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第6章 天の川
1.影法師
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「いやあ、やめてほしいよこの暑さ。地球に空調いれらんないの? 駐車場歩くだけで真夏地獄ですよ」
ひたいから吹き出す汗をハンカチで拭いながら、丸刈り頭の大男が情けない口調でぼやく。境一有はその横をさっさと通り抜け、半透明のオフィスのドアをあけた。同僚の大男――木谷脩平を待って、ドアを閉める。
八月二日。平日の昼間だが、アウクトス・コーポレーションの巨大な建物のなかで、この階は人影も少なく静かだ。常にスタッフでごった返している部課もあるが、このCP――個人警護部門は、少なくとも見た目は閑散としている。
アウクトス・コーポレーションはアルファ名族を顧客とし、ゆりかごから墓場の先にある出来事までのコンサルティングを担当する企業である。
一般人向けのサービスではなく、外部に広告を出すこともないから、名族と関わりのない多くのベータは聞いたこともないだろう。しかし本社は一等地の高層ビルまるごとで、株主と役員はみなアルファ名族。しかも副社長は警察や司法に強い鷲尾崎家の次期当主と目されているアルファ、鷲尾崎叶だ。
「どうしていっちゃんはこんなときも涼しげなんだ? まさか美形にだけ感じられる冷風が吹いてるとか?」
脩平は軽口を叩きながら一有のあとにつづくと、なめらかな身ごなしで椅子をひいて座った。一有はタブレットをテーブルに置いた。
「馬鹿なことをいってないで、さっさと打ち合わせしよう。副社長もいったように内密の事案だから、その点はよろしく」
「俺といっちゃんだけってことでしょ?」
口調こそ軽いが、木谷脩平はCP部門最高の実力者で、現業組のチーフだ。後方支援統括長の一有とのつきあいも長い。
一有はタブレットに資料を呼び出した。
「いまどき違法のオメガ風俗が問題になるなんて、驚くな」
「俺らのミッションはオメガ落としの異名を持つベータのナンパ師を探すこと、か。この手の調査は本来CP部門の仕事じゃないと思うんだけどねえ」
脩平がそういうのも一理ある。アウクトスのサービスは資産管理、相続のコンサルティングにはじまり、子弟の名門校進学指導やスキャンダル対策まで幅広い分野に渡っているが、一有と脩平の業務はあくまでも個人警護である。犯罪捜査とは無関係だ。
とはいえこの業務には往々にして、ストーカー対策やそのための調査も含まれているから、この手のことにまったく無縁というわけでもない。
「ひとりでこの人数のオメガを堕としたとはね。ベータにも色んなのがいるな」
脩平が呆れた口調でいった。
「手口のひとつに薬物がある。それと相手も情報通で、興信所の調査をうまくかわしている。向こうもそっち系を職業にしている可能性もあるな。ベータはアルファのように〈ハウス〉への登録義務がないから、これも抜け道になってる」
「となればまず当たるのは薬物ルートだな。あとで警察にとやかくいわれないといいけどね」
「そこはキョウにまかせるさ」
何気なくそういったとたん、脩平がにやりと笑った。
「何だ?」
「いっちゃんの副社長名前呼び、久しぶりに聞いたぜ。会社じゃ他人みたいな顔しているくせに」
「勤務中だ。当たり前だろう」
「そうか? 副社長は犬みたいな顔していたけどなあ」
一有はタブレットを裏返し、にやにや笑っている同僚を睨んだ。副社長の鷲尾崎叶は数年前までCP部門の部長だったが、ベータの一有との関係はもっと前にさかのぼる、因縁めいたものだった。
からかってくる脩平に強くいえないのは、叶と一有のいざこざで彼もすこしとばっちりを受けたようなところがあるせいだ。それがわかっているだけに、脩平は脩平で、一有のうらめしげな視線をものともしない。
「もう入籍したんだし、ここでも鷲尾崎姓を名乗れって、副社長にいわれない?」
「コンプラ違反はごめんだね」
「そんな内規あったか? 後方支援統括長が鷲尾崎姓ならむしろ箔がつくってもんだ」
名族のアルファだからといって必ずしもオメガを求めるわけではない。鷲尾崎叶はその一例で、一有は彼と二十年以上にわたる感情のもつれの結果、一年前ついに結婚した。次期当主を目されているアルファがベータを伴侶に選ぶのは、すこし前の時代は考えられなかったことだ。そのせいか多少マスコミにも取り上げられたが、世間の反応はだいたいにおいて好意的なものだった。
似たようなこととして、アルファを求めないオメガの存在も、アウクトスの社内では時々聞く話である。しかしベータの中にはそんなオメガを食いものにしようとする輩もいる。
そう、オメガといえば――一有はふと思い出した。
「脩平、そういえば宮久保家から追加派遣の要請が来ただろう? たしかオメガの長男の」
現業組チーフは一有の勘違いを即座に正した。
「いや、オメガじゃなくて婿のアルファだ。警護と同時に通勤や外出時の送り迎えも依頼されている。これ、におうと思わないか」
いいながら眉をあげ、なんともいいがたい目つきになる。一有は怪訝に思った。
「におうって、何が?」
「宮久保家は彼が勝手に動かないようにしてるんじゃないか……ってね。この婿殿、何かやらかしたんじゃないか?」
ひたいから吹き出す汗をハンカチで拭いながら、丸刈り頭の大男が情けない口調でぼやく。境一有はその横をさっさと通り抜け、半透明のオフィスのドアをあけた。同僚の大男――木谷脩平を待って、ドアを閉める。
八月二日。平日の昼間だが、アウクトス・コーポレーションの巨大な建物のなかで、この階は人影も少なく静かだ。常にスタッフでごった返している部課もあるが、このCP――個人警護部門は、少なくとも見た目は閑散としている。
アウクトス・コーポレーションはアルファ名族を顧客とし、ゆりかごから墓場の先にある出来事までのコンサルティングを担当する企業である。
一般人向けのサービスではなく、外部に広告を出すこともないから、名族と関わりのない多くのベータは聞いたこともないだろう。しかし本社は一等地の高層ビルまるごとで、株主と役員はみなアルファ名族。しかも副社長は警察や司法に強い鷲尾崎家の次期当主と目されているアルファ、鷲尾崎叶だ。
「どうしていっちゃんはこんなときも涼しげなんだ? まさか美形にだけ感じられる冷風が吹いてるとか?」
脩平は軽口を叩きながら一有のあとにつづくと、なめらかな身ごなしで椅子をひいて座った。一有はタブレットをテーブルに置いた。
「馬鹿なことをいってないで、さっさと打ち合わせしよう。副社長もいったように内密の事案だから、その点はよろしく」
「俺といっちゃんだけってことでしょ?」
口調こそ軽いが、木谷脩平はCP部門最高の実力者で、現業組のチーフだ。後方支援統括長の一有とのつきあいも長い。
一有はタブレットに資料を呼び出した。
「いまどき違法のオメガ風俗が問題になるなんて、驚くな」
「俺らのミッションはオメガ落としの異名を持つベータのナンパ師を探すこと、か。この手の調査は本来CP部門の仕事じゃないと思うんだけどねえ」
脩平がそういうのも一理ある。アウクトスのサービスは資産管理、相続のコンサルティングにはじまり、子弟の名門校進学指導やスキャンダル対策まで幅広い分野に渡っているが、一有と脩平の業務はあくまでも個人警護である。犯罪捜査とは無関係だ。
とはいえこの業務には往々にして、ストーカー対策やそのための調査も含まれているから、この手のことにまったく無縁というわけでもない。
「ひとりでこの人数のオメガを堕としたとはね。ベータにも色んなのがいるな」
脩平が呆れた口調でいった。
「手口のひとつに薬物がある。それと相手も情報通で、興信所の調査をうまくかわしている。向こうもそっち系を職業にしている可能性もあるな。ベータはアルファのように〈ハウス〉への登録義務がないから、これも抜け道になってる」
「となればまず当たるのは薬物ルートだな。あとで警察にとやかくいわれないといいけどね」
「そこはキョウにまかせるさ」
何気なくそういったとたん、脩平がにやりと笑った。
「何だ?」
「いっちゃんの副社長名前呼び、久しぶりに聞いたぜ。会社じゃ他人みたいな顔しているくせに」
「勤務中だ。当たり前だろう」
「そうか? 副社長は犬みたいな顔していたけどなあ」
一有はタブレットを裏返し、にやにや笑っている同僚を睨んだ。副社長の鷲尾崎叶は数年前までCP部門の部長だったが、ベータの一有との関係はもっと前にさかのぼる、因縁めいたものだった。
からかってくる脩平に強くいえないのは、叶と一有のいざこざで彼もすこしとばっちりを受けたようなところがあるせいだ。それがわかっているだけに、脩平は脩平で、一有のうらめしげな視線をものともしない。
「もう入籍したんだし、ここでも鷲尾崎姓を名乗れって、副社長にいわれない?」
「コンプラ違反はごめんだね」
「そんな内規あったか? 後方支援統括長が鷲尾崎姓ならむしろ箔がつくってもんだ」
名族のアルファだからといって必ずしもオメガを求めるわけではない。鷲尾崎叶はその一例で、一有は彼と二十年以上にわたる感情のもつれの結果、一年前ついに結婚した。次期当主を目されているアルファがベータを伴侶に選ぶのは、すこし前の時代は考えられなかったことだ。そのせいか多少マスコミにも取り上げられたが、世間の反応はだいたいにおいて好意的なものだった。
似たようなこととして、アルファを求めないオメガの存在も、アウクトスの社内では時々聞く話である。しかしベータの中にはそんなオメガを食いものにしようとする輩もいる。
そう、オメガといえば――一有はふと思い出した。
「脩平、そういえば宮久保家から追加派遣の要請が来ただろう? たしかオメガの長男の」
現業組チーフは一有の勘違いを即座に正した。
「いや、オメガじゃなくて婿のアルファだ。警護と同時に通勤や外出時の送り迎えも依頼されている。これ、におうと思わないか」
いいながら眉をあげ、なんともいいがたい目つきになる。一有は怪訝に思った。
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