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秘花⑲
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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黙り込む賢に向かって、王の独白は続いた。
「そなたは憶えているか、十になった頃、郊外の川原で共に遊んだときのことを。あの時、そなたははしゃいで川に入った。衣服を脱いだそなたの身体を見た時、俺は伯父上の話がすべて事実であったことを知った。俺は心に誓ったんだ。どんなことがあっても、そなたは俺が守ると」
王は溜息をついた。
「ゆえに、反元派の企みにも乗った。俺があやつらの口車に乗らなければ、秘密を知った俺はむろん、そなたも殺されることは判っていた。二人共に助かるには企みに乗ったふりをするしか道はなかった」
「それで考えついたのが、僕と結婚するという話か」
賢は首を振り、王を見つめた。
「悪いが、あなたの話はどうしても質の悪い冗談だとしか思えない」
「冗談でこんな話をすると思うか?」
すかさず切り返され、賢はうつむいた。
「たとえ真実がどうあれ、僕は男だ。生まれてから今日まで自分を女だと思ったことは一度たりともない」
王が静かな声音で言った。
「そなたにとっても悪い話ではないと思うが」
「とにかく断る。僕は男だから、あなたの妻になることなどできない」
それまで感情というものを殆ど表さなかった王の面がかすかに動いた。
「あくまでも自分が男だと言い張るなら、俺はそなたの身体が真に男であるか確かめる」
「え―?」
賢は眼をまたたかせた。王の放った科白の意味を計りかね、またたきして彼を見つめる。
「どうしても俺を拒むというのなら、今ここで、衣服を脱いでくれ」
「なっ」
漸く王の言わんとしているところを理解し、賢はさっと蒼褪めた。
「さて、どうする? 男なら脱いで裸身を曝したとしても、恥ずかしくはないだろう?」
賢の前に王が近づく。咄嗟に身を強ばらせる賢に微笑みかけ、王がその上衣に手を掛けた。薄青色の上衣の前結びになっている紐をおもむろにシュルリと解く。
まるで蛇に睨まれた蛙だった。あまりの恐怖に、身体が縫い止められたように動かない。自分を射貫くように見つめる王の瞳に浮かぶ得体の知れない熱が怖い。
賢の眼に強い怯えがよぎった。
そのときだった。外側から扉が荒々しく音を立てて開いた。
「何をするッ」
ジュチは血相を変えていた。
「ジュチ」
怯えた賢がジュチの腕の中に飛び込む。
「国王殿下。私はあなたが何故、これまで世子邸下を生かしておくのか、それがどうしても解せませんでした。まさか、あなたがこのようなことを考えているとは思いもしなかった」
王が肩を竦めた。
「また貴様か。まったく、忌々しいヤツだ。良かろう、今日のところはこれくらいにしておこう」
後はもうすべてに興味を失ったかのように振り向きもせず、室を出てゆく。と、出てゆく間際、彼は前方を見つめたまま言った。
「賢、これで俺が諦めるなどと思うなよ?」
その言葉を残して、扉は外側から閉まった。
「ジュチ―」
賢はジュチの腕の中ですすり泣いた。
「私が迂闊でした。まさか王がこのようなことを言い出すとは考えてもみませんでした」
「怖いよ、ジュチ。乾があんな眼で僕を見たことなんて、なかったのに。僕は男だ、王の妃になんてならない」
それに、万が一、自分が女だとしても(戻ることになるにしても)、卑劣な手段で王位を奪い取った乾のものになんて、なるはずがない。乾は賢を守るためと言いながら、卑怯にも賢に前王殺害の罪を着せ廃太子に追い込んだのだ。そんなことをした男に身を任せることがどうして、できるだろう?
この瞬間、兄弟のようにして育った大切な従弟は賢の中で消えた。
男として育ってきた賢は、十八歳になった今でも、男女のことは何も知らなかった。ただ、性的な知識は何もないにも拘わらず、従弟の瞳の奥に絶えず閃く異様な光が怖かった。まるで獰猛な獣が小動物を捕らえようと遠巻きに虎視眈々と眺めているような―厭な目つきを思い出しただけで身体が総毛立つ。
「邸下、大丈夫です。邸下の御身は私が必ずお守りしますゆえ」
ジュチは座った体勢で賢を引き寄せて、その背を宥めるようにトントンと軽く叩く。それだけで、烈しく波打っていた胸の鼓動が鎮まってゆく。
「何があっても、ジュチがこの生命に代えてもお守り致します」
「ジュチがいてくれて良かった」
それでもしばらく賢はジュチの胸の中で泣いていたが、やがて静かになった。
「そなたは憶えているか、十になった頃、郊外の川原で共に遊んだときのことを。あの時、そなたははしゃいで川に入った。衣服を脱いだそなたの身体を見た時、俺は伯父上の話がすべて事実であったことを知った。俺は心に誓ったんだ。どんなことがあっても、そなたは俺が守ると」
王は溜息をついた。
「ゆえに、反元派の企みにも乗った。俺があやつらの口車に乗らなければ、秘密を知った俺はむろん、そなたも殺されることは判っていた。二人共に助かるには企みに乗ったふりをするしか道はなかった」
「それで考えついたのが、僕と結婚するという話か」
賢は首を振り、王を見つめた。
「悪いが、あなたの話はどうしても質の悪い冗談だとしか思えない」
「冗談でこんな話をすると思うか?」
すかさず切り返され、賢はうつむいた。
「たとえ真実がどうあれ、僕は男だ。生まれてから今日まで自分を女だと思ったことは一度たりともない」
王が静かな声音で言った。
「そなたにとっても悪い話ではないと思うが」
「とにかく断る。僕は男だから、あなたの妻になることなどできない」
それまで感情というものを殆ど表さなかった王の面がかすかに動いた。
「あくまでも自分が男だと言い張るなら、俺はそなたの身体が真に男であるか確かめる」
「え―?」
賢は眼をまたたかせた。王の放った科白の意味を計りかね、またたきして彼を見つめる。
「どうしても俺を拒むというのなら、今ここで、衣服を脱いでくれ」
「なっ」
漸く王の言わんとしているところを理解し、賢はさっと蒼褪めた。
「さて、どうする? 男なら脱いで裸身を曝したとしても、恥ずかしくはないだろう?」
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まるで蛇に睨まれた蛙だった。あまりの恐怖に、身体が縫い止められたように動かない。自分を射貫くように見つめる王の瞳に浮かぶ得体の知れない熱が怖い。
賢の眼に強い怯えがよぎった。
そのときだった。外側から扉が荒々しく音を立てて開いた。
「何をするッ」
ジュチは血相を変えていた。
「ジュチ」
怯えた賢がジュチの腕の中に飛び込む。
「国王殿下。私はあなたが何故、これまで世子邸下を生かしておくのか、それがどうしても解せませんでした。まさか、あなたがこのようなことを考えているとは思いもしなかった」
王が肩を竦めた。
「また貴様か。まったく、忌々しいヤツだ。良かろう、今日のところはこれくらいにしておこう」
後はもうすべてに興味を失ったかのように振り向きもせず、室を出てゆく。と、出てゆく間際、彼は前方を見つめたまま言った。
「賢、これで俺が諦めるなどと思うなよ?」
その言葉を残して、扉は外側から閉まった。
「ジュチ―」
賢はジュチの腕の中ですすり泣いた。
「私が迂闊でした。まさか王がこのようなことを言い出すとは考えてもみませんでした」
「怖いよ、ジュチ。乾があんな眼で僕を見たことなんて、なかったのに。僕は男だ、王の妃になんてならない」
それに、万が一、自分が女だとしても(戻ることになるにしても)、卑劣な手段で王位を奪い取った乾のものになんて、なるはずがない。乾は賢を守るためと言いながら、卑怯にも賢に前王殺害の罪を着せ廃太子に追い込んだのだ。そんなことをした男に身を任せることがどうして、できるだろう?
この瞬間、兄弟のようにして育った大切な従弟は賢の中で消えた。
男として育ってきた賢は、十八歳になった今でも、男女のことは何も知らなかった。ただ、性的な知識は何もないにも拘わらず、従弟の瞳の奥に絶えず閃く異様な光が怖かった。まるで獰猛な獣が小動物を捕らえようと遠巻きに虎視眈々と眺めているような―厭な目つきを思い出しただけで身体が総毛立つ。
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