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【後日談1】
一か月後の二人、私、お酒には強いので side汐里②
閑静な住宅街の片隅にある、とある一軒家の縁側に座って、手入れの行き届いた庭を眺めている。この家に通い始めた頃は、ここに座ると微かに金木犀の香りがしたけれど、いつの間にかしなくなった。花は落ちて、色付いた葉っぱだけが残っている、秋の終わりの庭。
「…………」
私はなぜこんな所に我が物顔で座って、留守番などしているのだろうか。
我に返ると とてつもなく不思議な気分になる。夢の続きにいるような現実感のなさ。それと同時にこれから過ごす時間を思い、期待で胸がぎゅんと高鳴る。
今この家には私しかおらず、家主は不在だ。
仕事は午前中で終わる予定だったが、いろいろとイレギュラーが発生し、夕方近くになっていた。帰りの電車の中だろうか、あと一時間もすれば着くと連絡があった。
先週末に鍵を渡されて、誰も居ない課長の家、好きな人の自宅に上がり込んで帰りを待っている。鍵は今日のために預かっただけで、〝合鍵〟と呼べるものではないけれど、それでも嬉し過ぎて、毎晩宝物を愛でるように眺めてしまった。
その場にごろりと転がり目を瞑る。ポケットの中の鍵の存在を確かめると、だらしなく口元が緩んだ。
「こんな寒いところで寝るな、風邪引くぞ」
「ひっ!!」
寝転がった状態の真上から、突然声を掛けられる。目を見開くと、声の主は勿論待っていたその人だった。いつの間にいたの!?
がばりと飛び起きる。
「お、おかえりなさい! なんで、いつ!?」
「今、着いた、ただいま。玄関でただいまって言ったけど、静かだし靴もないし、まだ来てないのかと思った」
「……」
靴は、なぜか縁側の下の石段に置いてある。さっき風で袋が飛ばされて、ちょっとだけ庭に出たからだ。
「おかしいな、ずっとここに居たのに全然気付かなかった……驚かせようとして泥棒みたいに入って来ました?」
「いや、泥棒って。普通に入ってきたけど」
「一瞬寝てたかな……」
「日向ぼっこする季節じゃないだろう、夏ならいいけど」
「大丈夫です、コート着てますし、中は暖房入れておきましたよ。……あれ? あと一時間位かかると思って……」
「ああそれは、驚かせようと思って時間適当に言った」
「ほら~」
仕事着の上にコートを羽織り、一緒に働いていた頃にいつも見ていた、どこか外回りから会社に戻って来た時のような風貌で、ネクタイを緩め笑いながらこちらを見ている。
「着替えてくる」
「……はい」
課長が荷物を持って寝室の方に消えると同時に、再び床にうつ伏せの状態になり、無言で足をバタバタさせる。普通に会話を交わしたが、普通じゃいられない。
うああああ、こんなことって!
悶えていいですか?
出張帰りの課長を自宅で待って、
「ただいま」「おかえりなさい」って!!
課長の日常に私という人間が存在する。想像すらできなかったのに。
「どうしよう、震える……」
緊張と興奮と喜びと、課長と過ごすようになって感情が忙しく、時々何かが溢れ出す。
つき合い始めて一か月と少し、私の週末は薔薇色になった。
*
「はい、お土産」
「え?」
着替えてリビングに戻ってきた課長から、かわいい小袋に入ったお土産を渡される。出張先の地元でしか買えない、評判の焼菓子らしい。
無防備な普段着姿にキュンとして、一瞬目を奪われていた。後ろ髪がくしゃっとなっているではないか、写真に収めたい。少しは慣れたと思ったが、たまらない……いや、今はそれよりも、何これ、お土産!?
「うわ……クッキーと、ブッセ? かわいい、美味しそう、ありがとうございます!」
お礼を言うと、課長は頷きながら口角を上げる。
なぜこうもさり気なくお洒落な、女性が喜びそうなものを選べるのか。センスが良すぎて怖い、拍手を送りたくなる。
そういえば私が営業部にいた頃も、たまに〝課のみんなに〟と、差し入れをくれることがあった。適当に選んでとりあえず買ったような代物ではなく、これどこで売ってるの?と、自分でも買いたくなるような、思わずときめいてしまうものばかりだった。
そんなに頻繁でもないからそれほど気を遣うこともなく、ようするにさり気ない。でも特別感があって、課長がお土産でくれるお菓子っていつも当たりだよね、と、女性陣に好評だったことを思い出した。あの頃は、課のみんなに、だったけれど……ぐふふ。
嬉しくなり、もう一度お礼を言いたくて顔を上げると、
「手、冷えてるな」
「え」
お土産を渡された時に指先が触れて、怪訝そうな顔をされた。かなり冷たかったようだ。
そのまま 課長は手の甲で私の頬を撫でて、顔が冷たくなっていることを確かめる。あんな寒い所にいるからだと、再び叱られた。
あ。さっき身体が震えたのは、感極まった訳ではなく、ただ単に身体が冷えていただけか。たしかに少し寒い、震えるわ。
大判のブランケットで身体全体を包まれて、暖房の近い場所にあるソファーにぽいっと座らされた。出張帰りで疲れているだろうに、止める間もなくコーヒーを淹れ始めて、私はお客様のようにちょこんと座ったまま。何のために早くここに来ていたのか、何の役にも立っていない。
疲れてるんだから座っててください、お茶なら私が、そう言うと、コーヒーくらい一人の時でも淹れてる、それにそんなに疲れていない、いつものことだからと笑われた。
「……なんか、風邪引くとか冷やすなとか、面倒見のいいお母さんみたいです」
「俺が? よく言うよ、今日に限らず突っ込み所満載だからな、あなたは」
「それはすみません」
「ふ…………なんだその恰好。温まった?」
「自分がぐるぐる巻きにしたんじゃないですか。……温まりましたけど」
さっき課長の手が突然頬に触れて、なんでもない顔を決め込んだけれど すごくドキドキした。冷たくなった手も頬も、できればその手で温めてほしかった……なんて。
課長はコーヒーの入ったマグカップを私に渡すと、同じソファーに並んで座り、背もたれに身体を預けた。
「……ブッセ、半分こしますか?」
「俺はいいよ、汐里が食べて」
「…………コーヒー、すごく美味しい」
「そう」
すぐ隣に、リラックスしている課長がいる。
手を伸ばせば届く距離に座っているが、簡単には、手は伸ばせない。
課長とつき合うようになって、ここには三度泊まった。夜は当然一緒に寝て、身体を重ねている。甘い、恋人同士の時間を過ごしている。
一度目は例によって、課長の意識がほぼない状態で私が必死に食らいついた夜で、無我夢中だったし、二度目は、これが最後だと覚悟して、刹那的に抱かれた。
思いが通じ合って改めてそういう関係になると、私はタガが外れたように、自分でも引いてしまうくらいに おかしくなった。蕩けるとはよく言ったもので、離れたくない、溶け合ってこの人と一体化してしまいたいと、本気でそう思った。ここぞとばかりに甘えている。
だけどそれは夜の過ごし方であって、課長は日中のこういう時間は、あまりベタベタと触れ合うようなことはしない。夏頃に週末二人で会っていた時と さほど変わらないくらいだ。
私は課長を見ているだけで、ふらふらと吸い寄せられるのに。
こんなに近くに来られると、触りたくなるのですが。いや、近くに来なくても同じ空間にいるだけでくっつきたくなるのですが。
つき合うこと自体がはじめてで、標準仕様がよくわからないのだが、これが普通なの?
イチャイチャは若者たちの特権で、いい歳の大人は二人きりの時でも、明るいうちはいちゃついたりしないのだろうか。
恋愛小説の読み過ぎで私の脳がバグっているのかもしれないが、もっとなんかこう、スキンシップ、あってもよくないですか? だって付き合いたてですよ、夜だけでなく四六時中ベタベタして目が合ったらキスをしてお互い飽きるくらい極甘な時間を──今はちょっと、想像できないけれども。
課長は特に何も思わないのか、そんな私の心の声には気付かず、平然と出張先でのことなど他愛のない話を始めた。
二人並んで穏やかな時間、適度な距離がある。大人だ、紳士だ、まるでベテランカップルのよう。
私は時々頷きながら耳で話を聞いているが、心の中は〝ああ触りたい〟そんなことばかり。
「──汐里?」
「……え」
「どうした ぼーっとして」
「え……あ、ぼーっとしてないですよ」
課長は多分聞いてくれる、私の話を茶化すことなく。優しいし私を尊重してくれるし、大事にされているのはわかるから。
だから我慢せずに言えばいいのかもしれないが、恥ずかしいのかちょっと格好つけているのかなんなのか、なぜか言えないのだった。
「課長今日、お酒飲みますよね?」
「ああうん、飲むよ」
課長の禁酒はとっくに解禁されていて、今日は外に出ず家でのんびり飲もうか、という話になっていた。
「夕飯、デリバリーでもなんでもいいって言ってたじゃないですか? 私、時間があったから、ここに来る前にいろいろ買ってきてみたんです」
「そういえば台所にいろいろあったな、冷蔵庫の中にも」
「おつまみになりそうなお惣菜と、あとお酒も少し」
本当はキッチンを借りて何か作ろうかと考えたが、ものすごく料理好きで上手 というわけでもないし、慣れない台所で私が動くと課長も落ち着かないだろうし、今夜は料理よりもっと別の目的があるし、などとぐるぐる考えた結果、中食に頼ることにした。
「駅の東口の方のスーパーと商店街に行ったんですけど、美味しそうなお店がいっぱいあって楽しかった~。テレビで見たことあるかもあの商店街」
「東口の方だろう? 連れて行きたい店結構ある」
「え、ほんとに? 今度一緒に買い物に行きましょうね」
出来合いのお惣菜を盛りつけたり、コップを冷やしたり、課長には休んでいてもらって私が宅飲みの準備を始める。
食事をしながら一、二杯飲んだりすることはあるけれど、二人だけでの〝飲み会〟は、意外にもはじめてかもしれない。
今夜は、課長を酔わせたいと ひそかに画策している。あの日のように記憶を失くすまではいかなくても、酔って無防備になった課長をまた見たくて。
当然あれは大反省した一件だが、何度考えても至福の時間だった。課長からの反応はなく、好き放題触らせていただいた。酔わせてどうにかしたい訳ではないが、心置きなく愛でたいのだ、あの時みたいに。
痴女かもしれない、いや かもしれないじゃなくて痴女だろう、触りたくて仕方がないのだから。
私ですか? 私は大丈夫、こう見えて実は、アルコールに相当強いんですよ。酔うと明るくなるくらい。多少眠くはなるけれど、二日酔いになったこともない。
だからおそらく、課長よりお酒に強いんじゃないかしら、あんな風にはならないもの。
「これが大吟醸で、こっちが芋焼酎、ワインとクラフトビールと、」
「ずいぶん買い込んだな、どんだけ飲む気だ」
「いや全部は飲まないですよ、でも酒屋のお兄さんに勧められるがままにね……あれ? これなんだろう、私買ったかな?」
「これとこれは、家にあった酒、テキーラ」
「テキーラ? 課長テキーラなんて飲むんですか?」
「いや、最近はあまり飲まないけど、酒好きの友達からもらったんだ。出しただけだけだから別に飲まなくてもいい」
「かさみごす? この瓶お洒落ですね」
「Casamigos Reposado、飲みやすいけど、結構度数あるからな?」
「へえ……テキーラってどうやって飲むんですか? 飲んだことないから飲んでみたい」
度数高いんだ……、ふーん。課長を酔わせるにはもってこいではないですか?
そんな悪巧みのせいで罰が当たったのか、この後私は、遺伝子レベルで体質に合わないお酒がある事を、身をもって知ることとなる。
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