【完結】黄色い花

中谷ととこ

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木藤家の庭



「────課長」

 日中の暑さが落ち着いてきた夕方、午後17時過ぎ。休みの日の習慣で庭木に水やりをしていると、和室の方から声が聞こえた。
 散水を止めてそちらを振り返ると、まだ横になったままの松島が、ぼんやりとした目でこちらを見ている。

「起きたか」

「……はい」

 まだ寝惚けているなと思いながら、縁側から和室の中へ入った。

「気分はどうだ? 急に倒れて、顔面蒼白だし何事かと思ったぞ」

「ご、ごめんなさい、私、寝ちゃって」

「いや、寝れたならいいけど、具合は?」

 さっきとは全然違う、頬が色付いて生気がある。良かった、寝て落ち着いたんだな。

「すみませんでした! 大変ご迷惑をお掛けしました!」

「いいから、まだ横になってろって」

 正気に戻ったように身体を起こそうとするのを、急に起きるなと止める。

「貧血って言ってたけど、それって、」
「昔から貧血持ちなんですよ私、鉄欠乏症で。動悸と息切れと、あれ? まずいなって思った瞬間にフッ、て」
「それは、本当に?」
「え、本当に、って?」
「自己判断じゃなく、病院に行ってるのか?」
「……はい、行ってますけども、病院、先月も婦人科には……」

「松島」

「はい?」

 松島が眠っている間、もしかしたらと、ある可能性について考えていた。

「妊娠してるってことは、ない?」

「え?」

 あの夜のことは、結局ほとんど思い出せずにいる。けれど何があったかは明白で、記憶のあった当人から一方的に大丈夫だと言われても、本当かどうかはわからない。ところが、

「ちがいますから!」

 松島は、目をこれでもかと見開いて飛び起きた。そんなに急に起き上がったら、また眩暈が起こるじゃないか。

「ないないない、ないですよ! まさかずっと心配してたんですか? ちょ、どうしよう……証明のしようがないんですけど、私は月経痛の緩和のためにピルを飲んでますし、あれから何回も生理もきてますし今日もそれなんです……無いです、100パー無いです」

「本当に? 嘘吐いてない?」

「噓なんか吐きません、さすがにそんな、妊娠を内緒にして無断で産もうなんて、そこまで悪巧みしませんから、安心してください……」

「悪巧みって、ちがうよ、そういう意味じゃなくて、松島が一人で問題を抱えてるんじゃないかと思って心配になっただけだ。倒れるなんて余程のことだろ」

「それは、ほんとにすみません。朝、薬も飲んだし、これくらいなら大丈夫って判断でした、良くなると思ったし。昨日の夜中に、多分熱中症っぽくなって、寝不足と、あと生理痛で貧血の症状が強く出て、全部一気にきたんだと思います、それだけです」

「うん、わかった。でもそういう時は無理するなよ、ギリギリでも連絡さえくれれば、ドタキャンで構わない、俺に気を遣うことはない」

「違います、気を遣ったわけじゃなくて私は」

「……ん?」

「どうしても今日は……遊びたかったんです、楽しみにしてて。先週あまり、ほとんど話せなかったから」

 バツが悪そうに見上げながら、力なく笑う。

「……」

 そんな顔でそんな風に言われると、何をどう言えばいいのかわからなくなる。俺と、今日どうしても会いたかった、に聞こえる。

 どういうわけか慕われている、
 自惚れでなければ。


「すごく楽しみにしてて! エスニック料理」

「……そうだったな、泣くほど」

「暑い時は辛いもの食べたくなりますから! タイ料理、今からじゃもう遅いかな!?」

「遅くはないけど、やめとけ、胃が驚く」


 いつから? 
 プライベートで出掛けるようになってから? 
 自分が行きたい場所に気儘に出掛ける束の間の時間を、楽しんでいるだけじゃないのか?


「倒れて迷惑を掛けておいて何言ってんだって感じですよね、すみません」

「それは別にいいけど、日を改めて行こう、ちゃんと食欲のある時に」

「……はい」

「松島、悪いけど花に水だけ掛けてくるから、まだ休んでて」

 庭木に水をやっている途中だった。


 布団を敷いた和室からは、庭全体が見渡せるようになっている。縁側からまた庭に出て、先ほど放り投げた散水用のノズルを手に取り、庭木の水やりを再開した。

 いつの間にか松島も布団から出て、乱れた自分の格好を整えると、縁側まで移動し、座った状態で庭を眺めていた。シャワーヘッドから流れ出る水音が、涼やかに聞こえる。


「綺麗なお庭ですね」
「そう? あまり広くないけど」
「課長、お忙しいのに庭の手入れとかもされるんですか?」
「いや、俺は気が向いた時だけで任せっきり。知り合いの庭師の人が定期的に来て、管理してくれてるから」
「そうですよね、こんなにちゃんと。雑草とか抜いても抜いても生えてきますもん」

 親が生きていた頃と、あまり変わらないようにしたいとは思っている。放って置くと荒れていく一方だから。

「あ、きゅうりとトマトができてます」
「いるか? 夏野菜。この一画は俺が適当に植えてる。きゅうりと中玉トマトとピーマンと……あと茄子」
「すごい、家庭菜園じゃないですか」
「ってほどでもないよ、一株ずつ苗を植えただけ。食べる人も俺しかいないし」
「へえ、私も植えてみようかな、ベランダでもちゃんと育ちますかねえ?」
「……育つだろ、プランターでもそれなりに」

 そうだ、松島の体調不良で頭から飛んでいたが、今日はマンション購入を考えている件について、聞いてみようと思っていたんだ。

 深く考えずに、ところで二川から聞いたんだが、って、自然に話題にしてもいいんじゃないだろうか? 隠している感じはなかったし。


「花も、種類がいろいろあって綺麗ですね」
「……花なあ」
「はい、花壇がすごくいい感じ」

 庭の花壇の花だけは、なるべく絶やさないようにしている。それには理由があって、

「前に、母親の話をしただろう? その母が、亡くなる前にわざわざ俺を呼んで耳元で囁くわけ、遺訓みたいに」
「遺訓?」
「家の中に、毎日花を飾りなさいって、言い方違うけどそんな感じのことを」
「……花を飾る、ああ、課長お母様との約束を守っているってことですか?」

 約束というか、厄介な、母からの戒め。
 おかげで仏壇と玄関には、毎日花を飾ることが習慣になってしまって、花がないと落ち着かないというか、俺まで気分がスッキリしない。

「花が好きな人だったんだよ、プロではないしただの趣味だけど、やたら詳しくて、ガーデニング、アレンジメント、生け花盆栽押し花、等々、花関連すべて」
「ええ~、素敵ですね」
「素敵というか、死ぬ前にそんなこと言われたらさ、わかったって言うしかないじゃないか。ようするに、花を飾るくらいのゆとりを持って生活をしろ、ってことだろうけど。俺は放って置くと仕事しかしなくなるから」
「あら、息子さんのことよくわかってらっしゃる。心配だったんですねお母様も、仕事人間の課長のことが」
「笑いごとじゃないんですよ」
「笑ってませんけど」
「まあ、だから、毎日花屋で買うのも面倒だし、冬以外は庭に咲いた花を花瓶に飾るようにはしてる」
「……すごくいいお話です。じわっとくる」
「俺は全然こない」

 花のない時期などは、無理して飾らなくてもいいかと思いながらも、止め時がわからないまま、ずっと何年も続けている。
 まあたしかに、花のある生活は心に余裕が生まれるというか、穏やかな気分で、人間らしく過ごせる気はする。

「あ」
「ん? どうかした?」
「はじめてここに来た日も、玄関に飾ってありました、黄色い花。すごくいい匂いがして」
「黄色でいい匂い……ああ、くちなしだな」
「あれ? くちなしってたしか白じゃなかったですか?」
「黄色もある。甘く濃厚で、ジャスミンに似た芳醇な香り、だろ?」
「甘くて濃厚で……そうだったかもしれないけど、課長と話してる会話と思えない内容です」
「俺もそう思う、イメージが壊れるから人にはバラさないでくれ」
「あはは、言わないですよ。ていうか課長、イメージとか気にされてるんですか?」
「多少は……いや、嘘です、全然考えてない」
「あはは」

 いつもよりしおらしいが、少し元気が出たようで良かった。水やりは簡単にサッと終わらせて、ホースを巻いて片付ける。
 さて、どうするか。車で送るか、その前に、何か食べられるようなら夕飯か。



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