チキンピラフ

片山春樹

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しつこい女といわれはじめて

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 いつも通りに始まった日曜日の朝。由佳さんにアルバイト辞めますって告げたこととか、春樹さんとの事とか、なんかこう、このまま本当に辞めてしまうことに後ろ髪を引かれている気がするのは、春樹さんの手紙を読んだから? と思ってみても、そうだとしたら、なんかこう負けを認めたというか、私が振られたわけじゃないと思っているのに。振られて、優しく慰められて、そのまま消えて・・なんてことにはしたくないというか。でも、のこのこと出向いたらどうなるか、とか。まぁ、春樹さんとのことも終わった気がしないというか、新しく始まった気もするというか。だから、あまり深く考えられないまま出勤すると。おはようございます、と言う前に。
「やっぱりね、それって早くない? で、もういいの?」
と由佳さんが、嬉しそうな顔だけど、うんざりな雰囲気の声でそうつぶやいた。まぁ、何も言い返せないというか、言い返す気もないというか。とりあえず。
「よく考えた結果です」
とふてぶてしく言い返したけど。別に、よく考えてもいないね。でも、私が悪いわけではないし。強いて言うなら、春樹さんが悪い。諦めたつもりなのに、あんな手紙・・。
「はいはい」と、ぼやく由佳さんは。
「で、6時までいられるの?」と聞くから。あ・・そうだと思いついたこと。
「春樹さんと同じ時間までいてもいいですか」と提案してみたら。
「もぉ、そんな勝手なことできないよ。それに、8時間以上働くのはダメだから」
なんて言う。だったら春樹さんと同じ時間から。と思ったけど。
「あー、美樹がいるよ」
と出勤してきた優子さんが、にやにやと私に指を差してグルグル回すから。
「なんですか?」と言い返すと。
「ねぇ」と由佳さんに顔を向けて。
「ねぇー」と返事する由佳さんと。
「アレ、美樹ちゃん、復帰したの? もういいのか? 何ともないのか? そのアレとか」
とチーフまでもが私を丸い目で見た。というより、アレ? ってナニ? だから。
「なんですか、みんなで」
とつぶやいてみたら。
「いや・・春樹がさ、昨日の落ち込み方、尋常じゃなかったから」
「チーフ、しぃーしぃー」と由佳さんが人差し指でチーフの口を押さえつけて。
「もぉ、言っちゃダメでしょソレ」と優子さんも、チーフをひっくり返して。
「なんですか・・」と唖然としている私に。
「別に普通よ普通。何もなかったし、今まで通りだから、ねぇ」
「ねぇ」
とチーフをキッチンに押し戻してゆく優子さんの態度もヘンな感じだし。
「何かあったんですか」ときいたら。
「何もないよ、美樹が来たから、今まで通りのいつも通り。ねぇ」
「ねぇ。昨日は美樹がいなかっただけだから。ねぇ」
なによもぉ。その、わざとらしい。ねぇ、ねぇ、って。それに、昨日は学校が始まったから。と、まぁ・・辞めますって言ったから、シフトに入ってなかったのだろうけど。じろじろと私を見続ける優子さんと由佳さんに。
「はいはい、わかりましたよ」とぼやいてから着替えて。いつも通りにお仕事を始めて。
今日は、一時間遅れでやってきた奈菜江さんと慎吾さんにおはようございますというと。二人して、ものすごくうれしそうな顔で「美樹おはよ」と言ってくれる。でも。
「ほらね、私の勝ち、はい」
と慎吾さんに手の平を差し向けて何かをねだる奈菜江さんと。その手の平を指先でくすぐる慎吾さんは。
「美樹ちゃん大丈夫なの?」
と聞いてくれて。
「別に、大丈夫とか、そんなじゃないですから」
と言い返したけど。
「もぉ、慎吾、私の勝ちでしょ。ほら」としつこくねだる奈菜江さんに。
「うるさいよ、お前」と言い放つ慎吾さん。
「おまえってなによ、おまえって」
「だいたいお前があんなこと言うから春樹さんが・・」とまた気になる一言が。
「だぁだぁだぁ。しぃーしーぃ。美樹の前でそれ言っちゃダメって言ったでしょ」
と、途切れて。でも、やっぱり、また、奈菜江さんがトラブルの根源と原因。と言う確信が持てた瞬間のような気がしている。
「なんでもないよ。ねぇー」
「ねぇー」
「ねぇー」
って、奈菜江さんも加わって、優子さんと由佳さんの三連奏の「ねぇー」が無茶苦茶気になるのは。
「また、春樹さんにナニかヘンなことしたんでしょ」
と無意識にぼやいてしまう。また、ナニか、したんでしょ。ヘンなこと。例えば。と考えるけど思いつかない。それに。
「また何かってナニよ、別に何も。ねぇ」と、根源のくせにそんな言い方の奈菜江さんに。
「ねぇ」
「ねぇ」
って二人が続いて。やっぱりまた、絶対何かしてる。けど、ナニしたのよ。なんて聞くことが怖いというか。聞いたら聞いたで、もっとからかわれそうだし。それに、なんだか むしゃくしゃ してくるこの気持ち。だから。
「もういいですよ。春樹さんの事なんて、私、ちゃんと振りましたから、春樹さんの事」
と、ふてくされながら言い放つと。3秒間の沈黙の後。
「ぷぷぷ。振ったの? 美樹がぁ? 春樹さんを。まぁそう言うことにしておきましょうか」
だなんて言う由佳さん。どういう意味ですか? あーもっと むしゃくしゃ してくるこの気持ち。何があったのよ。と思いながら。
「はいはい。美樹が振ったことにしておきましょう」と優子さんも。
「春樹さんもそう言ってたしね」と奈菜江さん。
「そう言ってたしね」由佳さんに戻って。
「確かにそう言ってたね」と無限ループのように繰り返してる。
春樹さん・・ナニ言ったのこの人たちに。と思いながら。どう聞いていいかもわからないまま、ふてくされて、とりあえずお仕事を始めた。
「あーぁ、美樹がすねちゃった」
「すねちゃった、とりあえず、失恋でずたずたになった乙女心が癒されるまでそっとしてあげましょ」
「そっとしてあげましょ」
「ぷぷぷ、乙女心だって、あー乙女心、摘ままれたい」
「ダメでしょ、笑わないの」
って言ってる由佳さんも、にやにやして、何が可笑しいのですか? 今度はナニをたくらんでいるのですか? と思うけど、またからかわれているだけのようにも思えるし。何だか。私・・お姉さま達のおもちゃにされているような気分がしている。

そして、しばらくの間。モーニングタイムのお客さんに愛想を振りまいて。集中力が途切れないように冷静にテキパキと作業をこなしながら、無意識が顔を振り向かせた時計の針は、いつも決まって11時40分。と同時に窓の外を見ると、時間通りに店の前をあの黒いオートバイが駆け抜けて。
「あ‥来た」と思ってしまうと、一気に集中力がなくなってしまった。なんて言おうかな、という気持ちと、回想してしまう先週の出来事。そして。宿題を手伝ってもらった一昨日の夜。とあの手紙。私がここにいることで春樹さんも安心してくれるかな、という思いと。このドキドキ感に、これって、やっぱり、4度目の恋の始まりかな、という思い。

だけど・・。整わない心の準備にあたふたしながら、表情だけでも冷静に、嬉しそうにしていることはみんなの前だから隠すことにして。「おはようございます」くらいは普通に言うべきだよね、うつむいたままでもいいから。そう自分に言い聞かせていたその瞬間。お店の扉が開いて・・。

ぎょっとしてしまったのは。出勤してきた春樹さんの左腕に美里さんがニシキヘビのように巻き付いていること。と。美里さんが私に火花の散る視線を向けたこと。そして。いつか知美さんもそうしたような、美里さんは顔を傾けて春樹さんの肩にすりすりと甘えて。まるでニシキヘビが長い舌で春樹さんの横顔をペロペロしてるような。そのまま横目で、私に飛ばしたテレパシー。
「もう、諦めたんでしょ。この人の事」
って本当に聞こえた気がして。まだ。ぎょっとしたままの私。を見つけた春樹さんも、間違いなく、ぎょっと、立ち止まって。
「いや、あ・・あの・・ちょ・・ちょっと、そ、そこで会ってさ」
と、おろおろと言い訳を始めて。
「その‥違うよ、そんな顔しないで、ちょっと美里、もういいだろ」
って、なんでそんなにおろおろするのですか。と言いたくなったけど。
「いやよ、美樹の事もういいんでしょ。振られたんでしょ」
と本当に怒っているかのような美里さんと。
「いや・・あの・・えぇ・・」
と、美里さんの恫喝に、ますます、うろたえている春樹さんに。私、なに、この心のパニックと言うか、でもこれは、あの時知美さんを見て、おなかの中が裏返りそうになったあの気分ではない。諦めたんでしょ、振ったんでしょ。と私までもが心の底から私にそう言い放っているのに。
「あの・・ちょっと・・美樹ちゃんおはよ・・だから、そこで会っただけだから」
「だけだからってナニよ、春樹、ちょっと態度違うんじゃないの」
「いや・・その・・ほら・・だから、もういいだろ」
とニシキヘビ、じゃなくて美里さんを力ずくで振りほどいた春樹さんが。もう一度。
「おはよ・・」と言って、黙り込んで、私をじぃっと見つめている。
何だろ、この心の中、静かなパニック。今、私、なにを思ったの? とりあえず。
「・・おはようございます」と目を合わさずにつぶやいて。
「おはよ」とつぶやいた春樹さんをチラチラと見上げたら、一瞬目が合って。うんうんとうなずきながら、にこっとしてくれる春樹さん。に、つられてぎこちなくにこっとした私。だけど、じっと見ている美里さんの視線が恥ずかしいから。また目を反らせて。裏に入って行く春樹さんを横目で追った。ら。
「ぷっぷぷっ・・」という小さな声が聞こえて。
「アレが振られた男の態度かねぇ」と言うのは美里さん。
「ねぇ」とまだねぇねぇ言ってる由佳さんは。
「ぷっぷぷっ、美樹も、みえみえじゃない、どこがどういう風に、ちゃんと振ったのよ、春樹の事」
と私に笑いながらそう言った。
「どういうことですか?」と思ったまま聞くと。美里さんが。
「今、結構、殺意感じたよ私」と私にニコニコした笑顔を見せて。
「美樹の目見た。美里を睨み殺しそうなくらいのすんごい目つきだったでしょ」
と言ったのは由佳さんで。
「やっぱり、春樹さんの事、ぷぷ。やきもち焼いたでしょ今」
とニヤニヤ言うのは美里さん。
「違いますよ、やきもちだなんて」
そう言い返すけど、そう言えばと思い出した、知美さんの一言。「お母さん、お父さんを触ろうとした私にちゃんとやきもち焼いて」私、やきもち焼いてる? これってやきもち? なんてよく知らない感情だし。あの後。「愛し合ってるのね」と続いたかな、あの時の知美さんのセリフ。って・・愛し合ってる? 私? 春樹さんと? そんなことを思いついた瞬間に。
「こーら、みんなで心配したんだから、そんなこと言わずに、私にやきもち焼きましたって、素直に言って。正直に春樹と いい感じ の美樹に戻りなさいよ。ちゃんと、やきもち焼けるくらい好きあっているのでしょ。春樹くんと」
と美里さんが私の顔を覗き込みながらそんなことを言って。
「春樹のあの慌てよう、見た。アレって美樹の事好きじゃなきゃできないでしょうに、あの、これは、違うんだ、そ・・そこで会っただけで・・おろおろおろおろ。笑っちゃうよねあの態度。好きな女の前でウワキがバレた時の男丸出しじゃん」
とさっきの春樹さんの真似をする由佳さんとニヤニヤしている優子さんと奈菜江さん。そして。
「春樹に好きですって言ったんでしょ。成長したんだね、誉めてあげる。それと、おかえり、美樹がいないとなんだか寂しいよ私」
と私の頭を撫でた美里さん。くすくす笑いながら裏に向かい、入れ違いで春樹さんがキッチンに現れて、私にニコッとしてから、また、うんうんと軽く二度うなずいて、そのまま冷蔵庫のチェックを始めた。

そして、みんなとおしゃべりしながら聞いた経緯は。
「あなたのせいで美樹が辞めちゃったじゃない。どうしてくれるのよ」
とやっぱり、奈菜江さんは春樹さんにそんなことを言い放ったようだ。そして。
「でも、そう言った後の春樹さんの動揺は尋常じゃ無かったよね、こないだの美樹が黙って帰省した事件の上いってたよね」
「ホントに辞めたの? って言った後の放心状態の茫然自失」
「ホント、お料理作り間違える春樹さんなんて初めて見たし」
「ねぇ、あれ、これってさっき出したオーダーだっけ、って3回だっけ」
「美樹ちゃん本当に辞めたの。だなんて、4回くらい本気で聞いてくるしさ」
「でも、その後がびっくりだよね」
「美樹ちゃんに好きだって言われて、ごめんなさいって言っちゃったんだけど。やっぱり、ごめんなさいって言うのは、ダメだったのかな」
「ちょっと、奈菜江、それは、言い方まで似せなくていいでしょ」
「でも、このくらいの沈み方だっでしょ」
「美樹ちゃんに好きだって言われて、ごめんなさいって、やっぱり駄目だったのかな」
「うーん、もうちょっと違うかも」
「でも、美樹って言ったんだ、好きですって。あの後」
まぁ・・言いましたけど。と言い返せないというか。黙って聞いているだけにしようと思っているというか。黙ったままでいると。
「ふぅぅぅん。可愛い顔して、わりとやるんだね」ってどういう意味ですか、それ。
「でもさ、その後、振られたのは俺の方で、美樹ちゃんにはっきりと、諦めるって言われて、恋人さんの所に帰れって言われて。女の子ってそういうこと、どんな気持ちで言うのだろ・・そんな経験ある? だって」
「アレにはびっくりだよね。美樹が振っただなんてね。春樹さん、振られたのは俺の方だなんて、はっきり言ってたでしょ」
「美樹もそこまで言わすか。って。で、正直な所、美樹はどんな気持ちだったの。春樹さんを振った時。ふったとき」
って、2回もそこを強調して言わなくてもいいでしょ。それに、思い出せるわけないじゃないですか。4度目の恋が始まったばかりだと思っているのに。
「でもさ、あんなにしょんぼり落ち込んでる春樹を見ていて、乙女心がねぇ」
「くにゅくにゅと摘ままれた」と両手の人差し指と親指の動きがなんだかいやらしい奈菜江さん。
「女心をフェザータッチでしつこく触り続けられた」
と私の背中を人差し指で上から下までくすぐる優子さん。に、ぞわっとしてしまった私。
「母性本能をいつまでもベロベロと舐められたみたいだなんて、美里の言い回しエロすぎでしょ、摘ままれたり、触られたり、舐められたりって」
と私に、あの時の春樹さんとのことを思い出させたのは由佳さんで。
「エロい気分になっちゃったのよ。あんなにしょげてる春樹を見てると。胸に抱きたくなっちゃった。ったくもぉ、だめだめだめだめ。私、春樹に気なんてないから」
「っていう割には、さっき、春樹の腕掴んで嬉しそうだったかも」
「美樹に視線向けた時火花飛んでたし」
「放せって言われたのに。いやよ、美樹の事もういいんでしょ。って結構本気だったんじゃないの?」
「ちょっとやめてよもぉ。って言いたいけど、正直、本気でてたかも。春樹の横顔、近くで見ると結構イイかもって気が、したかな・・なんとなく美樹の気持ちがわかったような・・ただ、近づいたらそんな匂いがね」
「匂いって?」
「男の子の匂いがした。今夜私が慰めてあげるから。なんて言いたくなったかも」
「なったかもねぇ」
「しょんぼりと落ち込んでいる男って、母性本能を刺激するって言うか。慰めてあげたくなるというか」
というのは、こないだ言ってたことと違うような・・。前は、しょんぼりして女の気を引こうとするのは男か使うキタナイ手だから、って言っていませんでしたか美里さん。
「慰めたくなるって・・そういう風にしてあげたくなる男っていないよねぇ」
「いない、いない」
「ため息吐きながら、はぁー俺が悪いんだよな・・どうすれば許してくれるんだろ。だって」
「さすがに、春樹が悪いねとは言えなかったよね」
「私だったら、あんなに反省してるなら無条件で許してあげるのにね。でもさ、美樹の顔見たときの春樹さんのあの嬉しそうな顔見た」
「見た見た。まず、店に入ってすぐ。あっ美樹がいる。って気付いて。嬉しそうな顔したけど、左腕にはなぜか美里がしがみついてて。ぎょっ。突然おろおろし始めて。こ、これは違うんだ、そこで会っただけで・・あの言い訳。美樹の前だったから、あの態度だったわけで。どうしてあんな態度になるのかな美樹の前だと」
「ねぇ、やっぱり、春樹さん、美樹の事。うふふふふふふふふ」
「その後、美里が放れた後、にったぁーってしながら。おっはっよっ。ハートの風船飛ばしながら。もう一度、おはよ」
「こうでしょ。おはよ、うんうん」この人たち、どうしてそこまで見てるのよ。
「うんうん、そうそう、これ大事だよね」春樹さんも、あんな風にうなずきながら言わなくても。
「うんうん。ぎゃはははははは」
4人揃ってそんなバカみたいな笑い方。まぁ、私を具にして楽しむだけ楽しめばいいでしょ。そんな気分で4人のおしゃべりを聞きながら。なんとなく経緯がわかったから、そう言うことにするとして。とりあえず私は。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
と、気持ちの切り替え、こんなに早くできるようになったことを自覚しながら、普段通りにお客さんに愛想を振りまいて。ミスしないように冷静に一つ一つの業務をこなして。キッチンとお客さんの間を何往復もしながらお料理を運んで。いつも通りのカウンター越しにする春樹さんとの会話。でもこれって結構久しぶり? 
「はい、美樹ちゃんお待たせ、このオーダーはそれで終わりだね」
「はい」
「帰ってきたら、次のスパゲティー3つができるから。準備はOK?」
それは、いつもの優しい気遣いだけど。
「はい、大丈夫です、もうそういう心配はいりません」
私もいつまでも子供扱いされるのはイヤな気もするから。ツンと意識して言ってみた。
「はいはい、じゃ、お皿大きいから、気を付けて、こっちが熱くない方」
とお皿を回す春樹さんの優しい笑顔。このくらいの気遣いなら、嬉しいかなと思う。
「はーい、行ってきます」
そんな、いつも通りに、忙しすぎる時間はあっという間に過ぎて。
「お疲れ様、美樹、休憩しておいで」と由佳さんに言われてカウンターに振り返ると。すかさず春樹さんがニコニコ顔で。
「美樹ちゃんいつもの?」と言ってくれる。
「はい、いつもの」と、笑顔で返事して。
「一緒でいい」
「うん」
とうなずくと、嬉しそうな顔で、フライパンをコンロにかけて、ガシャガシャジュジューと出来上がるのは、やっぱり美味しそうな香りが湯気になって立ち上る、春樹さんが作ってくれるチキンピラフ。
「お待たせ、美樹ちゃん、お水たのむね」このセリフも久しぶりかな?
「はーい」と返事するのも。でも。
皆が気を遣ってくれる二人きりの休憩室。一緒に食べながら。なんとなく雰囲気はいつもと違って。話したいことがいっぱいあるような気がするのに。無言のままカチャカチャとお皿に当たるスプーンの音が寂しく響いている。向かい合っているのに頭の中でぐるぐるしていることを何も言葉にできなくて。でも、チラチラと目が合うだけて、何もかもを理解しあえているような気持にもなって。ようやく口にできたのはこんな言葉。ぼそっとでしか言えなかったけど。
「振ったのは私ですからね」それだけは意地っ張りになりたい。
すると、待ち構えていたように。
「ああ、別に、それでもいいよ」とすぐに返事した春樹さん。別に、の部分が引っかかったけど、まあいいとして、まだ言い足りないこと。
「それと」
「それと?」
「私をこんな気持ちにさせたのは春樹さんですからね」
私からこんな気持ちになったわけではないコトだけは主張したい。こんな気持ち、つまり、まだ、好きってこと。だけど。
「こんなってどんな気持ち?」
やっぱり、この人の返事はいつも通り。どうしてそういうこと空想とかできないのよバカ。と思っていることが伝わらないように無理やり話を変えて。
「私にごめんなさいだなんて言ったこと、一生後悔しますよ」
「後悔か・・もうしてるよ」と、アレ? そう言うの、と思ったけど。そんな言葉に惑わされてはいけない。
「でもそれって、あまりにも可哀そうすぎるから。召使のまま、今まで通り、お姫様に仕えるコト、許可してあげます」って、私、なにを言ってんだろ。
「ぷぷぷっ。そんな長いセリフ、よく覚えられたな」って鼻で笑いながらバカにしている。結構真剣に言葉を組み立てているのに。だから。
「ナニよ‥そんな言い方」と言ってしまうと。
「はいはい、召し使いのまま、今まで通り、お姫様にお仕えします。これからもよろしくお願いしますねーだ」と、無味乾燥気味な口調がなんとなくカチンきてしまって。
「ナニよ、そんな言い方」ともう一度、唇を尖らせてしまった。けど。
「ナニよって、他にどう言えばいいの」ほかにどぉって、言われても。
「別にそれでもいいけど」
「じゃ、召し使いからお姫様に言いたいことがあります」
「なんですか?」
「知美にべらべらなんでもかんでもしゃべらないの」
「しゃべってませんよ」知美さんに聞かれたこと以外。
「それと」聞いてないし。
「なんですか?」
「俺は知美の事も好きだから、わかってほしい」って私に言うのって何回目ですか? と思いながら。今、「知美の事も」・・・も・・・ってもう一人誰か好きな人がいるニュアンスを聞き逃さなかった私。
「も、って、私の事ですよね」とは言わないでおこう。と唇を無理やり閉じて。
だけど。それでも、こういうべきだと思ったから。とげとげしく。
「知ってますし、解ってます。あなたの事諦めましたって言ったでしょ」
そう言ってうつむいてみた。でも、こうしてうつむくのは、諦めていないからなのかなとも受け取られそうだし。だから、じろっと目だけは。
「はい、じゃ、そう言うことで」という春樹さんを睨んでやる。そして。
「でも、恋人にはなれないけど、他になれるものがある。って言ったのは春樹さんでしょ」と、だんだん声が大きくなってくるのはなぜ?
「言ったけど。じゃ、何になればいいの」
と聞く春樹さんの顔を見つめているとなぜか にやぁー っとしてしまうのは。いつか何かのドラマで見たアレ。細長い金色の茶瓶をゴシゴシこすると現れる。名前はなんだっけ? そうだ。
「ランプの精。ゴシゴシするとモクモク現れて言うの。お呼びですかご主人様って」
腕を組んでふんぞり返りながらそう言うと。春樹さんは間髪入れずに、うんざりとこう言った。
「イヤです。ムリです。そんなモノにはなれません。し、そんなものになれというなら、宿題はもう二度と手伝わない」
って、なんでそんなに怒った態度になるのよ。
「あーん、またテストとかあるんだし、勉強して・・・」
もっとあなたに近づきたい。とは言えなかった。けど・・。そんなものになれというなら・・そんなものになれと言わなければ・・。
「じゃ、そんなものになれなんて言いませんから」
一瞬考えて、思いついたこと。ニヤッとしながら。
「愛人はどうですか?」
とつい言ってしまったけど。
「それも、イヤです・・愛人だなんて。なに愛人って」
って、私も詳しくは知らないかもしれない。でも、思いつくまま。
「つまり、知美さんには内緒の不倫関係?」
とは言っても、それがどんなものかはよく知らない。と思っていると。
「そんなの、ばれたら殺されるでしょ」と真顔の春樹さんに。
「もう、バレてるから大丈夫よ」
そう言い放つと、決まったかも・・と一瞬思えた春樹さんの沈黙。そして、長―いため息。そして。
「じゃ、師匠と弟子ってのはどうかな?」
「なんの師匠と弟子ですか?」
「あー、恋人ではないけど、俺が師匠。お前は、できの悪い弟子・・・」
「できの悪い弟子ってナニよ、私の事?」
「でき、悪いだろ、宿題はしないし、テストも俺がいないと2点しか取れないし」
って、そんな露骨に言われたら何も言い返せないし。また唇を尖らせて睨むと。
「イヤか。それじゃ、うーん。俺がお兄さんで、お前は妹ってどうかな?」
と優しい口調の提案。
「妹?」
「いや・・そんなアニメがあったような・・お兄ちゃんの事なんて・・なんてセリフで、面倒なことを次から次に起こして、最後は頭なでなでハッピーエンド。俺ってそんな妹に結構憧れていたりするかも」
とニコニコした顔で言われて。沈黙してしまったのは私の方。お兄さんって。妹って。しばらく考え込んで、春樹さんの嬉しそうな顔に、まぁ、とりあえず、それでもいいかと思ったから。
「うん、イイですよ別に、妹でも」
と渋々うなずいてみた。すると、もっとにこっとする春樹さん。
「妹なら、もやもやしたことも考えにくいかもしれないし」
とつぶやいて、私にモヤモヤしたことを空想させる視線。どこ見てるのよ、と、胸を覆い隠そうとする意識を無理やり抑えながら、見たけりゃどうぞと胸を張ると。慌てて視線を反らせた春樹さんに、怒っているふりをして。またエッチなシーンを思い描いていることばれないようにしている私。でもまぁ、とりあえず、それでもいいか。と、もう一人の私に言い聞かせるように心の中でつぶやいて。
「じゃ、そう言うことで、これからもよろしくお願いします」
と春樹さんに告げると。
「こちらこそ」と返事が返ってきた。まぁ、それでもいいか、と思いながら。あらためて、カレシカノジョの関係にはなれないんだなと思うと寂しくなるけど、兄と妹の関係、それって、カレシカノジョの関係より、濃厚? それとも、濃密? と一瞬思い描いて。じろっと、冷め始めたチキンピラフをもぐもぐする春樹さんを見つめてみる。そして気付いたこと。
「なに?」と聞く春樹さんに。
「別に」と答える私は、まったく普通。お父さんにもこんな態度してるかな、と思えるような今までとは全く違うこの雰囲気。春樹さんが何か別のモノになってしまったかのような、そんな気もしたけど。残りのチキンピラフをもぐもぐしながら。なんとなくステージが変わったことに気付いている私、これって胸騒ぎ? そう思ったけど。胸騒ぎというものでもないような。でも、会話が途切れたことに妙な心細さを感じていることは間違いなくて。だから、無理やり会話を続けようとしていることに気付いた私は。
「あの・・宿題、ありがとうございました」なんて無難な話題を急に思いついて。
「うん・・どういたしまして。無事提出できたの?」と答えてくれたから会話、リスタート。
「うん・・でも、友達が写させてくれって・・できてた子誰もいなくて」
「まぁ、アレを全部できる高校生もいないと思うよ。先生に呼び出されるかも。誰にしてもらったんだって」
「あーそう言えば・・先生は私たちの関係知ってます」
「俺たちの関係? 知ってるって、もしかして話したの? しちゃったこと? とか」
って・・そんなこと、真顔でシレっと口にすることではないでしょ。と思ったけど。
「しちゃっただなんて、それじゃないですよ」アレは しちゃった じゃなくて未遂です。なんて口にできないし。ナニ言い出すのよバカ。
「じゃ、どんな関係の事?」って私が思っていること全然わかってないままだし。もういい。諦めて。続ける話。
「うん、いつか先生がお客さんで来てて、私と春樹さんがお話している所見られてました」
「それで、関係だなんて・・思い込みすぎでしょ」
「だって、テストでいい点とれた時、あーあのコックさんでしょ、って」
「試しにそう聞いたら、美樹の顔に、そうですって字が現れたからじゃないの」
「そんな・・」顔に字なんて現れるわけないし。
「美樹ってウソ付けない顔してるから、全部顔に書いてますよって」
そう言ってから、優しい雰囲気でじっと私の顔を見つめ続けている春樹さん。試しに。
「それじゃ、今、私が考えていること顔に書いてますか?」
と、急に話を変えて聞いてみると。春樹さんはじぃぃっと私を見つめ続けながらニコッとして、でも、表情を変えることが怖い私は、まばたきもしないで、見つめ続けられるがままに見つめられて。しばらくの沈黙の後、春樹さんが言ったこと。
「こんな男のどこがいいんだろう。と思っていそうだな」
ナニよそれ。と思ったけど。そうとも言えそうな気持もして。いじわるな気持ちもするし、いたずらしたい気持ちもするから、無理やり。
「ピンポーン」と嫌味っぽくつぶやいてから「ホントに、どこがいいのよ」と口にしながら自分に訊ねてみた。すると。
「本当にそう思っているの?」と真顔で不安そうに聞く春樹さん。
「思ってますよ」
「やっぱり、もう、俺の事好きではなくなった?」その聞き方が自然過ぎて。
「好きですけど・・・」と無意識につぶやいてしまって。でもそれ以上言うと、私の苦手な誘導尋問で洗いざらい白状させられそうだから。と、思い出したこと。
「それより、こないだ知美さんと言い合いになった時の事。私に乗り換えるって春樹さん言いましたよね、アレって本気だったんですか?」
そう切り出したら。うっ、と止まってしまった春樹さん。やった、と心の中でガッツポーズしてる私。なんだろこの優越感。だから、畳み込むように。
「ほら、言ったでしょ。美樹、俺、あんなこと言ったけど本当はお前の事。どう思っているのですか?」
にたーっとしながら返事を待ってみる。すると。
「まぁ、あの瞬間は結構本気だったかもしれない・・」
って、本当にホントにそう思ったの? それって・・。でも。
「けど・・」
と続いて、膨らみかけた何かが萎んでゆく感じがしている。
「今は、そんなこと思っていない」
どうしてですか? とは聞けないことかもしれない、という気がするのは、強気な気持ちが萎み切ってしまったから?
「知美に聞いたよ、あいつがお前とたくらんでいたこと」
とつぶやいて、ふんっと鼻で笑った春樹さん。それより、知美さんどこまでしゃべったの? という不安が押し寄せて。
「あいつも、美樹のせいで、俺の事・・・」
何ですか? と聞くのが怖いと思ってしまう、そこから先の話。
「昨日はその話をしてから急に優しくなってね・・・」って、知美さんが優しくなった? というのは。お風呂上りに裸で挑発・・なんてこと、なんでこのタイミングで思い出すのよ。というか、それ以上しゃべられるのが怖い? 聞きたくない? この人と知美さんの おのろけ話なんて絶対イヤ。と言う気がしてる。だから。
「それはそれでいいんですけど、そんな、春樹さん・・」
あー、ナニ言いたいんだろう私。そう、とりあえず。この話題に振ってみよう。
「知美さんがいるのに、イイんですか、私とこんな仲良くしてるというか」
「だから・・妹みたいな存在なら、いいかなって」
「私は・・やっぱり、知美さんに・・・」嫉妬してる、やきもち焼いてる、そんな感情はないかな。さっきの美里さんに思ったような気持ちは知美さんには湧かないかも。と思いながら・・。そうだと思いついたこと。
「知美さんの妹ならいい感じじゃないですか?」
「知美の妹?」
「うん・・」
「あー、それもいいかもね、帰ったら言ってみようかな。美樹がお前の妹になりたいって」
よし、話題は変わった。話はそれた。
「うん・・なんて言うかな。知美さん」
「でも、そういうこと俺の口から言うと、あいつナニか勘ぐるかもしれないから、お前が言えよ、妹になっていいですかって」
「えー、春樹さんから言ってくださいよ、私からなんて恥ずかしいし」
「どうして、お前、あいつとは俺より親しい仲じゃないのか?」
「そんなことないですよ」
「でも、あいつ、お前には妙に気を遣っているというか、乗り換えろとか言った時本気だったらしいし」
と聞いて。この話も、そっちに反れるなら、これ以上はしゃべらせてはいけない。そんな気がした。だから。
「春樹さん」
「なに」
「春樹さんのその、あいつとかお前とか、私たちの事そんな風に呼ぶの何とかならないのですか?」
「あいつとか‥お前とか・・」
「私は、お前じゃありませんし。知美さんも、あいつじゃないでしょ」
と言い返してすぐ。なんだろう、この馴れ馴れしい言葉のやり取り。今までこんなに気安く話したことなんてないのに。それが、さっきからの胸騒ぎの原因? なにかこう、春樹さんが違ったものになってしまったような心細さ? から逃げ出したくなったんだな。と思う。
「ご馳走様。今日も美味しくいただきました」
と言って、春樹さんのお皿も一緒に片付けて、そのまま仕事に復帰。本当に、急に馴れ馴れしくなったかな? 妹か・・。カウンター越しにお料理を作っている真面目な春樹さんの横顔を見つめていると、この人をお兄さんと呼ぶだなんて。無理があるなと思う。だから、知美さんの事ならお姉さんと呼べるかも。いろいろな意味で。そう思い直して。回想してみるここまでの経緯。私、春樹さんに好きですと言ったのに、ごめんなさいって言われて。私あなたの事諦めますって言って、知美さんの所に帰ってくださいって言って。でも、召し使いとしてお姫様に仕えるコト許可してあげますと言って。こんな男のどこがいいんだろう、と思っていますよ。と思ったら。振り向いた春樹さん。私に微笑むから。私はぷいっと横向いて仕事してるふり。
「先生は知ってます、私たちの関係」
「関係? しちゃったこと?」
って、どうしてあんな会話。でも、しちゃったからかな・・。こんなに好きです、という感情がはっきりと意識できる理由。とまたもやもやと思い出してしまうし。はぁー。そんなことをモヤモヤ考えていると、お仕事に影響しそうだから。無理やり排除。そしてすぐ。お客さんに愛想笑い。
「コーヒーのおかわり、お持ちしましょうか?」
「ご注文されたものは、これで全部ですね。また、御用がございましたら遠慮なくお呼びください」
「ありがとうございました。またの起こしをお待ちしていまーす」
まるで、ロボットのように同じセリフを何度も何度もお客さんに言って、お料理を運んで、注文を取って。カウンター越しに春樹さんと会話して。気が付くと、いつの間にか仕事が終わる時間。
「やれやれ、いつもの美樹と春樹さんに戻ってめでたしめでたしだね」
という由佳さんと。
「うんうん、それでいいのよ。女はそのくらいしつこい粘り気が必要。で、男を無条件で召し使いにするくらい追い込まなきゃ」
って、美里さんの一言が妙に心に刺さったかのような。
「えぇー美里さん、さっき言ってたことと違いませんか? 私も美樹くらいの聞き分けの良さが必要なのかなって言ってたくせに」
と言い放つのは優子さんで。
「私には聞き分けの良さが必要で、美樹には粘っこいしつこさが必要なのよ。優子も男ができたらわかるから」
「あー、それは言わないでくださいよもぉー」
って、私の事、しつこい女だと思っているわけですね。と思ったことを
「しつこい女ですか・・」とつぶやいて。でも美里さんは続けて。
「やきもちの焼き方も一人前だったし、春樹のあのうろたえようも板についてたし。女はそのくらいしつこくなきゃだめよ。聞き分けのイイ女なんて男に遊ばれるだけだから。もっとしつこくネチネチと春樹を追い込んでみなさい。応援してあげるから」
って、なんとなく意味が分からないような、それに、またさっき言ってたこととニュアンスが違うような。と黙っていると。
「はいはい、それじゃ、もう上がりなさいよ。お疲れ様。本当に美樹って見違えるほど成長したね」
と、初めて聞くような意味深な一言。成長した? 私? という気分のまま。
「お疲れさまでした」と春樹さんにも挨拶して。
「お疲れ様」とニコニコした返事を受け取って。私もにこにこし返している。これは聞き分けのイイ女の仕草。と一瞬思ったから。すぐに、ぷぃっと横向いて。そのまま振り返らずに店を出て。
「それじゃまたね」
「はい、お疲れ様でした」
と優子さんと店の前で別れて。とりあえず今日は、家に帰って。いろいろな言葉を回想してみる。
「しつこい女か。聞き分けのイイ女なんて。やきもちの焼き方。見たアノ春樹さんの嬉しそうな顔。ウワキがバレた時の男丸出し。知美の事も好きだから。知ってますし、解っていますよ。あなたの事諦めるって言ったでしょ。私にごめんなさいと言った哀れな召し使いの春樹さん・・妹か・・先生は知ってます私たちの関係。関係? しちゃったこと?・・しちゃった、だなんて・・・」
また・・もやもやと思い出してしまうあの夜の事。乙女心を摘ままれたり、女心を触られたり、母性本能をベロベロ舐められたり。あーもぉ、また、そんなこと考えると無意識な手が勝手に・・敏感な所を刺激し始める。だから、無理やり携帯電話を取って。水族館に行った時の写真をめくりながら、夏休み、いろんなことがあったなと思い返したら、ほんのひと月前の出来事が前世の思い出のようにも思えて。そのとき、やっと実感し始めたんだなと思った17歳の夏の終わり。電話を持ったまま、ベットの上で両手を広げて、前髪をため息でもてあそんでいると、手の中の電話が震えて、メールが届いた合図。
「お疲れ様。オマエに嫌われてなくてほっとしました。俺は、美樹の事、キレイでカワイクて、チャーミングなイイ子だと思っているよ。これからも、なんでも、申し付けてください。おやすみなさい、ご主人様」
と春樹さんから。あの人、いつから私にこんなメールを書くようになったのかな、と思いながら、こんな文章、くすぐったくて本当は嬉しいのに、嬉しくないのは知美さんの存在をすぐに思い出したから。だから、こんなメール知美さんに転送したいくらいだなと思ったりして。だけど。
「こんなメール、知美さんに送り間違えないようにしてくださいね」
なんて気の利いた返信を送ったりして。でも、こんなメールをすらすらと送っている自分にも違和感を感じているような。私、どうしたんだろう。また、ふうううっとため息を吐いて。明日から始まる学校の用意でもしようかと思い出したこと。あゆみや弥生に宿題ちゃんと返してよとメールしたら。二人そろって。
「ちゃんと返しますよ。美樹って急に雰囲気変わったね」
と返事がすぐに返ってきた。雰囲気変わったかな、と自分でも感じていることを私自身に訊ねるように考えたら。私って私なのかな。という胸騒ぎがしていること、なぜこんなに不安に思うのだろう、という気がした。
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