25 / 108
秘花㉕
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
しおりを挟む
自分たちは追われている身なのに、ジュチに触れられて胸を高鳴らせている自分自身が信じられない。
どうするのかと見ていたら、飯屋を後にしたジュチは雑踏でごった返す往来を足早に歩いていった。いかほど歩いたのか、急にジュチが立ち止まったので、真後ろにいる賢は彼の広い背中にぶつかりそうになった。
ジュチが振り返った。
「賢華さま、着きました」
「ジュチ、ここは?」
物問いたげに見上げれば、彼はまた賢を安心させるように笑みを浮かべた。
「商館ですよ」
「商館? どうして、こんなところに」
ジュチが頷いた。
「ここから夕方、元に向けて都を発つ隊商があります。その一行に紛れて開京を出ます」
賢は息を呑んだ。
「元に行くの?」
「いえ」
ここは、きっぱりと否定された。
「元までの道のりはあまりに遠く危険すぎます。確かに、ある意味、賢華さまは元に行かれた方が安全かもしれません。何しろ、元の皇帝は賢華さまの祖父君さまなのですから。ですが」
ジュチは声を落とし、何とも言えない顔で賢を見た。
「賢華さまはお美しすぎる。仮に元に渡って皇帝の庇護を得ていっときの平穏を得たとしても、元の王宮でその美しさがきっと賢華さまをまた新たな不幸に巻き込んでしまうでしょう。私はもう、賢華さまをこれ以上、醜い政に巻き込みたくないのです。王宮を出られたからには、これからは権力闘争とは拘わりのない場所で静かに暮らして頂きたい、そう思っています」
初めて知るジュチの想いに胸をつかれた。ジュチがここまで自分のことを考えていてくれているとは思わなかっただけに、賢は嬉しかった。何か温かいものが心を満たしてゆくようだ。
「ありがとう、ジュチ」
気の利いた言葉が言えたら良いのだけれど、適当な科白が浮かばない。だが、ジュチはいつものように優しい眼で賢を見た。
「賢華さまがお礼を言って下さるのはこれでもう、何度めでしょうか?」
ジュチは続けて言った。
「お礼などは必要ありませんよ。私があなたをお守りするのは、私がそうしたくてしているのですから」
「それは僕がジュチの主人だから―」
「いいえ」
予期せぬ強い口調で言われ、賢は眼を見開いた。ジュチは少し恥ずかしげに言った。
「もちろん、賢華さまは今もこれから先もずっと私のお仕えする大切な主人です。さりながら、それだけではありません。私の大切な方だから、ずっと側にいてお守りしたいと私自身が強く望んでいるのです」
早口で言うと、ジュチは照れたように視線を逸らした。
その日の黄昏時、ジュチと賢は都を出る隊商の列に紛れ込んでいた。何台も続く荷馬中が並ぶ中、人が乗った馬車も含まれている。美しく彩色された馬車をひとめ見れば、金持ちの夫人か令嬢が乗っていることはすぐに判る。実はその一つに、賢華はジュチと乗り込んでいた。
これに先立ち、ジュチは商館の主にして隊商を率いる行首(ヘンス)に多額の報酬を支払っていた。だが、その報酬というのは金子ではない。龍の文様を象った翡翠の美しい帯飾り(ノリゲ)だ。この龍こそが元国皇帝の血筋を正当に伝える者であると証す象徴であり、換金するのは難しいほど価値のあるものだ。
当初は山ほどの金子を用意していたのだが、賢が自分の持つノリゲをジュチに手渡し、これを役立てて欲しいと頼んだのである。
―ですが、これは賢華さまが元の皇帝の血筋であると証明する大切な品ではありませんか。
最初、ジュチは渋ったものの、賢は言った。
―ジュチ、僕はそなたにいつも守られているばかりで、何もできない。かえって足手まといになるばかりだ。だから、せめて僕にできることをさせて。それに、僕には母上の形見のノリゲがある。これを手放したからといって、困ることはない。
賢の持つノリゲは元の皇帝から高麗の第一王子生誕を祝う贈物の品々と共に届けられたものだ。裏には〝王賢〟と名前が刻み込まれている。元国の嫡流の姫である母永国公主もまた同じ意匠のノリゲを持っていた。
予想どおり、隊商を率いる沈(シム)行首はノリゲを見て大変歓び、できる限りの便宜を図ってくれると約束してくれた。
どうするのかと見ていたら、飯屋を後にしたジュチは雑踏でごった返す往来を足早に歩いていった。いかほど歩いたのか、急にジュチが立ち止まったので、真後ろにいる賢は彼の広い背中にぶつかりそうになった。
ジュチが振り返った。
「賢華さま、着きました」
「ジュチ、ここは?」
物問いたげに見上げれば、彼はまた賢を安心させるように笑みを浮かべた。
「商館ですよ」
「商館? どうして、こんなところに」
ジュチが頷いた。
「ここから夕方、元に向けて都を発つ隊商があります。その一行に紛れて開京を出ます」
賢は息を呑んだ。
「元に行くの?」
「いえ」
ここは、きっぱりと否定された。
「元までの道のりはあまりに遠く危険すぎます。確かに、ある意味、賢華さまは元に行かれた方が安全かもしれません。何しろ、元の皇帝は賢華さまの祖父君さまなのですから。ですが」
ジュチは声を落とし、何とも言えない顔で賢を見た。
「賢華さまはお美しすぎる。仮に元に渡って皇帝の庇護を得ていっときの平穏を得たとしても、元の王宮でその美しさがきっと賢華さまをまた新たな不幸に巻き込んでしまうでしょう。私はもう、賢華さまをこれ以上、醜い政に巻き込みたくないのです。王宮を出られたからには、これからは権力闘争とは拘わりのない場所で静かに暮らして頂きたい、そう思っています」
初めて知るジュチの想いに胸をつかれた。ジュチがここまで自分のことを考えていてくれているとは思わなかっただけに、賢は嬉しかった。何か温かいものが心を満たしてゆくようだ。
「ありがとう、ジュチ」
気の利いた言葉が言えたら良いのだけれど、適当な科白が浮かばない。だが、ジュチはいつものように優しい眼で賢を見た。
「賢華さまがお礼を言って下さるのはこれでもう、何度めでしょうか?」
ジュチは続けて言った。
「お礼などは必要ありませんよ。私があなたをお守りするのは、私がそうしたくてしているのですから」
「それは僕がジュチの主人だから―」
「いいえ」
予期せぬ強い口調で言われ、賢は眼を見開いた。ジュチは少し恥ずかしげに言った。
「もちろん、賢華さまは今もこれから先もずっと私のお仕えする大切な主人です。さりながら、それだけではありません。私の大切な方だから、ずっと側にいてお守りしたいと私自身が強く望んでいるのです」
早口で言うと、ジュチは照れたように視線を逸らした。
その日の黄昏時、ジュチと賢は都を出る隊商の列に紛れ込んでいた。何台も続く荷馬中が並ぶ中、人が乗った馬車も含まれている。美しく彩色された馬車をひとめ見れば、金持ちの夫人か令嬢が乗っていることはすぐに判る。実はその一つに、賢華はジュチと乗り込んでいた。
これに先立ち、ジュチは商館の主にして隊商を率いる行首(ヘンス)に多額の報酬を支払っていた。だが、その報酬というのは金子ではない。龍の文様を象った翡翠の美しい帯飾り(ノリゲ)だ。この龍こそが元国皇帝の血筋を正当に伝える者であると証す象徴であり、換金するのは難しいほど価値のあるものだ。
当初は山ほどの金子を用意していたのだが、賢が自分の持つノリゲをジュチに手渡し、これを役立てて欲しいと頼んだのである。
―ですが、これは賢華さまが元の皇帝の血筋であると証明する大切な品ではありませんか。
最初、ジュチは渋ったものの、賢は言った。
―ジュチ、僕はそなたにいつも守られているばかりで、何もできない。かえって足手まといになるばかりだ。だから、せめて僕にできることをさせて。それに、僕には母上の形見のノリゲがある。これを手放したからといって、困ることはない。
賢の持つノリゲは元の皇帝から高麗の第一王子生誕を祝う贈物の品々と共に届けられたものだ。裏には〝王賢〟と名前が刻み込まれている。元国の嫡流の姫である母永国公主もまた同じ意匠のノリゲを持っていた。
予想どおり、隊商を率いる沈(シム)行首はノリゲを見て大変歓び、できる限りの便宜を図ってくれると約束してくれた。
4
あなたにおすすめの小説
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
αからΩになった俺が幸せを掴むまで
なの
BL
柴田海、本名大嶋海里、21歳、今はオメガ、職業……オメガの出張風俗店勤務。
10年前、父が亡くなって新しいお義父さんと義兄貴ができた。
義兄貴は俺に優しくて、俺は大好きだった。
アルファと言われていた俺だったがある日熱を出してしまった。
義兄貴に看病されるうちにヒートのような症状が…
義兄貴と一線を超えてしまって逃げ出した。そんな海里は生きていくためにオメガの出張風俗店で働くようになった。
そんな海里が本当の幸せを掴むまで…
【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました
秘匿された第十王子は悪態をつく
なこ
BL
ユーリアス帝国には十人の王子が存在する。
第一、第二、第三と王子が産まれるたびに国は湧いたが、第五、六と続くにつれ存在感は薄れ、第十までくるとその興味関心を得られることはほとんどなくなっていた。
第十王子の姿を知る者はほとんどいない。
後宮の奥深く、ひっそりと囲われていることを知る者はほんの一握り。
秘匿された第十王子のノア。黒髪、薄紫色の瞳、いわゆる綺麗可愛(きれかわ)。
ノアの護衛ユリウス。黒みかがった茶色の短髪、寡黙で堅物。塩顔。
少しずつユリウスへ想いを募らせるノアと、頑なにそれを否定するユリウス。
ノアが秘匿される理由。
十人の妃。
ユリウスを知る渡り人のマホ。
二人が想いを通じ合わせるまでの、長い話しです。
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
金の野獣と薔薇の番
むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。
彼は事故により7歳より以前の記憶がない。
高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。
オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。
ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。
彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。
その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。
来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。
皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……?
4/20 本編開始。
『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。
(『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。)
※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。
【至高のオメガとガラスの靴】
↓
【金の野獣と薔薇の番】←今ココ
↓
【魔法使いと眠れるオメガ】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる