【完結】黄色い花

中谷ととこ

文字の大きさ
26 / 27
【後日談2】

さらに半年後の二人、真夜中の会話 side汐里①



 重い瞼を持ち上げて目を開けると、すぐ近くに、少し驚いた表情をした恋人の顔があった。
 深夜一時、暗闇の中なのでちょっと怖い。

「ただいま」
「…………おかえり」

 雅さんのベッドを占領し我が物顔で寝ていた私を、こっそり覗き込んでいたらしい。ぼんやりとした意識の中、笑みがこぼれる。

「起こしてごめん」
「だいじょうぶ」

 首を軽く横に振って腕を伸ばし、雅さんを引き寄せる。
 髪は少し湿っていて、ボディーソープの匂いがする。シャワーを浴びて寝支度を済ませ、ちょうど布団に潜り込もうとしていたところだった。


 週の終わりの金曜の夜、今日は営業部が一同に介した社内懇親会があって、雅さんもそれに参加していた。
「記憶を失くすくらい飲んでもいいけどちゃんと帰って来てね」と、わざと言うと、目を細めて軽く睨むような視線を向けられる。「そんな飲み方は金輪際ない」らしい。 
 過去の失態は一体何だったのか。あれは一夜限りの、私のための神様の悪戯じゃないかと思ったりもする。

 平日の夜は、基本的には会わず連絡を取り合うくらいで、週末をほぼ一緒に過ごしている。雅さんの自宅は会社からも近いので、会おうと思えば毎日でも会えてしまうのだが、仕事の日は休息を優先しこれまで通り一人で過ごすことにして、休日を楽しみにする、そんなルールが自然と定着していた。


「今帰ったの?」
「いや、三十分くらい前。少し酔い覚ましてからシャワー浴びた」

 布団の中に入って来た雅さんの方に向き直し、今度はぴったりと隙間なくくっついて抱きしめてもらう。酔いはほとんど醒めたとはいえ、アルコールの入った彼の身体はいつもより熱い。
 雅さんの帰りが遅いなら、今日は自宅に帰って明日の朝ここに来ようかと迷ったけれど、待っていて良かったと思いながら。
 一人でいても当然息はできるが、彼の傍にいると息がしやすくなる不思議。心底安心する。


「飲み会、楽しかった?」
「うん、まあ、いつものメンバーで二次会に流れて……遅くなりました」
「そう、良かったね」

 首筋に顔を埋めて、くんくんと鼻を鳴らす。

「はぁ…………雅さんだ」
「こら、犬みたいに嗅ぐな、くすぐったい」
「……でもシャンプーの匂いしかしないな、雅さんの匂いが薄いんですけど」
「そりゃな、シャワー浴びたし」
「浴びなくていいのに」
「やだよ、ベタベタするし自分が臭い」

 ベタベタでも酒臭くても爽やかな香りでも、この人からする匂いならなんでもいいと、ぐりぐりと肌に頬を擦り寄せる。


〝木藤課長〟と私がつき合っていることは、以前から親しくしている一部の人には打ち明けている。(薄々気づかれていたようで) 大人なので、詳しく聞かれることもなく見守ってくれている感じではあるのだが、現在も雅さんの部下であり、私たち二人のことをよく知る元同僚でもあるため、ごくたまに、話題にはなる。

「二人でいる時の課長ってどんな感じなの? 全然想像できないんだけど」と、岡谷さんに聞かれ、「仕事の時とあまり変わらないかな」と、適当なことを言ってしまった。「まじで? 家でもああなの?」と、驚かれたけど。
 私だって以前は想像すらできなかった課長・・のプライベート、恋人がいるとか誰かに愛を囁くなんてことあるのかな、と思っていた。  
 信じられないことに私自身がその立場になってみると────言わずもがな全然違う、オンとオフでは。 牙が抜け落ちたかのように柔らかくなって、温厚で寛容で、優しい人。  
 誰にも教えられない、言いたくない。雅さんのそんな姿は、私しか知らなくていい。


「────汐里。遅いから、もう寝て」
「……うん、でも、目が冴えちゃったし」 
「そう見えないぞ、半分寝てるじゃないか」 
「起きてる起きてる、起きる」

 耳元で吐息に近いような笑い声が聞こえて、キュンとして本当に眠気が飛んでいく。腕の力を緩めて顔を上げると、ほんの数センチの距離で、目が合った。

「……お疲れじゃないですか?」
「疲れてないよ? なんで?」
「最近めちゃくちゃ忙しそうだから」
「うーん、今ちょっとな、時期的に」
「〝木藤課長〟が忙しいってことは、並の人間なら死んでるってことでしょ?」
「いやそんなことないだろ。けどまあ、二課の連中も、どうしようもなく残業は増えてるな。あと二週間もすれば落ち着くと思うけど」
「…………あ」
「……ん?」
「それってもしかして、木藤課長の異動が近いからとか、そういうのは関係なく?」
「異動? いや、全然関係ない。……あれ? もしかしてなんか聞いた?」

 ああ、やっぱりそうなのかと、胸の中が急にざわつき始める。

「ううん、何も、聞いてない。人事はすぐ隣の島だけど守秘義務があるでしょ、聞こえてこないよ。だけど皆さんの勝手な想像というか予想は、出回ってるみたいで」
「ああ……なるほど」

 木藤課長、そろそろ異動じゃない? という根拠のない噂は最近たまに聞こえてくる。何か所か、予想される部署とポジションまでも。
 中でも、関西支社に赴任する話が濃厚らしいと、今週たまたま耳にしたばかりだった。
 関西? え、支部長ってこと? あり得なくはない話だ、むしろ言われてみればたしかにといったところだが……どうなんだろう、と、そのまま聞いてみると、「へえ、なかなか鋭いな、当たり、断ったけど」と、平然と答えた。


「断った? えええ、なんで……」
「なんでって、行ってほしかった?」
「ちがう、そういう訳じゃないけど、でも昇進ですし、喜ばしいことじゃないんですか?」

 支社で支部長を数年務めた後、本社に戻る、それは我が社の典型的な出世コースでもある。断るなんて……断れるものなの? ところが、

「全然喜ばしいことじゃないよ、行きたくないもん」
「行きたくないもん、て」
「打診があったその場で断ったよ」

 つき合う前は、まさか彼がこんな台詞を言うなんて、夢にも思わなかった。冷静沈着で大人で、というのは印象そのままだけど、感情的になったり、ざっくりと適当な所も結構ある。

「関西は行きたい奴はいっぱいいるし、俺じゃなければって理由もないから。ただ我が儘を通したわけじゃない」
「だけど誰でもいいわけじゃないでしょう? いいんですか? 本当に」
「いいよ、せっかく汐里とこうしていられる今の生活が気に入っているのに、変えたくない」
「えっ、私? 私が理由?」
「いやそうじゃない。なんていうかな、俺が、今はここを離れたくないというのが一番大きい。それにこのまま本社にいても、そのうちどうにかなるだろ。急がなくても」

 すごい自信だ、けどたしかにそうかもしれない。雅さんはうちの会社にとってキーパーソンというか必要不可欠な人材だし、このまま課長のポジションに落ち着くことはないだろうが。
 でも、今課長が一人だったら、当然のように承諾したんじゃないかな。そんな気がする。

「……」
「心配した?」
「心配っていうか……うん、少し。正式に決まる前に話してくれるのかな、とは。もし事実なら、そんなに簡単に断ると思わなかったし、私とはどうなるんだろう、遠距離に、なるのかなって」
「ごめんな、話もしないで。というか100%受ける気なかったから、数分話しただけで終わったんだよ、つい三日前の話だ」
「そうなんだ」
「そうなんです」
「…………ふ」
「なに。なんかおかしい?」
「ずいぶんあっさりしてるから」
「そりゃなあ、あなたと離れ離れは絶対に嫌だし他に選択肢は……俺は、週末のこの時間がないとエネルギーチャージできない、無理無理」
「え、なに可愛いこと言って。私だって雅さんが関西に行くって言うなら、ついていくのに。遠距離なんて考えられない、淋しくて」
「ふーん、あそう」

 なんだかとても嬉しそうニヤニヤと笑われて、顔や頭やあちこちにキスをされる。

「大丈夫、ここにいるから」
「うん」

 私たちは、将来の約束はまだ何もしていない。でもお互いに本音を隠すことなく言いたい放題なので、年齢的なものもあるかもしれないが、いつか結婚したいという将来の展望は、当然の流れになっている。大好きで、一生傍にいて欲しいと つい言葉にしてしまうのだ。
 安心して好きな時に好きなように、愛を囁くことができる。


 戯れるように始まった愛撫は、唇同士が触れ合うとそこからはもう、ただひたすらお互いを求める静かな時間に変わっていた。

「……気持ちよくなってきた」
「その気になるなよ、二時になるぞ?」  
「そう言うけど、雅さんの撫でる手つきがすでに、おかしいじゃない、あっ、んっ……自分だって、その気になってる」
「眠そうじゃないか」
「言ってることとやってることちがうっ」


 掛けていた布団を無言で剥いで、素早く淡々と、下着まですべて脱がされる。
 いつの間にスイッチが入っていたのか、どれだけ飢えていたのか────暗い部屋の中で、肌の熱さと吐息、指先が滑る感触だけが鮮やかになる。
 開かれた脚の間に、雅さんの顔が沈んだ。






感想 16

あなたにおすすめの小説

恋は秘密のその先に

葉月 まい
恋愛
秘書課の皆が逃げ出すほど冷血な副社長 仕方なく穴埋めを命じられ 副社長の秘書につくことになった 入社3年目の人事部のOL やがて互いの秘密を知り ますます相手と距離を置く 果たして秘密の真相は? 互いのピンチを救えるのか? そして行き着く二人の関係は…?

憧れていた敏腕社長からの甘く一途な溺愛 ~あなたに憧れて入社しました~

瀬崎由美
恋愛
アパレルブランド『ジェスター』の直営店で働く菊池乙葉は店長昇格が決まり、幹部面談に挑むために張り切ってスターワイドの本社へと訪れる。でもその日、なぜか本社内は異様なほど騒然としていた。専務でデザイナーでもある星野篤人が退社と独立を宣言したからだ。そんなことは知らない乙葉は幹部達の前で社長と専務の友情に感化されたのが入社のキッカケだったと話してしまう。その失言のせいで社長の機嫌を損ねさせてしまい、企画部への出向を命じられる乙葉。その逆ギレ人事に戸惑いつつ、慣れない本社勤務で自分にできることを見つけて奮闘していると、徐々に社長からも信頼してもらえるように…… そして、仕事人間だと思っていた社長の意外な一面を目にすることで、乙葉の気持ちが憧れから恋心へと変わっていく。 全50話。約11万字で完結です。

不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました

入海月子
恋愛
有本瑞希 仕事に燃える設計士 27歳 × 黒瀬諒 飄々として軽い一級建築士 35歳 女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。 彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。 ある日、同僚のミスが発覚して――。

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

楓乃めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~

安里海花
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。 愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。 その幸せが来訪者に寄って壊される。 夫の政志が不倫をしていたのだ。 不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。 里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。 バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は? 表紙は、自作です。