チキンピラフ

片山春樹

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溜まりゆくフラストレーション

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 現実なのか嘘なのか自分でも自信がないことだけど。今、確かに存在している左手の薬指の指輪をしげしげと眺めて、イルカと、エメラルド。指輪をここにつける理由は知っているつもり。男の人とデートした証にここに指輪をつける、わけではないことも知っているつもり。
「初めてのデートだから、最高の思い出が欲しいんです」
って言ったかな私。それに。
「プロポーズしてください」だなんて、今思えば、なにかとんでもないことを言ってしまったのかもしれないような気持になってる。この気持ち、変な胸騒ぎがし始めている。という実感は、春樹さんのあの一言。
「少しは本当の事もあるけど、ほとんどは嘘と冗談だからな」
から始まった。のかな、と思っている。少しは本当に。
「僕の好きな美樹、僕のお嫁さんになってくれませんか」
と、冗談だなんて全く感じなかった顔で言われて。ほとんど冗談のように。
「はい、お婿さんにしてあげます」
と私は言った。少しは本当の事もあるって、ほとんど嘘と冗談って。知美さんのように数字とグラフにすれば、少しの本当が99%でほとんどの嘘と冗談が残りの1%? と私の心の中ではありえないようなグラフが出来上がってしまって、「それって絶対間違っているでしょ」と言ってる私に、「それがどうしたのよ」と、もう一人の私が言い返すから、どうしても修正できない。春樹さんは間違いなく言ってくれた。私の事、好きだって、少しは本当の気持ちだったはず。そして。
「半分食べる」
とスルメをくわえた唇を私に捧げた春樹さんと、ほとんど無意識に
「うん」
とそのスルメをくわえた私。やっぱり、あれは、キスではなくて、スルメを食べようとして起きた事故。のような気もするけど。あのとき。ぴちょん、って唇が触れたこと。ばちっ と春樹さんの目が開く音まで聞こえたこと、はっきりと思い出せる。それに。あの時、通りかかった女の子たちのひそひそ話。
「今、あの二人キスしてたでしょ」「してたしてた、うらやましぃ~」って。
やっぱり、あれはキス? そして、春樹さんからの電話。
「金曜日に会えるんだよね」
って。春樹さん、私に会いたいの? その気持ちは99%の少しの本当の気持ちですか? 1%のほとんど嘘と冗談ですか? そんなことを、天井にかざした指輪につぶやいて。
「私、なにかしてしまったのかな? 本当に春樹さんを振り向かせてしまったのかな?」
もし、あの人が、本当に私に振り向き始めたのなら、知美さんはどうなるんだろ。そんなことを考え始めたことが、胸騒ぎの原因かな? 
「今の気持ちを冷静に分析するとね」と、知美さんの口癖? をつぶやいても、私は冷静に分析なんてできないし。
そういえば、そんなこと、まじめに考えたことなんてなかったなと思う。
「好きだったら、力ずくで奪っていいのよ」ってグータッチに背中を押されて、勢いに任せて、お揃いの指輪までしてしまった私と春樹さん。その次はどうなるのか。
「どぉ、楽しかった」と春樹さんは私に言った。
「遅くなりました、心配させてしまいました」と春樹さんはお母さんに言った。
「とりあえずは合格ね」とお母さんは、私に言った。
あの、お母さんの言葉って、どういう意味? 詳しく回想すると。
「春樹さん、今日、美樹を帰さなかったら、付き合うのやめなさいって言うつもりだったけど、ちゃんと帰してくれたから、とりあえずは合格ね」
という言葉だったな。返してくれなかったら? ってどういう意味?
「美樹の事大切に思ってくれている気持ちは本物ってこと。フタマタしてる男だから、ちょっと心配したけどね」とも、言ってたな。それに。
「帰りたくない、春樹さんとエッチしたい」
って、お母さんが言ったように、私、そんなことを一日中思っていたなと思い出す。今日、結ばれてしまう運命なら、その運命を受け入れようって。でも、そんな望み通りの未来が訪れようとしている予感と、望み通りの未来が訪れた時、私はどうしたらいいのかわからない怖さが、この胸騒ぎの原因かな、思い描けることすべてに原因がありそうな、そんな気がしている。はーっとため息吐いて、一区切りして。
眠るときは指輪って外すのかな? そう思って、指輪をそっと外して、
「僕のお嫁さんになってくれませんか」
とつぶやきながら、また薬指に差し込むと。
「ほとんど嘘と冗談だからな」
とまた思い出して、また外してみる。そしてすぐ、
「少しは本当のこともあるけど」とつぶやいて。
少しの本当が99パーセントで、ほとんどの嘘と冗談が残りの1%。ありえないグラフができてしまう私の心の中の違和感が、寝苦しさを増長して、また寝付けない夜更けになってしまった。そして。つぶやいてしまうこと。
「プロポーズしてください」だなんて。
私、どうしてあんなこと言ってしまったのだろう。

朝。
「もぉーいつまで寝てるのよ、美樹、アルバイト行くの、行かないの、早く起きなさいもぉ、夏休みだからって、毎日毎日だらだらだらだらして」
といういつものお母さんの声で起こされて、もやもやと考えていたことが何だったのかわからなくなってしまった。
「起きるわよ、もぉ、どうして、もっと優しく起こしてくれないの」
春樹さんみたいに・・。と、思っていることに少しだけ気付いて。。
「ったく、いつまで寝てるのよもぉ、夏休みだからって、ダラケすぎでしょ、だらだらだらだらして」
と、しつこく、うるさいお母さんの声に。
「もぉ、起きてるでしょ、何度も言わなくたってわかるわよ」
と無意識のうちに言い返して。
「何時だと思ってるのよ、起こさなかったらいつまで寝てる気」
とまだ言ってるお母さんに。
「はいはい、起きたでしょ、うるさいなぁもぉ」
と、しつこくぼやいている私。机の上の指輪をしっかり薬指につけて、リビングに降りた。そして。
「ほらもぉ、片付かないから朝ごはん早く食べてよ」
と、テーブルの上の毎朝同じメニューのご飯とししゃもと卵焼きとお味噌汁と沢庵。それは、時代劇のテレビドラマと同じメニュー。
「はい、食べます、いただきます」
とふてくされたまま言って、もぐもぐと食べ始めると。
「はーあ、もぉ、春樹さんもどうしてこんな ぐーたら娘 に気を使ってくれるのかしらね」とお母さんのイヤミ。ちらっと睨んだけど、とりあえず返事せずにいたら。
「昨日は、春樹さんに、わがままばかり言ったんでしょ。指輪買ってくださいとか」
と続けた質問にだけ。
「私、買ってほしいなんて言ってない、春樹さんが買ってくれたの、一生の思い出になりそうって」
「一生の思い出ってなによ」
「しらない、もぉ、いいでしょ」
どうして、指輪一つでこんなにもやもやしなきゃならないのよ。という思いがしてる。プロポーズしてくださいなんて私が言ったのが間違いだったのかな?

そして、気が付くと、指輪をむにゅむにゅ弄んでいる親指に意識が集中して。
「外した方がいいのかな」
と思いながらも、つけたままアルバイトに行くと。
「で、春樹さん、デートに誘ってくれたの?」と奈菜江さんがニヤニヤと聞いてくるから。うん、と、うなずきながら、ニヤッとすると。
「あー美樹、あんた、何してるのコレ」
とまるで、昨日のお母さんのように私の左手を取ったのは優子さん。
「どうして、ここにこんなのがあるわけ?」
ここにってナニよ、こんなのってナニ? と思っていたら。
「まさか、春樹さんもつけてるのコレ」と大真面目な目で追及するから。
「え・・うん・・」と言うしかないし。
「うっそー信じられない」って奈菜江さんまでもがそんなことを言って。
「どうしたのどうしたの」と由佳さんまでもが。指輪を見て、眼を丸く開けて、「えぇー」って言った。そして、しばらくしげしげと見つめてから。
「ちょっと、美樹、嬉しいのは解るし、外したくない気持ちもわかるけどね、そういうでこぼこした指輪は仕事中は外してた方がいいよ。お皿とかコップで傷がついたり、石がいろいろなものに引っかかって危ないから」
と、それは、まじめなアドバイスだと思うから。
「やっぱり、外してた方がいいですか?」とオソルオソル聞いてみると。
「うん、外してた方がいい。嬉しい気持ちはわかるけど、大事なものに傷とかついたら悲しくなるでしょ。だから、結婚してる人は、つるんとした傷ついてもいいような指輪してるでしょ、この店にはいないけど」
そういわれると、そうかなとも思う。お母さんもつるんとした指輪してるな。
「だから、外しなさい、それって、可愛いけど、でこぼこしすぎ」
と由佳さんは優しい表情とアクセントで言ってくれたから。
「はい」
と素直に外したら。
「へぇー春樹さんが買ってくれたんだ、見せて見せて」と奈菜江さんが掠め取って、
「ちょっとだけつけてもいい?」
と聞くから。
「どうぞ」と返事すると。
問答無用でスポーンと薬指にはめて、しげしげとかざしながら見つめて。
「うん・・別に買ってほしいなんて言ってないですけど」
と言い訳を小さな声で言ったけど。
「へぇー高そう、これってスワローフスキー? エメラルドなの? 本物? 結構な値段したんじゃないの」
聞いてないし。
「うん・・別に買ってほしいなんて言ってないのに」
ともう一度小さな声で言ったけど。
「イルカの指輪か・・、これってエメラルドでしょ、5月の誕生石だよね、いいなぁ」
って全然聞いてないし。それに、優子さんは。
「イルカって言うより、ウナギっぽいけど」って。奈菜江さんと同じように薬指にはめて。
「イルカです」って言い返すけど。
「ウナギっぽくない」と言われたら、ウナギのようにも見えてしまう不思議。
「イルカです」と、精神力を込めるけど。
「ウナギって言われると、ウナギっぽく見えるような」
と、次は由佳さんまでもが、高いところにかざしながら言い始めて。
「この角度から見たら、ウナギに見えなくもないね」
「ウナギ、ウナギ」
って優子さんって絶対、私に嫉妬してる。だから。
「もういいでしょ」
と奪い返して、お財布の柔らかいポケットに入れて。仕事に集中することにしたけど。平日のこの時間は、それほど忙しくもなくて、いつもの4人しかいないからか。仕事よりもおしゃべりの方がメインのようで。奈菜江さんが。
「でもさ、春樹さん、美樹をデートに誘ったんだね、どんな風に誘われたの? で、どこに行ったの」と聞くから。
「どんな風って・・」忘れたかな「行ったところは水族館」と答えるけど。優子さんは。
「デートに誘ってくださいって、私も言えばよかったかな、春樹さんが美樹をデートに誘うなんてね、信じられない」って。そして由佳さんも。
「美樹って変わったよね、男の子とあいさつもできない女の子だったのに、自分から、私をデートに誘えだなんて、あんな大勢の前でねぇ」
別に大勢の前で言おうとしたわけじゃないですよ。たまたまです。そう思ったら。
「そうよねぇ、で、春樹さんとしたの? もうしちゃった?」
と粘り気がありそうな笑みの優子さんに言われて。
ってナニを・・と思ったけど。まぁ、キスみたいなことはしちゃったかなと思いながら。
「べ・・べ・・別に何も・・・」
と視線を背けて言ったら。
「あー、ナニかしちゃったでしょ、その目の反らせ方、ナニしたのよ?」
「ナ・・ナ・・ナニもしてませんよ」と力なく言ってるけど、顔は上げられないような。
「そういうこと、本当に何もしてないなら、こっち向いてちゃんと言えるでしょ」
って、まるど、お母さんに言われたよう、だから、優子さんの顔を見上げて。ぎゅっと睨みつけて、息を吸って。だけど。
「ナニもしてないです」というと私の顔は自動的に横を向いてしまって。優子さんがムスッとし始めながら。
「あーぁ、春樹さん秘かに想っていたのに・・」って。本当ですか?
「あーぁ、美樹にとられちゃったねぇ、残念でした」って奈菜江さん。
「えぇ~、優子、春樹の事好きだったの?」と由佳さんも。
「って、別に残念ってわけじゃないけど、好きってわけでもないし」
と言い返す優子さん。私に振り向いた瞬間から、何だか、変な雲が沸いて、バチバチとイナズマがスパークし始めてるような。
「あーあ、春樹さんって、美樹みたいな女の子がいいのかな、この間、いやらしい目で私の事見てくれて、食いついたかなって思ったのに、あーあ、幻滅だなぁ、もう美樹は友達じゃなくなったかも」
ってどういう意味ですか、と思いながら、なんだか、モヤモヤとする気持ちが、どんどんもっと、モヤモヤしてしまう。

そして、平日の普段通りのアルバイトも終わって。家に帰ってから。
「美樹ぃ~、アレ、見たわよ」
と電話してきたのはあゆみ。そういえば、あゆみにも言いたいことがあったような。
「弥生がさぁ~、春樹さんの事、ちょっかい出さない方がいいんじゃないって、見せてくれたんだけど、アレってホントにホントに美樹なの?」
って言う、アレって、あのユーチューブの事かな? 弥生のおしゃべり、と思ったけど。
「うん・・でも・・」ってナニかを説明しようとしたのに。
「ほんとにホントに春樹さんって美樹に、お嫁さんになってくださいって言ったの、美樹が言わせたの?」
って。後戻りできなくなったような言葉が続いて。だんだん、事態が悪化していくような。でも、どうすれば、この事態が好転するかなんてわからないし。
「まぁね・・」
なんて言い放ってしまうと、ますます、収拾がつかなくなりそうな・・。
「まぁね、だって、あーぁ、幻滅、春樹さん、私のおっぱいの虜になってくれたとおもったのに」
って優子さんと同じようなことを言って。だから。
「って、春樹さん、あゆみにメールで返事したの」そう聞いたら。
「返事なんてこないわよ、って、どうして知ってるのよ、春樹さん美樹に私のメール見せたの?」ってやっぱり、あゆみだったんだ、だから。
「このあゆみちゃんってプールで会った友達のあの娘なのかなって、春樹さんが私に聞いたからよ」
って言ってみたけど。
「あーぁ、もぉ、春樹さん、全然返事してくれないと思ったら、美樹とそんなことになってたのね、あーあ、美樹ってもう友達じゃなくなったかも」
って優子さんと同じようなことを言って。
「じゃぁね、お幸せに・・あーぁ、彼氏いないの私だけになっちゃったかも、つらいなぁ。じゃぁね、おやすみ」
と言いながら電話を切ったあゆみ。「彼氏いないの」の部分が妙に心に引っかかるような、別に春樹さんは私の彼氏になってくれたわけではないと思うけど、でも、「僕のお嫁さんになってください」って言いながら私に膝まづいて指輪を捧げるこの動画。
「はい、ピー さんを私のお婿さんにしてあげます、私を幸せにしてください、それだけは約束してください、こんぐらっちれぃしょん、ぱちぱちぱちぱち・・・これでいいか、これでいいです・・・」そして、おでこにチュッ。
って、どうしてこんなに鮮明な画像と、明瞭な音声が・・。一部始終オリジナルバージョンとか、英語字幕バージョンまで作られてるし。
「はぁー、私、ナニしてしまったのだろ」
とつぶやくと、モヤモヤする気持ちが、もっともっと、モヤモヤし始めたような気分になってしまう。

そして、木曜日、昨日と同じように、お母さんに起こされた朝、知美さんのビタミンしっかり食べたのに、昨日よりモヤモヤがひどいし。
「まったくもぉ、具合悪い振りしてるんじゃないの? いい加減にしなさいよ」
って、お母さんの声も、もっとひどくなってきている気がするし、
そして、出かけたアルバイト。お店の中、由佳さんだけで誰もいない。裏に入っていくと、休憩室で奈菜江さんと優子さんがスマホの画面に見入っていて。なんだか嫌な予感がしはじめた。
「お疲れ様です」
と挨拶しても、私の事も挨拶もそっちのけな雰囲気で。そぉーっとスマホの画面をのぞいてみると。やっぱり・・・。
「これって、美樹にそっくりなんだけど、ほら、この指輪も」と奈菜江さん。そして、あとから来た由佳さんまでもが。
「あー、ウナギの指輪、緑色の石」って言ってる。イルカです。そして、リピート。ボリュームを上げて。
「今は約束できることなんて何もないけど、僕のお嫁さんになってくれませんか、はいピーさんを私のお婿さんにしてあげます、私を幸せにしてください、それだけは約束してください。コングラッチレィション ぱちぱちぱちぱち・・・これでいいか、これでいいです・・・チュッ・・」
「顔にぼかし入ってるけど、この黒いジーンズとブーツって春樹さんでしょ、それに、このペアルックの女の子って、美樹でしょ、コレ」
と、ようやくみんなが私に振り向いた。
「なんだか、感動的なシーンだけど、それより、ホントにホントに美樹と春樹さんなのコレ?」
って、撮影したあの外人さんを恨み殺してやりたい気分がしてる。だから。
「ょ・・ょ・・よく似た人じゃないですか?」
って言ったのに。
「ほら、この指輪、ほら、この角度、ほら、この髪型」
って、私にスマホを向ける奈菜江さん。
「絶対、美樹でしょ、これ、あー、春樹さん、ホントにこんなこと言ったんだ、ほほえましいような、うらやましいような、悔しいような、憎たらしいような、嬉しいような、悲しいような、妬ましいような、こんなことまだ誰も言われたことないのに」
「ほらほら、世界中から祝福コメント溢れてるし、あーあ、どうするのよ、こんな世界中に宣言しちゃって。そのうちNHKが取材に来るかもよ」
って。そんなこと・・
「幸せのおすそ分けかぁ、私もこんな風に言われたいよ、僕のお嫁さんになってくれませんか、はい、私のお婿さんにしてあげます、チュッだって、あーいいなぁー」
って言ってる顔は、言葉とは裏腹に、私を呪い殺しそうな、うらめしやー って感じだし。
「シーワールドに行ったのね、って、もしかして、この格好、春樹さんオートバイに乗せてくれたの?」
「えっ?」
「ほら、黒のジーンズでペアルックして、これって春樹さんがオートバイに乗るときの格好でしょ」って、どうしてそこに注目するの?
「ほんとだねぇ、春樹さんのオートバイに乗せてもらったでしょ、白状しなさい」
「まぁ・・」ほんの30分くらいだったけど。
「えぇーいいなぁ、私たち、何回頼んでも絶対乗せてくれないのに、どうして美樹ばっかり」
「そうよそうよ、どうして美樹ばかりいい思いして、なんか不公平、なんかずるい、なんかくやしい」
「なんか嫉妬しちゃうね」
「しちゃうしちゃう」って言われても。私。
「そんなこと・・知りませんよ」と言い返すしかないし。
「って美樹って春樹さんの弱みか何か握ってない?」
「ほらほら、それって、キンタマ握ってるって言うんでしょ」
「いやだぁーもぉー。でも・・・握っちゃったの?」
だなんて・・それが何かは少しは勉強したけど。
「そんなもの、握ってませんよ」
というのが精いっぱいだから、説得力もないし。
「まぁ、明日、春樹さん来たら追及しちゃおうか、美樹に握られたのって」
「賛成、で、誰が聞く?」
「優子聞いてよ、春樹さんにキンタマ握られたのって」
「いやよ・・そんなの」
「やめてくださいよ、追及だなんて」
「じゃ、美樹が白状すれば、春樹さんの弱み、ナニ握ったの?」
「でもさ、春樹さん、あの恋人さん、どうするのかな? フタマタのままなの?」
「あーその話、しぃー、美里の前でするとまた怒るわよ」
「そうだね、美里さん、フタマタって絶対許さないよね、どうしてあそこまでこだわるのかな、ナニかトラウマとかあるのかな」
「カレシがフタマタしてたとかって」
「それとも、誰か別の女にとられた」
「きゃー、それが、今の美樹にオーバーラップしてるってこと?」
「違う違う、フタマタしたカレシが春樹さんにオーバーラップしてるのよ」
「それっ、アリエルっぽいね」
「あの時、春樹さんを蹴ったでしょ、助走付きのフルスイングで、情けも容赦もなかったでしょ、アレって絶対、フタマタした元カレを蹴ったつもりだったのよ」
「かもねー」
「だから、美里さんの前では、しぃー」
「しぃー」
と、おしゃべりしながらみんなは仕事に向かって、私だけが置いてけぼりのような。
もやもやがまた溜まりにたまっているような。
仕事中も、なんだか、みんなとは距離ができてしまったような、壁ができてしまったような。なんだろこれ。別に春樹さんが私のカレシになってくれたわけじゃないのに。

と自分では納得していることだけど。
「僕の好きな ぴー、今は約束できることなんて何もないけど、僕のお嫁さんになってくれませんか。はい、ぴー さんを私のお婿さんにしてあげます。私を幸せにしてください、それだけは約束してください。こんぐらっちれいしょん。ぱちぱちぱちぱち」
って、また見てしまうユーチューブ。こんなの、ほとんど嘘で冗談だったはずなのに。仕事の時間が過ぎて、着替えて、いつもならアイスクリーム食べに行く段取りのはずなのに。
「美樹って、本当に春樹さんと結婚しちゃうの?」
と、本当に大真面目なイントネーションで聞いた優子さん。あまりにも大真面目過ぎるから。
「・・そ・・そんなわけないじゃないですか」
と慌てて言い返したけど。
「・・・・・・」
と何も言わずに。疑いマックスの細い眼差しでシレーっと私を見て、何ですかその反応。だからあわてて。
「アイスクリーム食べに行きますか?」と聞いたのに。
「今日はいいよ」って奈菜江さんも、どうしたんですか? どうしてみんな、急にそんな態度なんですか?

そんな感じで言葉もなく店を出て、寂しく家に帰って。また、モヤモヤしてしまう夜更け。また、見てしまう、あのユーチューブ。春樹さんも見たのかな? と思って、確かめようかと電話しようとしても。知美さんにバレたら、という思いがして。電話することをためらってしまう。何がバレるの? 春樹さんが本当に私に振り向き始めた雰囲気がばれる? 知美さんとはグータッチして、「正々堂々としていましょ」って約束したじゃない。
「どんなに汚い手を使ってもいい」って約束だったでしょ。これは、そんなに汚い手でもないし。そう自分に言い聞かせても。どうしてもぬぐい切れないこの不安感。

そして、何度も繰り返す、デジャブな朝。
「もぉー、美樹、いつまで寝てるのよって、何回言わせたら気が済むのよ、もぉ、起こしてあげないよ」
と、夜は夜でモヤモヤして眠れないのに。朝は朝で、モヤモヤしてたせいで起きれないのに。
「ほらー、アルバイトどうするの」
「行く・・起きる・・」
「どこか、具合悪いの? 春樹さんとデートしてから、どうかしちゃったんじゃないの?」
どうかしちゃったから、こんななんでしょ。と思うけど、言葉にしたら朝ごはんとかがなくなってしまうそうなお母さんの怖い顔。そして思い出すのは「またそんな怖い顔する」といつも私の顔にクレームをつける春樹さん。今日は会える日だけど。みんなにまたなんて言われるだろう。アルバイトに行きたくなくなってきたような。春樹さんになんて言えばいいんだろう。そういえば、春樹さんも指輪、まだしてるのかな? 知美さんに「なによそれ」って言われて怒られてないかな。「あっそ」って知美さんは言ったって言ってたけど。また、ナニかが頭の中でぐるぐるし始めてる。
「ほら、止まってないで、さっさと食べてよ、片付かないでしょ」
と言われて、うんざりとしながらもぐもぐと食べた。

そして、アルバイト。
「おはようございます」
と挨拶すると。みんなが・・といっても、いつもの奈菜江さんと優子さんと由佳さんが、
「おはよ」と味気のない感じの挨拶で。なんとなくフェンスができてしまったあの感じがまだ ずるずる してる。

着替えて、一通りのチェックをして、はぁ・・とため息。一度こんな感じの重苦しさがあったかなと思い出すのは、春樹さんが知美さんに合わせてくれたあの日のこと、みんなと距離を置いて、春樹さんが知美さんを連れてきたあの日も、なんとなくこんな重苦しい気持ちだった。あの日って、よく思えばあの日から10日もたってないような。あの日を境に私の人生が激変したような。知美さんは「好きだったら力ずくで・・」って言った。そして、プールで友達たちに春樹さんをカレシとして見せびらかして。生まれて初めて男の人にお尻を触られて、その後、あまり覚えてないけど倒れたような、そして羽化したような、そしてデートに誘ってくださいって言って。そして、本当にデートして。嘘と冗談のプロポーズまでさせてしまった。そして、今日は、春樹さんが来るのはもう少ししてから、どうしてこんなに気持ちが重いのだろうと思う。デートしてから電話もしていないし、なにもお話ししていない。指輪まだしているのかな、と思いながら、外している私はどんな言い訳すればいいだろう。優子さんとチラッと視線が合っても、優子さんはすぐ顔を背けて。奈菜江さんと目が合うと、にこっと愛想笑いしてくれたけど、すぐに優子さんと同じような感じ。由佳さんはお店の中の小物の配置をチェックしていて、私はとりあえず、担当するカウンターのお皿とかスプーンとか、補充しておこう。

そして、言葉数も少ないまま、お客さんが増え始める金曜日のランチ前。お客さんに愛想笑いでメニューを渡しているときに、窓の外を、あの大きな黒いオートバイに乗った春樹さんか通った。来ちゃった・・と思った時。
「お嬢さん、注文していいですか?」
「お嬢さん」
とお客さんに言われて。ハッとして。
「あ・・・ごめんなさい、ご注文ですね、どうぞ」
と慌てて、ハンディーを操作するけど。お店に入ってきた春樹さん。手袋をしたままで、左手の薬指は見えないまま。ヘルメットを片手に、チラッと私を見て、にこっと顔を傾けながら微笑んで、すぐ裏に入って行った。そして。
「ご注文を・・」
と、お客さんに話しかけると。
「今の人・・カレシ?」
だなんて。
「えっ・・いえ・・その」
「ふぅーん」って、このお客さんナニを観察していたのだろう。私、また変な視線を春樹さんに向けてたのかな? とりあえず、仕事に集中しよう。
「ごめんなさい、ご注文を賜ります」
「はい、ご注文はね、これと、これと」
「はい、ミックスグリルステーキセット、ミックスグリルハンバーグセットですね」
「セットのスープは、クラムチャウダーで、サラダのドレッシングはイタリアンで」
「はいかしこまりました、食後の飲み物はいかがなさいますか」
「アイスコーヒーで」
「はい、それでは。ご注文を確認させていただきます」
こんな風に、お客さんに対応しているときでも、抜けきっていない胸騒ぎのようなこの気持ちがむずむずとしていて。とりあえず、大きなミスはなかったけど。お料理を取りに行ったカウンターで。
「美樹ちゃんおはよ、元気はどうですか? ヘンな夢とか見てない?」
だなんて、初めてそんな言葉で、私に話しかけてくれた春樹さんの優しそうな顔。
「元気ですけど」
と返事したら。指輪をキラキラさせながら。にこにこと。
「外してもいいかな・・なんだかこう、美樹ちゃんの許可がないまま外せなくてね」
と、言ってる。だから。
「ご自由に」と言ってみたけど。
「あー、美樹ちゃんは外してるんだ」って。だから。
「だって、仕事中は傷がついたらいけないと思って」とっさに言い訳をそう言えたけど
「俺もそういう理由、じゃ、外すね」
そう言って、私の目の前で、するっと指輪を外した春樹さん。私と同じようにお財布に大事そうにしまっている。そして、その光景を少し離れたところから、粘り気のある視線で見ている優子さんと由佳さん。にはお構いなしに。
「仕事終わったら、必ず元の場所に戻すから」
って。指輪を薬指につける仕草をする春樹さん。
「それも、ご自由に」
と言いながら、優子さんと由佳さんの顔を横目で見ると、絶対聞こえたと思う今のセリフ。二人は口元を軽く手で塞いで。顔を見合って、マジ? って言い合っているような感じ。だから。
「そんな、気遣ってくれなくてもいいですから」
と慌ててした言い訳は、視界の片隅で、本当にそーなんだって顔をしている二人に対してしたつもり。なのに。
「お姫様と交わした、大切な約束だからね、細心の気遣いも必要かなと思って」
だなんて、見たこともない優しい笑顔でにこっとしながら、今まで聞いたこともないセリフを言うから。慌てて出来上がった料理を掴んで、オーダーをチェックして、とにかく冷静になろう。これをお客さんのところに運んで、今のセリフは聞こえなかったふり。
お姫様と交わした大切な約束だから、ってそんなセリフにどうしたの私? お姫様と交わした大切な約束だからって、どうしたの春樹さん・・今のセリフってナニ? 
「お姫様って、美樹の事?」って言ってるような由佳さんのにやけた顔。いや、そんなことは考えずに、いつもの愛想笑いで。
「お待たせしました」
テーブルは間違っていない。オーダーも間違っていない。
「エビドリアのお客様は」
「はい、私です」
よし、私は冷静だ。お客さんに、ちゃんと受け答えしている。
「ポテトのグラタンのお客様は」
「はい私・・あーおいしそう」
「いい匂いだね、これ」
と言ってくれるお客さんに、いつもより多めの愛想笑いも意識してできているし。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
こんな気持ちだけど、ちゃんと仕事をこなしている。私は大丈夫。
「はい」と返事してくれるお客さんに定型文で対応して。
「では、ごゆっくり、何か御用がございましたら遠慮なく申し付けてください」
「はい、どうもありがとう」
そして、お辞儀して、振り向くと。優子さんが春樹さんに何かを話しかけていて。春樹さんのあのいつもの嬉しそうな笑顔。何を話しているのだろうといつも思っていることだけど、今日に限って、いつもの何倍もの不安が押し寄せてくる。私と目が合った優子さんは、春樹さんと微笑みあってからカウンターを離れて。今度は由佳さんが、お料理を取りに行って何かを話している。ナニを話しているのだろう。どうしたの私、どうしてこんなことが、こんなに気になっているの。いつもの光景なのにこんなの。そう思っているのに。今あの二人春樹さんと何を話したの? 気になって気になって仕方が無い感じ。そういえば、昨日話してたこと、もしかして由佳さん「春樹って美樹にキンタマ握られてるの?」って聞いたの? 春樹さんのキンタマを握る だなんて空想が、モヤモヤし始めて。だめだめだめだめだめ・・。今はお仕事中。深呼吸を二回しよう。とりあえず、用がないときはカウンターには行かないでおこう。と思う。春樹さんとお話しすると、「やっぱり握ったんだ」なんてみんなにナニを思われるかわからないし。春樹さんもどことなく変だ。
チラッと春樹さんに視線を向けると、えぇっと思うくらいに目が合って、にこっとしてくれる。私も力なく微笑み返すけど。しばらくしてからもう一度そぉっとカウンターを見ると。やっぱり春樹さん、私をずっと見てるような? お嫁さんになってください。はい、お婿さんにしてあげます。本当にそんな気持ちなの? まさか、本当に春樹さん、私のこと・・? 

そういう意識をしてしまうと、やっぱり、どんな会話をしていいのかわからなくなってしまって。いつの間にか仕事が終わる時間。着替えていると。
「あれ、美樹、春樹さんの事、待たなくていいの?」
と奈菜江さんに言われて。ドキッとしたまま。
「待たなくてって・・」
と、聞き返してしまう。
「お揃いの指輪をする仲になったんでしょ、私たちみたいに一緒に来るとか一緒に帰るとか、優子の事なんて気にせず、あっぴろげに付き合えばいいのに」
とは、奈菜江さんのアドバイスだけど。
「私の事なんてって、どういう意味よ」
と優子さんは、やっぱり私から視線をそらすように話してるし。
「私が慎吾と付き合い始めた時も、優子がそんな顔してたの思い出したの」
「思い出さなくてもいいでしょ」
「優子ってさ」
「あーうるさい」
「美樹に教えてもらえばいいのに、どうしたら男の子からデートに誘われるのか」
「私をデートに誘ってください・・なんて、言えるわけないでしょ」
「どうして、言えばいいのに。普段はこんなだけど、優子って意外と・・・ねぇ・・・」
「もぉ、あー悔しい。美樹なんてもう友達じゃないし」
「昔、私にもそう言ってたでしょ・・じゃ、私は美樹と二人でカレシの自慢でもしようかなぁ。ねぇ美樹」
と私の腕にしがみつく奈菜江さん。
「かってにすれば」という優子さんを横目で見てから。
「で、ホントに春樹さんの事、待たなくていいの」と大真面目に聞いてる。
「う・・うん・・後で電話しますから」ってするわけないかもしれない嘘なのに。
「電話するのか・・ふぅぅぅん・・おやすみ・・あいしてるよ・・なぁーんてね」
なんてことを ねばねばした 言い方で聞く奈菜江さんはいつもそう言われているのかな、言ってるのかな、と思いながら。
「それはまだですけど・・」と力なく付け加えるともっと嘘っぽく感じるし。
「まだなんだ。じゃ、指輪キラキラさせながら、フィアンセに挨拶しましょ」
って。みんなの前で指輪をはめるのも恥ずかしいような。それをつけて、キッチンに向かい、
「お疲れ様でした」
と春樹さんに言うと。奈菜江さんが私の左手をわざとらしく春樹さんに振りかざして。
「お疲れ様でした」というから。
「お疲れ様、帰り道気を付けて」
といつもの春樹さんに。
「後で電話するんだって、何話したか明日報告会あるからね」
なんていう。春樹さんも。
「ナ・・ナニ?」って聞き返さなくていいでしょ。だから。
「なんでもないです」と言ってしまうのは私で。
「お疲れ様」と笑顔で送ってくれる春樹さんに、ちらっと横目で、またね、と念じて。
「アイスクリーム行くの?」と優子さんの提案に。
「美樹にいろいろ聞きたいことあるけど」とそんなことを奈菜江さんが言うから。
「あの・・今日は私ちょっと」なんて言ってしまって。やっぱり、壁ができてしまったような。それに、急いでこのお姉さま達から離れて、とっとと帰らないと。
「春樹さんのキンタマ握ったんでしょ」
「どうやって握ったの?」
「前から? 後ろから?」
「えぇー、それって、握ると男ってみんなアーなっちゃうの?」
なんて追及とかされら、私は気絶してしまうかもしれない。

そしてまた、デジャブな夜。もやもやと眠れないような、誰かが慰めの電話をしてくれないかなと思うのに誰もしてくれない夜更け。私から電話をしたら、と思っても、誰に? どんな? ナニも実行に移せないこの虚脱感。

フラストレーションって、きっとこれの事なのかな? どんどん溜まりに溜まってゆく感じがする。また、同じような起きることができない朝が来て、お母さんと言い合って。また同じようなアルバイトの時間。土曜日と日曜日は、春樹さんの手作りのチキンピラフを食べることができるのに。
「ねぇ、美樹、春樹とデートしたって本当なの?」
と、いつもより怖い美里さんは。お腹に響く重低音な声で。
「春樹って、あの恋人さんとは別れたの、そこんとこはっきりさせておかないと・・どうなるかわからないから」
「どうなるかわからないって?」また、助走付けて蹴るつもりなのかな?
「私はね、美樹の事、妹のように思っているから、美樹をまた泣かせたら承知しないってだけよ。本当にフタマタする男の言うことなんて信じちゃだめだからね」
「・・はい」
と、誰も逆らえない美里さんのポリシーのようなものと、鉄のブロック、とりあえずは、そのおかけで、仕事中、春樹さんとは距離を置けたけど、その距離感は、さらにフラストレーションが溜まる原因なっているかのような。


「私にプロポーズしてください」
だなんて、私、どうしてあんなこと言ってしまったの?
「僕の好きな美樹、僕のお嫁さんになってください・・」
それって、99%の、ほんの少しだけ本当のことですよね。
「はい、春樹さんを私のお婿さんにしてあげます。私を幸せにしてください。それたけは約束してくください・・」
これは、私、1%だけの、ほとんど嘘と冗談のつもりなのに。
「美樹って春樹さんのキンタマ握ったの?」
そんなもの握るわけないでしょ。どこにあるかは知ってるけど、どんな形なのかは知らないし。
「お揃いの指輪する仲になったんでしょ・・」
たしかにお揃いの指輪をする仲になったかもしれないけど。
「お姫様と交わした大切な約束だから・・」
お姫様って私ですか? 大切な約束って・・私、春樹さんのお嫁さんになるのですか?
「美樹ちゃん、あの子のこと、本当に好きだったらいいのよ、私から力ずくて奪っても」
知美さん・・本当にいいの? 春樹さんは私にあんなこと言いましたよ。
「本当にフタマタする男の言うことなんて信じちゃだめだからね」
って、フタマタって、春樹さん、フタマタしてますか? 私にあんなこと言ったのに、今日も知美さんと一緒にお風呂とか入るのですか?
「まぁ、お風呂上りに裸で挑発するとか、やめておくわ」
春樹さん。本当は、知美さんの事を愛しているんでしょ。だって・・。
「水族館の隣にあった高級ホテル、あそこは高かった・・そこで自然と結ばれて・・・」
やっぱり・・・そうなんでしょ、知美さん。
「どんなに汚い手を使ってもいい、あの子を口説いてみなさい・・」
これって、汚い手ですか? あの人を口説くだなんてそんなつもりで言ったわけじゃありませんよ。
「私にプロポーズしてください」
だなんて、私、どうしてあんなこと言ってしまったの?

・・・・・無限ループのように夢の中で巡り続ける、あれからの出来事が、ぐるぐると渦を巻いて回り続けて、渦の速さや大きさが台風のように大きくなって。心の中に吹く横殴りの暴風雨のようなフラストレーション。

そして、朝。起きても、まだ続く無限ループのような暴風雨。
「ったく、いつまで寝てるのよもぉ、夏休みだからって、ダラケすぎでしょ、だらだらだらだらして、美樹、起きなさいって言ってるでしょ、毎日毎日毎日毎日」
とうとう、切れてしまったのは、お母さんの方じゃない。
「どうしていいかわからないから、眠れないし、眠れないから起きれないんでしょ」
そんなことを言い返してしまった私。
心の中で、何かの糸が本当に切れてしまったのは、私の方だ・・・。
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