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隣国
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レイチェルは船に戻って特等船室の自室に入った。
特等船室はとても広かった。そもそも、特等船室に乗るような金持ち達は1人で旅行なんてしない。
侍女やメイド、従者も同じエリアで寝泊まり出来るよう特等船室の中もいくつかの部屋に分かれている。
特等船室のチケット一枚で10人は泊まれる作りになっているのだ。
と、その時、レイチェルは紅茶のカップを持ってきてしまった事に気がついた。
レイチェルが払った額でカップを買ってもお釣りが来るだろうが、まだ時間はあるので置きに戻る事にした。
すると、船の乗り場で数名の男女が押し問答しているところに遭遇した。
タラップを歩く時にエスコートしてくれた係員に「どうしたのかしら?」と聞くと、「ダブルブッキングが起きたみたいで」と眉を顰めた。
「私たちは隣国の使節団です。この船に乗って帰らないとならないのです」
と少しカタコトの言葉で男性が言うと
「父が危篤なのです。次の船を待っていてはきっとこの子達はお祖父様に会えないですわ」
先ほどカフェで見た家族の母親が涙ながらに訴えた。
どうやらどちらもこの船にに乗らなくてはいけない事情があるらしい。
言い争いはレイチェルがコップを返却し。戻ってくるまで続いていた。レイチェルは思わず親子連れに話しかけた。
「あの、私、特等船室の切符を持っておりますの。特等船室の部屋が余っておりますので、もしよければ、ダブルブッキングしたお部屋は使節団の方に使っていただいて、特等船室を一緒に使いませんか?」
「いいんですか?」
女性が目を見開いてそう訪ねた。
レイチェルは微笑んで家族を受け入れた。
特当船室の言葉を聞いた子供たちが「特等船室!特等船室!」とはしゃいでいて、とても賑やかだった。
一家はピアース・リーという陸軍大佐を家長とした軍人一家だった。
リー家は次の寄港地、この国の第二の都市であるダーティプールで降りるとのことだった。ダーティープールまでは3日で到着する。
その間は賑やかな旅となった。リー大佐は元々、男爵家の次男で奥方はダーティープールの前市長の娘さんだということだった。
子供達も可愛らしく、中産階級の幸せな家庭そのものだった。
船では毎日ダンスパーティや晩餐会がくりひろげられる。
レイチェルは当初、それらに出るつもりはなかった。
しかし、リー一家がぜひ参加したいと言うものだから、レイチェルは絆されてダーティープールに着港する前日の晩餐会に一家と参加することになった。
晩餐会は決まった席に着くが、テーブルに着く前に軽食と食前酒を嗜む立食の時間がある。
そこでのゲスト同士の相性を見て臨機応変に席順を決めるのである。
リー家とチーズを嗜んでいると乗船前にリー家といざこざを起こしていたガイアの使節団がレイチェルに話しかけてきた。
ガイアの使節団は4名で恰幅の良い年嵩の紳士の他は若者ばかりであった。立ち居振る舞いから上流階級の子弟なのであろうことがわかる。
社交界に出れば人気が出そうな雰囲気の青年たちである。
はじめはダブルブッキングをおさめたことについて礼を言われた。
そして、使節団の中心となる年嵩の紳士に
「フィオラ・ワームテール姫はガイアの言葉があまり得意ではないと言う話は本当だったんですね」と少し曇った顔で言われてしまった。
すると3人の若者の中で一番鋭い顔をした黒髪の青年が少し口元を歪ませながら
「それにしてもお一人でガイアに向かわれるなど覚悟がおありだ。」
と言った。
彼らはレイチェルがこの船に乗っている理由を正しく理解しているようである。
そして、レイチェルがフィオラ・ワームテールだと信じて疑わないようである。
そう、レイチェルはこの船に「フィオラ・ワームテール」として乗船していた。
フィオラ・ワームテールというのはもちろんガイア大使の娘フィオラである。
彼女はほとんどこの国で育ったためガイアの言葉が苦手だった。それにフィオラとレイチェルは印象こそ違うものの髪の色も眼の色も同じであり、さらに背格好もよく似ていた。だから、フィオラとレイチェルは入れ替わることにしたのだ。
***
レイチェルはダイアンに誘われることが増えてフィオラとの距離が開いたことに少しホッとしていた。
初めて会った時のフィオラは瑕疵のあるレイチェルにも優しくしてくれる令嬢だと思った。
ダニエルと噂があるもののレイチェルに後ろめたさを感じていない様子から、きっと皆の思い違いに違いないと思っていた。
しかし、どうやらフォオラは単純に他人がどう考えているのかに興味がないだけのようだった。
純真で無垢で愛らしいと言えばそうなのだが、自分の行動が他人を傷つけているとまで考えが至らない。
ダニエルとレイチェルが夜会に参加をして二人で過ごしていると必ず話しかけてきて最終的にレイチェルが壁の花になる事も気にしていないようだった。その時が楽しければそれで良い、とそんな態度で、やっと社交界のルールを身につけたばかりのレイチェルから見ると少し危うか感じてしまう。
社交界に戻った時には気にならなかったがよく観察していると良識ある令嬢からは一線を引いてのお付き合いをされているようだった。
だからレイチェルはダニエルに何か言われても茶会にフィオラを呼ぶことを戸惑っていた。
そうしているうちにフィオラの置かれている状況も少しずつ変化があった。フィオラの祖国のガイアで内紛が勃発し、明らかに他のみんなもフィオラから距離を取り始めたのだ。
遂にはガイアの大使であるフィオラの父にも帰国命令が出た。フィオラの父はガイアで内紛に妻子が巻き込まれることを心配し、妻と子をこの国に残し一人で帰国の途についた。
この瞬間からフィオラはガイア貴族という後ろ盾を失った。そうして、フィオラに招待状を送る者は居なくなった。
そんなある日のダニエルとの茶会で彼はフィオラを茶会に誘うようにとレイチェルに言ってきた。
しかし、何より今のワームテール家には茶会に出るだけの体力が残っていないだろう。
男性はあまりその辺りの詳しいことを知らないのかもしれないが、茶会には茶会のルールがあり、何かとお金が掛かるものなのである。国がどうなるかわからない状況だと、少しでも財産は残しておきたいはずである。
この状況で茶会に誘うなど嫌がらせでしかない。
レイチェルはダニエルが独断でレイチェルに言ってきているのだと判断した。そして、社交界に出てこなくなったフィオラに会うためにレイチェルを使おうとしているのだと、そう解釈した。
ダニエルはフィオラに恋をしている。そして恋は盲目で、時に残酷でもある。
ガイアでの内紛は革命軍が政府を征圧し勝利をおさめた。王家は斬首刑となり、裁かれる前に無惨にもなぶり殺された者も多かった。
フィオラは国からの送金が完全に途絶え、これまでの生活を維持するどころか明日食べるものにも困るようになっていた。
少しずつ身の回りのものを売ってなんとかやりくりしていたらしいのだが、それも送金が止まってから三ヶ月目には底をついた。
そんなフィオラとフィオラの母に救いの手を差し伸べたのはダニエルだった。
レイチェルは詳しく経緯を知らないが、ダニエルが郊外にある侯爵家の狩用の屋敷に二人をかくまっている、と茶会で聞いた時はかなり驚いた。
狩り場であるセイントスプリングの森の周辺は貴族の別荘が多くある。
ダニエルとフィオラが森を散歩している姿を見た者が居たそうで、二人の噂は瞬く間に広がった。
「ダニエル様はお優しいですので、知人の窮地に見捨てることなど出来ないのでしょう。」
レイチェルは自分に言い聞かせるようにそう言いまわった。
「ダニエル様はレイチェル様の家に入られるのでしょう?不誠実ではなくて?」
と言ってくれる人も居たが、ダニエルがレイチェルと結婚しなかったとしても伯爵家を継ぐことはみんなが知っていて、どこか二人の悲恋をエンターテイメントのように見ている令嬢も多かった。
「もし、ダニエル様から婚約の解消についてお話がありましたら、私はすぐに応じる所存ですわ。」と。
レイチェルはこの台詞を何度言って回っただろうか。お互いに心がないのだから、ダニエルの不誠実はそれほどのダメージではない、と示したのだ。
これで少しはダニエルが社交界で後ろ指をさされなければ良い。たとえ、レイチェルが「伯爵令嬢が冷たい女性だからダニエルが他に心を移しても仕方がないのだ」と言われたとしてもそれで構わなかった。
このような噂があってもダニエルとの婚約者としての交流は続いた。
ダニエルにも噂のことは耳に届いているだろうに二人の茶会はまるでそんなことなかったかのようにいつも通り進んだ。
いつも通り週に一度、きっかり一時間のペースで開かれ、
いつも通りの穏やかな会話をし
いつも通りレイチェルを見つめるダニエルの目は凪いでいた。
フィオラと過ごすダニエルは時間を忘れて情熱的な会話を交わし、恋の炎が宿る目で彼女を見つめるのだろうと思うと心が苦しかった。
そんな若者の噂が父の耳にも届いたのだろう。
ある日、レイチェルは父に呼び出された。
レイチェルが父と面と向かって話をするのはこれで何度目だろうか。
久しぶりに向かい合った父は少しくたびれて見えた。
「噂を聞いた。」
レイチェルと接する父はいつも怒っている。
「ダニエルと別れたがっているのだそうだな。」
「そのような事実はありません。」
レイチェルが初めて反論したからか驚いたように父はレイチェルを見た。
「ただ、ダニエル様がフィオラ嬢に恋をしていらっしゃると噂になっております。ダニエル様はこの家を継がれる大切な方。不誠実なことをする男だと思われるよりは、私とダニエル様の間に心などなく、私を裏切ったわけではないと思われる方が良いのではないかと判断いたしました。」
父はレイチェルを見てため息をついた。
「それで、ダニエルとフィオラ嬢が結ばれて、お前はどうする?お前は爵位を継げないし、これまでの評判も良くない。その上、将来この家を継ぐダニエルとの関係も良くないと思われれば嫁の貰い手はないぞ。」
貴族の結婚は家と家との繋がり。
将来こと家を継ぐダニエルとの不仲はレイチェルにとってはマイナスでしかない。
父はもう一度大きなため息をついた。
レイチェルは思っていたことを言った。
「もし、そうなった時、庭師として雇っていただけますか?」
すると父は大きな声を出して叫んだ。
「ふざけているのか!」
レイチェルはなぜ父が叫んだのかよくわからなかった。
レイチェルは貴族社会では生きていけないだろう。そうなった時、レイチェルは身を立てていかなければならない。
爵位を持たない貴族女性が一人で身を立てるには選択肢が少ない。女官になるか家庭教師になるか修道女になるか、庭師になろうという令嬢は確かに珍しいだろう。
そのような人間をブロスナン伯爵家から出すのは恥だと思ったのかもしれない。
特等船室はとても広かった。そもそも、特等船室に乗るような金持ち達は1人で旅行なんてしない。
侍女やメイド、従者も同じエリアで寝泊まり出来るよう特等船室の中もいくつかの部屋に分かれている。
特等船室のチケット一枚で10人は泊まれる作りになっているのだ。
と、その時、レイチェルは紅茶のカップを持ってきてしまった事に気がついた。
レイチェルが払った額でカップを買ってもお釣りが来るだろうが、まだ時間はあるので置きに戻る事にした。
すると、船の乗り場で数名の男女が押し問答しているところに遭遇した。
タラップを歩く時にエスコートしてくれた係員に「どうしたのかしら?」と聞くと、「ダブルブッキングが起きたみたいで」と眉を顰めた。
「私たちは隣国の使節団です。この船に乗って帰らないとならないのです」
と少しカタコトの言葉で男性が言うと
「父が危篤なのです。次の船を待っていてはきっとこの子達はお祖父様に会えないですわ」
先ほどカフェで見た家族の母親が涙ながらに訴えた。
どうやらどちらもこの船にに乗らなくてはいけない事情があるらしい。
言い争いはレイチェルがコップを返却し。戻ってくるまで続いていた。レイチェルは思わず親子連れに話しかけた。
「あの、私、特等船室の切符を持っておりますの。特等船室の部屋が余っておりますので、もしよければ、ダブルブッキングしたお部屋は使節団の方に使っていただいて、特等船室を一緒に使いませんか?」
「いいんですか?」
女性が目を見開いてそう訪ねた。
レイチェルは微笑んで家族を受け入れた。
特当船室の言葉を聞いた子供たちが「特等船室!特等船室!」とはしゃいでいて、とても賑やかだった。
一家はピアース・リーという陸軍大佐を家長とした軍人一家だった。
リー家は次の寄港地、この国の第二の都市であるダーティプールで降りるとのことだった。ダーティープールまでは3日で到着する。
その間は賑やかな旅となった。リー大佐は元々、男爵家の次男で奥方はダーティープールの前市長の娘さんだということだった。
子供達も可愛らしく、中産階級の幸せな家庭そのものだった。
船では毎日ダンスパーティや晩餐会がくりひろげられる。
レイチェルは当初、それらに出るつもりはなかった。
しかし、リー一家がぜひ参加したいと言うものだから、レイチェルは絆されてダーティープールに着港する前日の晩餐会に一家と参加することになった。
晩餐会は決まった席に着くが、テーブルに着く前に軽食と食前酒を嗜む立食の時間がある。
そこでのゲスト同士の相性を見て臨機応変に席順を決めるのである。
リー家とチーズを嗜んでいると乗船前にリー家といざこざを起こしていたガイアの使節団がレイチェルに話しかけてきた。
ガイアの使節団は4名で恰幅の良い年嵩の紳士の他は若者ばかりであった。立ち居振る舞いから上流階級の子弟なのであろうことがわかる。
社交界に出れば人気が出そうな雰囲気の青年たちである。
はじめはダブルブッキングをおさめたことについて礼を言われた。
そして、使節団の中心となる年嵩の紳士に
「フィオラ・ワームテール姫はガイアの言葉があまり得意ではないと言う話は本当だったんですね」と少し曇った顔で言われてしまった。
すると3人の若者の中で一番鋭い顔をした黒髪の青年が少し口元を歪ませながら
「それにしてもお一人でガイアに向かわれるなど覚悟がおありだ。」
と言った。
彼らはレイチェルがこの船に乗っている理由を正しく理解しているようである。
そして、レイチェルがフィオラ・ワームテールだと信じて疑わないようである。
そう、レイチェルはこの船に「フィオラ・ワームテール」として乗船していた。
フィオラ・ワームテールというのはもちろんガイア大使の娘フィオラである。
彼女はほとんどこの国で育ったためガイアの言葉が苦手だった。それにフィオラとレイチェルは印象こそ違うものの髪の色も眼の色も同じであり、さらに背格好もよく似ていた。だから、フィオラとレイチェルは入れ替わることにしたのだ。
***
レイチェルはダイアンに誘われることが増えてフィオラとの距離が開いたことに少しホッとしていた。
初めて会った時のフィオラは瑕疵のあるレイチェルにも優しくしてくれる令嬢だと思った。
ダニエルと噂があるもののレイチェルに後ろめたさを感じていない様子から、きっと皆の思い違いに違いないと思っていた。
しかし、どうやらフォオラは単純に他人がどう考えているのかに興味がないだけのようだった。
純真で無垢で愛らしいと言えばそうなのだが、自分の行動が他人を傷つけているとまで考えが至らない。
ダニエルとレイチェルが夜会に参加をして二人で過ごしていると必ず話しかけてきて最終的にレイチェルが壁の花になる事も気にしていないようだった。その時が楽しければそれで良い、とそんな態度で、やっと社交界のルールを身につけたばかりのレイチェルから見ると少し危うか感じてしまう。
社交界に戻った時には気にならなかったがよく観察していると良識ある令嬢からは一線を引いてのお付き合いをされているようだった。
だからレイチェルはダニエルに何か言われても茶会にフィオラを呼ぶことを戸惑っていた。
そうしているうちにフィオラの置かれている状況も少しずつ変化があった。フィオラの祖国のガイアで内紛が勃発し、明らかに他のみんなもフィオラから距離を取り始めたのだ。
遂にはガイアの大使であるフィオラの父にも帰国命令が出た。フィオラの父はガイアで内紛に妻子が巻き込まれることを心配し、妻と子をこの国に残し一人で帰国の途についた。
この瞬間からフィオラはガイア貴族という後ろ盾を失った。そうして、フィオラに招待状を送る者は居なくなった。
そんなある日のダニエルとの茶会で彼はフィオラを茶会に誘うようにとレイチェルに言ってきた。
しかし、何より今のワームテール家には茶会に出るだけの体力が残っていないだろう。
男性はあまりその辺りの詳しいことを知らないのかもしれないが、茶会には茶会のルールがあり、何かとお金が掛かるものなのである。国がどうなるかわからない状況だと、少しでも財産は残しておきたいはずである。
この状況で茶会に誘うなど嫌がらせでしかない。
レイチェルはダニエルが独断でレイチェルに言ってきているのだと判断した。そして、社交界に出てこなくなったフィオラに会うためにレイチェルを使おうとしているのだと、そう解釈した。
ダニエルはフィオラに恋をしている。そして恋は盲目で、時に残酷でもある。
ガイアでの内紛は革命軍が政府を征圧し勝利をおさめた。王家は斬首刑となり、裁かれる前に無惨にもなぶり殺された者も多かった。
フィオラは国からの送金が完全に途絶え、これまでの生活を維持するどころか明日食べるものにも困るようになっていた。
少しずつ身の回りのものを売ってなんとかやりくりしていたらしいのだが、それも送金が止まってから三ヶ月目には底をついた。
そんなフィオラとフィオラの母に救いの手を差し伸べたのはダニエルだった。
レイチェルは詳しく経緯を知らないが、ダニエルが郊外にある侯爵家の狩用の屋敷に二人をかくまっている、と茶会で聞いた時はかなり驚いた。
狩り場であるセイントスプリングの森の周辺は貴族の別荘が多くある。
ダニエルとフィオラが森を散歩している姿を見た者が居たそうで、二人の噂は瞬く間に広がった。
「ダニエル様はお優しいですので、知人の窮地に見捨てることなど出来ないのでしょう。」
レイチェルは自分に言い聞かせるようにそう言いまわった。
「ダニエル様はレイチェル様の家に入られるのでしょう?不誠実ではなくて?」
と言ってくれる人も居たが、ダニエルがレイチェルと結婚しなかったとしても伯爵家を継ぐことはみんなが知っていて、どこか二人の悲恋をエンターテイメントのように見ている令嬢も多かった。
「もし、ダニエル様から婚約の解消についてお話がありましたら、私はすぐに応じる所存ですわ。」と。
レイチェルはこの台詞を何度言って回っただろうか。お互いに心がないのだから、ダニエルの不誠実はそれほどのダメージではない、と示したのだ。
これで少しはダニエルが社交界で後ろ指をさされなければ良い。たとえ、レイチェルが「伯爵令嬢が冷たい女性だからダニエルが他に心を移しても仕方がないのだ」と言われたとしてもそれで構わなかった。
このような噂があってもダニエルとの婚約者としての交流は続いた。
ダニエルにも噂のことは耳に届いているだろうに二人の茶会はまるでそんなことなかったかのようにいつも通り進んだ。
いつも通り週に一度、きっかり一時間のペースで開かれ、
いつも通りの穏やかな会話をし
いつも通りレイチェルを見つめるダニエルの目は凪いでいた。
フィオラと過ごすダニエルは時間を忘れて情熱的な会話を交わし、恋の炎が宿る目で彼女を見つめるのだろうと思うと心が苦しかった。
そんな若者の噂が父の耳にも届いたのだろう。
ある日、レイチェルは父に呼び出された。
レイチェルが父と面と向かって話をするのはこれで何度目だろうか。
久しぶりに向かい合った父は少しくたびれて見えた。
「噂を聞いた。」
レイチェルと接する父はいつも怒っている。
「ダニエルと別れたがっているのだそうだな。」
「そのような事実はありません。」
レイチェルが初めて反論したからか驚いたように父はレイチェルを見た。
「ただ、ダニエル様がフィオラ嬢に恋をしていらっしゃると噂になっております。ダニエル様はこの家を継がれる大切な方。不誠実なことをする男だと思われるよりは、私とダニエル様の間に心などなく、私を裏切ったわけではないと思われる方が良いのではないかと判断いたしました。」
父はレイチェルを見てため息をついた。
「それで、ダニエルとフィオラ嬢が結ばれて、お前はどうする?お前は爵位を継げないし、これまでの評判も良くない。その上、将来この家を継ぐダニエルとの関係も良くないと思われれば嫁の貰い手はないぞ。」
貴族の結婚は家と家との繋がり。
将来こと家を継ぐダニエルとの不仲はレイチェルにとってはマイナスでしかない。
父はもう一度大きなため息をついた。
レイチェルは思っていたことを言った。
「もし、そうなった時、庭師として雇っていただけますか?」
すると父は大きな声を出して叫んだ。
「ふざけているのか!」
レイチェルはなぜ父が叫んだのかよくわからなかった。
レイチェルは貴族社会では生きていけないだろう。そうなった時、レイチェルは身を立てていかなければならない。
爵位を持たない貴族女性が一人で身を立てるには選択肢が少ない。女官になるか家庭教師になるか修道女になるか、庭師になろうという令嬢は確かに珍しいだろう。
そのような人間をブロスナン伯爵家から出すのは恥だと思ったのかもしれない。
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