【完結】黄色い花

中谷ととこ

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【後日談1】

一か月後の二人、私、お酒には強いので side汐里③


 クラフトビールから始まり、ある程度食事も一段落して、まったりとお酒を楽しむ時間に移行していた。
 課長も私もいい感じで酔っていたが、どちらも顔色は変わらない。ダイニングテーブルに向かい合って座り、なぜだか二人で飲み比べのような状況になっていた。そちらが飲めばこちらも、というように、結構ハイピッチで飲み進めていた。

「課長、今日は平気そうですね」
「そもそも記憶飛ばすまで飲むことなんてないから。あんな風にはもうならないよ」
「ええ、つまんない。いいんですよー眠くなったら寝ちゃっても。ご自宅ですし 心置きなく潰れてください? んふふ」
「……そっちこそ、いつもに輪を掛けて明るいな。かなり酔ってるだろう?」
「いや全然酔ってませんよ。私これくらいじゃ酔わないですもん」
「テキーラ何杯目?」
「え、二杯目?」
「絶対違うだろ、五、六杯は飲んでる」
「でも課長、そうは言ってもこのテキーラめっちゃまろやかで飲みやすくて、アルコール度数が……40%? そんなにないと思います」
「いや、あるから、言ってることおかしいし」
「ビールに換算すると何杯飲んだことになるだろ……5%で40%で8倍で……? 計算できない、まあいいや」

 笑いながら、課長が目の前の自分のグラスに残っていた冷酒をくいっと飲み干す。
 あまりにさまになる飲み方で、格好いいなあと、見惚れてニヤニヤしてしまう。
 課の飲み会の時なんかは、話したくても近くに寄ることもできなかったと、ふと思い出す。今は、独り占めできる。


「いいな、私もそれ、飲みたい」
「日本酒? ……だめ、あなたはこっち」
「なんですかこれ、水? ええっ、炭酸水じゃないですか~。やだお腹いっぱいになるし」
「いいから一旦これ飲んで、合間にチェイサー、ストレートでそんなにぐいぐいと……」
「だって大丈夫ですもん……じゃあわかりました、次はロックで飲もうか。はじめて飲みましたけどこのテキーラね、甘い匂いがするんですよ、ココナッツかなあ?」
「それさっきも聞いたし、あーー完全に目が据わってるな」
「あははっ、かちょお、目は座りませんよ」


 世界が、ちょっとゆっくりと回る。

 あれ、私今、少し酔ってる? そう自覚した時にはもう、まあいいか 飲んじゃったものは仕方がないしと、開き直っていた。
 でもまだ大丈夫、これくらいなら。

 私だけじゃなく課長もそれなりに酔っているようだが、いつ潰れてくれるのだろうか?
 今日はずいぶんご機嫌で楽しそう。

 でも多分、あともう少し、もうちょっと。
 あの日だって、あのbarで飲んでいた時はなんでもない顔をして普通に飲んでいて、突然がくんと落ちたわけだし。
 
 触りたくなって、手を伸ばす。でもやっぱり届かない、隣にいないから遠くて。
 

「……課長、テキーラ、飲みますか?」
「……飲まない」
「ん、ふふ」
「その課長って呼び方、そろそろやめようか」




 結論から言うと、自覚なく先に壊れ出したのは、私だった。
 おかしいぞ、普通はこんなに酔わないのに。

 敗因はおそらく、テキーラだ。
 想像したものと違い非常に飲みやすく、すいすい口にしていた。少し酔いを醒まそうかと思ったが遅く、調子に乗ってべらべらと、何かおかしなことを喋っている気がする。


「────汐里、眠い?」
「……えっ。全然眠くない、夜はまだこれからですけどっ?」
「まあ はい、それならいいけど。なんでキレ気味なんだよ」

 まだ19時台だから寝る時間には早い。けれど、頬杖をついた左手に顔を乗せて、右手の掌は上を向きテーブルの上にだらりと投げ出されている。明らかにとろとろと、瞬きの回数が増えていた。

「それより、マサトさん」
「ん?」
「一か月経ちましたけど、どうですか、楽しんでますか?」
「一か月……まだそれしか経ってないか」
「多分、そう」
「多分て。……でもなんか、もっとずっと一緒にいるような気もするな」
「……会社で毎日、顔は見てたからね」
「そうなんだけど、そういう意味じゃなくて。勿論楽しんでるよ? こうやって二人で過ごす時間が 当たり前になっていくんだなって……汐里は? 楽しい?」

 テーブルに無造作に放り投げられていた私の掌に課長の手が重なり、あっ、と思う。
 やっと、求めていたものが届いて嬉しくなる。やわやわと親指で撫でられて、さっきとは逆に課長の体温の方が低いみたい。この手が、好きだ。


「楽しいんですけど、でも……」

「……ん?」

「だけど私は、夜の、夜だけじゃなくて」

「え、なに?」

「セックスの時以外も抱きしめて欲しいです」


 私を撫でていた親指の動きが、ぴたりと止まる。なんとなく課長の顔は見れずに、テーブルを見つめたまま話を続ける。


「だって、聞いてた話と違うから。付き合ったばかりってもっと、もっとこう、いちゃいちゃベタベタと、会えばいつでも昼間でもくっついて……」
「…………イチャイチャしたいのか?」
「うん、したい。……したいでしょふつう――したいことが山ほどありますもん。……はい、だから触りたくてしょうがないんだから、もっとこれ飲んで、早く、寝て?」

 触れている手とは別の手で、目の前にあった冷酒の瓶をどんと課長の前に差し出した。
 一瞬ポカンとして目を見張り、笑い出す。

「ふ、はは……あの飲み潰れた時みたいに? だからさっきから飲ませようとしてたのか」
「そう、当たり! 私も結構酔ってきちゃってて、そろそろやばいから、早く」
「酒に強いんじゃなかったのか」
「強いよ? だって見たことないでしょ私が酔っ払ってるの。これですよこれ、テキーラ。課長がへんなもの出してくるから」
「ぶ、あはは」
「ねえ、笑ってる場合じゃないんですよ」


 なんでこんな話をしているんだろう?
 頭ではおかしなことを言ってるってわかっているのに、どうしよう、まずいな手の内を明かしたりして。課長が呆れて私を見てる……というわけでもなさそうな? 笑い上戸か。


 課長はおもむろに立ち上がると、酔ってふらつく様子など一切ない足取りで、私の隣にぴたりと身体を寄せるように腰を下ろして、今度は余裕の笑みを浮かべている。

「わたし、もう少しお酒を」
「もうやめとこうか」

 コップを持つ手を止められて、流れるような仕草でふわりと頭を撫でられた。そのまま耳、頬と課長の手が下りてきて、吸い寄せられるように腕の中に、すっぽりと収まっていた。


「やっときた」

 力が抜けていく。溜息を吐きながら 課長の背中に腕を回し、首筋に顔を擦りつけた。

「ずっとこうしたかったのな」

「そう」

 夕方課長が帰って来て、顔を見た瞬間に抱き着きたかった、おかえりなさいと。
 思えば贅沢になったものだ。諦めようとしてたくせに。

「言えよ」

「言わない。だって、子どもみたいじゃないですか、この格好からして。恥ずかしい」
「いいんじゃないの? 誰かに見せるわけでもないし、俺になら」
「……いい匂い」
「嗅ぐな」
「ふ、かわいい」
「汐里がな? さっきからずっと」


 いつの間にこんな体勢になったのか、気づけば私は課長の膝の上に向き合うように座らされて、緩く抱き込まれていた。これでは本当に 子どもみたいじゃないか。(ちなみにこの辺りの記憶は特に曖昧で、覚えていない)
 なんだかすごく安心する。うとうとしながら目を瞑ると、おでこや目尻に、唇らしきものが触れた。くすぐったいのと恥ずかしいのとで、身を捩る。

「すごく嫌そうな顔するんだよな……、ほら、眉間に皺」
「え、全然嫌じゃない、嬉しいだけ」
「そうか? 汐里は俺が触ると強張るから、無意識に遠慮してたところはあるかな。これまでの関係性もあるし、急に彼氏面されてもな、と思って。徐々に慣れていけばいいかと」
「誰かに触られることなんてないから緊張したかもしれないけど、嫌なわけないじゃないこれでも喜んでるの。遠慮なんてしないでどんどんきてよ。それに最初が肝心じゃないですか、付き合い立てにいちゃいちゃしないでいつするの、よそよそしい距離感に慣れちゃうじゃない。マサトさんはこういうの過去に散々やってきて飽き飽きかもしれないけどね、私してきてないから、まだ興味津々なの、わかります?」
「……うん、はい、わかります、息継ぎしないでよく喋るなあ、大丈夫かよ」
「だいじょぶ。だって、私の身体なんてマサトさんしか触る人いないんだから、あなたが触らないとなると誰からも触ってもらえないの、後にも先にも。可哀そうでしょう!?」

 課長はまたしても目を丸くして、唖然としながら息を吐く。

「ふっ……言われなくても触りたいですが」
「溜息吐いてないでお願いしますよ。例えばね、」
「お、例えがあるの? たとえば?」

 頬が触れ合うような至近距離で顔を見つめながら、真剣に何を語っているのか。誰か止めてくれよ。

「ソファーに二人座って、課長の足の間に私が挟まれて、映画見たり本読んだり、とか。あと料理をしてる最中に後ろからくっつかれて邪魔してきて、料理失敗しちゃうじゃない、とか。……それから私たち対面で座って食事してるじゃないですか、いつも。…………遠い」
「ああ、たしかに遠いな。次からは隣に座る」
「うん、そうして。でもテーブルで並んで食べるのは、おかしいか……?」
「全然おかしくないよ、それから?」
「…………それから、えっと、あとは、一緒にお風呂とか…………やっぱ無し、間違えた」
「いいね、望むところですそれは」
「だから無しだって、恥ずがしい、間違いっ」
「ああそう、じゃあ今日これから一緒に入ろうか。あなた酔ってるから一人で入るのも危なっかしいしな、ちょうどいい」
「ちがう、そういう介護的な話をしてるんじゃなくて! 聞いてます?……んっ」

 不意に課長の顔が近づいてきて、唇同士が触れ合う。なんとなく、悪い顔をしているように見える。こうやって簡単に火をつけて。でも日常的にお願いしたいです、キスは。目に映る全てのものが好き過ぎる。


「──課長、この間、新入社員から聞かれたでしょう? 歓迎会の時、彼女いないのかって」
「ああ、聞かれたな」
「いるよ、って言ったんです?」
「言ったよ」
「いるよ、かぁーー課長・・のキャラじゃない」
「あ、名前」
「あ、マサトさん」
「うん、それで、君たちがよく知ってる人で、松島だって言いかけたけど、汐里に止められてたのを思い出して、名前は出さなかった」
「あぶな、出さなくていいですよ、つき合ってまだ一か月なのに」
「だからさ、言いたくなったんだよ、それだけ俺も浮かれてるってこと。どんどん自分が気持ち悪いおっさんになって鼻の下が伸びている自覚はあるから、これはまずいと気を引き締めているところですね」
「あはは、鼻の下、見せて?」

 破顔して 嬉しそうに抱き寄せられて、もうそれだけで心臓が止まりそうになるのに。身体の奥から熱くなってきて息を止めている間に、また唇が重なる。

「…………ちょいちょいキスしますね」
「かわいくて我慢できない」
「我慢しなくていいです、ぜんぜんいいです」

 今度はすぐには終わらない、長い長いキス。
 柔く、唇をはまれるだけでは物足りなくて、自分から舌を絡め取った。お喋りしていたのに急に艶めかしい。緩慢に唇を離した。

「……お酒の匂い」
「あなたもな」
「あはは、ごめんね、日本酒とテキーラ ね。でも課長の味がするから」
「はぁ……おまえは…………」


 人生で、これほど幸せを感じたことはない。
 いや、幸せな瞬間はそれなりにあったかもしれないが、そのどれとも種類が違った。
 満ち足りて泣きたくなるような、膨らんで爆発しそうになっているような、例えようのない気持ちだ。

「マサトさんが独り身で良かった、しかも私でいいって、こんなラッキーなことないって毎日思ってます。こんなに幸せでいいのかなって。私のこれまでの徳を全部足しても足りない位、だから今後、帳尻合わせのように不幸が降ってくるかもしれないけど」

「それは俺の台詞だ」

「いや私の台詞だ」

「……汐里は今、幸せなんだな?」

「うん、そりゃもう、人生ピークの幸せ」

「ピークはやめてくれよ、これからもっとだろう?」


 たまらない気持ちになり、全体重をあずけてぎゅうっと抱き着き、また首筋に顔を埋めた。「汐里」と、名前を呼ばれる。ただ呼んでいるだけなのに、その声は甘さを帯びている。

「思ってることがあったら、何でも言って欲しい。不満も愚痴も やってほしいことも全部、どんな些細なことでもいいから我慢しないで。汐里の本音は、俺が聞きたい」
「うん……いいよ、言うよ」
「……まあ、そうはいってもまだ信用ないか、これから追々だろうな」
「え? 違うよ、信用なんてとっくにしてる。課長が私の話ちゃんと聞いてくれることくらいわかってますから」
「でも、いろいろと遠慮してただろう?」
「遠慮っていうか 何て言えばいいんだろう、格好つけてただけ。大好きな人の前でしょぼいところ見せたくないって、ただそれだけ」
「格好つけてた?」
「そうだよ、私なんて本当はレベル1の初心者だけど、酸いも甘いも経験してきた課長の隣に並んでも違和感ないようにとか、さすがに考えますから。いい女だと思われたかっただけ」
「……十分、いい女だ」
「いやあ、ありがとうだけど、いい女ではないよう、だから、頑張ります」
「頑張らなくていい、俺は 松島汐里がいい。話すだけで明るい気持ちになれる。……いや、それだけじゃないけど」
「またまた、スパダリかよそんなこと言っちゃって、さすがに私も眠くなってきちゃいましたよ、ふあああ────……」
「は? なんて? スパダリ?」

 スーパーダーリンです。包容力があって思いやりが深く何でもできてしまう、外見も内面も非の打ち所がない理想的な──でも、そこだけが好きってわけでもないからね? この人の、もっといろんな顔を見てみたい。


「……あの、マサトさん? 早速なんだけど」

「うん、どうした?」

「…………胃の中、気持ち悪いかも」

「え?」

「ちょっぴり、吐きそうかも」

「あ、待って、吐きたい? 限界!?」


 耳の近くで慌てふためいてる大好きな人の声を聞きながら、私そういえば課長に乗っかっちゃっているから動けないんじゃないかと、他人事のように笑う。
 私だけの特別な温もりにコアラのようにしがみ付きながら、徐々に意識が薄れていった。





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