【完結】黄色い花

中谷ととこ

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約束の終わり、交錯する二人



 翌日の月曜は、また一週間の始まり。
 いつも通りの時間に出勤し、通常運転、平静淡々、仕事の日のありふれた光景。
 週末の、たった一日前の出来事が、なにかの間違いだったかのように、遠く思える。

 ただ一つ、変化があるとすれば、
 その日、ごく一部の限られた人間にだけ知らされていた人事異動が、正式に公示された。


 営業二課から総務部への異動。様々なことを考慮した結果、異動するのは やはり松島。
 候補となる他のメンバーの希望や意見を聞いた上で、松島自身の意向も踏まえ、そのような結論に至った。
 急な退職者が出たため、引継ぎの都合上できるだけ早くきてほしいという総務側の要望があり、内示から異動までは異例の早さとなった。松島が抜けることは営業としても簡単な話ではなく、様々な問題はあるのだが致し方ない。

 先週からうちの課と人事の間でのやり取りが頻繁にあり、誰かが異動するのだろうというのは、皆なんとなく察していた。〝もしかしたら松島さんじゃないか?〟というところまで。
 だからさほど驚きもせず、ああやっぱりそうかと、各々納得している様子だ。
 それ以上に課のメンバーが驚いたのは、松島自身の姿だった。


「汐里さん! うわ、髪切った!」
「ほんとだー、ばっさり! 誰かと思った」
「ショートかわいいっ、すごく似合います」

「え、ほんと? どうもでーす」

 肩甲骨を隠すくらい長く伸ばしていたロングの髪、常にきっちりと結ばれていた松島の髪型が、二度見するほど短くなっていた。 

「どうしたんですか!? そんなに短くして。めっちゃ似合いますけども」
「なんか暑くてさ、どうしても今すぐ切りたい、ってなっちゃって、衝動的に」
「いやいや真夏じゃないし、夏もう終わりますし。これからどんどん涼しくなるのに」
「心境の変化? 心機一転?」
「小さい顔がますます小顔に見えるね」
「これツーブロックになってる、かっこよ」
「おっ洒落~。美人さんだから似合うショートですよ」

「どうもでーす」

 始業前の、社員同士の和気藹々としたひととき。輪の中心には松島がいて、人事異動の話ではなく、彼女自身の髪型について盛り上がっている。二週間後にはもう、このメンバーで朝のはじまりを過ごすことはなくなる。

 その人の輪を遠目で見て、昨日の朝までは長かった、と、ぼんやり考える。

「あ、課長おはようございます。見てくださいよ、松島さん髪切ったみたいで。似合いますよね~」

 俺と松島の間に起こった出来事など何も知らない、お調子者の社員から突如話題を振られる。俺に聞くなよ。

「ほんとだな、誰かと思った」
「あの女優と似てません? ほら、なんて名前だったかな……瀬川、瀬波、滝川、さ、さ、」
「滝瀬桜子?」
「そう、その人っす! やっぱ似てますよね。そっくりー」
「……」

 似てなどいない、全然似ていない、
 松島の方が何倍も良い。

「いいんじゃないか? イメチェン。俺も切ろうかな、坊主に」
「ぶははは、何言ってんすか課長、坊主って! 木藤課長が坊主にしたら迫力あり過ぎですから。ちょっとちょっと、めずらしく課長が冗談言ってるんですけど」
「なになに坊主って、なんの話~?」
「課長、坊主にしたいんだって」
「え、怖っ」

 くだらない冗談で笑いが起こって、ちらりとこちらを見た松島と、一瞬だけ視線が交錯する。

「……岡谷、午前中俺会議でいないから、何かあったら第二会議室まで」

「あ、はい、了解です。もう行くんですか?」

 松島の異動もなにもかもが、まるで最初から仕組まれていたかのよう。
 立場上内情はわかっているし、勿論そんな事はないのだが。


 聞かなかったことにしてほしい、何事もなかったかのように。彼女はそれを望んでいる。

 生きていればいろいろあるから、これくらいなんでもない。天国から地獄へ急落下することも、めずらしいことではない。
 寝て覚めてを繰り返すうちに徐々に薄れていく、これまでもそうしてきたのだし。

 社内でここまで関わった女性ははじめてだから、戸惑っているだけ。元に戻るだけだ。関りのなかった数か月前に。


 忙しない一週間はあっという間に過ぎて、その週の終わり、金曜の終業時に、松島が俺のデスクまで挨拶に来た。デスクや私物の整理を終えて、引き継ぎ等の報告もすでに済んでいる。

「課長、お疲れさまです」
「お疲れさまです」
「今日で最後ですので、今ちょっとよろしいでしょうか?」
「……はい」

 今週は仕事でも普通に関わったが、気まずい様子は欠片もなく、本当に不思議なほど淡々としていた。


「長い間、大変お世話になりました。ありがとうございました。課長にびしばしご指導いただいたことを生かして、新しい部署でも頑張ります」

「こちらこそありがとう。松島ならどこに行っても大丈夫だから。総務での活躍、期待しています。本当にお疲れさま」

 以前から仕事中によく見てきた、余所行きの笑顔で。異動していなくなること以上に、それが何より寂しく思えた。

 プライベートでしか見れない表情があった。あまりにもその顔と違っていたから。
 職場で、上司と部下という立場で 皆がいる場所で、当然のことなのだが。

 こちらも松島に合わせるように口角を上げると、ぺこりと頭を下げて振り返り、他の社員の元へそそくさと駆けて行った。


「困ったらいつでも戻って来て、松島ちゃん」
「異動なんて会社員の宿命ですから。岡谷さんだって僻地に飛ばされるかもですよ」
「やだ、なんで私が僻地に飛ばされるのよ」
「あはは」
「寂しいですー、すごく不安ですしー」
「だいじょぶだいじょぶ、それに総務だもん、同じ建物の中にいますし、いつでも会えますよ。今後ともどうぞよろしくお願いします」

「汐里さん、お疲れさまでした」
「ほんとありがとうね、二川ちゃん。今度飲み行こ」
「是非! 皆でも、二人でも。汐里さーん! だめだ私、泣きそう」
「あはは、泣くな♡」

 二川が皆の予定を聞いて回り、来週か再来週に送別会をするらしい。


「────ねえねえ、ところでなんか今日、給湯室と休憩室に花が飾ってあるんだけど、あれどうしたの?」

「え? わかんない」

「ああ、あの黄色い花でしょ? 岡谷さんじゃないんですか? 私てっきり岡谷さんが飾ってくれたんだと」

「私じゃないよ、聞いたんだけどみんな知らないって言うんだよね。……他の課の人かもね、多分」





 それからさらに一週間が過ぎて、松島のいない営業二課が平常になる。
 日に日に冷静に考えられるようになると、腑に落ちないことがいろいろある。
 おかしいよな、やはりどう考えても。

 どうしてこうなった?

〝何事もなかったかのように、聞かなかったことに、彼女はそう望んでいる〟
 
 本当に?

 人としては好きだが、男としては見れないというようなことを言われたが、本当にそうだろうか? ただの興味で、経験を積みたいというだけで、俺と?

 好かれてたよな? そうとしか思えない。
 あんな目で、あんな態度でこられて、全てが思わせぶりな演技だとしたら、小悪魔も魔性の女も通り越して、悪魔だ。大女優すぎる。


 なにが悪かった? 
 どこで間違えた?
 日帰り旅行の日、それまで抑えていた衝動でラブホに行ったのはまずかった。手を出す前にちゃんと意思確認をすればよかった。
 花火大会の日も、浮かれすぎて鼻の下が伸びきっていたかもしれない。馴れ馴れしい態度だったかもしれない。
 そうだ、あの倒れた日からだ、松島の様子が変わったのは。
 それまでは遠慮しがちで、俺に対して線を引いているところがあったが、素の表情を見せるようになって、距離が近づき親密になっていった気がする。


 いや、そうじゃない、やはり最初の夜か。

 あの夜のことを、俺はいまいちよくわかっていない。

 酔い潰れてどうしようもない俺を介抱した、なぜかそういう流れになって、朝も抱きしめるように、裸で一緒に寝ていたという事実。
 なぜそこに至ったのか、詳しく知らない。


 家に一人で居ると、どうしても考えてしまう、答えの出ない問いを、やり場のない想いを。
 そうやって悶々と過ごしていたせいだろう、多分、無意識に隙だらけになっていた。




『───あら雅人、声に覇気がないわねえ? ちゃんと食べてるの?』

「ご心配なく、元気ですから」

 定期的にある、伯母からの様子伺いの電話。
 ちょくちょく連絡を寄越す、長女の美恵伯母さんではなく、今日は次女の葉子伯母さん。

 なんとなく油断できない相手というか、ピンポイントに痛いところを突いてきたり、何でもお見通しですぐに見抜かれてしまうような人。
 正直、美恵伯母さんよりも厄介な相手だ。

『まあいいわ、元気なら。ところで、私来週久々にそっちに行く用事があるのよ。友人が入院して、そのお見舞いにね。その時、あなたにつき合って欲しい店があるの、この間テレビで見たお店なんだけど、一人で行けるような場所じゃないのよね、土地勘もないし』

「なんの店ですか?」

 店の名前を聞いたら、◯◯◯ホテルの一階にある、お洒落なイタリアンの店だった。
 店に行ったことはないけれど、そのホテルは仕事で行き慣れた場所にある。

「なぜそんなところに行きたいんですか、伯父さんと一緒に行けばいいじゃないですか」

『冷たいわねえ、だからテレビでやってたって言ってるじゃない、すっごく美味しそうだったのよ、死ぬ前に一度行きたいの。それに今回は私一人で行くんだもの。たまにはいいでしょ?ご馳走してよ』

「はあ? 死ぬ前にとか縁起でもないから言わないでくださいよ。……いつ来るんですか?」

 まだ二十代半ばの若造だった、世の中のことがよくわからなかった時期に両親を亡くしている為、かなりいろいろな部分でお世話になったという恩がある。いまだにこうして「元気か?」と、心配してくれるのもありがたいし、なにか恩返しをしたいとは常々思っていた。
 だからこの時、「ご馳走するから来なさい」と言われたら、すぐにその思惑に結び付いたと思うのだが、「ご馳走してよ」と言われては、たまには伯母孝行するか、と考えてしまった。
 何の疑いもなく。


 そんなわけで、どうせこれからはずっと予定もないですしと、半分やさぐれながら行きますよね、二人分の予約をして、ホテルだからとそれなりの格好で。
 伯母が指定した、どうしてもどうしても行きたいというイタリアンの店に。


「────雅人君、こっちこっち!」

「…………は?」


 ◯◯◯ホテル一階エントランス、待ち合わせの場所に現われたのは、居るはずの伯母ではなく、義理の伯父。
 そしてその隣には、フェミニンで上品な恰好をした妙齢の女性が、にこにこと微笑みながら座っている。
 
 やられた。






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