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約束の終わり、交錯する二人
1
目が覚めると、隣には誰もいなかった。
クイーンベッドの半分に一人きりで寝ていて……あれ、どこに行った…………?
覚醒しない頭で、ぼんやり視線を動かすが、どこにも見当たらない。今部屋の向こうで音がしたような……トイレか。
寝返りを打って、枕に顔を埋めた。
残り香のような甘い、慣れない匂いに思わず顔が緩む。
松島が寝ていたはずの場所に温もりはなく、なぜか冷んやりしていた。
「──課長」
そのまままたうとうとしていると、人が近づく気配がした。緩んだ表情を戻して、声のする方を振り返る。
「おはようございます」
「……おはよう」
すでに昨日着ていた服に着替えて、今すぐにでも出られる状態の松島が、こちらを向いて立っていた。
「もう起きたのか? 今何時……」
「まだ6時前ですよ。起こしちゃいましたね、ごめんなさい。うるさかったですか?」
「いや、うるさくはないけど」
なんとなく、あれ? と、微かな違和感。
あれ? なんだろうな、思ってたのと違う。
もっとだらだらとゆっくり起きて、裸のまままた抱き合って、甘い時間を過ごしてみたり……なんてことは?
散々抱き合った夜の翌朝の、まったりとした空気が薄いように感じるのは、気のせいだろうか?
「身体は大丈夫?」
「はい、大丈夫です、この通り、動けます」
「……元気だな」
「元気ですよ」
いつもの、感じのいい、松島らしい笑顔。
元気ならまあいいのか、艶っぽい時間は閉じられてしまったようだが。
もう一度抱きしめたくて、ここにおいで と言いたいが、なぜか言える雰囲気ではなくて、寝転んだまま身体を横にし頬杖をついた状態で、じっと彼女を観察する。
服をきっちり着込んでスマホの画面を見ており、あまりにも淡々とした様子だ。上半身裸で寝ている俺の方がおかしいみたいじゃないか。
「今日なんか用事あるのか? 早く帰らないといけないとか」
「あ、はい、そうなんですよ、私今日予定があって、この近くに無人駅があるようなので、先に帰ろうと思って今アプリでタクシーを」
「は?」
説明のできない違和感が、形を帯びる。
電車で帰るって、一人で? なんで?
「松島?」
「あ、えっと、話があって」
たたたっ と軽やかに近づいてきて、ベッドサイドに腰を下ろす。
先に帰る? 全然意味がわからないが、とりあえず身体を起こした。
「起きなくて大丈夫ですよ、そのままで」
「……いやいい、起きる」
布団を剥いで、パンツ姿でその場に立ち上がると、俺からパッと顔を逸らして、「とりあえず服を着ていただいて」と言われる。
はあ? 今更なんで、全裸ならわかるがこれくらいで。お互いに昨日しっかり全部見たよな? そういう関係になったよな? つき合うんだよ、な? あれ?
「昨日のお話なんですけど」
「うん」
「私は、課長とおつき合いするつもりはありませんでした。だから、聞かなかったことにさせてください」
「……ん?」
寝起きだからか、頭が回らない。言われたことの意味がわからない、言葉が出ない。
「最初に約束したじゃないですか、十回って。課長が責任取るとか言うから、そうしましょうって話をしました」
「……したな」
そうだ、しましたね、その十回目が、
昨日だった。
「私はずっとそのつもりでした。課長と一緒にいろんなことができて、一人では行きにくい場所に行けてすごく楽しかった、満足しました」
「何を言ってるのか、理解できない」
「え、どうして?」
どうしてって、俺が聞きたい。
それならなんで、
「それなら昨日どうして、俺と寝た?」
つき合ってほしいと言って、はい、つき合います、とは言われていない。
思い返すと、彼女の方から好きだとも言われていない……あれ? 一度も?
「それは、」
困惑する様子もなく、俺の顔をじっと見つめ、堂々と答える。
「最初の一回だけでは、心許なかったので」
「心許ない?」
「はい。課長の記憶がない中でやったあの一回では……だからもう一度、素面の課長としたらどうなるんだろうっていう、好奇心です。経験の多い慣れている課長となら、いいかなって。女性としての自信が欲しかった、です」
「女性としての自信……」
おうむ返しのように、松島が言ったことを口に出すが、言葉が頭に入ってこない。
「この歳まで経験がないって、そういう人も増えてますし、気にする必要はないって思ってたんですけど、でもやっぱりどうしても気になってました、皆んな普通にできてるのにな、ってコンプレックスだったのかな。課長のおかげでそれも無くなりましたし、私的には、責任を取ってもらうようなことは何もありません」
「本気で言ってる?」
「はい、本気で言ってます」
「いやいや……」
そりゃないだろ、汐里さん、
あんなに乱れて、何度もしがみ付いて離れずに、甘い時間を過ごしておいて、すべてが虚構だったと?
「好きでもない相手と、できるのか? 誰でも良かったってこと?」
「課長のことは、好きですよ。尊敬してますし。でもそれが恋愛感情かっていわれると」
「……」
「違うかもしれない」
「俺は好きだよ」
「……」
「好きだ。松島が俺をそう思えなくても、俺は松島のことが好きだ、これからも一緒にいたいと思ってる」
「……そんなこと、簡単に言わないでください。課長それ、勘違いだから」
「簡単になんか言ってない」
「紛いものですから、間違わないで」
「なぜ松島が決めるんだ、俺の気持ちを」
「わかるからです」
「わかってない」
「課長は、今のこの状況に流されて、私とつき合おうなんて思わなくていいんですよ、よく考えてください? 私も課長もいい歳で、万が一このままつき合うことになったら、また課長思うでしょう? 責任取らなくちゃって。そういうの要らないんで」
わからない、でも、先のことを考えず安易な気持ちでつき合おうとは思わない。
同じ会社だし、年齢的に、俺はどうでもいいけど松島は適齢期でもある。具体的に結婚まではまだ考えていないけれど、頭の中に全くないわけではない。それが、重いと?
「とにかく、ごめんなさい、ちゃんと真剣に言ってくださったのにごめんなさい。でも私、そんなつもりなかったんです。十回だけ楽しい時間を一緒に過ごせたら、それで十分だったので。これ以上はもう……、はい」
意志の強い目で、迷いなく貫いてくる。
松島の中にあるスイッチが切り替わったのは、間違いなかった。
なんでなんだ。
「何を考えてる?」
「え、別になにも」
「うそだ」
「うそじゃないです、やっちゃったな、って。課長に悪いことしたな、って。それから、早く帰らないとなって」
「……」
ショックで悲しいというより、衝撃が強くて驚きの方が大きい。自然と目を瞑った。
俺がおかしいのか?
おかしいのかもしれないな、浮かれて調子に乗って、かわいくて仕方がなくて。
しつこくネチネチやり過ぎたかもしれない、本当のところの理由はわからない、でも、
松島がそう言う以上、頷くしかない。
俺は上司で、彼女は部下だ。
理解できず、頭の中がぼんやりしてきて、
判断力は完全に失われた。
「わかった」
「……すみません」
「つき合えないことは、わかった、けど心配だから、家までは送らせてくれ」
「え、でも」
「俺も今すぐ準備するから、一人で帰るなんて言うな。頼むから」
「……はい」
気持ちが通じ合ったと思ったのも、彼女からの愛情を感じたのも、勘違いだったらしい。
自分の中の正解が、全然違っていたとか、感覚が鈍っているのだとしたら、痛すぎる。
いい大人なので、どんな状況でもそれなりに対応はできる。思考は停止していても、普通に会話くらいは。虚無ではあるが。
だから帰りの車内は、拍子抜けするほど普通だった。暗くもならず、明るくもならず。
「──分譲マンションを探してるのか?」
「分譲マンション……ああ、二川ちゃんに聞いたんですか?」
「前にちょっと、セミナーの話を少し」
「そうですか、セミナーの話を」
しーんとなり、それ以上何も言わなかった。
買うも買わないも話そうとしない。
聞いたのはまずかったのだろうか? それもわからない。
*
「運転本当にお疲れ様でした、それから、いろいろとありがとうございました」
「ああ」
「楽しかったです」
「うん」
「課長これ、ガソリン代とかこれまでの食事代とか」
チラリと見ると、白い封筒を手にしていた。
「要らない。好きでやったことだから」
「だめです、全部じゃないし、私の分にも足りてないかも。ほんとはもっと気の利いたものをお渡ししたかったんですけど、課長が喜びそうなもの、選べなくて」
「ほんとに要らない」
「それだと私の気が済まないので、受け取ってください、お願いします」
引く様子はなく、それ以上言い争っても仕方がないので、わかったと頷いた。
助手席にそのお金の入った封筒を残して、静かに車から降りる。
「ではまた月曜日に」って、明日か。
少し離れた場所まで離れて深々とお辞儀をし、マンションの中へと入って行った。
何度か、このマンションへも車で送った。
深い溜息が出て、すぐに臨時の駐車場を後にする。
一緒に過ごした時間は短いが、なぜだか妙に濃かった、濃すぎた。そのせいか、失望、寂しさ、喪失感がどっと押し寄せる。
失恋とか未練とか、まだそこまでもいっていない。整理できず、今起こったこと全てが信用ならない。
ただ今日は、ずっと一緒にいられると思っていたから。両手から大事なものが擦り抜けていったようで、呆然としている。
松島のいない助手席が、虚しい。
単身用のマンションは、どこら辺を考えているのだろうか。詳しく聞いてみるつもりだったが、そんな話は、必要なかった。彼女の今後の計画に、最初から俺はいなかったのだから。
普段は当たり前にある、冷酷とまで言われている冷静さが、なぜ機能しなかったのか。
その日俺は、大切なことを見落とした。
昨晩、ほとんど寝ずに過ごした松島の目が、赤く潤んでいたことも、目の下のくまも。
二川の名前が出た時の、不自然な反応も。
マンションの自室に戻った彼女が、罪悪感に駆られ大号泣していたことも。
さすがにわかりません、霊能力者でも占い師でもないですし。
でも多分、人のことなら見抜けたはずだ。
だから俺が悪い、そういうこと、後々わかりますが。
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