無垢な令嬢は月の輝く夜に甘く乱される~駆け落ちから始まった結婚の結末は私にもわかりませんでした。

めぐみ

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運命を賭ける瞬間③

無垢な令嬢は月の輝く夜に甘く乱される~駆け落ちから始まった結婚の結末は私にもわかりませんでした。

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 サヨンは主人の意図を計りかね、用心深く言った。
「これだけの草鞋をご用意して頂けるとは正直、考えていませんでした。でも、はっきり申し上げて、私たちに、これだけの草鞋に見合うだけのお金をご用意できるかどうかは判らないのです」
 せいぜいが何百足程度のものだろうと思っていたのだ。まさか、千足単位の草鞋が出てくるとは予想だにしなかった。
「もちろん、お約束どおり、私たちが得た三分の一のお金はお支払いしますが、買い手側が幾ら支払ってくれるかも判らない状況では、これだけの草鞋代が貰えるかどうか確約はできません。ご主人もまた後で、他の履き物屋さんたちに草鞋の代金を払わなければならないでしょう。最悪、他の店に支払いを済ませたら、ご主人の取り分はなくなってしまうかもしれない」
 主人は肉に埋もれた細い眼を更に細めた。
「良いさ、これは儂がよくよく考えて決めたことだ。たとえ取り分がなくなっちまったからといって、お前さんらに文句は言わない」
 サヨンは控えめに問うた。
「何故、私たちにそこまでして下さるのですか? 商人は儲けられる見込みがない商売はしないものなのに」
 主人が笑顔で首を振った。
「確かにお前さんの言うとおりだが、お前さんは一つだけ忘れていることがある。儲けだけを追求していては、信頼を得ることはできない。人の心、客の信頼を得てこそ、初めて本当の商いができるんだよ」
 主人は上唇を舐め舐め言った。
「儂は苦しむ母親の姿を長年、見てきた。この病が本当に治るものなら、どれだけ金を積んでも構やしないと幾度思ったかしれない。お前さんは儂に儲け三分の一の金と一緒にお袋の病をも治してやると言った。あのときのお前さんの言葉が儂の心を動かしたんだ」
「ご主人」
 サヨンの胸に熱いものが込み上げた。
―商談を決めるときには、八割が誠意をもって引き受けた仕事を全うしようという真心と義務感でなければならない。
 ふいに、父の教えが耳奥でありありと甦った。  
 もしかしたら、履き物屋の主人にサヨンの誠意と真心が通じたのだろうか。これが、父の言っていたことなのだろうか。
―商売の道は奥深いものだ。己れの利だけを追い求めるような商売はけして人の心を得られないし、長続きはしない。長い眼で見れば、利よりも信頼を得るのを優先させた方が結果として、より大きな利に繋がるものだよ。
 それが父の口癖だった。その時、サヨンは商人として大切なことを学んだような気がした。
 主人は優しい眼でサヨンを見た。
「あの時、お前さんが儂の眼の前にただ金を積むことだけを主張したなら、儂はけしてこ町中の草鞋を集めようとは思わなかった。これしきのこと、お安いご用だ。その代わり、約束は必ず守って貰うぞ」
 主人の視線がサヨンからトンジュに移った。
「そっちが例の薬草の知識とやらを持っている人かい? 何でも名医も匙を投げた重病人を助けたとかいう人だね?」
  トンジュが眼を剥いてサヨンを見る。
―おい、適当なことを言うんじゃないぞ。口から出任せを言って、病人が俺の手に負えなかったら、どうするつもりだ。
 トンジュの眼は明らかに彼の焦りを示していた。サヨンは彼のきつい視線を無視して、にこやかに笑った。
「ありがとうございます。ご主人のご厚意に報いられるよう、全力を尽くします。もちろん、良人もそのつもりでおりますので、ご安心下さい。ねえ、あなた(ヨボ)?」
 サヨンが目配せをしながらトンジュを見る。トンジュは最早、何も言えず、ただ〝うう〟とも〝ああ〟とも知れぬ応えを返しただけだった。
 この後で、トンジュは早速、主人の母親を診るために病室へ案内された。ちなみに、トンジュの診立てでは、履き物屋の老母は、腎―つまり腎臓に病因があるとのことだった。それを裏付けるかのように、トンジュが診た老母の身体は全体的にむくみが目立ち、殊に脚のむくみは酷かった。
 トンジュは、むくみを取る薬、尿の出をよくする薬、更に病で弱った身体に体力をつけ、滋養を与える薬の三種類を処方して与えた。後に、この老婦人は嘘のように回復し、身体中の浮腫も取れ、寝たきりだったのが起きて歩けるようになるまで回復した。
 母親が数年ぶりに床から出て歩いた日、履き物屋の主人は涙を流して拝むように手をすり合わせた―。
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