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7.刹那的、夕暮れ
刹那的、夕暮れ③
自分の口元を、両手の人差し指で押さえた状態で、顔ごとそちらを向ける。
声を聞いた時点で、それが誰なのかはすぐにわかった。わかったけれど、その姿を見て唖然とする。頭の中が真っ白になった。
目の前には、先ほどから私の中で、浮かんでは消えていた、彼が立っていた。
私の中では、〝河上さん〟その人が。
だけど、この人は、誰?
別人にしか見えない。
仕事の時とはまるで雰囲気の違う彼に驚き過ぎて、泣くほど会いたかった気持ちも、顔を見られた嬉しさも、ピンク色の野望は全て吹き飛んだ。
いつもの彼が着ているような、個性的なファッション、オフィスカジュアルの装いではない。
シンプルだが高級そうな、彼のために仕立てられたのではないかと思うほどよく似合っている、やや細身のスーツ姿。髪型は六四か七三くらいに分けられた、横流しのオールバック。
服装や髪型が違うのはさておき、表情まで違う。人当たりの良い柔らかさはなく、目が合っただけでどうにかなりそうな、カリスマのような風格がある。足元の靴が、清潔で美しく、光って見えた。
きゅん、ではなく、背筋がゾクリとした。
私がポカンとしたまま固まっているのに、彼は何も言わない。見下ろしながら、不敵な笑みを浮かべて、先程まで真島さんが座っていたソファーの右半分に、当然のように腰を下ろした。
とてもじゃないが、いつものように、
〝河上さん〟などと、気軽に呼べない。
それくらい威圧感がありオーラが違った。
そうか、この人は、河上 透弥 なんだ。
「……どうも」
「……あ」
〝こんにちは、奇遇ですね〟
〝今日はこちらのホテルで何かイベントごとでも? 仕事じゃなくて……〟
〝いつもと格好が違うから、河上さんとはわかりませんでしたよ、はははっ〟
〝あれっ、もしかして河上さんではない? 瓜二つの双子の弟さんですか?〟
〝ていうか河上さんて、二重人格ですか? 今日はずいぶん、ギラギラされてますね〟
なにか、冗談でも真面目でもいいから、
気の利いた台詞が出てこないものか、
何でもいいから話すんだ、七渚さんよ。
それで、ようやく絞り出すようにして発した言葉は、
「透弥さん?」
呼んだこともない、彼の名前。
だって呼べないもの、河上さんなんて。
両手の掌を合わせて こちらを振り向き、斜めに首を傾げながら「……はい?」と、ふてぶてしく、気怠く、返事をされる。
なぜ疑問形? 不機嫌過ぎやしないか。
〝は? 透弥さん? 君、一度もそんな風に呼んだことないだろ?〟って、言われているようで、途端に気まずくなる。
「だって、私の知っている河上さんと、ふ、雰囲気が違い過ぎるから全然っ……」
「それは、こちらの台詞ですが。一瞬誰かと思いましたよ、別人のようで」
言われて思い出す、そういえばそうだったと。私だって今日は、いつもと違う。
見せる機会など ないと思ったのに。
「今日はちょっと、素敵な美容師さんを紹介していただいて、化粧も服も特別に、」
「へえ、相当気合いが入っているんですね」
「相当、気合いっていうか……え?」
話している最中に、鋭く突っ込まれる。
「お見合いですか?」
「え?」
「それとも紹介か」
「……あ、ああ」
真島さんと一緒にいるところを、見られていたのか。
彼を見送ってから彼是十五分程経つというのに、いつからここにいるのよ。
「髪型とか服装はさておき、ずい分表情豊かで、楽しそうに子どもみたいにはしゃいでらっしゃるので、へえ、別人、と思って」
「子どもみたいにはしゃいでって……」
別人なのは、そっちじゃないか。
いつもの、明るくて軽快で人当たりの良い、悠然とした河上氏はどこへいったの。
なんか、異様に感じが悪いのだが。
冷静というより、とても冷ややかで。
私の姿形は、さて置かれた。どうでもいいことのように。
そりゃそうですよね、河上さんは常に綺麗な女性の皆さんに囲まれているのだから。
私の精一杯の変身なんて、目に留まらないのでしょう、どうせ、フンだ。
いつもと違う自分を見てもらいたいとか、無性に会いたくなっちゃったとか、膨らんだ少しの希望は、音を立てて萎んだ。
いつの間に注文したのか、河上さんの前にミネラルウォーターが置かれ、そのコップの水を、勢いよくすべて飲み干す。
河上さんの横顔、水が落ちていく喉の動きから目を逸らせず、遠慮することも忘れ見入っていた。
男の人に色気を感じることは、あまりない。あまりないというか、はじめてだ。
スンとしてご機嫌斜め、こちらを全然見てくれない。でも、いつもと全然違うからこそ感じる、河上さんの男っぽい部分、その魅力。文句無しに、笑ってしまうほど格好いい。
「お見合いではなく紹介です」
紹介は紹介なので正直にそう答えると、
「理解しがたい」
間髪入れず、呆れた様にそう言われる。
「沢北さん痛い目に遭ったばかりじゃなかった? そういうのは 懲りたと思ったけど」
「いやあの、こ、懲りましたよ、勿論懲りてます。河上さんと楠木君、お二人には本当に迷惑をお掛けしたと反省しています。でも、さっきの方はとてもいい人ですし、気を付けて、いろいろと挑戦しようとは思っていて」
何を言っているのか、しどろもどろ。
「挑戦は結構ですが、あなたにはそういうの、合わないと思うけど」
「そういうのって?」
「婚活とか、必要? 見合いなんて苦手でしょう? もっと自然に出会う方がいいのでは? 昔からの知り合いとか友人とか、仕事で何度も一緒に働いたことのある相手とか、君の人柄をちゃんと知っている人なんて、いくらでもいるでしょ?」
「い、いくらでもいませんよ、そんな人」
「初対面の相手に、君の何がわかる」
そんなことを言われましても、
どういう意味よ。
「私の第一印象が悪いってことなら、言われなくてもわかってますが」
「そうじゃなくて、危なっかしいんですよ、いつも。警戒心ゼロで、すぐに騙されそうで。俺はもう、あなたが危険な目に遭うのも適当に扱われるのも、嫌な思いをしているくせに平然としているところも、見たくない」
「……」
一度やらかしているので何も言えないのだが、その言われよう。
彼には私が、そんな風に見えているのね。
口を挟めない勢いで問い質されて、大人に叱られた子どものような気分になる。
どうしてそこまで、
私が心配される理由なんて、ある?
「河上さんこそ、こんな所で何をしているんですか? 恰好も、いつもと違うし」
「は?」
「は? って、聞いちゃまずい事ですか?」
「別に。今日は午後から休みを取っていて、ここで式典があったので出席していただけですが。そろそろ抜けて帰ろうかという時に、知った顔を見つけたので」
「式典?」
「ええ」
それは、出席する側でってことよね?
そういえば、さっきこのホテルに入る際、とある企業の記念式典の案内を、見たような気がする。真島さんも一緒だったから ちゃんと確認できずスルーしたけれど、あれは、kajoグループの関連企業だ。
ハッとして顔を上げ、河上さんを見る。
目が合うと、河上さんは気の抜けた笑みを浮かべ、また視線を外される。
……ああ、そういうこと?
知っているのだ、河上さんは。
私に知られていることを。
そりゃそうか、楠木君は元々、河上さんの友人の弟で、親しい間柄で、楠木君と話した内容は 河上さんに筒抜けなのだろうから。
そしてもう、私には隠す気がないから、
いつもの仮面を外した、というわけね。
なるほど。
聞きたいことはいろいろあるけれど、知る必要のないことのような気がする。
興味本位で聞くつもりはない、ただ、私に関わる事でひとつだけ、気掛かりがあった。
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