無垢な令嬢は月の輝く夜に甘く乱される~駆け落ちから始まった結婚の結末は私にもわかりませんでした。

めぐみ

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運命を賭ける瞬間⑦

無垢な令嬢は月の輝く夜に甘く乱される~駆け落ちから始まった結婚の結末は私にもわかりませんでした。

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「お願いだから、止めて。あなたを失って、私にどうやって生きてゆけと言うの? お父さまにこんなことを言はずではなかったでしょ」
 サヨンが悲鳴のような声で言った。
 トンジュに取り縋って泣く娘を、ヨンセは苦い薬でも飲んだような表情で眺めていた。
「どうやら、サヨンからトンジュに連れていって欲しいとせがんだのは嘘ではないらしいな」
「いえ、大行首さま、それは違います。躊躇うお嬢さまを唆したのは、この俺で―」
「黙りなさい」
 ヨンセがトンジュを一喝した。
「たとえ真実がどこにあれ、結果としてこうなったのだ。トンジュ、人は時には真実や過程よりも結果を重んじねばならない。すべてが丸くおさまるように考えることが肝要なのだ」
 ヨンセは自らを落ち着かせるように眼を瞑り、ゆっくりと開いた。
「トンジュ、サヨンから話はすべて聞いた。必要としている人に大量の草鞋を売り、大儲けした話も、それがそなたの才覚で成し遂げられたこともな」
「大行首さま、そ、それはサヨンが―」
 トンジュが烈しく首を振った。
「良いから、黙って聞きなさい。先刻も申したであろう、真実や過程よりも、結果を重んじねばならないと。正直、サヨンとそなたがいなくなってから、私はそなたを憎んだ。折角上手くゆきかけていた李氏との縁組みや商売上の取引もすべてご破算になり、私は李スンチョンに多額の慰謝料を支払った。李氏との縁談が壊れたことで、私もコ商団も大変な損失を蒙ったのだ。それだけではない、世間的な信用も失墜した。そなたさえ、サヨンを連れて逃げなければ、このような多大な損害はなかった」
 ヨンセの声は厳しかった。
 トンジュの当初の目論見に反して、李スンチョンは黙って引き下がりはしなかったようだ。が、それも無理からぬことともいえる。今回の件で、スンチョンとその息子は大いに面目を失ったのだ。
 それでも、ヨンセが慰謝料を払っただけでスンチョンが引き下がったのは、不幸中の幸いであった。やはり、その点は、トンジュの指摘したように、必要以上に騒いで世間の注目を集めれば、恥の上塗りになると判断したのだろう。流石に、引き際を心得ていたのだ。
 トンジュはうなだれ、顔も上げられないようだ。
「申し訳ありません。幾ら謝っても、お詫びのしようもないほどです」
「だが、幾ら終わったことを嘆いてみても、前には進めない。失敗から学んで先に活かすのが商人の生き方だ。トンジュ、そなたが草鞋を売って得たという金を元手に商いを始めるのだ。しかし、言っておくが、私は援助はしない。ただ、そなたが忠言を必要とするときには、いつでも歓んで忠告はしよう。そなたがどれほどの器かを、自分の力で私に示してくれ」
 トンジュがハッと顔を上げた。
 ヨンセはトンジュに鷹揚に頷いて見せ、サヨンに安心させるように微笑みかけた。
 しばらく沈黙が流れた。
 ヨンセは大きく息を吸い、ふいに浮かんだ涙に眼を細めた。
「それで、祝言はいつにするつもりだ」
「お父さま」
 サヨンはかすかな期待を込めてヨンセの顔を見つめる。
 ヨンセは早口に言った。
「中途半端なままの関係では、世間に対する体裁も悪い。祝言も挙げていないのに、そなたとトンジュを一つ屋根の下に住まわせることはできないからな」
 怒ったような口調とは裏腹に、父の頬が嬉しげに緩んでいる。
「何代も続いてきたコ商団も私の代で終わりかと思っていたが、そなたが良い婿を連れてきたお陰で、思いがけず優れた後継者を得ることができた」
 ヨンセはトンジュに向かって言った。それは長年に渡って漢陽一の商人との評判を守り続けてきた大商人ならではの言葉であった。
「トンジュ、商いの道は机上の学問とは違って、現実的で厳しいぞ。だが、幼い頃に見せたそなたの頑張りをもってすれば、克服することは不可能ではない。心して学びなさい」
「はい」
 トンジュが畏まって頭を下げる。
「そなたの奴婢証文は処分する。これで、そなたは晴れて自由の身となった」
 傍らのトンジュが小さく息を呑み、眼を潤ませた。
「大行首さまのご恩は一生涯忘れません」
 ヨンセは大きく頷いた。
「その気持ちを忘れず、コ商団を盛り立てていってくれ」
 ややあって、ヨンセは小さな声で言った。
「娘を頼んだぞ」
「はいッ」
 先刻より更に威勢の良い返事が返ってきて、ヨンセは薄く微笑する。
 傍らで父と良人のやりとりを耳にしながら、サヨンの眼尻にかすかな涙が滲んだ。
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