【完結】黄色い花

中谷ととこ

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木藤家の庭


「あ、そうだもしかして」

「……今度はなんだ」

「冬頃、クリスマスの時期に、会社近くの花屋さんで課長、花束買いませんでした?」

「花束? ……ああ、買った覚えはあるかな。でもわざわざ作ってもらったわけじゃなくて、店頭に並んでた売れ残りの花束だぞ、最初からアレンジされてるやつ」

「課長がショップで花を買ってたって、一時期噂になってて、恋人がいるに違いないって」

「はあ? 一体誰がそんな場面を目撃するんだよ、俺だって花くらい買うわ、想像力豊かだよなあ。恋人じゃなくてうちの玄関の花瓶と仏壇に収まりましたが?」

「なんだそっか、そうだったんですねえ。噂は当てにならない……だけど仕事帰りに、しかもクリスマスに、プライベートが謎すぎる課長が花束買ってたら、そりゃ誰でも誤解しますよ」

「そうかあ?」

 真相がわかったと、嬉しそうにしている。

「あとたまに、休憩室とか共用スペースに誰かがお花を飾ってくれてる時があるんですけど、まさか、あれってもしかして……」

「それは、本当にたまにな? 年に数回だ」

「やっぱり! そっちはよく誰からも気づかれませんでしたねえ? まさか課長が持ってきて飾っているなんて、誰も想像しませんし。知らなかったな、私としたことが……」

「なんだその、私としたことが、って。別に花好きをアピールしたかったわけじゃないから、いいんだよ気づかれなくて」

 ふと、喉の渇きに気付いて、可笑しくなる。
 暑さのせいもあるが、今日は俺、喋り過ぎてるな、自分の話を調子に乗ってべらべらと。
 けど松島との会話は、話しやすい。

「どうかしました? にこにこして」

「いや別に、ちょっと面白くなっただけ」

「なんか面白いことありました?」

「……松島、なんか少し食べれそうか?」

「え、はい、食べれそうです」

「そうか、じゃあ、」

「あ、でも私は、そろそろお暇しようかと……まだ電車で帰れますし、もう平気ですから」

「駅で倒れた人間を、一人で帰らせるわけないだろう、その方が落ち着かないわ。でも家に帰って一人でゆっくりしたいか? その方が休まるなら、今すぐ連れて行くし」

「……」

「帰るか?」

「…………」

 松島の頭の中で、どんな話し合いがなされているのか、口をぎゅっと結び眉をハの字にして固まっている。

「……まだ、帰りたくないです」

「うん、それなら とりあえず何か食べよう。タイ料理は無理だけど、お粥か、素麺茹でるくらいなら」

「素麺がいいです!」

「即決かよ、なんだ急に元気になって」

「私、夏のお素麺が大好物なので!」

「素麺が大好物って、そんなやついる?」

「いるいる、私私! 流し素麺とかも好きで」

「さすがに無理だ、普通のやつだからな?」

 いつもはきっちりと纏め上げている髪が下ろされて、普段よりなんとなく幼く見える。話し方もそうだからか、尚更。

 そのダークブラウンの柔らかい髪の毛の感触を、俺はどういう訳か知っている。触れたことがあるからだ。

 明るくなった表情にホッとして、頭を撫でようと無意識に手が伸びるのを、驚いて止めた。
 間違えた、触っていい関係ではない。


「昼飯も食べてないから腹減ってるだろう? すぐ準備するから、待ってて」

「私も手伝います!」

「いいから、大人しく座ってろ」と言うのに、急に立ち上がるから。案の定ふらついてよろけた松島を支えると、自然と抱きかかえた状態になった。ほら言わんこっちゃない。

 駅で倒れた時ほどではないが、腕に、彼女の重みを感じる。二人で並んで歩いていてもずっと、接触しないよう気をつけてきたのに、今日は何度も腕の中に、パーソナルスペースに飛び込んでくるから、おかしな気分になる。

「だから言ったろ、勢いよく立つなって」

「……すみません」

「とりあえず、まだここで休んでて。できたら声かけるから。あと一応熱計って?」

 俯いたまま、顔が見えない。俺の腕を押さえる松島の手に、力がこもる。さっき気になったふわふわの髪の毛が、口元を掠めた。


「課長」

「なに?」

「ありがとうございます」

「ああうん、これくらいなんでもない」

「今日のこれ、一回分にしてください。七回目、ということで」

「七回目は、エスニック料理に行くんじゃないのか? 来週は花火だろう? 今日なんて何もしてないじゃないか」

「してもらいました、いっぱい。助けてもらったし、看病も。それに私、エスニック料理より素麺が好きだからいいんです、十分なんです。本当に、迷惑掛けてごめんなさい」

「……うん、はい」

「課長、ごめんなさい」

「……」

「ごめんなさい」

 腕にしがみつくようにして、何度も。なにをそんなに謝ることがあるのか、不思議になる。

 この時、松島がどんな負い目を感じていたのかなんて、俺にわかるはずはなく。
 今日、体調不良で予定通り過ごせなかった事が、余程残念だったのだろうと思い納得した。


 気を取り直して、ダイニングテーブルに向き合って座り、素麺を食べた。
 大好物というのは事実のようで、「この素麺全然違う、揖保乃糸でも高級なランクの麺ですね、透明感が違う」と、素麺通らしい解説付きで、いい食べっぷりだった。
 思えば この家で誰かと食事をするなんて、いつぶりだろうか。




 それほど遅い時間でもなかったが、食べたらすぐに松島を自宅に送ることになり、約三十分間の夜のドライブ。
 都市型のシティーマンションや、女性が好みそうなシングル向けのデザイナーズマンションが立ち並ぶエリアを通り過ぎる時、チラチラと興味深そうに眺める松島を横目で見ながら、聞くタイミングなどいくらでもあったのに、
「マンションの購入を考えているのか?」
 ただそのひと言が言えなかった。聞いたら、余計なことを言ってしまいそうで。
 なぜなのか、自分でも説明がつかない。



 ──そしてその日を境に、松島の様子が少し変わった。

 仕事ぶりや態度はなにも変わらないのだが、じゃあどこが変わったかと言われれば────どこがだろう? なんというか、スイッチが切り替わったというか、開き直ったというか。


「──あれ? 松島さんてもう帰りました?」
「はい、汐里さん今日は半休取って、たった今早退しましたけど」
「あらめずらしい、具合悪くて?」
「いえ、なんか予定あるって言ってました」
「そうなんだ? 夏だもんねえ」
「夏ですからねえ」

「……」

 午後からの有給申請を承認したのは俺だが、たしかにめずらしい。昼休憩も取らず集中してカタカタと仕事をしていたが、一時間程前、「お疲れさまでしたー」と言って、軽やかに帰って行った。

 今日は例の、花火大会の日だ。
 定時まで働いてから、花火の会場と会社との中間地点の駅で待ち合わせをすることになっているが、予定ってそれだよな? 一度家に帰るつもりなんだろうか。


 深く考えず、俺も時間に間に合うように仕事を切り上げて、その足で待ち合わせの駅に向かった。会場のある駅に向かうにつれて、人の数もどんどん多くなっていく。
 18時半、夕暮れから夜へと切り替わる時間帯、約束の場所に着いても、松島がいることに最初は気付かなかった。
 松島が、浴衣姿だったから。


「お待たせ」
「お疲れさまです」
「松島だってわからなかった。浴衣か」
「え、ちょっとなんか、反応薄過ぎません? それだけ? もっと驚くかと思ったのに」
「驚いてますよ、いつもと雰囲気が違うな」

 浴衣に特別な思いがあるわけではないけれど、松島がそれを着ているということに、相当驚いていた。
 二十代前半の若者たちが着るような、華やかでポップな色柄ではなく、深い藍色を基調とした控えめで洗練されたデザインが、松島に抜群に似合っている。
 髪はゆるく結い上げて、かんざし一本。派手さはないが品のある、しっとりと落ち着いた大人の女性。笑ってしまうくらいに、綺麗だ。


「家で着替えてきたのか? ああ、だから帰ったんだな、どこに消えたのかと」
「浴衣は、自分一人でも着れるんですけど、仕事の日だしバタバタするのイヤだなって、一応すぐそこの美容室でですね、って そんなことはどうでもいいんですよ、もっとなんかこう、浴衣かよ、イイネ! テンション上がる~! みたいな。……言うわけないか、課長は」
「大人っぽいな」
「そうでしょう!? だって万が一誰かに目撃された時に、木藤課長がギャルみたいな浴衣女と花火デートしてたぞ、なんて言わせるわけにいきませんから。……元々は母の浴衣なんですけど、私が受け継いで。こんな格好して引かれるかなと思ったんですけどなかなか着る機会ないし、せっかくの花火大会だし、いいや着ちゃえ! と思って」
「引くって誰が?」
「だから、課長が」
「全然引きませんけど、喜ぶだけで」
「よ、喜んでるんですか? その顔で?」
「ああ、似合ってるよ、綺麗だ」
「え」
「さ、行くか」
「……」


「不意打ち、やばすぎ」とぶつぶつ言いながら、横に並んで歩き出す。
 照れているのか、凛とした雰囲気とは裏腹に、口元が緩み顔が赤く染まっている。

 俺がじっと見ていたことに気付いて、視線が絡み合う。
 印象的な大きな瞳、戸惑うように下がる眉。なにかに吸い込まれるような気配がして、たまらず目を細めると、松島も嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、しばし見つめ合う。おかしいな、うん、おかしい。年甲斐もなく浮かれて。
 八回目は、花火大会。



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