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本編
15.古い夏の光(前編)
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電車の窓ガラスを透かした空の色は実際より濃い青だ。紫外線防止ガラスのせいだが、おかげで冷房の中にいても真夏の雰囲気で圧倒される。
僕は電車を降りて駅の改札をぬける。大きな商業ビルに挟まれた広いアーケードにはそこらじゅうにピンクと白のストライプを染めた小旗が踊り、吊るされたモニターにフェスティバルのロゴが映し出されていた。熱気の中を急ぎ足で歩きながら時計をみる。早すぎたかもしれない。どこかで時間をつぶしたほうがいいだろうか?
そう思ったとき、僕は峡さんに気づく。濃いネイビーのシャツを着て、ピンクと白のストライプのテントの前に立っている。ピンクと白は今日この街で行われているイベントのシンボルなのだ。峡さんはピンクと白のパンフレットのような紙を広げている。僕は急ぎ足で近づく。
「峡さん」
「早かったね」
「峡さんの方が早いじゃないですか」
峡さんは僕をみて笑う。シャツは彼の上体にフィットして、襟のボタンがひとつはずれている。胸の中がざわざわする。
「あっちの通りから河川敷にかけてイベントスペースが続いているようだ。行ってみる?」
僕はうなずく。川沿いにのびる道にもピンクと白の細長いフラッグがはためき、河川敷では音楽が鳴っている。カップルや数人のグループ、家族連れにまじり、僕は峡さんと並んでお祭りをひやかして歩く。同じ方向へ歩いていたグループのひとり――アルファが追い越しざまに僕をふりかえって目配せするが、僕は無視する。峡さんは彼らに気づかないふりをしている。僕がそう思うのは彼の匂いがかすかに変わったからだ。かすかに――ためらうようなニュアンスに。
ああもう、そこのうっとうしいアルファども! 頼むから邪魔しないでくれ。
「峡さん」
「ん?」
手をつないでもいいですか――という言葉を僕は飲みこむ。
「河川敷の、あの雲みたいな形のテント、なんでしょう?」
指をさした僕の手首を峡さんの視線が追った。
「時計、使ってくれているんだね。よかった」
僕はどぎまぎしてうなずく。容赦ない夏の光が僕らの上に落ちてくる。
「あら、その時計可愛い」
パフェ用の長いスプーンを持ったまま、鷹尾が僕の手首をさした。
「三波らしくないじゃない? 時計に凝るなんて」
「もらいものだよ」
僕は反射的に袖をひいた。鷹尾はきれいに整えた細い眉を少し動かし、軽くうなずいた。ときどき彼女には何もかもを見透かされているような気がする。おっとりしたお嬢さん風なのに、ときたまびっくりするほど超然とした雰囲気を漂わせているせいだろう。菩薩っぽいとでもいうのか。
「そういえば例のジャマーは退治できたの?」
「ジャマー?」
「デートを邪魔されたっていってたじゃない」
「ああ、それね」
デートなんていったっけ、とは思ったものの僕は逆らわなかった。
「一応……なんとか」
「良かったじゃない」
「うん、まあね」
僕はフォークで切り取った梨のタルトを頬張る。とある企画の相談のため、仕事帰りにふたりでギャラリー・ルクスに併設されたカフェまで足を運んだのだ。ふたりとも夕飯は食べていないが、僕も鷹尾もデザートは別腹主義、時を選ばないので問題はない。鷹尾は淡い桜色の筋が散る桃をフォークで突き刺し、嬉しそうに口に運ぶ。桃のパフェは大好物なのだという。
「まあねって、もう少し何か教えてよ。だめ?」
「どうしてそんなに聞きたがるのさ」
「だって三波が本気で恋愛しているの、私には初めてだから。ちがう?」
峡さんについて彼女には一言も話していないはずなのに、どうしてバレているんだろうか。そんなに僕は挙動不審なのか。でも考えてみると多少思い当たるところはある。はた目にわかるかどうかはともかく、たしかに僕の気分はここ最近ずっと一喜一憂というか、上がったり下がったりしていた。同じオメガの鷹尾にはそれがよくわかるのだろう。
「で、いい感じ?」
「うん。モバイルでよく話しているし、週末に会ったり」
「ハウスで?」
「いや」僕はすこし迷ってからいった。
「ベータなんだ」
鷹尾は一瞬軽く眼をみひらいたが、うなずいて「外でデート?」とたずねた。
「そう。今のところ」
「楽しい?」
「楽しいけど……どうしてそんなこと聞くんだよ」
「あら」
鷹尾はなぜかびっくりした表情をする。
「どうしてかな。三波がうわついた雰囲気じゃないから? これまで聞いた武勇伝みたいな雰囲気じゃないからかな」
「ひどいな。僕をなんだと思ってるのさ」
「でも好きなんでしょ」
急に恥ずかしくなってきた僕に鷹尾は追い打ちをかけた。この菩薩は容赦がない。
「どんな人?」
「年上なんだ。落ち着いてる」
「ギラギラしたアルファじゃないわけね」
だからまだ手もつないでいない――なんて話すわけにもいかず、黙ってうなずいたちょうどその時、カフェのマスターがあらわれた。
僕らは佐枝さんとボスを祝うサプライズパーティの相談に来たのだった。CAFE NUITのマスターは佐枝さんと昔馴染みだ。喜んで協力するよといわれ、僕らは日程や細かい手順を決めた。ボスにも佐枝さんにも秘密にしたままパーティに呼び出すのは鷹尾の役割で、僕は司会だ。
「出席者は何人? TEN‐ZEROの社員だけ? ここを使うなら黒崎も出席させてくれないかな」
そういってマスターはギャラリー・ルクスへつながる扉へと手を振った。
「ゼロのお祝いってことだよね。僕は店にいるわけだし、黒崎もゼロと知り合って同じくらい長いから」
「もちろんです」
僕と鷹尾は同時に答える。マスターは佐枝さんのことを「ゼロ」と呼ぶ。
「他は? ほら、藤野谷君のお目付け役のシブい人――なんていったっけ、渡来さんか。それに叔父さんとか。たしか――佐枝峡さん。そうそう、彼も呼ばなくて平気?」
どきりとして僕は固まった。峡さんもパーティに?
「どうしましょうか」鷹尾が先にこたえた。
「おふたりとも、藤野谷さんと佐枝さんのご家族同然の方ですよね。私たちのおふざけに付き合わせて大丈夫でしょうか?」
「どちらもノリはよさそうな気がするけどねえ。ゼロの叔父さんなら話したことあるよ。気さくな人みたいだし、お祝いだから呼んでもいいんじゃない? 三波君はどう?」
「あ……そうですね」
僕はなんとか硬直状態から復活する。
「その……この企画は従業員のお遊びなので、今回はよした方がいい気がします。正式なセレモニーもまだなんだし……」
「そう? まあ、社員しかいない方が遠慮なくやれるよね。そうそう、パイ投げなんてする? やりたいなら用意できるよ。社長の顔にパイを投げられる機会なんて、あまりないでしょ」
マスターは人の悪そうな笑みをうかべた。
「楽しみだよねえ。人を驚かすのって」
僕は電車を降りて駅の改札をぬける。大きな商業ビルに挟まれた広いアーケードにはそこらじゅうにピンクと白のストライプを染めた小旗が踊り、吊るされたモニターにフェスティバルのロゴが映し出されていた。熱気の中を急ぎ足で歩きながら時計をみる。早すぎたかもしれない。どこかで時間をつぶしたほうがいいだろうか?
そう思ったとき、僕は峡さんに気づく。濃いネイビーのシャツを着て、ピンクと白のストライプのテントの前に立っている。ピンクと白は今日この街で行われているイベントのシンボルなのだ。峡さんはピンクと白のパンフレットのような紙を広げている。僕は急ぎ足で近づく。
「峡さん」
「早かったね」
「峡さんの方が早いじゃないですか」
峡さんは僕をみて笑う。シャツは彼の上体にフィットして、襟のボタンがひとつはずれている。胸の中がざわざわする。
「あっちの通りから河川敷にかけてイベントスペースが続いているようだ。行ってみる?」
僕はうなずく。川沿いにのびる道にもピンクと白の細長いフラッグがはためき、河川敷では音楽が鳴っている。カップルや数人のグループ、家族連れにまじり、僕は峡さんと並んでお祭りをひやかして歩く。同じ方向へ歩いていたグループのひとり――アルファが追い越しざまに僕をふりかえって目配せするが、僕は無視する。峡さんは彼らに気づかないふりをしている。僕がそう思うのは彼の匂いがかすかに変わったからだ。かすかに――ためらうようなニュアンスに。
ああもう、そこのうっとうしいアルファども! 頼むから邪魔しないでくれ。
「峡さん」
「ん?」
手をつないでもいいですか――という言葉を僕は飲みこむ。
「河川敷の、あの雲みたいな形のテント、なんでしょう?」
指をさした僕の手首を峡さんの視線が追った。
「時計、使ってくれているんだね。よかった」
僕はどぎまぎしてうなずく。容赦ない夏の光が僕らの上に落ちてくる。
「あら、その時計可愛い」
パフェ用の長いスプーンを持ったまま、鷹尾が僕の手首をさした。
「三波らしくないじゃない? 時計に凝るなんて」
「もらいものだよ」
僕は反射的に袖をひいた。鷹尾はきれいに整えた細い眉を少し動かし、軽くうなずいた。ときどき彼女には何もかもを見透かされているような気がする。おっとりしたお嬢さん風なのに、ときたまびっくりするほど超然とした雰囲気を漂わせているせいだろう。菩薩っぽいとでもいうのか。
「そういえば例のジャマーは退治できたの?」
「ジャマー?」
「デートを邪魔されたっていってたじゃない」
「ああ、それね」
デートなんていったっけ、とは思ったものの僕は逆らわなかった。
「一応……なんとか」
「良かったじゃない」
「うん、まあね」
僕はフォークで切り取った梨のタルトを頬張る。とある企画の相談のため、仕事帰りにふたりでギャラリー・ルクスに併設されたカフェまで足を運んだのだ。ふたりとも夕飯は食べていないが、僕も鷹尾もデザートは別腹主義、時を選ばないので問題はない。鷹尾は淡い桜色の筋が散る桃をフォークで突き刺し、嬉しそうに口に運ぶ。桃のパフェは大好物なのだという。
「まあねって、もう少し何か教えてよ。だめ?」
「どうしてそんなに聞きたがるのさ」
「だって三波が本気で恋愛しているの、私には初めてだから。ちがう?」
峡さんについて彼女には一言も話していないはずなのに、どうしてバレているんだろうか。そんなに僕は挙動不審なのか。でも考えてみると多少思い当たるところはある。はた目にわかるかどうかはともかく、たしかに僕の気分はここ最近ずっと一喜一憂というか、上がったり下がったりしていた。同じオメガの鷹尾にはそれがよくわかるのだろう。
「で、いい感じ?」
「うん。モバイルでよく話しているし、週末に会ったり」
「ハウスで?」
「いや」僕はすこし迷ってからいった。
「ベータなんだ」
鷹尾は一瞬軽く眼をみひらいたが、うなずいて「外でデート?」とたずねた。
「そう。今のところ」
「楽しい?」
「楽しいけど……どうしてそんなこと聞くんだよ」
「あら」
鷹尾はなぜかびっくりした表情をする。
「どうしてかな。三波がうわついた雰囲気じゃないから? これまで聞いた武勇伝みたいな雰囲気じゃないからかな」
「ひどいな。僕をなんだと思ってるのさ」
「でも好きなんでしょ」
急に恥ずかしくなってきた僕に鷹尾は追い打ちをかけた。この菩薩は容赦がない。
「どんな人?」
「年上なんだ。落ち着いてる」
「ギラギラしたアルファじゃないわけね」
だからまだ手もつないでいない――なんて話すわけにもいかず、黙ってうなずいたちょうどその時、カフェのマスターがあらわれた。
僕らは佐枝さんとボスを祝うサプライズパーティの相談に来たのだった。CAFE NUITのマスターは佐枝さんと昔馴染みだ。喜んで協力するよといわれ、僕らは日程や細かい手順を決めた。ボスにも佐枝さんにも秘密にしたままパーティに呼び出すのは鷹尾の役割で、僕は司会だ。
「出席者は何人? TEN‐ZEROの社員だけ? ここを使うなら黒崎も出席させてくれないかな」
そういってマスターはギャラリー・ルクスへつながる扉へと手を振った。
「ゼロのお祝いってことだよね。僕は店にいるわけだし、黒崎もゼロと知り合って同じくらい長いから」
「もちろんです」
僕と鷹尾は同時に答える。マスターは佐枝さんのことを「ゼロ」と呼ぶ。
「他は? ほら、藤野谷君のお目付け役のシブい人――なんていったっけ、渡来さんか。それに叔父さんとか。たしか――佐枝峡さん。そうそう、彼も呼ばなくて平気?」
どきりとして僕は固まった。峡さんもパーティに?
「どうしましょうか」鷹尾が先にこたえた。
「おふたりとも、藤野谷さんと佐枝さんのご家族同然の方ですよね。私たちのおふざけに付き合わせて大丈夫でしょうか?」
「どちらもノリはよさそうな気がするけどねえ。ゼロの叔父さんなら話したことあるよ。気さくな人みたいだし、お祝いだから呼んでもいいんじゃない? 三波君はどう?」
「あ……そうですね」
僕はなんとか硬直状態から復活する。
「その……この企画は従業員のお遊びなので、今回はよした方がいい気がします。正式なセレモニーもまだなんだし……」
「そう? まあ、社員しかいない方が遠慮なくやれるよね。そうそう、パイ投げなんてする? やりたいなら用意できるよ。社長の顔にパイを投げられる機会なんて、あまりないでしょ」
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