美貌の王立図書館の副館長は健康のためにドラゴンを飼うことにした

おにぎり1000米

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1巻

1-3

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 ドラゴンをサブスクしてから、ルークの血色は少しよくなり、夜も以前より熟睡できるようになった。そんなルークの変化は、王立図書館を中心とした大学街の早朝にも影響を及ぼした。


「どうしたの、ずいぶん早起きじゃないの。試験前でもないのに」
「ははは、早起きはいいことがあるってやっとわかったんです」

 これは学寮近くのコーヒースタンドの前で交わされた会話である。コーヒーを片手に返事をしたのは、これまでは試験前でもぎりぎりで講義室に駆けこんでいた学生だ。

「ルークさん見物ならそっちじゃない、あっちを通るよ」

 視線が定まらない学生にコーヒースタンドの亭主はあっさり教えた。同様の学生が何人もコーヒーを買っていったからだ。

「ちょ、ちょっとここにいていいですか?」
「いいけど、次の客が来るまでだ。客が来たらあっちへ行きなさい」

 学生は指さされた方向を見た。街路樹の陰に数人が固まって立っている。

「まさか彼らも?」

 コーヒースタンドの亭主は満面の笑みで答えた。

「ルークさんがドラゴンを飼ってからというもの、客が増えてな。ありがたいありがたい」

 なんということだ。学生がそう思ったのも一瞬のことだった。誰かが「あっ」と小さく叫んだからだ。

「来た!」
「リリちゃんが見えた!」
「はいはい、次の客だ。あんたもあっちへ行って」

 亭主は学生へ鷹揚おうように手を振りながら、やはり街路の先へ目を凝らした。パタパタと宙を飛ぶドラゴンの下でルークの黒髪がなびいている。あいかわらず誰が見ても美しい男だが、ドラゴンを連れた今はさらに神秘的なオーラが加わっている。
 亭主は内心ほくそえんだ。ドラゴンと散歩するルークをひと目見ようと、これまで遅刻ぎりぎりだった学生や職員は早起きするようになり、コーヒースタンドも繁盛しているからだ。


 晴れた昼休みには、ルークはリリと一緒に中庭で日光浴をした。その姿は勉強や調べものに疲れた図書館利用者の目を和ませたこともあり、これまで試験前以外は図書館に近寄らなかった学生も足を運ぶようになった。
 一日の仕事が終わると、ルークはリリとともに官舎へ帰っていく。職員用食堂はリリと一緒に入れないので、大学街の惣菜屋で夕食を買って帰るのが日課になった。つまり運のいい者は、早朝だけでなく夕方も、大学街でドラゴンを連れたルークを目撃できるのだ。
 夜、ルークが眠るときには、リリはカバーをかけた籠に入れられる。〈竜のヤドリギ〉のマニュアルは、夜中にドラゴンを部屋に放すことを禁じていた。しばらくのあいだ籠からは羽根がこすれるサラサラ、パタパタという音や、鉤爪でひっかく音が響いているが、やがて静かになる。ルークがカバーをめくってみると、リリは首をまるめてぴくりとも動かない。
 眠っていてもリリは可愛いらしかった。ドラゴンも夢を見るのだろうか。
 そして夜明けが来ると、リリが羽根をパタパタしてルークを起こし、また同じような一日がはじまる。同じような、といっても、リリと一緒の暮らしは確実にルークの生活の質を上げていた。
 それにしても、こんなにもドラゴンにのめりこんでしまうとは。
〈竜のヤドリギ〉に足を踏み入れる前はまったく予想しなかったことである。しかし今あらためて考えると、あの店でリリと目を合わせた瞬間、ルークはずっと前に失くして忘れていたものを見つけ出したような、奇妙な衝撃を受けたのだった。
 そういえばリリという名前も、ルークが考えたというより、リリの藍色の目をみつめているあいだに自然に思い浮かんできたのではなかったか。
〈竜のヤドリギ〉のマニュアルには、ドラゴンに名前をつけても意味がない、と書いてある。店主はその理由として、精霊族のドラゴンは人間がつけた名前など覚えないし、反応もしないと言ったのだが、ルークにはとても信じられなかった。
 ルークが〈竜のヤドリギ〉からリリを連れ帰ったのは秋の初めのことである。街路樹の緑はまだ鮮やかで、汗ばむような暑い日もあった。毎朝リリと一緒に散歩するうちに、ルークは日一日と季節がうつるのを肌で感じられるようになってきた。図書館にこもりきりの日常ではありえなかったことである。
 コーヒースタンドの亭主をはじめとした大学街や図書館の人々は、ルークとリリの邪魔をしないよう、遠くからそっとでていた。こうして、ルークがドラゴンのサブスクをはじめてから、王立図書館や大学街の人々は──たいていの人は──幸せになった。 



    第二章 ドラゴンの卵


    1 王の末息子、ラッセルの憂鬱


 アルドレイク王国の王立図書館には、本以外を目当てとする人間も訪れる。

「セクストン副館長、やっとお会いできて嬉しい。ずっと会いたかったのにこれまで機会を作れなかった」

 館長室に入ってきたルークにテレンス公爵夫人クララが言った。まるで男子学生のような言葉遣いだが、見た目は美しいドレス姿の貴婦人だ。レースの扇で口元を隠し、同色のレースを重ねた豪華なドレスをまとっている。
 ラッセルは館長のデスクの前に立ち、内心の落ちつかなさを隠して二人の対面を見守っていた。
 クララは現王の最初の王女、つまりラッセルの姉である。ラッセルにとってクララは決して頭の上がらない姉だった。ちなみに、夫のテレンス公爵も同様と聞いている。

「こちらこそ、お会いできて光栄に存じます」

 ルークは緊張しているのか、クララに対する表情は強張こわばってぎこちない。しかし、それも彼の美貌を損なうことはなく、むしろ神秘的な雰囲気を醸し出している。
 ラッセルは無意識にみとれていた自分にハッとして、あわてて顔をひきしめた。

「大叔父は学者肌だったからなんの違和感もなかったが、弟は迷惑をかけているのではないか? 王の末子が館長になる決まりといっても、ラッセルはどちらかといえば──」

 クララは眉をひそめて言葉を探した。

「そう、筋肉で考えるたぐいの人間だからな」
「姉上!」

 ラッセルは思わず声をあげたが、ルークの顔はぴくりとも動かなかったし、ラッセルの方を見ようともしない。しかし意外にも、その後ルークの口から出たのは褒め言葉だった。少なくともラッセルはそう受け取った。

「いいえ、そんなことはありません。館長の決断力や外向的な対応にいつも感心しています」

 ルークの返事にクララはほう、という表情になった。

「筋肉で考える人間は決断が早かったりするからな」
「なるほど、そういうことでしょうか」

 ──いや、特に褒められたわけではなさそうである。

「姉上──」

 ラッセルは口を挟もうとしたが、クララは気づかなかったように話を続けている。

「ラッセルは子供のころから何かを決めて実行するのだけは早いんだ」
「優柔不断では館長は務まりませんから、その点は適任といえます」
「それはよかった。要するにあいつは体の方が先に動く性質なのさ」

 ラッセルは会話に加わるのをあきらめた。昔からこの姉の話にうまく割りこめた試しがない上、クララの相手はルークである。

「ところでルーク、と呼んでもいいだろうか」

 クララは優雅な仕草で扇をくるりと回した。

「はい、もちろん」
「王立図書館の館長は基本的に終身職だ。前の館長は高齢で退いたが、私やラッセルには大叔父にあたる方だからな」
「はい。前館長には私もお世話になっています。前副館長の補佐時代には時々お会いしました」
「ああ。この図書館では、歴代の副館長は館長とつねに仲良く職務に取り組んできたものだ。まあ今回は不束ふつつか者の弟でまことに申し訳ないが、よろしく頼む。アルドレイク王国の図書館は我が国が古代帝国から継承した伝統で、財産でもあるからな」

 クララの言葉を聞くうちにルークの表情が少し和らいだ。その眸にクララの真剣な表情が映る。

「ええ、父からも同じ話を聞いています」
「ロバート・セクストン教授だろう」
「ご存知なのですね」
「もちろん、若いころ一度だけ王領の近くでお会いしたこともある。休暇であのあたりに来られていたんだ。お茶に招いて学説を拝聴したよ。古代帝国が分裂する中、アルドレイク王国の祖が精霊族の加護を得た理由についての話だった」

 ルークは意外そうな目つきになった。

「父にそのような学説が? 知りませんでした。どんな内容でしょうか?」

 クララは扇を揺らし、小さく肩をすくめた。

「悪いな、詳しい話は忘れてしまった。ただ教授の話を聞いて、王家に伝わるドラゴンの逸話に納得したことは覚えているんだ。ドラゴンといえば、ルークもドラゴンを飼いはじめたと聞いたが?」
「姉上」

 今度こそラッセルは口を挟んだ。

「副館長と話せて嬉しいのはわかるが、彼は忙しいんだ。俺も忙しい。姉上にドラゴンを見せる暇も、散歩につきあう暇もない」

 クララはラッセルがそこにいることに初めて気づいたような顔をした。むろんわざとである。

「何を言ってる。おまえのドラゴンじゃないくせに」
「ああ、副館長のドラゴンだ。しかし、副館長のドラゴンは図書館のドラゴンも同然だから、館長の俺にも口出しする権利はある」
「弟よ、堂々と詭弁きべんを吐くな」
「姉上、詭弁は堂々と弄するものだ」

 微妙な空気が漂ったそのとき、館長室のドアがこんこん、とノックされた。

「ご来客中に申し訳ありません。そちらに副館長はいらっしゃいますか?」

 ルークがくるりと背中を向けてドアの方へ行った。呼びに来た職員に耳打ちされて、またラッセルの方を向く。
 一瞬ぴたりと視線が合った。青い月夜の色をした眸を正面から見てしまい、ラッセルは心臓を鷲掴みにされた気分になった。そして二人は同時に視線をそらした。

「申し訳ありません」

 先に立ち直ったのはルークだった。

「至急の用事ができましたのでこれで失礼いたします。公爵夫人、またお目にかかる機会がありましたら何卒よろしくお願いいたします」

 クララは鷹揚に扇を振った。

「いや、ありがとう。今日は話せて嬉しかった」


 ルークは一礼して館長室を出ていった。ドアが閉まったとたん、クララの持っていた扇がデスクへ飛んでいき、ラッセルはあわててそれを受けとめた。
 クララはわざとらしく両手を広げてあきれ顔をしている。およそ貴婦人らしからぬ仕草である。

「噂通り凄まじい美人だな! しかしおまえたち、どうしてもっと近寄らない。大叔父上と前の副館長はいつもぺったりくっついていたと聞くぞ! 膝に乗りそうな雰囲気だったと」

 いったい何を言っているのかと、ラッセルは小さなため息をついた。

「姉上、昼間からそういう冗談はよしてくれ。それに大叔父上とちがって、俺とルークは恋人でも伴侶でもない」

 クララはきょとんとした目つきになった。

「え? ちがうのか?」
「……当たり前だろう。だいたい歴代の館長と副館長はつねに仲良くやってきたって、あれはなんだ」
「そういうものだからだ。王家の伝統だぞ。おまえたちは絶対にうまくいく」
「は?」

 いやいや、まさか。かつて学寮仲間に仕掛けられた悪ふざけの顛末がラッセルの脳裏をよぎったが、クララにそれがわかるはずもない。

「しっかりしろ、王の末息子」

 クララはラッセルの複雑な胸のうちにまるでかまわず、無慈悲に弟を叱咤した。

「彼は図書館の申し子と呼ばれているそうじゃないか」
「ちがう、いとし子だ」
「似たようなものだ。筋肉頼みのおまえにあれ以上の相手は望めない。おまえだってそう思っているんだろう?」
「姉上」
「やはり来てよかった。おまえに縁談は持ちこまないことにする」
「縁談?」

 突然変わった話題にラッセルは目を丸くして聞き返した。クララは手を伸ばし、さっき放り投げた扇を拾い上げた。

「ああ、第七王子くらいがちょうどいいと考えるやからが夫に話を持ってくる。よりどりみどりと言っていいくらいだ。おまえも興味があるかもしれないと思ったが、ルークを見てわかった。必要ないな」
「姉上、それは……」
「それに末っ子が図書館長になるという伝統は、娶るべき伴侶があらわれなくなったからこそはじまったのだ。数百年前なら、第七王子のおまえには本来娶るべき相手がいたのに──」

 クララは急に言葉をとめた。

「なんの音だ?」

 どこかでカリカリとひっかくような音がしている。さっきルークが出ていったドアの方向でも、窓の方向でもない。
 ラッセルはあたりを見回し、大股でもう一方の壁へ近づいて、続き部屋のドアを開けた。そのとたん目の前をびゅん、と何かが横切った。

「ラッセル?」
「……いや、姉上。問題ない」

 ラッセルは静かにドアを閉めた。ひっかくような音はもう聞こえなかった。


 クララはルークに会えて満足したのか、早々に帰っていった。
「ルークの顔を見るだけのために来たのかよ」とラッセルは館長室のデスクでぼやいたが、ルークが呼び出されていなくなったことには少しほっとしていた。ルークが館長室に入ってきたとき、デスクの上に積んだ承認待ちの書類の山に、さっと目を走らせていたからだ。
 ルークは図書館のことを隅から隅までよくわかっていた。彼以上に頼りになる副館長はいないだろう。それなのに、あのまま話を続けていれば、また口論──とまでいかなくとも、気まずい会話をしてしまったかもしれない。

「どうしてこうなるんだろうな」

 ラッセルは書類を広げながら、またぼやいた。
 ルークがドラゴンのサブスクをはじめたことは、ラッセルにはなんの影響も及ぼさなかった。つまり図書館職員たちは、あいかわらず二人のことを「仲悪そう」だと思っている。
 ラッセルにしてみればそんなつもりはないのである。王家の一員という自覚もあって、たとえ自分のことが嫌いな相手であっても、感情に流されず、うまく丸めこむくらいの度量はあると思ってきた。ところがルークを前にしたときだけ、ラッセルはうまく話せなくなってしまう。
 これはやはりラッセルが、あのときのことを忘れられないせいだろうか。それにしても……
 ラッセルは書類にサインをしながらひとりごとを言った。

「ルークの方はどうなんだ? あの日のことを覚えているのか?」



    2 人間は誤解する生き物である


「副館長、ご来客のところを申し訳ありません」

 館長室のドアを叩いた職員は邪魔をしたことを詫びつつ、書庫で害虫被害が確認されたと報告してきた。ルークは穏やかにうなずいた。

「いいえ。すぐ報告に来てもらえてよかった」

 書庫の害虫は図書館の最重要問題のひとつだから、発見されたらすぐ報告することになっている。来客の邪魔をしたという点では、ルークは逆に感謝したいくらいだった。
 館長室でラッセルと二人きりになることもできるだけ避けているのに、ラッセルと同じ蜜色の髪をしたテレンス公爵夫人クララもいるとなれば、いつもにもまして動揺が激しくなる。並んでいるとクララとラッセルは血のつながりが一目瞭然だった。
 もっとも赤ん坊のころから大学街と王立図書館で純粋培養されてきたルークは、相手が貴族や王族だからといって臆することはなかった。何しろ、生まれや資産ではなく研究業績と著作が崇められる世界である。さらにクララの言った「父の学説」にも好奇心を掻き立てられていたが、会話にラッセルが割りこんできた時点で、さっさと退散すること以外考えられなくなっていた。
 というわけで、館長室の外に出たルークが職員に向けた笑顔には、思い出アルバム永久保存版の感謝と慈愛がこめられていた。

「大丈夫、用件は済んでいましたから、すぐ現場に向かいましょう」
「は、はい!」
「ああ、書庫の図面もあった方がいいですね。取ってきますから、先に行ってください」
「わかりました!」

 副館長に思いがけない笑顔を向けられた職員が、このあと会う人すべてにこのことを触れ回ったのは言うまでもない。そして、この笑顔について聞いた人々が、副館長は何をそんなに喜んでいたのかと考えたのも言うまでもない。悪い知らせを聞いたにもかかわらず、あんな笑顔を向けられるとは、館長室でよほどよいことでもあったのだろうかと。
 このときには来客がテレンス公爵夫人であることも知れ渡っていた。高位の貴族の公式訪問は決して隠せないものなのだ。これをルークの笑顔に結びつけたある職員は、副館長に笑顔をもたらすような特別な会話が館長とテレンス公爵夫人と副館長のあいだでなされたにちがいないと勘違いした。が、そんなことはルークのあずかり知らぬことである。


 職員を先に現場へ向かわせ、ルークは急ぎ執務室に戻った。テレンス公爵夫人が館長室にいるあいだに現場へ向かうつもりである。副館長室の書類棚には図書館の詳細な図面がおさめられている。
 ルークは天井を見上げ、リリの籠が空っぽなのを認めた。空色の羽根のドラゴンはとてもかしこく、ルークの仕事を邪魔することもないから、昼は籠の戸を開け放してある。いつもはドアが開けばすぐ飛んでくるのに、見当たらない。

「リリ?」

 ルークはドラゴンに呼びかけながら執務室をぐるりと見渡して、続き部屋のドアが半開きになっていることに気づいた。
 前任者のころからこのドアは締まりが悪かった。すぐ半開きになってしまうのである。ラッセルが続き部屋で昼寝をしているとルークが知ったのもこのためだ。前任者は続き部屋から館長室に出入りしていたのでまったく気にしていなかったが、ルークは修理したいと思いつつ、いまだに機会を逸している。
 きっとリリはあそこだ。
 続き部屋に一歩入ると、案の定、ドラゴンは壁際のキャビネットの上にいた。昼寝をしているのか、首をまるめて置物のように微動だにしない。ルークはリリ、と声をかけようとして、ハッと口をつぐんだ。壁の向こうからラッセルの声が聞こえたためである。

『縁談?』

 ルークの足はその場に固まった。盗み聞きなどしたくないから、さっさとリリを連れていかなければ。
 すり足でキャビネットに近づくと、ドラゴンはむくっと首をもたげ、鉤爪でカリカリとキャビネットをひっかきはじめた。焦ってリリへ手を伸ばしたルークの耳にまた隣室の声が入ってくる。といっても、単語がいくつかわかるだけだ。第七王子とかよりどりみどりとか、なんとかを娶るべきだとか。
 なるほど。ルークはテレンス公爵夫人が来訪した意味を突然理解した。ラッセルに縁談を持ってきたのだ。
 学生時代も何かと目立っていた彼のことだ、きっと引く手あまたにちがいない。王族や貴族の結婚は自由にはいかないと聞くが、それなりに選択肢も多いのか。
 と、一瞬でそこまで思考をめぐらせて、ルークはふと嫌な気持ちになった。ラッセルが琥珀色の眸で別の誰かをみつめているのを想像したとたん、腹の奥底に大きな石を投げつけられたような、重苦しい衝撃を感じたのである。

「リリ、おいで」

 ルークはそっと息を吐き、ドラゴンの繊細な聴覚でなければ届かない声でリリにささやきかけた。ドラゴンはぴたっと動きをとめ、首をめぐらしてルークを見ると、パッと翼を広げて肩に飛び乗った。ルークは急いで続き部屋を出ると、リリを肩に乗せたままドアをしっかり閉めた。そして書類棚の陰に置いてある脚立をひっぱり出し、ドアの前にもたせかけた。
 これで半開きになることもあるまいと安心しながら、ルークはふと、なぜこのドアには鍵がついていないのだろうかと思った。副館長と館長の連絡をスムーズにするためと前任者は説明したが、鍵くらいあってもよさそうなものだ。次の改修工事の項目にあげること、とルークは頭の中でメモをとった。



    3 焼き栗と学寮対抗戦の思い出について


 いつのまにか秋が深まっていた。王立図書館の庭を彩る木々も、黄色や橙色の葉をまとって、秋の化粧をはじめている。

「副館長、お帰りですか?」
「ええ、夕食のついでに散歩していきます。みなさんも遅くならないように」

 ルークはリリを肩に乗せ、図書館の正面玄関から外へ出た。いつもは中庭側の通用門から官舎に向かうのだが、今日は少し外を歩きたくなったのだ。テレンス公爵夫人の来訪や害虫発生といった予想外の出来事が立て続けに起きたせいだろう。
 公爵夫人が帰ったあとラッセルは会議のために外出し、そのまま王宮の行事へ行った。ルークは副館長として、館長の予定はすべて把握しているのである。おかげで今日はその後ラッセルと顔を合わせることもなく、ルークは心穏やかに過ごせたが、閉まったままの館長室のドアや、続き部屋のドアにたてかけた脚立を思い出すと、もう少し気分転換が必要に思えた。
 それにしても、リリと暮らす前のルークにはこんな発想が浮かぶことはまったくなかったのに、今のルークは不思議にも思っていない。副館長を見送った職員が「ドラゴンのサブスク効果、おそるべし」とつぶやいたのも道理である。

「夕暮れの散歩もいいものだね、リリ」

 ルークは歩きながら宙を見上げる。ドラゴンはルークの頭上三十センチの位置をパタパタ飛んでいる。
 門を出て大学街を歩きはじめると、向かい側を歩く学生が急に立ち止まったり、連れにひそひそささやいたりしはじめた。何か珍しいものでも見つけたのだろうか、とルークは思った。
 それにしても世の中の人というのは、道を歩いているだけで、思わず立ち止まってしまうものをよく見つけられるものだ。
 まさか自分が彼らにとっての「珍しいもの」だとは思いもせず、ルークはそのまま通りを歩きつづけた。
 毎朝見かけるコーヒースタンドは店じまいの最中だが、その隣には朝はいなかった焼き栗売りが店を広げていた。栗を炒る香ばしい匂いは大学街の秋の名物で、ルークも学生時代は、学寮に戻る途中によく買ったものである。焼き栗をむきながら、学友や親しい教授と学寮対抗戦を見物したものだ。
 学寮対抗戦は、有り余るエネルギーゆえに学問から気がそれがちな若者を教授が御しやすくするため、秋に行われる大学公認の行事である。チーム戦の球技と個人戦の剣技、それに新入生による仮装パレードが行われ、総合得点で優勝した学寮は食堂予算が基金から上乗せされる。
 球技や剣技に出場するのは、テレンス公爵夫人の言葉を借りれば「筋肉で考える」腕自慢の学生だけなので、ルークは新入生全員参加のパレードしか出場経験がない。それも寮の先輩に渡された衣装を着て、指示通り無蓋むがい馬車から周囲に微笑みながら手を振ったくらいだ。

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