【完結】黄色い花

中谷ととこ

文字の大きさ
21 / 27
あの夜の真相、汐里の独白


 仰向けで寝ている人の腕と肩に纏わりついていると、目の前でその目がゆっくりと開いた。


『……あ』
『────ん、誰?』
『か、課長、起きました? 大丈夫ですか?』
『…………どうしてここに?』

 一瞬正気かと思ったんですが、私だとはわからないみたいで、ぼーっと微睡んでました。
 それだけでもかわいかったんですけど。

『勝手にこんなことして、すみません』

『……いいよ。一緒に寝るか?』

 誰と勘違いしているのか、恋人にするみたいにぎゅうって、抱きしめられました。
 びっくりして、嬉し過ぎて、そのまま心臓が止まるかと思った。


『…………う……あ、これ、やばい』

『気持ちいいな、このまま寝よう』


 裸と下着姿で肌と肌がくっついて、その時点でもう泣きそうになのに、それまで一度もそんなこと考えていなかったのに、「もっと欲しい」って、人間って欲が出るんですね。


『課長』

『ん?』

『……私まだ、寝たくない』

『…………』

『してみたい、です……一度だけでいいから。ダメですか?』

『…………ダメじゃないよ、……する?』

 柔らかく笑って、よしよしって宥めるみたいに。想像できませんでした、こんなに甘い人格が、木藤課長の中にいるなんて。


『課長の身体、触っていいですか?』

『……いいよ』


 腰に巻かれていたタオルは、どこかに消えていた。
 自分から課長の首に抱きつきながら耳にキスをすると、スイッチが入ったように下着を全部器用に脱がされて、事が始まる。


 生まれてはじめての唇へのキスは、お酒の匂いがした。
 言われるがまま口を開くと、息が苦しくなるような長い長いキスが始まる。

 
 無意識領域の中でさえ、課長はどこまでも優しくて、気遣いの人だった。
 愛撫されて解されて、自分の欲望のままには進まない。避妊はしなくても妊娠はしないから大丈夫と言っても、ダメだと言って、どこからか出してきたものをちゃんと着けてくれて。

 破瓜の痛みで涙を溢すと、「これは以上しないから」と言って、身体を引こうとする。
 止めないで、課長じゃなきゃ意味がないのと懇願した。

 昂って、興奮して、痛みも異物感もすべてが愛しくて、求められるがままに交わる。
 怖いくらい格好良くて、見たことのない課長がいた。いつまでもこうしていたい、世の中にこんな幸せがあるのかと知った。

 本当は夜中のうちに自宅に帰るつもりだったが、二度目のあとに心身共に限界がきて、二人一緒に、絡み合ったまま眠ってしまう。





「────合意って言いましたけど、課長は判断力のない状態での合意です、私がそう仕向けました。卑怯な真似をしたんです」

 卑怯な真似……ずるって、そういう意味か。

 狡いどころか、実直で純朴で、嘘が吐けない不器用な人。

「翌朝、夢見心地で目覚めて、真っ青になっている課長の顔を見て、ようやく我に返りました。私、自分の欲のままにとんでもないことをしちゃった、って。そりゃそうですよね、男の人だって誰でもいいわけじゃない、そんなこともわからずに私は……。幸せな時間を過ごしたことなど全て飛んでしまって、どうしようどうしようって。懺悔するには勇気が足りませんでした」

「……懺悔って、松島が謝る事は何もない」

「いっぱいあります、だって、私はいいですよ、思い通り好きな人に与えてもらって、優しくされて思い出ができて……満足でした、その時は。でも課長は違った。頭の中疑問符だらけで、後悔が滲んでて」

「たしかにあの朝は、混乱していたからな」

 でもその混乱は、記憶が全くないという恐怖によるものが大きい。ずっと一緒に働いてきた信頼のおける部下を自宅に連れ込んで、意識のない状態で事に及んだ。
 傷つけてしまったのではないか、最低すぎる自分が信じられないという憤り。我が身に何が起きたかなど、考える余裕はなかった。


「──もっと早く言ってくれ」

 ずっと、どんな思いで俺と会っていたのか。
 楽しそうにしていても、自己嫌悪と後悔と、複雑な思いを抱えていたのか、可哀想に。

「言えませんでした。通報されたくなかったし、何より、課長に軽蔑されたくなかったから。だから考えたんです、私が大丈夫だって言えば、数日経てば、「仕方ない、そういう夜もあるよな」って、流してくれるんじゃないかって。……でもそうもならなかった」

「松島を追い掛けて、『わが家』に誘ったもんな」

「……はい。罪悪感たっぷりの顔で、『責任を取る』なんて言うから……。課長は何ひとつ悪くないのに、心苦しくて」

 松島の不自然だった言動が、繋がっていく。
 二人で過ごした最後の日も、明るく積極的なようでどこか憂いを帯びていた。なぜか刹那的に見えたのは、気のせいではなかったんだな。

「どうしたら納得してもらえるか、課長の気持ちが収まって楽になるか、考えて、十回というのは咄嗟の思い付きだったけど、期間を決めて私の我が儘につき合ってもらえば、後悔とか責任とか罪悪感とか紛れるんじゃないかな、これだけ振り回されたんだからもういいだろうって、どうでもよくなるはず、って。我ながら冴えてるいい思い付きだ、そして私は楽しい時間を課長と一緒に過ごして、それを宝物にして生きていこう、上手に終わらせようって」

「……俺は、最後の方はもう、なぜ二人で会うことになったのか理由を忘れかけてたよ。毎回純粋に楽しんでた。思惑通りだった訳だな」

 そう言うと、彼女は首を横に振る。

「いえ、全然思惑通りとはいきませんでした。私は後悔してました、十回なんて、そんな約束をしたこと」

「俺が、思ってたのと違ってがっかりした? 松島の理想から掛け離れた、面白味のない男なんだよ」

「まさか、違います、逆です。課長は、私が思っていたよりずっといい人で、私を疑うことなく親切で、誠実で、誰かの噂話じゃなく本人から直接話が聞ける、こんな贅沢なことはありませんでした。知れば知るほど好きになって」

 彼女の心の堰が、静かに決壊し始めたのがわかる。

「……だから尚更、私の勝手な都合で課長を巻き込んだことを後悔しました。課長の、持たなくてもいい罪悪感につけ込んで私は、いろんな所に連れて行ってもらって、課長の気が収まったなら解放すべきなのに、もう少しだけ、あと一回だけ、そしたらちゃんと区切りをつけようって決めてたのに……。つき合おうなんて、言うから、訳わかんなくなっちゃって、また欲に負けて、甘えて────だけど、すごく苦しかった」

 素知らぬ顔をして、罪悪感の塊だったのは、松島の方だった。

「あなたが 生身の男の人だって、知ってしまったから」

「……」


 俯きながら正座する松島に近づき、向き合う形で足の間に彼女を収めた。
 横から顔を覗き込むが、ちらりともこちらを見ようとしない。見ていられないくらいしょぼくれている。


「松島、こっち向いて」

「……」

「全部、言えましたか? 終わり?」

「う」

 至近距離にいて、大きく腕を開いているのに、頑なにこちらに寄ろうとしない。


「じゃあ、そろそろいいか、抱きしめても」

「……課長、私 今日はちゃんと、けじめを付けるためにここに来たんです」

「けじめな、そんなの必要ない。俺を好きじゃないって言いわけはもう通用しないからな? 本気で断るつもりなら、俺を説得してみろ」

「私を許せるんですか?」

「許せるもなにも、全く怒っていない」

「ど、どうして?」

「ん? だって、記憶を無くすまで飲んだ時点で、俺の落ち度だ。勝手に酔っ払って介抱してもらって、どう考えても俺がだらしないだけだろ。松島が薬を盛ったというなら話は別だが、違うだろう? 自宅の鍵を人に任せて無防備に寝てたら、殺されたって文句は言えない」

「そんな理屈、おかしいじゃないですか、意識のない人に悪さをする人が一番悪い」

「まあなあ、でも俺だって好きな女が目の前で裸で寝てたら、手を出さない自信はない。だから何ら問題はない、松島は一ミリも悪くない。むしろずっとそんな思いをさせて、可哀想なことをしたと思ってる。辛かったよな、気づいてやれなくてごめん、許して」

「…………ゆ、許してって」

 じゃあいい、お相子にしよう。
 それでしまいだ。

「それより問題があるとすれば、松島とのはじめての機会を俺がほとんど覚えていないってことだ。申し訳ない気持ちは当然あるが、それと同じくらい悔しい。二回って、ぐだぐだなのにどんだけ元気なんだ。手を繋いで裸の胸を直でべたべた触って下着姿でベッドに潜り込んだ? 一から再現して欲しい」

「…………課長、何言って、お人好しが過ぎます、ダメなんです、私、好いてもらえるような人間じゃない。課長に相応しくない」

「じゃあどんな人間なら俺に相応しいんだ? 教えてくれよ。あとその〝課長〟呼びも無しだ、名前で呼んで。これ決定事項」

「む、無理、絶対、呼べない、無理」

 まあそうか、俺も名字で呼んでるし。


「もういいから、おいで、汐里」

 我慢の限界だと抱き寄せると、全身の力が抜けたように もたれ掛かってくる。
 ぼろぼろとアニメのCGのように涙が溢れ出し、顔はみるみる赤く染まる。来た時からガチガチだったもんな。気の済むまで泣けばいい。


 大分短くなった髪をやわやわと撫でながら、むき出しのうなじに触れた。

「髪、どうしてこんなに短く切った?」

「……本当は、もっと短くするつもりだったんですけど、美容師さんから仕事やり難くなるんじゃないかって、止められて」

「ふ、なるほど。長いのも好きだけど、すごく似合ってる。綺麗だ」

「……そういうことを、急に真顔で言わないでください、ゾクゾクするから」

「擬音語の使い方おかしくないか?」

 気分転換でも思いを断ち切るためでもなく、まさかの懺悔。これ以上短くって、丸刈りにでもするつもりでしたか? 
 少しずつ思考が読めてくる。

「ごめんなさい、課長、本当に……」

「もう謝るな、何も悪くない。後から聞いたら笑い話になるような些細なことだ。松島の言うズル・・がなくても、こうなるのは必然だったんだよ、わかった?」

 少し考えてから、言葉なくゆっくり頷く。
 少々頑固者、そこもまたいい。


「だが、寝ているおっさんを叩き起こした責任はとってもらう」


 そう言うと おずおずと顔をあげて、俺を見上げる。その涙目の上目遣いは反則だ。わざとやっていないところがまた。

「……私が叩き起こしたわけではなく、課長が自分で目を開けたんですよ」

「ああ、そういう意味じゃなくて──」


 一人で居ることに慣れて、代り映えのない淡々とした日常に、突如現れた鮮やかな人。
 気付けばいつの間にか心に咲いていた、俺の可愛い花。
 呼び起こされて、かき乱されて、のんびりしてもいられなくなった。

 三十年に一度の恋は大事にしてもらわないと。悪いが手放すつもりはない。


「ああそうだ……今言う話ではないんだけど、マンション購入計画はとりあえず白紙な」

「……え、なんでその話……ああ、二川ちゃんから聞いたんでしたね」

「はい、二川ちゃんから聞きました」

「ひどい、どうして、課長が二川ちゃんのこと話すの嫌だって、わかってるくせに!」

「あのなあ、嫉妬したり突き放そうとしたり、言ってる事やってる事めちゃくちゃだからな、汐里さん」

「課長、大好き、どこにもいかないでよ」

「…………最初からそう言え」
 

 実りのある秋を二人で過ごして、冬を越えて春が来る。木藤家の庭には、また新しい季節の花が咲き始める。庭に植える花の選定は、汐里の希望に合わせた。

 ゴールデンイエロー、サフランイエロー、レモンイエロー、カナリアイエロー、シトロン、

〝なんか、ずいぶん似た色に偏ってないか?〟
〝いいでしょう、元気や希望の色なんですよ。それに私のイメージカラーでもあるのです〟
〝ああ、たしかに〟

 歴代の彼女、友人知人、誰からも呼ばれたことのない〝雅さん〟呼びが定着し、飄々とした鬼課長の、松島汐里溺愛包囲網が完成する頃、溢れる程の黄色い花々が咲く一軒家で、二人は一緒に、暮らし始める。



END







─────────────────────

 お読みいただきありがとうございました。
 明日より番外編、後日談へと続きます。
 松島汐里視点です。
 




感想 16

あなたにおすすめの小説

恋は秘密のその先に

葉月 まい
恋愛
秘書課の皆が逃げ出すほど冷血な副社長 仕方なく穴埋めを命じられ 副社長の秘書につくことになった 入社3年目の人事部のOL やがて互いの秘密を知り ますます相手と距離を置く 果たして秘密の真相は? 互いのピンチを救えるのか? そして行き着く二人の関係は…?

憧れていた敏腕社長からの甘く一途な溺愛 ~あなたに憧れて入社しました~

瀬崎由美
恋愛
アパレルブランド『ジェスター』の直営店で働く菊池乙葉は店長昇格が決まり、幹部面談に挑むために張り切ってスターワイドの本社へと訪れる。でもその日、なぜか本社内は異様なほど騒然としていた。専務でデザイナーでもある星野篤人が退社と独立を宣言したからだ。そんなことは知らない乙葉は幹部達の前で社長と専務の友情に感化されたのが入社のキッカケだったと話してしまう。その失言のせいで社長の機嫌を損ねさせてしまい、企画部への出向を命じられる乙葉。その逆ギレ人事に戸惑いつつ、慣れない本社勤務で自分にできることを見つけて奮闘していると、徐々に社長からも信頼してもらえるように…… そして、仕事人間だと思っていた社長の意外な一面を目にすることで、乙葉の気持ちが憧れから恋心へと変わっていく。 全50話。約11万字で完結です。

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました

入海月子
恋愛
有本瑞希 仕事に燃える設計士 27歳 × 黒瀬諒 飄々として軽い一級建築士 35歳 女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。 彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。 ある日、同僚のミスが発覚して――。

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

楓乃めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~

安里海花
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。 愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。 その幸せが来訪者に寄って壊される。 夫の政志が不倫をしていたのだ。 不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。 里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。 バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は? 表紙は、自作です。