29 / 54
5.優しい夜
優しい夜⑤
しおりを挟む本当に心配はしていない、全然、まったく。
河上さんを信用しているのは勿論のこと、私を女として見ていないことぐらいわかっているから。
今日はこんな事になったけれど、いつもの休前日はどう過ごしているのか、河上さんと一緒に過ごしたい人など有り余る程いる。
今日だってもしかしたら予定があったかもしれないし、間違いなく女性には不自由していない。
恋話が好きな面々がよく、河上さんがどれだけモテるのか噂しているのを耳にするし、一度だけだが、ああ昨晩は女性と一緒だったのでは? と、感じたこともある。
手は出しません、安心してくださいって、わざわざ言うなんて紳士ですね。
紳士だけどさ、わかっているのよ、改めて念を押されなくても。まさか、この展開は、何かあるかもしれない!? なんて思ってないけどね、捻くれた考え方をすると、あなたは女としての魅力は無いから全~然大丈夫、と言われているようでどうにもこうにも……まあ実際そうだから仕方がないけれど。
ベランダになど出なくてもいいじゃんか。
お風呂上がりの私が、身体にバスタオル一枚巻いた姿で部屋に現れたところで、おやおや風邪を引きますよ? 早く服を着なさい、と言う河上さんしか想像できない。
男女二人がこんな深夜に狭い部屋に二人きりでいても、何も起こらない、起こり得ない、河上さんと私では。
さっきの、抱きついて泣きじゃくった時のぬくもりを、不意に思い出した。
怖くて、離れないで欲しくて、河上さんに傍にいてと強く願ったあの感情は? この人の隣にいれば安全という、危険を回避するための本能なのか、それだけか?
引き寄せられて、抱きしめられた気がしたけれど、それも気のせいか、まあ、あの状況だから仕方がないね。
河上さんにとっては不本意かもしれないが、私があんな風に人を頼って号泣したことなんてないから、あれも初めてだから、何度も思い出してしまいそう。あの瞬間は私が、私だけが、河上さんを独占していたって。
◯
「──お待たせしました。お風呂上がりましたから、あと寝ます」
「……え、早い、もう?」
「はい、夜も遅いし、ざぶんと」
ベランダで待つ人を呼びに行く。
今日はそれほど寒くはないけれど、やはりこんな場所で待たせなければ良かった。
「河上さんもお風呂どうぞ」
「いや僕はいいですよ、朝自宅に戻ってから入ります。明日僕は休みだし」
「わかりました。お湯は一応入れ替えたので、入りたい時は入ってください。あとこのスウェット、メンズのLサイズなので着れるかと思って。もしよければ」
「え、お湯を入れ替えたの? それじゃあ沢北さんほとんど入ってないじゃない」
「いえ、入りました、ほこほこです」
「……」
あれ? お湯変えるのダメだった?
私の後ではいやかと思って。
「……じゃあ、せっかくだから入ろうかな、少し冷えたし」
「あ、はい、どうぞ。これ、バスタオルとスウェットです」
リビングのラグの上に、圧縮されてクローゼットにしまってあった座布団三枚を敷き、そこにタオル素材のシーツを掛けた。
枕は私が使っている物しかないため、一人掛けの大きな椅子の上にいつも置いてある、クッションを代わりに。そこに、普段私が使っている羽毛布団を掛ける。
三枚の座布団に背の高い河上さんの身体は収まらないだろうし、見た目にも歪な簡易的な寝床はままごとのようだが、仕方がない。床で寝るよりはましだろう。
そして私は自分のベッドに、厚手の毛布とタオルケットを掛け、中に潜り込んだ。
このまま何も考えず、寝てしまおう。
家の中から、私以外の音が聞こえる。
変なの、面白い、落ち着かないのに、
なぜか安心する、シャワーの音。
お風呂、良かれと思ってお湯を入れ替えたせいで、気を遣わせてしまったかもしれないな。下着も無いのに無理に入らせちゃった。
いちいち慣れていなくて滑稽だわ。
でも大目に見て、今日だけのことだから。
◇
「お風呂、いただきました……あ、布団」
早っ、もう上がってきた。
「沢北さーん、あれ?」
「……」
頭まで毛布をかぶって丸まっているので、どんな姿で話し掛けているのかはわからないが、寝たふりを決め込む。
「沢北さん? 起きてる? おーい」
「……」
「おーい、もう寝ちゃった? 沢北さーん」
「…………寝てます」
「起きてるじゃん」
「……」
寝たふりを諦め、毛布からもぞもぞ顔だけ出す。なぜ起こそうとする。
「何ですか? 寝ようとしているんですが」
「沢北さんは明日は仕事だからね」
「そうですよ、明日というかもう今日です。だから寝ます。……ちゃんと温まりました? もっと、ゆっくり入って良かったのに」
「いや、入りましたよ? ほこほこです」
「ほこほこ?」
「沢北語」
「はい?」
酔っているわけでもないのに、酔っているかのように明るい。……いつもか。
「喉が乾いたら、冷蔵庫にジンジャエールと強炭酸と烏龍茶、ミネラルウォーターもあるので、好きなのなんでも飲んでください」
「ありがとう」
「ビールとかノンアルはありません」
「十分至れり尽くせりで。お風呂も布団もありがとう。かえって気を遣わせてしまいましたね。ずっと起きているつもりでしたが」
「寝てください。敷布団がないから簡易的なお布団ですみませんが」
「こういう〝お布団〟ははじめてですねえ」
そう言いながら、子供のお昼寝用のような寝床に腰を下ろした。普段なら女性のベッドに潜り込むのかもしれないが、そういうわけにはいかないのでね、今夜は。
「この布団、沢北さんの匂いがするなー」
「なっ、やめて、嘘でしょ!? 匂いを嗅がないでくださいっ。そんな事を言うなら布団返して」
「返したら寒くて風邪引くじゃない」
「風邪って……もういいや、おやすみなさい」
私のベッドと、座布団で作った寝床の場所は、3メートルほど離れている。
薄暗い中、コンタクトを外していてぼやけてしか見えない中、河上さんの姿を確認すると、髪を濡らしたのかいつもよりボリュームダウンしており、違う人のシルエットに見えた。私がたまに着ている何の変哲もない大きめのスウェットは、河上さんが着るとなんだかお洒落だ。
「……」
今更だが、どう考えてもこの状況はおかしい、おかしいぞ。ただの同僚なのに、変。
ようやく眠る気になったのか、河上さんもその場所にごろりと横になった。
「あのさ、沢北さん」
「……はい」
「少しだけ、話してもいい?」
「はい、なんでしょう」
まだ、寝ないらしい。
お互い自分の場所にいて、仰向けの状態。
私は天井をじっと見つめていたが、静かに目を閉じた。
「この部屋から引っ越すのは、あまり乗り気ではない?」
「え?」
何の話かと思えば、真面目な内容だった。
「いえ、正直言うと、どうしてこんな事でって悔しい思いはありますけど、新しい部屋を探そうと思います。楠木君の言ってた通り、ここはセキュリティーは甘いですし、玄関がね……暗くなってからは怖くて帰りたくないかもしれない、とはいえ現実的には暗い時間に帰ることも多いし」
「そうだね、静かでいい場所だけど」
「それだけ人通りも少ないって事ですよね」
「まず明日にでも総務に、余っている社宅か寮がないか確認しましょう」
「いや、無いと思います。応募が多くて入れなかったという話はよく聞きますし。それに時期もずれているから、空きなんて……」
「まあ、ダメもとで一応ね」
私がやるべきなのに、河上さんが確認してくれることになった。本当に面倒見がいい。
「河上さんは、誰のことでもこんなに心配して親身になって……過保護なんですか?」
「過保護? そう? あまり褒められてる気はしないけど」
「だって前にもほら、私に夜道は危ないから銭湯に行くなって。河上さんにそう言われてからは、夜遅くに一人であの銭湯に行くのは止めましたけど、心配性だなってその時は」
「銭湯から出て一人で自転車で帰ってる姿を想像すると、ちょっとぞっとする。コンビニくらいは仕方がないと思ってたんですけどね、今日までは」
河上さんが今、どんな表情で話しているのかまではわからないが、少し落ち着いた口調に変わった。
過保護と言われたことが心外だったのか、河上さんは思いも寄らぬことを話し始めた。
「子どもの頃の話だけど」
「はい」
「誘拐されたことがあるんですよ」
「え、誘拐? お友達とかがですか?」
「いや、俺が」
「え!?」
河上さんが?
79
あなたにおすすめの小説
Marry Me?
美凪ましろ
恋愛
――あの日、王子様があたしの目の前に現れた。
仕事が忙しいアパレル店員の彼女と、王子系美青年の恋物語。
不定期更新。たぶん、全年齢でいけるはず。
※ダイレクトな性描写はありませんが、ややそっち系のトークをする場面があります。
※彼の過去だけ、ダークな描写があります。
■画像は、イトノコさまの作品です。
https://www.pixiv.net/artworks/85809405
【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~
安里海
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。
愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。
その幸せが来訪者に寄って壊される。
夫の政志が不倫をしていたのだ。
不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。
里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。
バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は?
表紙は、自作です。
恋は、やさしく
美凪ましろ
恋愛
失恋したばかりの彼女はひょんなことから新橋の街中で上司にお姫様抱っこされ……!? ――俺様な美形上司と彼女とのじんわりとした恋物語。
性描写の入る章には*マークをつけています。
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
楓乃めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
親愛なる後輩くん
さとう涼
恋愛
「神崎部長は、僕と結城さんがつき合っているのを知りながら彼女に手を出したんですよ」
雨宮一紗(33歳)。離婚して3年。
同じ会社に勤める元夫・神崎敦朗と復縁したくて、ある日食事に誘ったら、神崎から恋人がいると知らされる。相手は20代の部下・結城史奈だという。
さらに神崎のもうひとりの部下である蓮見閑《しずか》から、彼女(結城)を神崎に略奪されたと聞かされてしまい、大きなショックを受ける……。
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
【完結】泡になった約束
山田森湖
恋愛
三十九歳、専業主婦。
夫と娘を送り出し、静まり返ったキッチンで食器を洗う朝。
洗剤の泡が立っては消えるその繰り返しに、自分の人生を重ねながら、彼女は「ごく普通」の日常を受け入れている。
愛がないわけではない。けれど、満たされているとも言い切れない。
そんな午前中、何気なく出かけたスーパーで、背後から名前を呼ばれる。
振り返った先にいたのは、かつて確かに愛した男――元恋人・佐々木拓也。
平穏だったはずの毎日に、静かな波紋が広がり始める。
嘘をつく唇に優しいキスを
松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。
桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。
だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。
麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。
そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる