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第6章
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藤さん達が卒業して、ひと月もしないうちに今度は私が四年になって、見て見ぬふりをしてきた就活と卒論にそろそろ本腰をいれなきゃいけない季節になった。
サークルの代表は新しい三年へ本格的に代替わりして、未だに内定をもらえていない私は就活と卒論を理由に、これまでぼちぼちだったサークルへは顔を出さなくなっていた。四年になってから二ヶ月経つけど、一度も行っていない。だから今年入った一年生の顔も名前もわからない。
それでも毎週金曜日にユウマくんが部屋へ来るのは変わらず、私達の関係も相変わらずだった。
三月にカフェで見た光景については、聞けないでいた。
もしかしたらユウマくんじゃないかもしれないと時間が経つにつれて自分を納得させて、だけどそういうときに限って知りたくもない情報が人づてに流れ込んできていた。
本人から何も聞いていないから、ただの噂だと信じている。
「先輩はどういう職が希望?」
金曜日が明けた土曜日の朝、ベッドを背にパソコンで白紙のエントリーシートを見ていたら、裸のままの上半身をベッドからはみ出させたユウマくんが私の肩越しに話しかけてきた。
「あれ、起きたの。おはよう。……希望の職種ね、あまり、考えたことない。この学部って専門職の免許がとれるわけじゃないし、かといって他になにか使えそうな資格とかもってないし、なんか、漠然とどこかの会社の事務職とか……」
そう言いかけて口をつぐむ。
(……あれ、私、この四年間なにやってたんだろう。強みとか自己PRとか、どう答えたらいいんだっけ)
エントリーシートを映したノートパソコンを眺めながら、じわじわと焦りが募る。今まで適当な理由を付けてのらりくらりと先延ばしにしてきた就活が、急に向き合わなきゃいけない現実になって見えてきた。いや、実際そうなんだけど……。
選り好みしなきゃ適当にどこか入れるだろうと甘く考えていて、気づいたら周りがどんどん先を行って、今はもう学生課に貼り出される四年生向けの企業の求人も減ってきている。
「どこで就活するかは決めてんの?」
「えっと、地元以外。就職先ないし給料安いし、絶対戻らないって決めてるから。そういえば……」
ユウマくんの出身地はどうなのか尋ねる。確かそれなりに都市部だった。そういうところなら全国区の企業も何社かあって、うちの地元に比べたら圧倒的に就職しやすいだろう。
「俺の地元の話したっけ? よく覚えてんね」
「……したよ、初めて会ったときの飲み会で」
「そうだっけ」と首をかしげる彼に、笑いながら内心傷つく。小さな会話ひとつひとつ、覚えているのはいつも私だ。それくらい温度差がある。
パソコンに向かい直して「何を書けばいいんだ」と同じことを呟いていると、突然、ベッドのサイドボードに置いてあるユウマくんのスマホが鳴りだした。
……まただ。今までは私がいる前でスマホを触ることなんてほとんどなかったのに、最近になって誰か知らないけど、しょっちゅう連絡が来て律儀に返している。
「ちょっと外出る」
そう言ってユウマくんはさっさと服を着てから部屋を出ていった。
前は昼過ぎまでいたのに、最近はもっと早く帰るようになった。
やっぱり、彼女ができたんだろう。
長身で顔のいいユウマくんだから、噂は学年が違っても入ってくる。学部棟のラウンジで久しぶりに会ったサークルの友人からも、そういう話を聞いた。ユウマくんの彼女の顔は見たことがないけど、同じ学部でユウマくんの同期らしかった。藤さん達の卒業式の日に見た人だろうか。やっぱりあれは、見間違いじゃなかったのかもしれない。
(……私とは付き合えなくても、他の人とは付き合えるんだ)
彼女がいるかどうかは本人に直接聞いたわけじゃない。薄暗い気持ちを抱えていると、五分もしないうちにユウマくんが戻ってきた。
さっきまで普通に話していたのに、どこか落ち着きがない。どうせ呼ばれたのだろう。私も、聞かなきゃまだここにいてくれるとわかっているのに、今日に限ってつい口が滑ってしまった。
「ねぇ、もしかして彼女できた?」
「……あー、うん、最近。付き合ってって言われた」
言いにくそうだったけど誤魔化すことなくあっさりと認めてきて、自分の立場が情けないやらユウマくんに対する怒りやらで、目の前が真っ暗になった。
体温が急激に下がってキーボードに置いた指先が冷えていく。と思ったら今度は一瞬で感情がこみ上げてきて顔が熱くなった。
「……ふーん、やっぱりそうなんだ。じゃあ、もうここに来ないほうがいいね」
震えそうになる声を隠して、平静を装う。エントリーシートの空欄を埋めるのに忙しいふりをして、ユウマくんを見ないようにする。
「なんで?」
ユウマくんの声が少し機嫌を損ねたように聞こえて、パソコンから顔を上げた。
「え、なんでって、……普通そうでしょ。彼女ができたらそういうことは全部、彼女とするでしょ」
「普通って何? 今までセックスしてきたのが付き合ってもない先輩だったから、普通とか知らない。彼女って何すればいいの? 付き合ってって言われただけだよ」
「……好きだから付き合ったんじゃないの?」
「べつに。付き合ってってしつこく言われたから、付き合っただけ」
「付き合ってもない先輩」と言われた挙げ句、屁理屈だらけの発言に今度は頭が痛くなってくる。
……しつこく言われたからって、誰でもいいの? そんなの相手にも失礼だろう。
どうしてここまで他人の気持ちを考えられないの。
なんで気づいてくれないの。
喉まで出かかった言葉をすべて呑み込む。ユウマくんは怒られた子供みたいに怫然としていた。
サークルの代表は新しい三年へ本格的に代替わりして、未だに内定をもらえていない私は就活と卒論を理由に、これまでぼちぼちだったサークルへは顔を出さなくなっていた。四年になってから二ヶ月経つけど、一度も行っていない。だから今年入った一年生の顔も名前もわからない。
それでも毎週金曜日にユウマくんが部屋へ来るのは変わらず、私達の関係も相変わらずだった。
三月にカフェで見た光景については、聞けないでいた。
もしかしたらユウマくんじゃないかもしれないと時間が経つにつれて自分を納得させて、だけどそういうときに限って知りたくもない情報が人づてに流れ込んできていた。
本人から何も聞いていないから、ただの噂だと信じている。
「先輩はどういう職が希望?」
金曜日が明けた土曜日の朝、ベッドを背にパソコンで白紙のエントリーシートを見ていたら、裸のままの上半身をベッドからはみ出させたユウマくんが私の肩越しに話しかけてきた。
「あれ、起きたの。おはよう。……希望の職種ね、あまり、考えたことない。この学部って専門職の免許がとれるわけじゃないし、かといって他になにか使えそうな資格とかもってないし、なんか、漠然とどこかの会社の事務職とか……」
そう言いかけて口をつぐむ。
(……あれ、私、この四年間なにやってたんだろう。強みとか自己PRとか、どう答えたらいいんだっけ)
エントリーシートを映したノートパソコンを眺めながら、じわじわと焦りが募る。今まで適当な理由を付けてのらりくらりと先延ばしにしてきた就活が、急に向き合わなきゃいけない現実になって見えてきた。いや、実際そうなんだけど……。
選り好みしなきゃ適当にどこか入れるだろうと甘く考えていて、気づいたら周りがどんどん先を行って、今はもう学生課に貼り出される四年生向けの企業の求人も減ってきている。
「どこで就活するかは決めてんの?」
「えっと、地元以外。就職先ないし給料安いし、絶対戻らないって決めてるから。そういえば……」
ユウマくんの出身地はどうなのか尋ねる。確かそれなりに都市部だった。そういうところなら全国区の企業も何社かあって、うちの地元に比べたら圧倒的に就職しやすいだろう。
「俺の地元の話したっけ? よく覚えてんね」
「……したよ、初めて会ったときの飲み会で」
「そうだっけ」と首をかしげる彼に、笑いながら内心傷つく。小さな会話ひとつひとつ、覚えているのはいつも私だ。それくらい温度差がある。
パソコンに向かい直して「何を書けばいいんだ」と同じことを呟いていると、突然、ベッドのサイドボードに置いてあるユウマくんのスマホが鳴りだした。
……まただ。今までは私がいる前でスマホを触ることなんてほとんどなかったのに、最近になって誰か知らないけど、しょっちゅう連絡が来て律儀に返している。
「ちょっと外出る」
そう言ってユウマくんはさっさと服を着てから部屋を出ていった。
前は昼過ぎまでいたのに、最近はもっと早く帰るようになった。
やっぱり、彼女ができたんだろう。
長身で顔のいいユウマくんだから、噂は学年が違っても入ってくる。学部棟のラウンジで久しぶりに会ったサークルの友人からも、そういう話を聞いた。ユウマくんの彼女の顔は見たことがないけど、同じ学部でユウマくんの同期らしかった。藤さん達の卒業式の日に見た人だろうか。やっぱりあれは、見間違いじゃなかったのかもしれない。
(……私とは付き合えなくても、他の人とは付き合えるんだ)
彼女がいるかどうかは本人に直接聞いたわけじゃない。薄暗い気持ちを抱えていると、五分もしないうちにユウマくんが戻ってきた。
さっきまで普通に話していたのに、どこか落ち着きがない。どうせ呼ばれたのだろう。私も、聞かなきゃまだここにいてくれるとわかっているのに、今日に限ってつい口が滑ってしまった。
「ねぇ、もしかして彼女できた?」
「……あー、うん、最近。付き合ってって言われた」
言いにくそうだったけど誤魔化すことなくあっさりと認めてきて、自分の立場が情けないやらユウマくんに対する怒りやらで、目の前が真っ暗になった。
体温が急激に下がってキーボードに置いた指先が冷えていく。と思ったら今度は一瞬で感情がこみ上げてきて顔が熱くなった。
「……ふーん、やっぱりそうなんだ。じゃあ、もうここに来ないほうがいいね」
震えそうになる声を隠して、平静を装う。エントリーシートの空欄を埋めるのに忙しいふりをして、ユウマくんを見ないようにする。
「なんで?」
ユウマくんの声が少し機嫌を損ねたように聞こえて、パソコンから顔を上げた。
「え、なんでって、……普通そうでしょ。彼女ができたらそういうことは全部、彼女とするでしょ」
「普通って何? 今までセックスしてきたのが付き合ってもない先輩だったから、普通とか知らない。彼女って何すればいいの? 付き合ってって言われただけだよ」
「……好きだから付き合ったんじゃないの?」
「べつに。付き合ってってしつこく言われたから、付き合っただけ」
「付き合ってもない先輩」と言われた挙げ句、屁理屈だらけの発言に今度は頭が痛くなってくる。
……しつこく言われたからって、誰でもいいの? そんなの相手にも失礼だろう。
どうしてここまで他人の気持ちを考えられないの。
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