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運命を賭ける瞬間(とき)
無垢な令嬢は月の輝く夜に甘く乱される~駆け落ちから始まった結婚の結末は私にもわかりませんでした。
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運命を賭ける瞬間(とき)
山上に着いたときは、既に明け方近くなっていた。我が家は、薄蒼い朝の空気の中にひっそりと建っていた。たった一日離れていただけなのに、十年も離れていたような気がする。サヨンにとっては、もうこの家こそが我が家であった。
扉を静かに開けると、夜具に胡座をかいていたトンジュが素早く立ち上がった。
「サヨン、一体、どこで何をしていたんだ!」
サヨンは微笑んだ。
「ごめんなさい、心配をかけてしまったわ」
「俺は、俺は―」
トンジュが口を開きかけ、込み上げてくる感情を飲み込むようにつぐんだ。
「俺がどれだけ心配したと思ってるんだ。途中で何か怖ろしいことに巻き込まれたのか、それとも、また俺がいやになって逃げ出したのかと、あれこれ気を揉んだんだぞ?」
「私はもう逃げないわ。第一、逃げる気なら、森だって今は抜けられるのだから、とっくに逃げていたわよ」
「そうだな」
トンジュが溜息をつき、頷いた。夜中眠れなかったのだろう、顔色が悪かった。
「まだ怪我が癒えたばかりなんだもの。眠らないと、身体に悪いわよ」
「だが、帰ってこないお前のことを考えると―」
ふいに、サヨンはトンジュに抱きついた。トンジュが愕いて眼を丸くする。
「おい、何なんだ。いきなり」
「トンジュ、はっきりと言うわ。私が帰る場所はこの世に、もう一つしかない。それは、あなたの側だけよ」
「サヨン」
トンジュの声がかすかに揺れた。
「あなたのいる場所が私の家になるの。愛しているわ、あなたが私を求めてくれるのに負けないくらいに私もあなたを必要としている」
「信じても良いのか?」
「当たり前よ。私が今まで、あなたに嘘をついたことがある?」
トンジュがサヨンを痛いくらいに抱きしめ、豊かな黒髪に顎を押し当てた。しばらくサヨンは愛しい男の腕に身を委ねていたが、やがて、そっと離れた。
「トンジュ、大切な話があるの、聞いて」
サヨンはそれから攫われて監禁された沈家の屋敷で聞いた例の密談について話した。
「そいつはまた穏やかではないな。つまり、義承大君が田舎住まいをしたがったのは風流とやらのためではなく、王さまの眼をごまかすためだったんだな」
サヨン同様、トンジュもすぐに事の全容を理解した。
「確かに物騒な話だわ。実の弟がお兄さんである国王さまを討つというのだから」
「そして、王さまは王さまで血を分けた弟を疑っていた。やりきれない話よね。でも、話はここで終わりではないの。私たちに関係があるのはこれからよ」
サヨンは息を吸い込むと、更に話を続けた。決起が予定より三ヶ月も早まったため、兵士たちの草鞋が足りなくて大君たちが困っていること。そこに眼をつけたサヨンが町の履き物屋と交渉して店の倉庫にある草鞋すべてを出すと約束してくれたことまで打ち明けた。
トンジュは腕組みをして考え込んだ。
「だが、たかだか小さな店一つの在庫だけで間に合うのか? 向こうはできるだけ多くの草鞋が欲しいんだろう?」
サヨンは小さく笑った。
「その点は心配ないわ。昼間、その店の前を通りかかった時、そこの主人が隣の筆屋のおかみさんと話してたのよ」
―大きな声じゃ言えねえけどよ、うちには朝鮮中とは少し大袈裟かもしれないが、都中の人間が履くくらいの草鞋があるぞ。
この地方は寒冷な気候のため、春先までしばしば大雪に見舞われる。そのときに履き替え用の草鞋が飛ぶように売れるため、吝嗇な主人は、草鞋が倉庫にあるにも拘わらず普段は店に出さずに、悪天候の日に出すのだ。
「もちろん漢陽中の人の数というのは信じられないけど、あそこまで豪語するからには期待できると思う」
更にサヨンの話は続いた。履き物屋の主人と筆屋の女房の立ち話で、主人の老いた母親が長患いをしていることを知り、主人に草鞋を売って得た金の三分の一と老母の病を治してやることを約束したと話した。
「お前な、もし俺が治せなかったらとか考えなかったのか?」
半ば呆れ顔のトンジュに、サヨンは笑った。
「トンジュは朝鮮一の名医だもの。それでね、これがご主人から聞いてきたお婆さんの症状」
山上に着いたときは、既に明け方近くなっていた。我が家は、薄蒼い朝の空気の中にひっそりと建っていた。たった一日離れていただけなのに、十年も離れていたような気がする。サヨンにとっては、もうこの家こそが我が家であった。
扉を静かに開けると、夜具に胡座をかいていたトンジュが素早く立ち上がった。
「サヨン、一体、どこで何をしていたんだ!」
サヨンは微笑んだ。
「ごめんなさい、心配をかけてしまったわ」
「俺は、俺は―」
トンジュが口を開きかけ、込み上げてくる感情を飲み込むようにつぐんだ。
「俺がどれだけ心配したと思ってるんだ。途中で何か怖ろしいことに巻き込まれたのか、それとも、また俺がいやになって逃げ出したのかと、あれこれ気を揉んだんだぞ?」
「私はもう逃げないわ。第一、逃げる気なら、森だって今は抜けられるのだから、とっくに逃げていたわよ」
「そうだな」
トンジュが溜息をつき、頷いた。夜中眠れなかったのだろう、顔色が悪かった。
「まだ怪我が癒えたばかりなんだもの。眠らないと、身体に悪いわよ」
「だが、帰ってこないお前のことを考えると―」
ふいに、サヨンはトンジュに抱きついた。トンジュが愕いて眼を丸くする。
「おい、何なんだ。いきなり」
「トンジュ、はっきりと言うわ。私が帰る場所はこの世に、もう一つしかない。それは、あなたの側だけよ」
「サヨン」
トンジュの声がかすかに揺れた。
「あなたのいる場所が私の家になるの。愛しているわ、あなたが私を求めてくれるのに負けないくらいに私もあなたを必要としている」
「信じても良いのか?」
「当たり前よ。私が今まで、あなたに嘘をついたことがある?」
トンジュがサヨンを痛いくらいに抱きしめ、豊かな黒髪に顎を押し当てた。しばらくサヨンは愛しい男の腕に身を委ねていたが、やがて、そっと離れた。
「トンジュ、大切な話があるの、聞いて」
サヨンはそれから攫われて監禁された沈家の屋敷で聞いた例の密談について話した。
「そいつはまた穏やかではないな。つまり、義承大君が田舎住まいをしたがったのは風流とやらのためではなく、王さまの眼をごまかすためだったんだな」
サヨン同様、トンジュもすぐに事の全容を理解した。
「確かに物騒な話だわ。実の弟がお兄さんである国王さまを討つというのだから」
「そして、王さまは王さまで血を分けた弟を疑っていた。やりきれない話よね。でも、話はここで終わりではないの。私たちに関係があるのはこれからよ」
サヨンは息を吸い込むと、更に話を続けた。決起が予定より三ヶ月も早まったため、兵士たちの草鞋が足りなくて大君たちが困っていること。そこに眼をつけたサヨンが町の履き物屋と交渉して店の倉庫にある草鞋すべてを出すと約束してくれたことまで打ち明けた。
トンジュは腕組みをして考え込んだ。
「だが、たかだか小さな店一つの在庫だけで間に合うのか? 向こうはできるだけ多くの草鞋が欲しいんだろう?」
サヨンは小さく笑った。
「その点は心配ないわ。昼間、その店の前を通りかかった時、そこの主人が隣の筆屋のおかみさんと話してたのよ」
―大きな声じゃ言えねえけどよ、うちには朝鮮中とは少し大袈裟かもしれないが、都中の人間が履くくらいの草鞋があるぞ。
この地方は寒冷な気候のため、春先までしばしば大雪に見舞われる。そのときに履き替え用の草鞋が飛ぶように売れるため、吝嗇な主人は、草鞋が倉庫にあるにも拘わらず普段は店に出さずに、悪天候の日に出すのだ。
「もちろん漢陽中の人の数というのは信じられないけど、あそこまで豪語するからには期待できると思う」
更にサヨンの話は続いた。履き物屋の主人と筆屋の女房の立ち話で、主人の老いた母親が長患いをしていることを知り、主人に草鞋を売って得た金の三分の一と老母の病を治してやることを約束したと話した。
「お前な、もし俺が治せなかったらとか考えなかったのか?」
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