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3.その手には乗らない
その手には乗らない④
しおりを挟む「──ここに来る前は、院を卒業してからは少しの間自宅に籠っていましたね」
脈略なく再び始まった会話は、先ほどの質問への返答らしい。
「え? ああ、さっきの話の続きか」
「うちは基本的に放任で、父も母も僕にあまり関わりません。だからと言って険悪な仲とか、突き放されているわけでもありませんが……。先ほど言った通り自宅が何ヵ所かありますので、父と母がその日どこに帰っているのかも知りません。どうしても用がある時は連絡を取り合いますけど」
「なるほど」
「……」
お家の話、自分からしてる。
なんだ、タブーではなかったか。
突然始まった身の上話に耳を傾けるものの、いろいろと私の中の常識と違い過ぎて、相槌を打つくらいしかできない。
「でも兄だけは、なぜかずっと僕の心配をしていて、過保護でしつこくて、今後についてあれこれ言ってくるんです、どうするつもりだと。仕方がないからよく考えて、これだと思ったものを伝えたのですが……」
「これだと思ったものとは?」
「高等遊民です」
「……こうとう、ゆうみん?」
なんだっけ、それ。
河上さんが目の前で、「楠木君面白い」と、我慢できずに吹き出した。
「でもそう言ったら、溜め息を吐かれ呆れられまして、父に告げ口され、わざわざ呼び出されて、さすがにそれはよしとしないと反対されました。大騒動です」
「だよなぁ高等遊民て。でもたしかに楠木君は、そうなれる条件を全て持ってるからな」
「え、なんですか? 高等遊民って」
「高い教育機関で教育を受けてきたにも関わらず、経済的に不自由がないため労働に従事することなく読書などをして過ごしている人のことです」
「自由気ままにのらりくらり好き勝手に、そりゃあお兄さんも心配するでしょ」
「ええとそれは、ニートのお仲間ですか?」
そんな属性があるとは、この歳まで生きてきて知らなかったが、たしか明治大正時代の言葉じゃなかった? 夏目漱石の頃の。
お兄さんとは例の、美玖さんがちょっと知っているという、雑誌に時々載るイケメンの、楠木産業の重役の方だよね?
兄弟間の軋轢とか憎悪とか、どろどろした感じではないみたい。ドラマの観すぎか。
「そこからはもう父に就職をしろと圧をかけられ、関連企業にという話もあったのですがどうしても……あちらでは身がバレていますし。……edgeさんには兄の知り合いがいまして、それで僕の方からお願いしました。どうかedgeクリエイトで働かせてくださいと。完全なるコネ入社ですが。……今に至ります」
今に至るのですね、なるほど。
そして駅の階段から転げ落ちた、と。
まあそうだろうね、あまりにも規格外過ぎて、面接で落ちちゃうかも。かなり強い力が働いた、ごり押しのコネ入社でしょうね。
けどそうだったのか、楠木君が望んで。
なんとなく少し安心したかも。
「もうすぐ三か月くらい経つけど、どう? 続けられそう?」
河上さんは驚きもせず優しくそう問うと、楠木君は意外にも「はい、楽しいです」と答えた。あんなに無味無感動の顔をして、心の中では楽しかったとは……。でも何だか嬉しい。
そして更に思わぬことを言う。
「ですが僕はそれで良くても、七渚さんには過度な迷惑を掛け続けています。それはとても、申し訳ないと思っています」
わたしに?
「沢北さんは真面目で責任感強いから、何かあると庇ってくれてちゃんと理由を聞いて、一生懸命教えてくれるもんな」
「……はい」
「そ、そんなことありません、私はなにも、普通にしているだけです。本当なら河上さんに学べば、もっとよくなるのにと思ってます」
動揺して、手に持っていたグラスビールを一気に飲み干してしまった。
「だけど、待てよ? それを言うなら今日の騒ぎは一体なにがあってあんな……」
「沢北さんはそこに戻る」
「透弥さん、僕はとりあえず、人並みになりたいと思っています。人に迷惑を掛けず、〝一人前〟に社会で機能するには、まず何を始めればいいのでしょうか」
ついには河上さんのことまで名前で呼び始めた。皆がそう呼んでいるから、私を七渚と呼ぶより違和感はないが、酔うと人の名前を親しげに呼びたくなる酒癖なのか。聞いたことのないタイプのおかしな酔い方。
だけどそんな風に、仕事のアドバイスを河上さんに求めるのは、正直意外だった。
やはり一目置かれる存在、楠木君まで。
私に対しては、最近おふざけが過ぎるが。
「そうだなー、まずはご飯と味噌汁かな~」
「え?」
ご飯と味噌汁? なにそれ仕事の話ですよね?
「楠木君、一人で暮らしてるとはいえ、身の回りのことは何もしてないんでしょう? なんでも先回りしてやってくれる人がいるのは楽だけど、いつまでもそうとは限らないし、今後、君の人生がもっと忙しくなるかもしれないじゃない? 余裕のある今のうちにやれるようになった方がいいと思う。簡単なことだよ、自分が口にするものは自分で準備する、洗濯と掃除も自分でやる」
「白米は、一度も炊いたことがありません」
「一度覚えれば簡単だよ。なにも昔みたいに釜で炊けって言ってるわけじゃないんだから、炊飯器一つあれば失敗しようがないし」
普通に考えると当たり前の簡単な事でも、楠木君にとっては、かなり難易度が高いかもしれない。
つまり 生活能力を高めろと、そう言いたいのだろうか。なるほどね、出来るけどやらないのと、全く出来ないからやらないのでは違う。
「台所のコンロはIH?」
「はい」
「それなら安心だ。楠木君の場合 火の不始末は、子どもより不安だからな。一度教えますよ、味噌汁の作り方。あとは基本的な調理法がかなり覚えられる動画サイトもあるから。オススメのアドレス送るね」
楠木君はじっと河上さんを見つめて、項垂れる。
「親の家に住んで、人に全部やってもらっているようではね……」
「そんなに重く考えなくていいけど、自分の面倒ぐらい自分で見れるようになりましょうか」
河上さんの話を真剣な顔で聞いて素直に頷いている楠木君を見ながら、やったこともない料理をして、火傷や切り傷になどならなければいいと思った。やはりどこか親心のような心配。小さなことから少しずつ、彼は今、変わりたいと思っている。
河上さんが一つ前に飲んでいたロックの芋焼酎が気になって、同じものを注文した。
焼酎の銘柄など知らないが、希少なものらしい。ロックグラスがキラキラして、とても美味しそうに見えた。
「あ、美味しい。これ飲みやすいですね」
「顔色全然変わらないよね、強いんだ?」
「まあ、はい」 遺伝的には。
「普段は何を飲んでるの?」
「普段は飲みません。今日は久々で」
「え、これ結構強いけど大丈夫?」
「全然大丈夫です、水みたいに飲めますよ。芋焼酎、甘い? 美味し……」
楠木君は自分が話したいことを一通り喋り終えると、さらに数杯のビールやお酒を勢いよく飲んで、首を傾けたまま静かになった。
え、まさか、船を漕いでいるわけでは。
人並みになりたいって、ちょっと!
そういうとこだぞ!
「お待たせいたしましたー。鶏レバーと、かしらをお持ちしました」
「あっ」
「ん? どうかした?」
「どうして、私がレバーとかしらに目がないことを知っているんですか!?」
「いや、たまたまだけど。俺が食べようかと……まあいいや、食べましょう」
「ちなみに鶏皮とささみも好き」
「美味いよね、食べれるなら注文するけど」
ちょっと怪しい、沢北さん酔った? と、河上さんに疑われていることにも気づかず、好物のそれを口に頬張った。
「沢北さん、休日は何してるの?」
「休日ですか? えーと……」
酔いというものに、スイッチなどはない。
口数は異常に多くなり、ふわふわしてとても気分が良い、気付けば、いつの間にかそうなっている。
先ほどまであれだけ警戒していた質問タイムのターゲットが自分に移っていることにも、何の違和感もなくなっていた。
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