉強なんてできるわけないのに。お母さんはこんなにひどいことまでしたようだ。
「店長さんには、アルバイト辞めますって電話で言っておいたから。とにかく、成績良くなるまでアルバイトは辞めなさい」
本当に、そんなことを言ったのだろうか・・。まだ、目が三角だから・・。本当に・・言ったんだ。机に向かって、シャーペンを手にして、しかたなく、あきらめに似た気分で開いた社会科の教科書。勉強してるふりを装えばそのうち許してくれるのが家の両親だし・・。でも・・本当に許してくれるだろうか・・。不安なため息をついた。そのとき、ふと、住民投票・・懇願書?・・その文字が目についた。ぴんっとひらめいた。懇願書・・これにはなにか意味がある。そんな直感。辞書を開いてみた。「願いを聞き入れてもらうために熱心な気持ちを込めて、頼みごとを書き綴った書類」これだ・・これしかない。一晩かけて書いてみた。
「懇願書・・次は必ず10番以内の成績を取りますから。土曜と日曜だけでもアルバイトをさせてください」
そぉっと両親に提出してみた。
「本当だろうな」
と、恐い顔で言ったお父さん。そして・・そんな私をじぃぃぃっと観察していたお母さん、二人っきりになったとき、にやっとしながら。
「ひょっして・・やっぱり・・誰か・・好きな人でもできたの?」
と重く真剣な雰囲気で聞くから、正直に小さくうなずくと、お母さんは、にたぁーっと予想もしなかった笑顔で、言った。
「美樹もそんな年頃になったんだね・・・こんどお母さんにも紹介して・・どんな人なの?・・告白とかしちゃったの?」
ううん・・と、首を振って、くすくす笑ってるお母さん。
「・・方想いなんだ・・そういうことか。でも・・成績悪すぎでしょ・・勉強も一生懸命すると本当に約束できるの?」
小さくうなずいた。とりあえず・・危機は去ったようだ。教科書、生まれて初めて役にたったみたい。
でも・・。
「美樹・・テストがあるんだったら、休んでも良かったんだぞ。ずいぶん成績が悪くなったみたいだけど」
店長と二人っきりの休憩室。テーブルの上の茶封筒。
「次は10番以内・・本当に取れるのか?」
お父さんの馬鹿・・。「娘の心意気よろしく面倒見てやってください。店長殿・・・」お父さんが達筆なのは知っていたけど・・。こんなもの、フツー、筆書きで手紙にするだろうか? 江戸時代じゃあるまいし。
「なにかと思ったよ・・お母さんは辞めさせるって電話してくるし、この、お父さんからの手紙・・わざわざ持ってきてくれたんだけど・・いきなりで、恐縮しちゃったでしょうが・・まあ・・それなりの協力はするけど・・。勉強するのは美樹自身だし、テスト前とかは言ってくれな。休みあげるから」
恥ずかしかった。でも・・。10番以内・・50番・・いや・・100番以内にすればよかった。もう一つ0を書けば・・。いまから・・と、思って手をそーっと伸ばすけど。
「これは、美樹がめげそうになったときの為に取っておくよ・・」
と、店長は懇願書をファイルに綴じて・・。あっ・・と、思う前に曖昧な決意がものすごいプレッシャーになってしまったようだ。そして・・。
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