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番外
ウラジーミルの憂い
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ウラジーミル・ツルゲーネフはツルゲーネフ公爵家の次男で王太子の側近をしている。
王太子であるアレクサンドルと初めて会ったのは彼が18、アレクサンドルが13の頃だった。
学園を卒業してすぐ側近候補として面会をしそのまま側近となった。
13のアレクサンドルは思春期を拗らせていて、母を嫌い、あてがわれた婚約者を大層疎んでいた。
出会ってすぐの頃、王太子はこう言っていた。
「母のことを意味なく嫌っているわけではありません。あの人は清貧を私にも強いてくる。私とて別に贅沢をしたいわけではない。ただ、私は毎日、剣の訓練をしているし、母が言う食事だけでは夜までもたない。それに、あの人だって私の歳の頃はちゃんとした食事をしていたはずだ。13の私にあの食事を強いてくるのは納得がいかない。母はいつもお腹を空かせているせいか凄く怒りっぽいし、あまり近付きたくない。」
王妃の毎日の食事はパンに野菜スープという質素なもので、アレクサンドルにもそれを強いてくるらしい。確かに13のアレクサンドルには物足りず、時には肉も食べたくなる。
アレクサンドルが料理長にこっそりお願いをし、肉を食べていると王妃はヒステリーを起こす。
外では賢妃と言われている王妃だが、苛烈でヒステリックな性格をしていた。
アレクサンドルが王妃を嫌っていても仕方がないとウラジーミルは考えていた。
それに比べるとアレクサンドルが婚約者のカテリーナを疎む理由は薄いように思われた。
カテリーナは王妃を慕っていて王妃もカテリーナを可愛がっている、ただそれだけの事実のためにアレクサンドルはカテリーナときちんと会話もせず蔑ろにしている。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
というところなのだろうが、アレクサンドルは積極的に婚約の解消に動こうともしなかった。
カテリーナは王妃のお気に入りで彼女が居ると王妃が穏やかなため婚約者の位置にいてもらって悪くない存在だったのだろう。
その間にもカテリーナの教育は進み、婚約者としての期間が長くなればなるほど婚約の解消は難しくなる。
ウラジーミルから何度か嫌いなら婚約の解消をするかちゃんと婚約者として向き合った方がいいと進言したがアレクサンドルはのらりくらりとしていた。
ウラジーミルは蔑ろにされる婚約者が可哀想でならなかった。
アレクサンドルが学園に入学する15の頃にはウラジーミルはアレクサンドルの信頼を得て、他愛もない話を砕けた口調で言い合える仲になっていた。
アレクサンドルは王宮での教育でそうなるように仕向けられているのか表面的なことをこなすのは得意だが深く考えない。王というシンボルとして誰かの威のままに動くには良いが、学園という多くの者が集まる場で変な影響を受けないか心配だった。
そしてその心配が現実のものとなった。
マリア・パラディンという子爵家の女に心酔してしまったのだ。
ウラジーミルが何度あの女は危険ですと言っても聞く耳を持たない。女性とあまり近付くのはカテリーナ様がどう思われるか、というアプローチで嗜めたこともあるがこれが悪い方に作用したのか、この頃からアレクサンドルはカテリーナとの面会をすっぽかすようになっていった。
学園ではアレクサンドルとマリアが恋仲だという噂が流れ、カテリーナは同級生たちからも遠巻きに接せられるようになっていた。
ウラジーミルから見た2人の関係は恋人というよりも教祖と信者と言った方が良い関係だった。
もっともアレクサンドルの心酔具合はなかなかのものだったのでマリアが色仕掛けをすればあえなく陥落していだだろう。しかし、マリアはアレクサンドルをただの駒としか見ていなかった。
この時、アレクサンドルはおそらく初恋もまだだった。
はじめはマリアを警戒していたウラジーミルだが、彼女が私利私欲のためというよりは国を変えたいという思いで動いていると知ってからは、私利私欲にまみれた変な貴族にアレクサンドルが懐柔されるくらいならマリアに洗脳されていた方がマシなのではないかと思うようになりアレクサンドルにマリアとの関係を咎めなくなった。
これまでウラジーミルに咎められていたから意地になっていた部分があったらしいアレクサンドルはウラジーミルが咎めなくなってから、すんと正気を取り戻し、次第にマリアは恐ろしいと言うようになった。
しかし、近くで彼女を見てきたアレクサンドルは彼女を野放しにすることができず、側妃として迎え入れるから王体制を解体することはやめてほしいと訴えていた。
遠く西の国で革命が起こり王の首が斬られたという話題が届いた頃でもあった。
彼女を取り込まなければ王制自体が壊されてしまうだろう。そうならないためにマリアに中から変えてもらう必要がある。
中から変えるとしても多少の犠牲はあるだろうが、革命によって多くの命が犠牲になるよりはましだろう。
ウラジーミルから見ても彼女を王家に取り込むという判断は間違っていないように思えた。
アレクサンドルははじめ、カテリーナとの婚約を解消してマリアを正妃にした方が良いのではないかと考えていたようだが、それを咎めたのはマリアだった。
マリアは以前からカテリーナのことを買っている。
それは言葉の端々から感じられた。
半ばマリアからの洗脳もありアレクサンドルはすんなりとカテリーナと結婚をした。
マリアはまだ側妃にはなっていないものの、宮殿内で勢力を伸ばしていた。
マリアが初めに行ったのは重鎮たちの勢力を削ぐことだった。古くからある貴族なら誰もが手を染めている程度の不正を取り締まるように事を運んだ。
その際、矢面に立たされたのがカテリーナのチシャモ公爵家だった。
別の家でも良かったはずだがマリアはあえてチシャモ公爵家を選んだはずだ。
その理由について彼女が側近のクラフツ卿と話をしていたのを漏れ聞いたところによるとこんなことを言っていた。
「カテリーナ様が可哀想であればあるほど、古狸たちは彼女を応援したくなるでしょう?カテリーナ様を応援しているつもりで私の政策に乗ってくれれば良いのよ。悪妃マリアを倒すつもりでカテリーナ様側に加担して、それが結局我々の養分になるならラベルはどうでもいいの。」
と。
マリアはカテリーナをよく観察し、彼女の性格を緻密に分析していた。マリアにとってカテリーナはこの王宮で望みを達成するための一等大切なコマだったに違いない。
彼女とアレクサンドルとの結婚は当初からの既定路線だったため滞りなく進んだ。アレクサンドルの周辺はマリアの一挙手一投足に敏感になっていた。そのため、ウラジーミルでさえカテリーナの存在をあまり気にかけていなかった。
マリアはカテリーナに共感しない層をマリア派にすべく、マリアの衣装、行動、話し方は細部まで計算し尽くされていたはずである。
マリアがカテリーナさえ着たことのない紫色の衣装を身に纏ったのもその一貫だろう。
あの行動は高位貴族からは不評だったし表立って褒めるものは居なかったが日頃、王家や高位貴族に不満を抱いている低位の貴族には彼らに抗うアイコンとして響いたはずである。
マリアが唯一思い通りに動かせていなかったのがカテリーナとの対面だった。
彼女の計画のためには表立って仲良くする事はできない。だから学園内でもマリアからカテリーナに接触することはなかった。
おそらくマリアは慢心していたのだ。カテリーナの性格は把握しているから、一度あえば簡単に引き込めると。アレクサンドルを動かし、王宮の中で秘密裏に面会するなど造作もないことだと。
それよりはマリアがまだ侮られているうちに宮廷内の勢力を広める方に力を入れたかったのだ。
しかし、アレクサンドルはマリアの思うようには動かず勝手にカテリーナを王宮の外に出した。
マリアが執拗にカテリーナとの面会を望むことに対し、アレクサンドルはカテリーナがマリアに何かしたのではないかと思ったらしい。
カテリーナを外に出したのはマリアを守るためというよりはマリアによるカテリーナへの報復を恐れたためだろう、というのがウラジーミルの見解である。
その後、アレクサンドルがカテリーナの離宮に行く気になるように仕向けたのも、そこでアレクサンドルがカテリーナに恋に落ちるように仕向けたのもおそらくはマリアである。
あの場面で平民がカテリーナについて王太子に訴えるなど普通はできない。誰かが裏で糸を引いていたのだと考えるのが自然だろう。
ウラジーミルはアレクサンドルがマリアに操られていたとしても、丸く治るならそれでいいと思っていた。
しかし予定外なことに恋に落ちたアレクサンドルは無駄に行動力があった。マリアとしては恋に落ちたアレクサンドルが再びカテリーナを宮殿に戻しさえしてくれれば良かったのだ。
しかし、アレクサンドルはマリアの思惑から外れた行動を取り始めた。つまり、カテリーナとの逢瀬を楽しみ、カテリーナに好かれようとしだしたのだ。
そして、誰も予想していなかったことにカテリーナもまたアレクサンドルに恋をしたのだ。
恋は人を愚かにする。
カテリーナは王太子妃という立場にありながら離宮からクラスーヌイの第二宮殿にうつり、アレクサンドルが彼女を追いかける。
2人の政務は滞ったが、それをマリアが捌いた。マリアは宮殿の文官と信頼を築けたのでこういうのも悪くはないと表向きは言っていた。
しかし、内心、彼女の計画が頓挫するのではないかと気が気ではないはずだった。
後から聞いた話ではカテリーナの代わりに高位貴族で駒にできそうな人材が居ないかと密かに選定していたらしい。
しかし、カテリーナに代わる人材は居なかった。
第二宮殿でのアレクサンドルの行動は恋に落ちた愚かな男そのものだった。
宮殿で純粋培養されて育ったアレクサンドルは女性との距離の詰めかたを全く理解していなかった。
ウラジーミルはここでの2人のやりとりは長期戦になると思っていた。しかし、あっさりとカテリーナの出奔という形でクラスーヌイでの戦いは終わった。
カテリーナがどこに行ったかわからなかった間、アレクサンドルは使い物にならず、またマリアだけに公務の負担が掛かるようになった。
マリアは優秀だったし、文句一つこぼさず公務に励む姿を見た人はだれもマリアを悪妃だとは言わなくなった。
表向きマリアを嫌っているはずの王妃でさえマリアに労いの言葉をかけたという噂がクラスーヌイの第二宮殿にまで届いた。
マリアはアレクサンドルとカテリーナなしで基盤を築き始めていた。
数ヶ月してカテリーナが南の帝国に居るという話が彼の国の大使から届いた際、アレクサンドルはすぐにでもポランスキに行きたがった。しかし、マリアはカテリーナが市井に降りたのではなく隣国の親戚に匿われていることに一筋の光明を見出したらしい。
アレクサンドルはマリアによって王宮に連れ戻され、何日かかけてマリアによる対カテリーナ作戦を叩き込まれた後、やっとポランスキに行くことができた。
その間、ウラジーミルは大変な量の公式書類を作成し、夜遅くまでポランスキとやり取りをしなくてはならなかった。
マリアとウラジーミルの見立てではアレクサンドルがカテリーナの心を掴む確率はほぼないと見ていた。
それでも、アレクサンドルがカテリーナに謝罪し、ラッシースカヤに戻るように言えば、情に脆いカテリーナは戻ってくれることだろうと、マリアが取った作戦はそはこにのっとったものだった。
そのためアレクサンドルには誠意ある距離感で接するようにと何度も伝えたはずだった。
しかし、アレクサンドルとカテリーナが2人で話している少しの時間に2人の距離は縮まり、ウラジーミルが部屋に入った時には口付けまで交わしていた。
アレクサンドルがやらかしたか、と思ったがそうではなくカテリーナがアレクサンドルを受け入れたらしい。信じられないことに2人はまるで昔からの恋人同士のような態度だった。
ウラジーミルとマリアはカテリーナの出奔がアレクサンドルへの怒りから来ているのだと思っていたがアレクサンドルに対する感情への戸惑いからだったらしい。
カテリーナはラッシースカヤに戻った。
しかし、マリアを恐れているアレクサンドルはカテリーナと第二宮殿で過ごすことを選んだ。
これにはマリアが怒り心頭だとクラフツ卿からウラジーミルに何度も手紙が届いた。
マリアが喉から手が出るほど欲しかったカテリーナという駒がアレクサンドルによって足止めされているのだ。
マリアはカテリーナを駒として使うことを諦め別の道を探った方が良いのかと考え始めたらしい。
しかし、今のマリアの人格はカテリーナを駒として使いながら王宮で上手く勢力を手に入れるために作られたものである。
カテリーナが使えなかった時にカテリーナの代わりになる有効な駒はなかなかない。カテリーナを諦めた時、マリアは簡単に王家を裏切るだろう。
アレクサンドルはその事に気付いていない。
ウラジーミルがアレクサンドルに提言すればするほどアレクサンドルはウラジーミルをマリアのシンパだとみなし、声が届かなくなっていた。
それでも春の園遊会のタイミングでアレクサンドルが王宮に戻ると言い、カテリーナも当然同行することになった。
カテリーナが戻ってくることを手ぐすねを引いて待っていたマリアは嫌がらせのようにアレクサンドルに公務を入れ込み、カテリーナと2人で会うことに成功した。
そうして予想通りというのか何なのかカテリーナはマリアとのたった一度の面会でマリアの考えに共感してしまったらしい。
クラスーヌイから王宮に来た当初は園遊会が終わればクラスーヌイに戻るつもりだったアレクサンドルはカテリーナがマリアを気に入ったため王宮に残ることに決めたようだ。
マリアが仕事を代替してくれるとは言え王太子が首都にいなくては滞りがあるので文官たちはこの決断を大変歓迎した。
ウラジーミルはクラスーヌイに残した2人の私物を確認するためにクラスーヌイに派遣されることになった。
クラスーヌイに向かう馬車に揺られながら思う。
ウラジーミルは今、帰路に立たされていると。
アレクサンドルにはマリアのシンパとみなされていて側近としての信頼を失いつつある。
マリアからは喰えない男ねと少し距離を置かれている。
どちらにせよ自分の王宮でのキャリアは明るいとは言えなかった。
馬車の外に見える景色はクラスーヌイに近づくたび春の色を濃くしていった。
ワタリドリが北に戻っていく。
自分も職を辞して久しぶりに領土に帰ってみようか。
明るい陽気に照らされた馬車の中でウラジーミルは自分の将来を憂いていた。
王太子であるアレクサンドルと初めて会ったのは彼が18、アレクサンドルが13の頃だった。
学園を卒業してすぐ側近候補として面会をしそのまま側近となった。
13のアレクサンドルは思春期を拗らせていて、母を嫌い、あてがわれた婚約者を大層疎んでいた。
出会ってすぐの頃、王太子はこう言っていた。
「母のことを意味なく嫌っているわけではありません。あの人は清貧を私にも強いてくる。私とて別に贅沢をしたいわけではない。ただ、私は毎日、剣の訓練をしているし、母が言う食事だけでは夜までもたない。それに、あの人だって私の歳の頃はちゃんとした食事をしていたはずだ。13の私にあの食事を強いてくるのは納得がいかない。母はいつもお腹を空かせているせいか凄く怒りっぽいし、あまり近付きたくない。」
王妃の毎日の食事はパンに野菜スープという質素なもので、アレクサンドルにもそれを強いてくるらしい。確かに13のアレクサンドルには物足りず、時には肉も食べたくなる。
アレクサンドルが料理長にこっそりお願いをし、肉を食べていると王妃はヒステリーを起こす。
外では賢妃と言われている王妃だが、苛烈でヒステリックな性格をしていた。
アレクサンドルが王妃を嫌っていても仕方がないとウラジーミルは考えていた。
それに比べるとアレクサンドルが婚約者のカテリーナを疎む理由は薄いように思われた。
カテリーナは王妃を慕っていて王妃もカテリーナを可愛がっている、ただそれだけの事実のためにアレクサンドルはカテリーナときちんと会話もせず蔑ろにしている。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
というところなのだろうが、アレクサンドルは積極的に婚約の解消に動こうともしなかった。
カテリーナは王妃のお気に入りで彼女が居ると王妃が穏やかなため婚約者の位置にいてもらって悪くない存在だったのだろう。
その間にもカテリーナの教育は進み、婚約者としての期間が長くなればなるほど婚約の解消は難しくなる。
ウラジーミルから何度か嫌いなら婚約の解消をするかちゃんと婚約者として向き合った方がいいと進言したがアレクサンドルはのらりくらりとしていた。
ウラジーミルは蔑ろにされる婚約者が可哀想でならなかった。
アレクサンドルが学園に入学する15の頃にはウラジーミルはアレクサンドルの信頼を得て、他愛もない話を砕けた口調で言い合える仲になっていた。
アレクサンドルは王宮での教育でそうなるように仕向けられているのか表面的なことをこなすのは得意だが深く考えない。王というシンボルとして誰かの威のままに動くには良いが、学園という多くの者が集まる場で変な影響を受けないか心配だった。
そしてその心配が現実のものとなった。
マリア・パラディンという子爵家の女に心酔してしまったのだ。
ウラジーミルが何度あの女は危険ですと言っても聞く耳を持たない。女性とあまり近付くのはカテリーナ様がどう思われるか、というアプローチで嗜めたこともあるがこれが悪い方に作用したのか、この頃からアレクサンドルはカテリーナとの面会をすっぽかすようになっていった。
学園ではアレクサンドルとマリアが恋仲だという噂が流れ、カテリーナは同級生たちからも遠巻きに接せられるようになっていた。
ウラジーミルから見た2人の関係は恋人というよりも教祖と信者と言った方が良い関係だった。
もっともアレクサンドルの心酔具合はなかなかのものだったのでマリアが色仕掛けをすればあえなく陥落していだだろう。しかし、マリアはアレクサンドルをただの駒としか見ていなかった。
この時、アレクサンドルはおそらく初恋もまだだった。
はじめはマリアを警戒していたウラジーミルだが、彼女が私利私欲のためというよりは国を変えたいという思いで動いていると知ってからは、私利私欲にまみれた変な貴族にアレクサンドルが懐柔されるくらいならマリアに洗脳されていた方がマシなのではないかと思うようになりアレクサンドルにマリアとの関係を咎めなくなった。
これまでウラジーミルに咎められていたから意地になっていた部分があったらしいアレクサンドルはウラジーミルが咎めなくなってから、すんと正気を取り戻し、次第にマリアは恐ろしいと言うようになった。
しかし、近くで彼女を見てきたアレクサンドルは彼女を野放しにすることができず、側妃として迎え入れるから王体制を解体することはやめてほしいと訴えていた。
遠く西の国で革命が起こり王の首が斬られたという話題が届いた頃でもあった。
彼女を取り込まなければ王制自体が壊されてしまうだろう。そうならないためにマリアに中から変えてもらう必要がある。
中から変えるとしても多少の犠牲はあるだろうが、革命によって多くの命が犠牲になるよりはましだろう。
ウラジーミルから見ても彼女を王家に取り込むという判断は間違っていないように思えた。
アレクサンドルははじめ、カテリーナとの婚約を解消してマリアを正妃にした方が良いのではないかと考えていたようだが、それを咎めたのはマリアだった。
マリアは以前からカテリーナのことを買っている。
それは言葉の端々から感じられた。
半ばマリアからの洗脳もありアレクサンドルはすんなりとカテリーナと結婚をした。
マリアはまだ側妃にはなっていないものの、宮殿内で勢力を伸ばしていた。
マリアが初めに行ったのは重鎮たちの勢力を削ぐことだった。古くからある貴族なら誰もが手を染めている程度の不正を取り締まるように事を運んだ。
その際、矢面に立たされたのがカテリーナのチシャモ公爵家だった。
別の家でも良かったはずだがマリアはあえてチシャモ公爵家を選んだはずだ。
その理由について彼女が側近のクラフツ卿と話をしていたのを漏れ聞いたところによるとこんなことを言っていた。
「カテリーナ様が可哀想であればあるほど、古狸たちは彼女を応援したくなるでしょう?カテリーナ様を応援しているつもりで私の政策に乗ってくれれば良いのよ。悪妃マリアを倒すつもりでカテリーナ様側に加担して、それが結局我々の養分になるならラベルはどうでもいいの。」
と。
マリアはカテリーナをよく観察し、彼女の性格を緻密に分析していた。マリアにとってカテリーナはこの王宮で望みを達成するための一等大切なコマだったに違いない。
彼女とアレクサンドルとの結婚は当初からの既定路線だったため滞りなく進んだ。アレクサンドルの周辺はマリアの一挙手一投足に敏感になっていた。そのため、ウラジーミルでさえカテリーナの存在をあまり気にかけていなかった。
マリアはカテリーナに共感しない層をマリア派にすべく、マリアの衣装、行動、話し方は細部まで計算し尽くされていたはずである。
マリアがカテリーナさえ着たことのない紫色の衣装を身に纏ったのもその一貫だろう。
あの行動は高位貴族からは不評だったし表立って褒めるものは居なかったが日頃、王家や高位貴族に不満を抱いている低位の貴族には彼らに抗うアイコンとして響いたはずである。
マリアが唯一思い通りに動かせていなかったのがカテリーナとの対面だった。
彼女の計画のためには表立って仲良くする事はできない。だから学園内でもマリアからカテリーナに接触することはなかった。
おそらくマリアは慢心していたのだ。カテリーナの性格は把握しているから、一度あえば簡単に引き込めると。アレクサンドルを動かし、王宮の中で秘密裏に面会するなど造作もないことだと。
それよりはマリアがまだ侮られているうちに宮廷内の勢力を広める方に力を入れたかったのだ。
しかし、アレクサンドルはマリアの思うようには動かず勝手にカテリーナを王宮の外に出した。
マリアが執拗にカテリーナとの面会を望むことに対し、アレクサンドルはカテリーナがマリアに何かしたのではないかと思ったらしい。
カテリーナを外に出したのはマリアを守るためというよりはマリアによるカテリーナへの報復を恐れたためだろう、というのがウラジーミルの見解である。
その後、アレクサンドルがカテリーナの離宮に行く気になるように仕向けたのも、そこでアレクサンドルがカテリーナに恋に落ちるように仕向けたのもおそらくはマリアである。
あの場面で平民がカテリーナについて王太子に訴えるなど普通はできない。誰かが裏で糸を引いていたのだと考えるのが自然だろう。
ウラジーミルはアレクサンドルがマリアに操られていたとしても、丸く治るならそれでいいと思っていた。
しかし予定外なことに恋に落ちたアレクサンドルは無駄に行動力があった。マリアとしては恋に落ちたアレクサンドルが再びカテリーナを宮殿に戻しさえしてくれれば良かったのだ。
しかし、アレクサンドルはマリアの思惑から外れた行動を取り始めた。つまり、カテリーナとの逢瀬を楽しみ、カテリーナに好かれようとしだしたのだ。
そして、誰も予想していなかったことにカテリーナもまたアレクサンドルに恋をしたのだ。
恋は人を愚かにする。
カテリーナは王太子妃という立場にありながら離宮からクラスーヌイの第二宮殿にうつり、アレクサンドルが彼女を追いかける。
2人の政務は滞ったが、それをマリアが捌いた。マリアは宮殿の文官と信頼を築けたのでこういうのも悪くはないと表向きは言っていた。
しかし、内心、彼女の計画が頓挫するのではないかと気が気ではないはずだった。
後から聞いた話ではカテリーナの代わりに高位貴族で駒にできそうな人材が居ないかと密かに選定していたらしい。
しかし、カテリーナに代わる人材は居なかった。
第二宮殿でのアレクサンドルの行動は恋に落ちた愚かな男そのものだった。
宮殿で純粋培養されて育ったアレクサンドルは女性との距離の詰めかたを全く理解していなかった。
ウラジーミルはここでの2人のやりとりは長期戦になると思っていた。しかし、あっさりとカテリーナの出奔という形でクラスーヌイでの戦いは終わった。
カテリーナがどこに行ったかわからなかった間、アレクサンドルは使い物にならず、またマリアだけに公務の負担が掛かるようになった。
マリアは優秀だったし、文句一つこぼさず公務に励む姿を見た人はだれもマリアを悪妃だとは言わなくなった。
表向きマリアを嫌っているはずの王妃でさえマリアに労いの言葉をかけたという噂がクラスーヌイの第二宮殿にまで届いた。
マリアはアレクサンドルとカテリーナなしで基盤を築き始めていた。
数ヶ月してカテリーナが南の帝国に居るという話が彼の国の大使から届いた際、アレクサンドルはすぐにでもポランスキに行きたがった。しかし、マリアはカテリーナが市井に降りたのではなく隣国の親戚に匿われていることに一筋の光明を見出したらしい。
アレクサンドルはマリアによって王宮に連れ戻され、何日かかけてマリアによる対カテリーナ作戦を叩き込まれた後、やっとポランスキに行くことができた。
その間、ウラジーミルは大変な量の公式書類を作成し、夜遅くまでポランスキとやり取りをしなくてはならなかった。
マリアとウラジーミルの見立てではアレクサンドルがカテリーナの心を掴む確率はほぼないと見ていた。
それでも、アレクサンドルがカテリーナに謝罪し、ラッシースカヤに戻るように言えば、情に脆いカテリーナは戻ってくれることだろうと、マリアが取った作戦はそはこにのっとったものだった。
そのためアレクサンドルには誠意ある距離感で接するようにと何度も伝えたはずだった。
しかし、アレクサンドルとカテリーナが2人で話している少しの時間に2人の距離は縮まり、ウラジーミルが部屋に入った時には口付けまで交わしていた。
アレクサンドルがやらかしたか、と思ったがそうではなくカテリーナがアレクサンドルを受け入れたらしい。信じられないことに2人はまるで昔からの恋人同士のような態度だった。
ウラジーミルとマリアはカテリーナの出奔がアレクサンドルへの怒りから来ているのだと思っていたがアレクサンドルに対する感情への戸惑いからだったらしい。
カテリーナはラッシースカヤに戻った。
しかし、マリアを恐れているアレクサンドルはカテリーナと第二宮殿で過ごすことを選んだ。
これにはマリアが怒り心頭だとクラフツ卿からウラジーミルに何度も手紙が届いた。
マリアが喉から手が出るほど欲しかったカテリーナという駒がアレクサンドルによって足止めされているのだ。
マリアはカテリーナを駒として使うことを諦め別の道を探った方が良いのかと考え始めたらしい。
しかし、今のマリアの人格はカテリーナを駒として使いながら王宮で上手く勢力を手に入れるために作られたものである。
カテリーナが使えなかった時にカテリーナの代わりになる有効な駒はなかなかない。カテリーナを諦めた時、マリアは簡単に王家を裏切るだろう。
アレクサンドルはその事に気付いていない。
ウラジーミルがアレクサンドルに提言すればするほどアレクサンドルはウラジーミルをマリアのシンパだとみなし、声が届かなくなっていた。
それでも春の園遊会のタイミングでアレクサンドルが王宮に戻ると言い、カテリーナも当然同行することになった。
カテリーナが戻ってくることを手ぐすねを引いて待っていたマリアは嫌がらせのようにアレクサンドルに公務を入れ込み、カテリーナと2人で会うことに成功した。
そうして予想通りというのか何なのかカテリーナはマリアとのたった一度の面会でマリアの考えに共感してしまったらしい。
クラスーヌイから王宮に来た当初は園遊会が終わればクラスーヌイに戻るつもりだったアレクサンドルはカテリーナがマリアを気に入ったため王宮に残ることに決めたようだ。
マリアが仕事を代替してくれるとは言え王太子が首都にいなくては滞りがあるので文官たちはこの決断を大変歓迎した。
ウラジーミルはクラスーヌイに残した2人の私物を確認するためにクラスーヌイに派遣されることになった。
クラスーヌイに向かう馬車に揺られながら思う。
ウラジーミルは今、帰路に立たされていると。
アレクサンドルにはマリアのシンパとみなされていて側近としての信頼を失いつつある。
マリアからは喰えない男ねと少し距離を置かれている。
どちらにせよ自分の王宮でのキャリアは明るいとは言えなかった。
馬車の外に見える景色はクラスーヌイに近づくたび春の色を濃くしていった。
ワタリドリが北に戻っていく。
自分も職を辞して久しぶりに領土に帰ってみようか。
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最後の種明かしみたいな話で登場人物誰にも好感が持てなくなったわw
ヒーローはいつでも簡単に操られそうな間抜けっぽいし(特にマリアにその気がないだけでその気を出せば簡単に籠絡されていたとか、今でも操って思い通りに動かしてるとか、クズの部分よりもこの情けない頭弱そうな描写の方が個人的には激下がり)、ヒロインもヒロインで逃げた割には強い意志を持ってなくて正にチョロインだし、側妃は側妃で裏から牛耳ってヒーローヒロインを格下に見てていつでも裏切れそうだし
元サヤエンド好きだし途中まではわりと好きだったんだけど
タグ通りだから作者さんが悪い訳じゃないけど登場人物が想像以上でした
主要人物が誰も好きになれない物語も珍しいw
マリアの傲慢さに反吐が出る。
いつか特大の天罰が下ればいいのに。
マリア、サイコパスすぎ。他人を駒扱い。
ヒロインもヒーローも頭悪すぎな上に、無駄に行動的。
この国の未来、マリアにいいようにされる未来しかなくて、王太子とその正妃もお飾りの運命しかない。
バッドエンドだよね。