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3.その手には乗らない
その手には乗らない②
しおりを挟む「あっ、沢北さん!」
「はい」
会場から直帰のつもりでいたのだが、会社に寄らなければならない用事ができて、たまたま戻って来たところだった。
ああこれは、胸騒ぎのする呼ばれ方。
「どうしました?」
「沢北さん、今日直帰の予定でしたよね? 良かった。実は楠木さんが、現場でやらかしちゃって」
「やらかした? 何を?」
「詳しい話は私もわからないんですけど、今 川上マネージャーとスタッフさん達が会議室Bに集まってます。あ、楠木さんもいます」
「了解しました。ありがとうございます」
話が終わるや否や、会議室Bへ急いだ。
ウソでしょ? どうして? うまくいってるって、思ったばかりだったのに。
何をやったの、楠木さーん!
河上さんも、大丈夫って言ったじゃない!
*
「失礼します」
ノックして会議室の中に入ると、その場にいた数人の目が一斉にこちらへ向いた。
「沢北さん、いいところに。お疲れさま」
「お疲れさまです」
な、なんだこの、険悪なムードは。
泣いたような目でジトっと見てくる派遣の女性スタッフ三人組と、〝本田丸〟の一人、田丸サブリーダー、少し困り顔の川上MGR。そして、いつも以上にふてぶてしさ満載の顔をした楠木君が、そこに立っていた。河上さんの姿はない。
楠木君と目が合うと、眉間にシワを寄せ首をぐりんと横に捻り、思いっきり顔を逸らされる。
露骨な知らんぷり。なんで?
「セレモニーがあって第二部が懇親会、その終盤だったからまぁ良かったんだけど、ちょっとスタッフ間で揉めちゃってね」
「え」
揉めちゃったって、楠木君と彼女達が?
「一体 何があったんですか?」
「……」
「…………」
当事者は誰も答えず、田丸さんの口から、驚愕の事実を聞かされる。
「楠木さんが彼女達に、〝貴女方は無能だから明日からもう来なくていい〟といった内容の事をおっしゃったんです」
「は?」
無能だから、明日から来なくていい?
田丸サブリーダーと同じくらいの長い期間、ここで働いている彼女達は、若手だがベテランの域で、けして無能ではない。現場の事もよくわかっているし、臨機応変に対応してくれる人達で、これまでトラブルもなく……。
ただ一つ問題があるとすれば、馴れ合いで若干手を抜くというか適当なので、悪い意味で要領が良い。無駄話なども多い方だ。
三人でまたなんか話し込んでいたかな……それが許せなかった? いやいやそんな事で彼がそこまで怒るのは考えにくい。基本的に穏やかな気質だと思うし、無能って……。
「あんな言い方されたらもう働けない、だそうです。山川さん滝本さん水野さん、この三人だけではなく現場で見ていた数名も、半ストライキ状態です」と、抑揚のない声で田丸さんが言う。そんな、どうして?
「楠木君どうして? なぜそんな事を?」
「……」
山川さん達は、多少問題はあるにしても、それなりに頑張ってくれている。能力もあるし、慣れてスムーズに動いてくれるスタッフ達を、「働きたくないならどうぞご勝手に」などと切る事はできない。女性の多い職場で、皆が不満や痼のある状態でギスギス働くなんてあり得ない。適切ではない。職場環境を大事にしてきたというのに。
息を吸って、楠木君に向かい話し掛けようと、口を開いた時だった。
静かに扉が開き、その場にいなかったもう一人の担当者が、部屋の中に入ってくる。
「すみません、遅くなりました」
「お疲れさま、河上君~」
「……」
現場での最終業務を終えて、河上さんが戻ってきた。
それまでしゅんとうなだれて、怒っているのか悲しんでいるのかわからなかった三人組がソワソワと動き出して、河上さんに向かって口々に言い訳と謝罪を述べ始める。
「透弥さん、ご迷惑おかけしました」
「すみませんでした」
「いえそれは、僕に謝らなくていいですよ。ええと、話はどこまで?」
「どこまでもいっておりません、平行線です。楠木さんは、言ったことを撤回する気はないし、辞めていただいて構わないと」
「ちょ、ちょっと楠木君、どういうつもりで言ってるの、君にそんな権限ないから。どうしたっていうの、そんな強気な態度で」
私が楠木君に向かってそう言っても、此方を見ようともしない。
だんだん、私まで腹が立ってくるな。
こら、こっち向け。
印象の良く見える立ち方勉強したでしょ!
目線全然なってないからな?
こっち向きなさい! この、この!
「すみません、いいですか?」
耳触りの良い穏やかな声で、河上さんが、その場にいる全員に向かい話し始める。
「話は全て僕が聞いてますので、山川さんと滝本さんと水野さんは、今日はもう帰りましょうか、時間も遅いですし」
「でも、」
「気が収まらないかもしれませんが、僕らは皆さんを頼りにしていますから。今週末の仕事も、いつも通りよろしくお願いします。皆さんに今辞められたらとても困りますし、こんな形で急に辞めることになったら、山川さん達も困るでしょう? 滝本さんも水野さんも、せっかくここまで頑張って働いてきたのに、勿体ないです」
「……」
「……」
「…………」
「楠木君もほら、突然あの物言いはないですよ、反省してください」
「……」
「会社の不利益になることです、楠木君」
〝今は折れろ〟の、圧が強い。
「…………はい、すみません」
「田丸サブリーダー、僕がいない時に場を収めてくれてありがとうございました」
「いえ別に、当然のことです」
川上マネージャーが腕を組んで見守る中、てきぱきとした説明で、とりあえずその場を閉じた。次の出勤時にもう一度話しましょうと約束をして。彼女達も、頭を冷やす時間が必要なんだ。
……きっと大丈夫、フォローはお手の物だもの。
山川滝本水野さん、三人は部屋を出る時に私を一瞥すると、バツが悪そうにペコリと頭を下げて行った。
田丸さんは目の前で大きく溜め息を吐き、半ば呆れた様子で「お疲れさまでした」と、会議室を後にした。普段から何を考えているのかよく分からず少し怖いけれど、冷静な人が居てくれて助かった。
結局私だけがほとんど理解できないまま、ただ楠木君の指導役としてその場にいる。
川上マネージャー、河上さん、楠木君と私、四人だけが会議室内に残された。
「──何があったんですか、楠木君。今日は大丈夫って言ってたじゃない……感情的になって、スタッフを責め立てたんですか?」
「……」
「ちょっと、不貞腐れてないで」
「あまりにも馬鹿馬鹿しくてくだらなすぎて言いたくありません、沢北さんには」
「言いたくなくても言ってください。事実を確認しない事には、私もお手上げです」
なんでよ、なんなのよ、せっかく上手くいってるって思っていた矢先に。
のろのろ運転でもちょっとズレてる変わり者でも、前向きに努力していて素晴らしいって、思い始めていたのに。
見るに見かねた川上マネージャーが、詳細を説明してくれる。
「ちょっと度を越した人の噂話とか、あとは今日のセレモニー自体の来客が、結構上流者階級の人達だったから、品定めしてるような会話もあったみたいだね」
「品定め? 度を越した噂話……?」
ああそうか、なるほど、彼女たちはたしかにそういう話をよくしている。その都度注意はしているのだが……。
今日は何だろう、それこそ、来場者がお金持ち揃いだから、狙いたいわ玉の輿婚的な、下世話な話だったのだろうか……あり得る。
もしかしたら楠木君が嫌いそうな会話の内容だったのかもしれない。
────でも、だとしてもだ、
「腹を立てて感情的になって、相手がぐうの音も出ないような責め方をしてはだめだよ、楠木君」
「……」
「ね、黙ってないで何とか言って?」
「……」
「どうして私にまでその態度なの? 子どもじゃないんだから、そんなにムッスリ脹れて、私だってがっかりしてます」
川上マネージャーの、溜め息を吐きながら苦笑する声が、部屋に響いた。
そして、その場にそぐわない明るさでどんよりとした空気を断ち切ったのは、やっぱり河上さんだった。
「我慢の限界だったんでしょう。そういう事もありますよ、感情的になる事も。けど、ちょっと辛辣に言い過ぎたよね」
「我慢の限界て、何があったの?」
「……別に」
別に、じゃないでしょう鉄平さんよ~
どこぞの女優だよ、ほんとにもーー!
そこで、笑わないで河上さんも!!
そして笑いながら、余計な提案をする。
「よし、じゃあ僕たちは、これから飲みにでも行きますか」
「……僕たち?」
「沢北さんも、嫌でしょこんなモヤモヤした気分のまま、明日休みだよ?」
飲み、このメンバーで? 私も? まさか酒の力を借りて本音を語り合おうとかそういうこと?
「行かなくていいですよ、だから今、ここでこうして話をしているんじゃないですか」
「うん、でもお腹も空いたしな~……あ、沢北さんが好きなあの銭湯に行く? あそこ館内で食事もできたよね」
「ぜっ、絶対に嫌です!」
揶揄われているのか何なのか、わからなくなってきた。楠木君を見れば変わらずに不貞腐れモードで……。
「河上君、悪いけど俺は今日無理だ、子どもの誕生日だから。父親の威厳に関わる」
「元から誘う気ないですよ、川上さんは」
「なんだよ冷たいな、誘えよ」
ほんと酷い、川上マネの方が上司……。
吹き出しそうになりながらも、
「私も、今日は結構です」
「……僕も結構です」
「まてまて楠木君~、君に断る権利があると思ってる? 指導役のあなたも」
「え、私も?」
「今日は結構ですって、今日に限らずいつでも結構ですの人でしょう、沢北さん。さ、不貞腐れてないで行こう行こう。銭湯はとりあえず諦めて、この近くの美味しいお店案内しますよ、大丈夫、今夜は勿論楠木君の奢りだから」
「え、ちょっと、河上さん!?」
有無を言わさず、帰り支度をして向かうつもりだこの人は。店にこれから行きますと、予約の電話をして。……本気だ!
これは、アルハラっていうんじゃないでしょうか? 嫌な予感しかしない。
眉間にシワが寄っている私と楠木君のことなどお構いなしに、河上さんから三人だけの飲み会に連行されることになってしまった。
※ アルハラ(アルコールハラスメント)
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