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秘花53
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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王の想い者になり御子を産むのは、後宮に仕える女官にとっては垂涎の玉の輿だ。殊に即位後まもない今の王は若く凛々しい。そのため、歳のいった尚宮たちはともかく、後宮の若い女官たちは皆、化粧に工夫を凝らし美しく装うことに余念がない。
今でも我が身が男だと信じている賢には、到底理解しがたいことだ。それに、王の気持ちも理解できなかった。後宮には王の寵愛を待ち望んでいる美しい女たちがひしめいているのに、何故、自分を無理矢理に後宮にとどめておくのか判らない。
また哀しみに囚われそうになった時、崔尚宮の声が意識を現実に引き戻した。
「通訳官といっても、下っ端ですから。ですが、父は何度も使節団として元国に参りましたので、幼い頃は私もよく異国の珍しい話を聞くことはできました」
賢は微笑んだ。
「僕が元に行ったのはまだ本当に幼いときだ。当時のことは今では殆ど憶えていない。さりながら、崔尚宮の甥は通訳官にはならなかったのか?」
その問いには、崔尚宮は笑いながら首を振った。
「護衛官をしている甥というのは、嫁いだ姉の子にございます。姉と一番下の私は歳が離れておりますもので、甥と申しましても十二歳ほどしか違わないのですが」
「なるほど、そうか」
賢も笑って納得した。ふいに崔尚宮の柔和な面から笑みが消えた。いよいよだと、賢は崔尚宮の顔をじいっと見つめる。
「王女さま、その甥が昨日、私をひそかに訪ねて参りました」
賢は黙って次の話を待った。崔尚宮は声を落として続ける。
「甥がこれを王女さまにお渡しして欲しいと私に託したのです」
崔尚宮は一旦隣室に戻り、腕に風呂敷包みを抱えて戻ってきた。
「それは?」
縦長い包みを見ながら、賢の胸には予感があった。崔尚宮が包みを賢に恭しく差し出した。
「どうぞご自身でお確かめ下さい」
賢は震える手で牡丹色の鮮やかな風呂敷を解く。中から現れたのはやはり、何のことはない一本の釣り竿であった。
だが、賢にとっては何よりも大切な品、最愛の男の形見である。賢は釣り竿を胸に抱きしめると涙を堪えた。
間違いない。崔尚宮の甥というのは、あの若い護衛官―ジュチを王命によって斬った男だ。
あの時、護衛官は沈痛な面持ちで告げた。
―ホン内官の亡骸は私が責任を持って丁重に葬ります。
更に、何か遺品として取っておきたいものがあればとまで申し出てくれた。それに対して、賢は釣り竿を取っておいて欲しいと頼んだのだ。この釣り竿がここに届いたということは、護衛官は間違いなくジュチの亡骸を丁重に弔ってくれたのだ。
あのまま骸(むくろ)を放置していたとしたら、時間をおかず野犬や獣の餌食になってしまっていた。大好きなジュチがそんな目に遭っていると考えただけで気が狂いそうになるけれど、せめて誰かが亡骸を弔ってくれたなら、それだけでも心は幾ばくかは慰められる。
彼はきちんと約束を守ってくれた。少し話をしただけだが、到底、人を好んで殺めるような男には見えなかった。王命によってやむなくジュチの生命を奪った。彼自身も苦しかったに違いない。
僕の大切な人を殺したのは王なのだ。そして今、我が身はその良人を殺した憎い男の後宮に囚われの身となっている。
―僕は王を許さない。
改めて王への憎しみと憤りが湧き上がってくる。幼き日、共に無邪気に戯れた従弟は消えた。既に、賢のよく知っている優しかった乾はどこを探してもいないのだ。
賢はジュチの唯一の形見となった釣り竿を胸に抱き、頬ずりした。
「ありがとう、崔尚宮。護衛官にもよろしく伝えてくれ」
感謝を伝えると、崔尚宮はまた声を低めた。
「甥が申しておりました。ホン内官の骸は王女さま方がお暮らしになっていた家近くの裏山に葬ったそうです。また近くの寺の僧に金子を託し、読経もあげて貰ったと」
「良かった―」
賢はうつむいた。一人、孤独に人気のない山奥で眠っているジュチのことを考えると哀しくて死んでしまいたいと思う。後宮に閉じ込められたこの身は墓参に行きたくても行けない。
涙が溢れて止まらなかった。しばらく声を殺して泣いていると、崔尚宮は何も言わず見守っていた。漸く賢が涙を拭いた時、崔尚宮はまだ側に控えていた。
今でも我が身が男だと信じている賢には、到底理解しがたいことだ。それに、王の気持ちも理解できなかった。後宮には王の寵愛を待ち望んでいる美しい女たちがひしめいているのに、何故、自分を無理矢理に後宮にとどめておくのか判らない。
また哀しみに囚われそうになった時、崔尚宮の声が意識を現実に引き戻した。
「通訳官といっても、下っ端ですから。ですが、父は何度も使節団として元国に参りましたので、幼い頃は私もよく異国の珍しい話を聞くことはできました」
賢は微笑んだ。
「僕が元に行ったのはまだ本当に幼いときだ。当時のことは今では殆ど憶えていない。さりながら、崔尚宮の甥は通訳官にはならなかったのか?」
その問いには、崔尚宮は笑いながら首を振った。
「護衛官をしている甥というのは、嫁いだ姉の子にございます。姉と一番下の私は歳が離れておりますもので、甥と申しましても十二歳ほどしか違わないのですが」
「なるほど、そうか」
賢も笑って納得した。ふいに崔尚宮の柔和な面から笑みが消えた。いよいよだと、賢は崔尚宮の顔をじいっと見つめる。
「王女さま、その甥が昨日、私をひそかに訪ねて参りました」
賢は黙って次の話を待った。崔尚宮は声を落として続ける。
「甥がこれを王女さまにお渡しして欲しいと私に託したのです」
崔尚宮は一旦隣室に戻り、腕に風呂敷包みを抱えて戻ってきた。
「それは?」
縦長い包みを見ながら、賢の胸には予感があった。崔尚宮が包みを賢に恭しく差し出した。
「どうぞご自身でお確かめ下さい」
賢は震える手で牡丹色の鮮やかな風呂敷を解く。中から現れたのはやはり、何のことはない一本の釣り竿であった。
だが、賢にとっては何よりも大切な品、最愛の男の形見である。賢は釣り竿を胸に抱きしめると涙を堪えた。
間違いない。崔尚宮の甥というのは、あの若い護衛官―ジュチを王命によって斬った男だ。
あの時、護衛官は沈痛な面持ちで告げた。
―ホン内官の亡骸は私が責任を持って丁重に葬ります。
更に、何か遺品として取っておきたいものがあればとまで申し出てくれた。それに対して、賢は釣り竿を取っておいて欲しいと頼んだのだ。この釣り竿がここに届いたということは、護衛官は間違いなくジュチの亡骸を丁重に弔ってくれたのだ。
あのまま骸(むくろ)を放置していたとしたら、時間をおかず野犬や獣の餌食になってしまっていた。大好きなジュチがそんな目に遭っていると考えただけで気が狂いそうになるけれど、せめて誰かが亡骸を弔ってくれたなら、それだけでも心は幾ばくかは慰められる。
彼はきちんと約束を守ってくれた。少し話をしただけだが、到底、人を好んで殺めるような男には見えなかった。王命によってやむなくジュチの生命を奪った。彼自身も苦しかったに違いない。
僕の大切な人を殺したのは王なのだ。そして今、我が身はその良人を殺した憎い男の後宮に囚われの身となっている。
―僕は王を許さない。
改めて王への憎しみと憤りが湧き上がってくる。幼き日、共に無邪気に戯れた従弟は消えた。既に、賢のよく知っている優しかった乾はどこを探してもいないのだ。
賢はジュチの唯一の形見となった釣り竿を胸に抱き、頬ずりした。
「ありがとう、崔尚宮。護衛官にもよろしく伝えてくれ」
感謝を伝えると、崔尚宮はまた声を低めた。
「甥が申しておりました。ホン内官の骸は王女さま方がお暮らしになっていた家近くの裏山に葬ったそうです。また近くの寺の僧に金子を託し、読経もあげて貰ったと」
「良かった―」
賢はうつむいた。一人、孤独に人気のない山奥で眠っているジュチのことを考えると哀しくて死んでしまいたいと思う。後宮に閉じ込められたこの身は墓参に行きたくても行けない。
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