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秘花56
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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長い一日が終わった。賢は漸く重い髢(かもじ)(かつら)や婚礼衣装を脱ぎ、身軽になることができた。賢は十八歳になるまで、ずっと男子のなりで過ごしてきた。むろん、化粧もしたことがなければ、女物の衣装も袖を通したことはない。ジュチとの二人きりの婚礼の時、自覚束ない手つきで紅を引いたことがあるくらいものだ。
女の衣装は普段着だけでも十分窮屈で、ましてや重すぎる婚礼衣装や髢(かもじ)、冠を長時間に渡って身に付けるのは拷問にも等しかった。
それでもやっと解放され、今は湯浴みも済ませて夜着になっている。婚儀の後、頭痛を理由に崔尚宮を通して王には夜伽を辞退させて欲しいと伝えていた。
それは嘘ではなかった。重い髢(かもじ)のせいか、肩が凝りすぎて夕刻から頭痛は酷くなる一方だ。
今日からは今までの殿舎ではなく、王妃殿に住まいが変わった。王妃殿は幾つかの殿舎が集まっており、その中心が王妃の住居となる。やはり、昨日までいた室には比較にならないほど広く豪奢な居室や寝所が新しい女主人を迎えた。
かつて、この部屋は賢の母である前王妃が使っていたという。前王は愛妻家で永国公主しか妻を持たなかった。そのため、この王妃殿はかれこれ十八年もの間、主不在の淋しい状態が続いていたのだ。
崔尚宮の淹れてくれた香草茶は薄荷が効いて、少しだけ頭の痛みも薄れてゆく。賢は青磁の湯飲みを両手で包み込むようにして、ゆっくりと香草茶を味わった。
そこに崔尚宮が入ってきた。
「王妃さま、先ほど王宮殿の尚宮が殿下のお言付けを承ってきたのですが」
賢は湯飲みを手に持ち、小首を傾げた。その様に崔尚宮は胸をつかれた。婚儀に臨んだ王妃は気高い美しさに輝いていた。誰が見ても臈長けた美貌の女性だった。けれど、今の王妃はどうだろう。化粧も落とし、夜着に着替えて髪を下ろしたその姿は十八歳というより更に幼く見えた。
「何かあったのか?」
崔尚宮はそこで言葉を飲み込み、覚悟を決めたようにひと息に言った。
「殿下がもうじき、お渡りになるそうです」
最初、賢は崔尚宮が何を言っているのか判らなかった。崔尚宮は更に繰り返した。
「殿下が今宵は王妃さまの許でお過ごしになるそうです」
「どうして?」
その瞬間、賢の双眸が大きく見開かれた。具合が悪いから夜伽はできないと断ったはずなのに。
「僕には自由はないのか、崔尚宮。体調が悪いからと殿下にはちゃんと申し上げたはずだ。なのに」
涙声で訴えた。
「僕は殿下の玩具じゃない。いつでも好きなときに、好きなようにできる持ち物みたいに扱われるのはいやだ」
崔尚宮がとりなすように言った。
「それだけ殿下の王妃さまへのご寵愛が深いということではないでしょうか」
「そんなものは要らないよ。殿下はジュチを殺したんだよ? そんな男と一緒に眠るだなんて、僕はいやだ」
賢の眼に新たな涙が溢れた。
それでも、王の意向には何人も逆らえない。
その半刻後、賢は最奥の寝所で王を待っていた。寝室の扉が開いた。ハッと我に返り面を上げると、王が入ってくるところだ。
慌てて寝台から立ち上がり、頭を垂れた。
やはり王も純白の夜着姿である。そういえば、王は婚儀の前にも深夜一度だけ寝所に訪れたことがある。あのときは夜着ではなく寛いだ姿ではあったけれど普段着を着ていた。
そんなことをぼんやりと思い出していると、王が側に来たらしい。真上から静かな声音が降りてきた。
「体調が良くないと聞いたが、大事ないのか?」
「それゆえ、今宵はお相手はできないと王宮殿の尚宮に崔尚宮から伝えたはずなのですが」
王は当然のように大きな寝台に座った。女性の部屋らしい瀟洒で華やかなしつらえのこの室内は、寝台までもが派手だ。牡丹色の地に華やかな刺繍がなされた天蓋がつき、宮棚(ヘッドボード)には大輪の牡丹の花が浮き彫りにされている。
何故か王が来てから、その寝台が余計に存在を主張しているような気がしてならなかった。
「まあ、そう申すな。初夜といっても、別に枕を並べて眠るだけでも構わぬ。俺は今日という日を待っていた。具合が悪いなら、伽はしなくても大丈夫だ」
女の衣装は普段着だけでも十分窮屈で、ましてや重すぎる婚礼衣装や髢(かもじ)、冠を長時間に渡って身に付けるのは拷問にも等しかった。
それでもやっと解放され、今は湯浴みも済ませて夜着になっている。婚儀の後、頭痛を理由に崔尚宮を通して王には夜伽を辞退させて欲しいと伝えていた。
それは嘘ではなかった。重い髢(かもじ)のせいか、肩が凝りすぎて夕刻から頭痛は酷くなる一方だ。
今日からは今までの殿舎ではなく、王妃殿に住まいが変わった。王妃殿は幾つかの殿舎が集まっており、その中心が王妃の住居となる。やはり、昨日までいた室には比較にならないほど広く豪奢な居室や寝所が新しい女主人を迎えた。
かつて、この部屋は賢の母である前王妃が使っていたという。前王は愛妻家で永国公主しか妻を持たなかった。そのため、この王妃殿はかれこれ十八年もの間、主不在の淋しい状態が続いていたのだ。
崔尚宮の淹れてくれた香草茶は薄荷が効いて、少しだけ頭の痛みも薄れてゆく。賢は青磁の湯飲みを両手で包み込むようにして、ゆっくりと香草茶を味わった。
そこに崔尚宮が入ってきた。
「王妃さま、先ほど王宮殿の尚宮が殿下のお言付けを承ってきたのですが」
賢は湯飲みを手に持ち、小首を傾げた。その様に崔尚宮は胸をつかれた。婚儀に臨んだ王妃は気高い美しさに輝いていた。誰が見ても臈長けた美貌の女性だった。けれど、今の王妃はどうだろう。化粧も落とし、夜着に着替えて髪を下ろしたその姿は十八歳というより更に幼く見えた。
「何かあったのか?」
崔尚宮はそこで言葉を飲み込み、覚悟を決めたようにひと息に言った。
「殿下がもうじき、お渡りになるそうです」
最初、賢は崔尚宮が何を言っているのか判らなかった。崔尚宮は更に繰り返した。
「殿下が今宵は王妃さまの許でお過ごしになるそうです」
「どうして?」
その瞬間、賢の双眸が大きく見開かれた。具合が悪いから夜伽はできないと断ったはずなのに。
「僕には自由はないのか、崔尚宮。体調が悪いからと殿下にはちゃんと申し上げたはずだ。なのに」
涙声で訴えた。
「僕は殿下の玩具じゃない。いつでも好きなときに、好きなようにできる持ち物みたいに扱われるのはいやだ」
崔尚宮がとりなすように言った。
「それだけ殿下の王妃さまへのご寵愛が深いということではないでしょうか」
「そんなものは要らないよ。殿下はジュチを殺したんだよ? そんな男と一緒に眠るだなんて、僕はいやだ」
賢の眼に新たな涙が溢れた。
それでも、王の意向には何人も逆らえない。
その半刻後、賢は最奥の寝所で王を待っていた。寝室の扉が開いた。ハッと我に返り面を上げると、王が入ってくるところだ。
慌てて寝台から立ち上がり、頭を垂れた。
やはり王も純白の夜着姿である。そういえば、王は婚儀の前にも深夜一度だけ寝所に訪れたことがある。あのときは夜着ではなく寛いだ姿ではあったけれど普段着を着ていた。
そんなことをぼんやりと思い出していると、王が側に来たらしい。真上から静かな声音が降りてきた。
「体調が良くないと聞いたが、大事ないのか?」
「それゆえ、今宵はお相手はできないと王宮殿の尚宮に崔尚宮から伝えたはずなのですが」
王は当然のように大きな寝台に座った。女性の部屋らしい瀟洒で華やかなしつらえのこの室内は、寝台までもが派手だ。牡丹色の地に華やかな刺繍がなされた天蓋がつき、宮棚(ヘッドボード)には大輪の牡丹の花が浮き彫りにされている。
何故か王が来てから、その寝台が余計に存在を主張しているような気がしてならなかった。
「まあ、そう申すな。初夜といっても、別に枕を並べて眠るだけでも構わぬ。俺は今日という日を待っていた。具合が悪いなら、伽はしなくても大丈夫だ」
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