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3.その手には乗らない
その手には乗らない①
しおりを挟む全国の数ヵ所で開催された菓子イベントの仕事を終えて、河上さんが帰ってきた。
イベントの準備期間は、短時間会社にいることもあったけれど、常に周りから話し掛けられている状態で、実際とても忙しそうで、ここ数週間あまり話をしていない。
「大盛況だったみたいですね」
「うん、おかげ様で連日満員御礼でしたよ。また来年か季節が違う時期にやることになるんじゃないかな」
さらりと言っているが結構すごい事で、
それだけの成果があった、という事だ。
河上さんが担当者となり旗振り役になっていたそのイベントは、大きなトラブルもなく好評のうちに幕を閉じた。
依頼してきた企業や行政の担当者からは、相当なお褒めの言葉をいただいたと聞いている。先日、企画内容やチラシ等々を見せてもらったけれど、細部までさりげない気配りを感じられる、とても丁寧で興味をそそられる内容だった。
もっとこうしたら良くなるのにとか、改善点を上げろと言われてもなかなか出てこない文句の付け所のない、磨き上げられた企画。河上さんが関わる仕事は、いつもそうなる。
これはもう、企画部の人だけの力ではなく、企画に関わった河上さんの力が大きいことは、誰もが当然のように分かっていた。
それなのにへらへらしながら「困ったなー」などと言って隙を見せるものだから、周りはやらねば! という気持ちにさせられる。
上手いのだ、人を動かすのも。
「あ、そうだ沢北さん、これお土産」
「え」
オレンジ色のお洒落な紙袋を、目の前に差し出される。あ……、もしかして、
イベントでは、現地に行かないと買えないようなお菓子が、沢山売られていたらしい。
何のお菓子だろうと内心期待しながら受け取ると、思ったよりも重みがあった。
「ありがとうございます。これは、何でしょう? 形が……ドーナツ?」
「あーごめん、お菓子じゃないんだ。これはベーグルとプレッツェル」
「え!?」
プレッツェル!?
私、めっちゃ好きなんですけど!
「え、パ、パンも売ってたんですか!?」
「パンは売ってないよ、会場では菓子だけ。そのベーグルは会場のすぐ傍にあるベーグル屋さんのやつなんだけど、すごく人気で美味しいって。今朝たまたま見て沢北さんを思い出して、買っちゃったんだよね。たしかパン好きだったでしょ?」
そ、そうですけどなぜそれを──。
「はい、パンは好きです。特にプレッツェルは、全ての食べ物の中で一番好きで」
「え、そんなに? 良かった、それならもっと買ってくりゃ良かったわ」
「……」
めずらしく素直に喜んで、紙袋を抱え込む私を見て、河上さんまで嬉しそうに、弾けるような笑顔を見せる。
あ…………人は皆、これにヤられるんだ。
そんなお顔と心づかいを振り撒かれたら、嬉しくない人間はいないと思う。
食べ物につられた現金な私も、さすがに拝みたくなる。ほんとにまめだよなあ、よく私がパン好きなことまで覚えているものだ。
「楠木君のベーグルは、ごめん、無いわ。皆さんに買ってきたお菓子がいろいろあるから、楠木君はそこから適当にもらって?」
「はい。ありがとうございます」
「良かったね楠木君、甘い物好きだから」
「はい」
「おお、ほんとになに? ちょっと見ない間にお二人の雰囲気が全っ然違うんだけど、何かあったの?」
「いえ、何もないですけど、なんとか自力でここまできました」
「自力で?」
そういえば私、河上さんに相談するつもりでいたんだわ。でもあの日、勇気を出して昼休みに誘えたから……。
例の出来事を思い出すとまた笑いが込み上げてきて 口を手で覆った。
「……河上リーダーありがとうございます。お菓子いただきます。ごちそうさまです」
「いいえー、どういたしまして。でもなんかずっこけるな、楠木君が礼儀正しいと。まあいいや、というわけで、今ちょっと僕 浦島太郎状態なんで、来週のざっくりした流れを教えて欲しいんですが、沢北さんいいですか? 今日の夕方時間いただけます?」
「そのつもりでいました。16時に会議室は押さえてあります」
「了解です、ありがとう」
〝あーー、今日は身体がいくつあっても足りない〟と、軽快にボヤキながら、あっという間に私たちの前から姿を消した。
きっと一分後には、透弥さん透弥君と呼ばれて、人が群がっていることだろう。
「……」
「…………」
河上さんがそこからいなくなっただけで、その場はシンと静まり返る。
楠木君と黙ったまま顔を見合わせ、なぜか二人とも苦笑しながら二、三回頷いた。
なんとなくお互いに、考えている事が分かってしまった。
すごいよね、あの存在感は。
風のように現れて爽やかに去っていった。あの人が現れると、がらりと空気が変わる。
彼の持つオーラなのか気質なのか、あれがカリスマ性というものなのか、
飲み込まれる。
我々にはどうやっても真似できない技術、
二人束になってかかっても敵わない。
戦うつもりもないけれど。
「さて、楠木君はお昼入りましょうか」
「はい……。沢北さんは?」
「私はさっき頼まれた書類があるので、それを終わらせてから入ります。あ、河上さんのお土産のお菓子見に行ったら?」
「いえ今は結構です。恥ずかしいので」
「恥ずかしいんだ!?」
今はただ、少し人間らしさを見せてくれるようになった後輩に、癒されていた。
◇
「あはは、私案外好きかも その彼、可愛い」
「いやいや美玖さん、可愛くはないですよ、全然可愛くないです。ようやくそれなりに見えてきたってだけで………まあ、頑張ってはいますけど」
ひと月ぶりに、いつものスーパー銭湯に、そして美玖さんのリラクゼーションサロンに来ていた。夜ではなく、お昼の時間帯に。
そしてついまたこうして、報告してしまう。
たしかに美玖さんから見たら、楠木君なんて、可愛い坊やみたいな感じだろうな。
掌の上に乗せられてころんころん、だ。
「だって先月は悶々と頭を抱えていたのに、すごいミラクルじゃない」
「先月は……たしかにそうでした。お騒がせしてすみません。父の趣味のおかげで本当に助かった……」
美玖さんの前でも嘆き節で、笑われながら励まされた先月だった。
「新人教育も相手次第で色々と大変だけど、七渚さんにとっても良いことなのかも。ほら 人を育てると自分も育つって言うじゃない」
「あ、それは会社の人にも言われました」
「だって なんかちょっと生き生きしてるもの、後輩君のことを話す時」
「いえそれは、私じゃなくても誰でもですから。だって彼、ネタが尽きないんですよ」
「あはは、たしかにそうかもね」
でも考えてみると、ここ最近 人と話す機会がかなり増えた。良いこと悪いこと含めて、楠木君がらみでどうしても人と関わる機会が多くなったから。
自分のことなら仕方がないで済むけれど、人のことだと必死にならざるを得ない。
まるで子を持つ親みたい……知らんけど。
そしてそのせいか、自分基準ではあるが、会社にいる時の私が、ちょっとだけ明るくなった気がする。誰にも気付かれない程度、ほんの少しだけ。
「ところでその彼、お名前何て言うの?」
「お名前は、楠木君です」
「ああうん、名字じゃなくて下の名前は」
「下の名前は、顔に似合わず鉄平です」
「あはは 何それ、顔に似合わず鉄平って! じゃあどんな名前なら合うのーー」
「え、だって鉄平って顔はしていませんから。例えばそうだな、秀人とか啓吾、智晃、みたいな顔です。イメージ的には」
「アハハハ、やめて七渚さん、どっから湧いたイメージ、笑いすぎて頬っぺた痛い」
「そう言うけど会えば納得しますよ、鉄平、ではない」
美玖さんはひとしきり笑った後も、まだ何か考えているようだった。
「楠木、鉄平……」
「あれ、ひょっとしてお知り合いですか?」
「いや……うん、その鉄平君は知らないんだけど、彼、お兄さんいない?」
「……いますね、よく知りませんけど」
「お兄さんを少し知ってるかな」
「多分、お金持ちのお兄さんですけど」
「ええ? それを言うならその鉄平君もお金持ちじゃないの?」
「あ、そうか」
美玖さん、本当に知っているんだ。
……なんで?
「── 一体どういうお知り合いで……? まさかここに来るお客さんですか?」
「違う違う、そんなわけない。ああ、えっとほら、経済誌とかでたまに見かけるじゃない、イケメンよね」
「へえ、経済誌に載るような人がお兄さんなんですね、楠木君。美玖さんそんな雑誌読むんですか? 勉強家だなぁ、私表紙すら見たことないです」
「……まあ、読むのよ、時々」
かなり無理のあるぎこちない会話を、私はそのまま信じた。どのようなお客様にも対応できるように様々な情報収集をするのだな、勉強家だな美玖さんは、と、繋がらない会話に、何の疑問も抱かず。
「じゃあその楠木君、楠木産業の御曹司じゃないの」
「そうなりますね。でもそれ、一応秘密なんですって」
「でしょうね、女性の多い職場じゃ大変なことになるもの、彼がどんな人間だとしても、狙われて」
「あーなるほど、そういうこともあるのか」
「ちょっとー、七渚さんだってその彼がもしかしたら運命の相手で恋仲になったりして、そしたら玉の輿だわ! とか考えない?」
「玉の輿、私が? 私と、楠木君が? いやちょっと、さすがにそこまで飛躍的な発想はなかったですね」
「苦手な婚活パーティーで変な男引き当てたり、楠木君のあり得ない名前を生み出すよりはずっと現実的だと思うけど」
「あははは」
「笑うとこ?」
*
汚れた什器を拭き掃除している、スラリとした後ろ姿を眺める。
そうだよなぁ……、いいとこのお坊ちゃんなんだよね、楠木君。それも国内では有数の名の知れた企業の御曹司。
本来であれば、こんなところにいるような人ではないのかもしれない。
楠木君、ここに来る前は何をしていたのだろう? どういった経緯でここに?
何も聞いていない。気にしたこともなかったけれど……。
私が知っているのは、好きなマンガ家様と好きな歌手のことだけ。
叩き直して鍛えて欲しい、いつまでここにいる予定なのかわからないけれど、基本的なことが一通りできるようになれば、指導役は私ではなく河上さんに移るんじゃないかな。
なんか、そんな気がする。
きっとすぐに解散してしまう 今だけの関係性なのかもな。
「───あの、どうかしましたか? じっと見て」
「え、私 じっと見てた? ごめん、なんでもありません」
「?」
「楠木君、今さっきここに来ていた企画部のサブマネージャーいるでしょ? あの人の顔覚えておいてね。河上さんとよく組んでる人で、今後色々と関わることになると思うから」
「わかりました」
考えてもしょうがない、仕事だし。
「楠木君、そろそろ時間だよ」
「……はい、そうですね、行って来ます」
今日これから我々二人は、別の会場に行くことになっている。それぞれ別のイベントに人員配置されているからだ。
ほとんどお守り役でべったりと同じ現場で仕事をしてきたから、別々になるのは初めてだった。
「判断に迷うことや困ったことがあったら、河上さんがリーダーなので全部聞いてください。わからないのに勝手に動いたりしないで」
「はい、わかりました」
ああ、ちょっと怖い。何事もなく無事に終わりますよう。……まあ、あの人がいるから心配するまでもなく大丈夫なんだけどさ。
一抹の不安を抱えながら、自分の担当する会場へと向かった。
私の知らない所で、予想外の騒動があった事実を知らされたのは、それから数時間後のことだった。
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