【完結】恋する凡人

中谷ととこ

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4.忍び寄る

忍び寄る①

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「──一昨日は、ありがとうございました」

「いえこちらこそ~。二日酔いになりませんでしたか?」

 休み明けの河上さんは、拍子抜けするぐらいあっさりで、いつも通りだった。
 突然距離を詰めてくるようなこともなく、一昨日のことなど何も気にしていない様子で。

「はい二日酔いは、大丈夫でした……あの、いろいろとご迷惑をお掛けしまして」

「ああ、全然大丈夫ですよ」


 そっか、そうだった、大人ってそういうものよ。飲みの席でのあれこれを翌日まで引きずったりしない。
 私は昨日一日憂鬱で気が重かったけれど、河上さんにとっては、ありふれたなんてことのない、同僚とのただの飲み会、だったのだろう。呆れられたかもなんて、自意識過剰だった。

 とはいえ、相当迷惑をかけたのはたしかで、河上さんは酔っ払い二人をどうやって自宅まで送り届けてくれたのか。
 信じられないことに、財布の中身を見てもお金を使った形跡はなく、おそらくあの状況から考えて、河上さんが支払ってくれたのだと思う。
 私の分はおいくらでしたか?と、聞いていいものか、ごちそうさまでしたとお礼するのがいいのか、こういった〝人づきあい〟の経験が乏しすぎて、何が正しいのかわからない。情けないことに。


「河上さん、もしかして私を自宅まで送ってくれましたか? その辺の記憶が曖昧で……」

「ああ、やっぱりそれも覚えてないか」

「え?」

「いえ、普通に会話は成り立っていたから、まさか無意識とは。かなりふらふらして危なかったので、タクシーで送っただけですよ。……まあいいや、いろいろ引っ括めて気にしないでください」

「えっ」

 いろいろ引っ括めて全部気にしますが!

「マンションの前でタクシーを降りて、私は一人で部屋に?」

「そうですよ」

「誰かと一緒にエレベーターに乗ったような気がして……、鍵も開けてもらって」

「へえ、夢でも見たんじゃないかな?」

「夢、なのかな……? あ、それに私 焼鳥のお代を全く出していなくて」

「え? ああ、それは要りませんよ。強引に誘ったのは僕ですから」

 河上さんはにこりと頷き、これから朝一で打ち合わせがあるから外出しなければならないと、席を立った。タイミングがとても悪い時に声を掛けてしまったようだ。


「また行きましょうね」

「──えっ、あ、ご馳走さまでした!」

 財布を胸に抱きしめたまま、なんて格好のつかない……。また行きましょうと言われているのに、そうですねと応えることもせず、曖昧に頷いた。

 いろいろ失敗したーー、自己嫌悪。
 調子に乗って、失言などなかっただろうか?
 聞きたい事がいろいろあったのに、結局ほとんど聞くことはできなかった。




「──七渚さんあの時酔っていたんですか? そうは見えなかったですが」

「だから、楠木君が眠る前までは全然酔っていませんでした、その後だよ」

 楠木君の記憶は、案の定当てにならなかった。私が目を閉じたそこから先の事なんて、何も知らない。

「私、どうやって家まで帰ったんだろ……」

 無意識にてきぱき歩いていたのならそれはそれで怖いのだが、多分それ。

「僕はコンビニでアイスを買って食べた覚えはありますけど。あれ? その時一緒にいたのは七渚さんですか?」
「アイス? わからない、全然覚えてない」
「ははは、一体何をやっているんですか」
「君に言われたくないんですけど。しかも何なの、その七渚さん呼びは。許可してません!」

 なぜか楠木君との間では、飲みニケーションの効果がそれなりにあったようで、また少し打ち解けた気がする。ちょっと褒められて情が移るなんて、我ながら単純だけど。


「あーあ、酔っ払い二人のお世話させた上に食事代も全部出してもらっちゃって、申し訳なかったね。楠木君もお礼言ってね」
「はい。ご迷惑をおかけしたので、僕が出すつもりでいたんですけどね。でも後から気付いたのですが、そもそも僕 ほとんどが電子決済なので、財布もカードも持っていませんでしたよ、小銭入れしか。あはは」
「ご馳走になる気満々じゃないの!」


 例の三人のスタッフと楠木君は、河上さんが上手く調整しフォローしてくれたようで、業務上近づくようなことはなく、それ以上大きな問題にはならなかった。

 河上さんと私も、以前と何も変わらない。
 だけど私は、河上さんのあのワカメ頭が天パで、濡れるとうねるということをなぜか知っている。そんな話をしたのだろうか?
 河上さんあちらは何も変わらなくても、私の方は、以前より少しだけ、彼に対する親しみが増したことを否定できなかった。
 人たらしの手腕、恐るべし。


 存在自体をすっかり忘れていたあの人とばったり再会したのは、それから数週間後の仕事中のことだった。




 その日は、会社の近くのシティホテルで、とある企業の創立◯◯周年記念式典が行われていた。
 式典に加え、午前中から夜の懇親会まで丸一日の日程で様々な行事が予定されていた。

 企画部のディレクターと打ち合わせをしながら、現場スタッフに指示を出し取り纏めているのがいるのが河上リーダーで、私はその補佐役を務めていた。


 全日程が終わり、これから立食の懇親会が始まるというタイミングに、背中越しに誰かから声を掛けられた。


「沢北さん?」

 ────え?
 
 聞き覚えのある声に、恐る恐る振り返る。


「ああ やっぱりそうだ、沢北さんではないですか。どうも、ご無沙汰しております」

「……南澤さん」


 以前、会社近くのカフェで一方的に暴言を吐かれ 嫌な思いをした相手、南澤さんだった。
 下の名前は、もう思い出せない。
 婚活パーティーで知り合った男性だが、今となってはなぜこの人と二度も食事をする気になったのかわからない。

 お勤め先はたしか……ああそうか。
 創立◯◯周年を迎えるD社と付き合いのある企業の社員が多数参加している今日のイベント、この人がこの場にいてもおかしくはないが、なぜ今更私に声を掛けてくるのか。
 なんて言われたっけ? 無愛想とか可愛げがないとか、あなたといてもつまらないとかなんとか────。


「お久しぶりですね。お元気ですか?」
「ええ、まあ」
「今日は僕、D社のセミナーに参加して、これから懇親会ですが、沢北さんも?」
「いえ私は参加者ではありません。そのD社の式典を開催するにあたり依頼を受けた運営側です。D社様はクライアントですので」
「なるほど、そうなんですね!」

 なぜこの人は、こんなに明るく私に話し掛けてくるのか。随分機嫌良さそうにぺらぺらと。忘れているの? 散々言われたこちらの方が、とても気まずいのですが。

 嬉しい楽しいだけではなく、不快だという感情もあまり表情に出ない私は、またきっとつまらない顔をして、無愛想で可愛げのない態度で、南澤さんの前に立っている。
 まったく、女として零点を言い渡した人間に気軽に話し掛けないで欲しい。

 ところがどういうつもりか、さらにおかしな事を言い出した。


「ちょうど良かった。僕もう一度あなたと、話したいと思っていたんですよ」

「は?」 

 今なんて?
 もう一度話してみたいって、何を? 
 どういう心境の変化よ。

「いえ、私は、話す事は何も」

「だから、僕が話したい事があるって言ったんですよ、聞いてました?」

「聞いてましたけど、でも私は話したくありません、忙しくて時間もないですし」

「それならこの後少しだけ話せませんか? ここから駅に向かうと、広めのカフェがあるでしょう? そこで待ってます。忙しいのは僕も同じですし」

 そ、そこで待ってますって、いやいや、
 本気で言ってるの!? 信じられない。

「私は行きません」
「どうして?」
「ど、どうして、って……」

 絶対に嫌、行かない、今のこのやり取りも嫌。


 近くにいた男性二人が、我々二人の異様な空気に気付いたらしく、ちらちらとこちらを振り返る。ここで言い合うのはまずい。

「まあいいや、では後ほど」
「あっ、南澤さん!」

 困ります! 小さく叫んだ私の声は、勿論南澤さんには届かない。
 自分の言いたい事だけ言って逃げていくという、相変わらずの身勝手さに震える。
 ただ下に見られて、なめられているだけか。

 私に何の話があるっての。
 もう二人だけでは話したくない、話が通じないんだもの。

 でも行かないで知らんぷりしたところで、あの人を待たせたりしたらどうなるのか。怒ってまたわざわざ出向いて来るのではないだろうか? 無視するのも不安。


「どうしよう……」

「──今の方、お知り合いですか?」

「……あ、楠木君、お疲れさまです」

「大丈夫ですか? 今日の来場者の方と何かトラブルでもありました?」

「え?」

 思わず微笑んでしまう。そんなことを気にしてくれるようになったのかと、親心で。楠木君の口から出た言葉じゃないみたい。

「大丈夫だよ。偶然知り合いに会って、挨拶されただけだから」

「それにしては不穏な空気というか、横柄な態度ではなかったですか? 今の……」

「話聞いてたの?」

「聞いていませんよ。カフェで待ってます、行きません、くらいしか」

「しっかり聞いてるじゃないの」

 仕事中に個人的な話など普通はしないが、〝大丈夫ですか?〟と気に掛けてくれた事が嬉し過ぎて、軽く事情を説明した。




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