花さんと僕の日常

灰猫と雲

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秋の章 「携帯番号」

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「楽しそうですね」
ふすまが開くと同時にばあちゃんの凜とした声が響いた。
俺ら2人は慌てて正座を作る。
ばあちゃんは俺らの前にある花器を丁寧に見ながら
「悪くないけど集中してなかったみたいですね」
と小言を言う。
この和室には監視カメラでもついてるのかな?と疑いそうになる。
師範になるとそんなことまでわかるのだろうか?
「では今日はここまで」
ありがとうございました、と親子2人で手を付き頭をさげる。
これで師範と弟子の関係はここでおしまい。
続いて親子3代の関係に移る。
「今日は晩御飯食べていきなさい。お父さんも早く帰ってくるみたいだし」
すかさず花さんが
「ダメ!今日は秋とこれからデートなの」
と断った。
「デートって…。あなた達、まさか付き合っているの?」
ばあちゃんはキツイ性格だけど若干天然が入っている。
「大事な話があるから今日はうちで食べていきなさい」
「大事な話って、またあの話でしょ?秋にはまだ早いからもっと大きくなってからにしてよ」
あの話とは俺がばあちゃんの家業、つまり花の師範になって草天流を継ぐということだ。
俺が小さい頃、まだ絵本を読んでいた時から俺はばあちゃんから週に1度花を習っている。
俺は華道を楽しいと思ったことはないけれど、嫌いだとも思ったことはない。
そういった分別がつく前から草花に触れ、それが毎週ともなると必然的にそれが日常となる。
ただ、それが将来なりたいものだと決められるのはいささか不本意だ。
花さんから
「秋が花をやるのはお母さんとの約束だったの。ごめんね、秋には関係ないのに」
とずいぶん前に謝られた。
「いいよ。花さんも一緒だし」
と答えたらしばらく俺を抱きしめて解放してくれなかった。
毎週花さんに連れられてこの家に花を習いに来ているけれど、俺以上に花さんは俺が草天流を継ぐのを良しとはしていなかった。
むしろ反対していた。
「私があなたの母親になったように、秋は秋がなりたいものになりなさい」
と言う。
きっと俺が知らないだけで、花さんが10代で子どもを産むという事は俺が知る以上に反対されたのは容易に想像できる。
いろんなことが花さんとばあちゃんの間にあって、そのひとつが俺が花をやるという約束なのだと俺は考えている。
「秋はどうなの?」
ばあちゃんは俺に話をふってきた。
花さんではラチがあかないと思ったのだろう。
「今日は花さんがビーフシチューを作ってくれるから家で食べるよ。ごめんね、また今度ばあちゃんのご飯食べるよ」
嘘です。ごめんねばあちゃん。
「あなたは本当にビーフシチューが好きね。わかった。また今度にしましょう。花、今度ビーフシチューの作り方教えて」
と表情が柔らかくなった。
「え~!お母さんがビーフシチュー作るの?似合わない」
と花さんは大笑いし、いつも割烹着を着て煮物や焼き魚など和食中心のばあちゃんが牛肉を煮込む姿を想像したらおかしくなって俺もつられて笑った。
「カレーだって作ります。大して変わらないでしょ?」
とばあちゃんも背筋をピンと張りながら、それでも愉快そうに笑っていた。
ばあちゃん、ルーが違うんよ、ルーが。
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俺らは和服から普段着に着替えもう1つの和室に正座をしていた。
目の前には仰々しい仏壇があり、縦に漢字が並ぶ位牌が置かれている。
その隣には今の俺より少し歳上の綺麗な女の人の写真が飾られていた。
俺らは毎週この家に花を習いに通い、その最初と最後は必ずこのまだ大人になりきる前に他界してしまった少女の遺影に手をあわせる。
彼女の名前は七尾 萩(はぎ)。
花さんの妹で高校生の時に若くして亡くなっていた。
花さんと萩さんはとても仲の良い姉妹で、俺が生まれた時には凄く喜び、俺のオムツを替えてくれたりお風呂に入れてくれたりしてたよ、と花さんが教えてくれた。
残念なことに一切俺は萩さんの事を覚えていない。
けどまぁきっと花さんの妹だから甥っ子の俺から見ても素敵な人だったんだと思う。
「シュウちゃんまたね」
萩さんの事を花さんはシュウちゃんも呼ぶ。
花さんが立ったので俺もそれに倣って合わせた手をほどき立ち上がる。
もし生きていたら3人でどんな話をしてたのかを想像する。
きっと楽しかっただろうと思うととても残念な気持ちになった。
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「秋ぃ、さっきのアレ、ナイスな嘘だったよ」
花さんの運転する我が家の愛車の中、そう言ってチラリと横目で俺を見た。
「え?俺嘘は言ってないよ?」
とニタリと笑って返した。
「いやいやいや、嘘でしょ?ねぇ、嘘でしょ!嘘だと言ってよバーニー」
「バーニーじゃないけどね。それに俺に嘘は言わないでって言ったじゃん?」
花さんは深い深いため息をついて
「もうっ!じゃあスーパー行くから付き合って」
と不満そうにウィンカーを上げた。
「ビーフシチュー♩ビーフシチュー♩」
期せずして今夜はご馳走だ!
「アンタ本当にビーフシチュー好きね。誕生日もクリスマスも子どもの日も敬老の日も絶対ビーフシチューだもんね」
確かに、何食べたいかを聞かれたらほぼ100%の確率でそう答える。
「もし明日地球が破滅するとして最後に何食べたいか聞かれたら絶対花さんの作ったビーフシチューって答えるよ。お店のじゃなくて、花さん作ったやつ」
と言うとみるみる花さんの機嫌が良くなり、俺と一緒にビーフシチュー♩ビーフシチュー♩と歌っている。
単純だ笑。
けど我が母親ながら可愛いと思う。
今日は学校ではあまり調子が上がらなかったけど結局はちょっとだけプラスの良い1日だった。
世の中うまくできている。
そして明日きちんと乃蒼に謝ろう。
そうすればきっと明日も良い1日になるはずだ。
と思っていたのに…。
乃蒼は次の日も学校に来なかった。
明日は土曜日で学校は休みだ。
学祭に向けてのクラス委員での話し合いも必要だし、学年で2位の成績を誇る乃蒼が2日も学校を休むと成績に支障をきたす。
というもっともらしい理由をつけ乃蒼と連絡を取ろうと思った。
本音を言えば休んだ理由を知りたかった。
もしもそれが俺の態度によるものだったら俺は心から謝りたい。
乃蒼はあの時きっと悪気はなかったし、慌てる俺に対し一緒になって今後どうするかを考えてくれたはずだ。
頭が冷えたらきちんと考えられるのにあの時の俺はそこまで考えが至らなかった。
謝るためではなく、許されるために謝りたかった。
ただ問題があった。
誤解を恐れず言わせてもらうなら、彼女は友達が少ない。
鈴井乃蒼を下の名前で呼ぶ者も限りなく少なかった。
呼び捨てともなればもう俺しか知らない。
試しに乃蒼とたま~に話をしている前の席の子に
「乃蒼の電話番号って知ってる?」
と聞いたら
「え?鈴井さん携帯持ってるの?」
と返ってきた。
中1で携帯を持っているのはそんなに多くないだろうし、俺としてはそこには期待していなかった。
「いや、家電でもいいんだけど」
と言うと
「聞いたことないしわからないなぁ」
と思った通りの返事が返ってきた。
ダメ元で担任にも聞いてみたけど個人情報は教えられないと突っぱねられた。
なす術なくその日も憂鬱な気分で家に帰った。
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「私を誰だと思ってるの?」
乃蒼ときちんと話したいけどまた学校を休んで連絡先もわからない、と花さんに言うと凄くニンマリと期待に満ちた顔でそう言われた。とりあえず乗っておく。
「誰なの?」
「こう見えても元スパイだよ?ちょっと待ってて」
花さんは携帯を持って自分の部屋に戻りどこかに電話をしていた。
ややしばらく経ってメモを片手にリビングに戻ってきた。
「わかったよ。これに乃蒼ちゃんの携帯番号が書いてる」
「えぇ!?どうやって調べたのさ!」
「だから元スパイだって言ったじゃん笑」
スパイと関係あるかどうかはわからないけど、カラクリはいたって単純で乃蒼の携帯番号を教えてくれたのはばあちゃんだった。
ばあちゃんは俺や乃蒼がこないだ出展した花道の展覧会の審査委員長をしていて、優秀賞の症状を学校側に送るかそれとも自宅にするかというのを乃蒼に確認する用事があった。
そのついでに俺が連絡を取りたがっている旨を伝えると携帯番号を教えても良いという返事が返ってきた、とまぁこういう経緯だ。
「ありがとう。ちょっと電話してくる」
花さんからメモを受け取ろうとしてらヒョイと持ち上げられお預けをくらった。
「なに?どうしたの?」
さっきまでのおちゃらけとは打って変わって真面目モードのオーラが出ていた。
「看板猫のいる喫茶店」
あぁ、謝ったら一緒に行く約束の?
「今度ね?」
「今度ぉぉぉぉ!」
「不満そうだね」
「そりゃそうだよ!だって最近全然遊んでくれないじゃん。前だったら一緒に色々行ってたのに」
「こないだ一緒に映画行ったばっかでしょ!」
マザコンの俺でもさすがに中学生になると他の人の目も気になる年頃です。
それでも全国中学生男子の中ではトップクラスで母親といつも一緒にいる方だと思うんだけど。
「わかった。明日休みだし行こう」
「あのね、看板フクロウのいるだんご屋さんも見つけたの」
何故だんご屋にフクロウが必要なのかわからないけど
「わかったわかった。じゃあそれは来週行こう」
と言うと両手にガッツポーズを決め喜びを噛み締めている。
片手を出すと花さんは手のひらに携帯番号が書かれたメモを乗せる。
そこに書かれている11桁の数字を見ながら、友達の少ない乃蒼の携帯には一体誰から電話がかかってくるのだろう?と疑問に思った。
まぁ俺の携帯がほぼ花さん専用であるように乃蒼も親専用機なのかもしれない。
「携帯からかけなよ。ここで話すのはさすがに恥ずかしいでしょ?」
と花さんが許可をくれた。
「え?いいの?ありがとう」
今年に入り俺はクリスマスでもないのにサンタさんから携帯電話を花さん経由でプレゼントされた。
その時に固く約束させられたのは、むやみやたらに人に教えない事だった。
だからせいぜい俺の携帯番号を知ってるのは花さんとじいちゃんばあちゃん、あとはタケルと彩綾くらいだ。
「仲良い友達なんでしょ?いいよ、教えても。どうせ料金はあいつ持ちだし長電話しちゃいなよ」
花さんはサンタさんの事をあいつ呼ばわりする。
そしてそのサンタさんも毎年クリスマスだけでなく誕生日や何かの記念日には欠かさずプレゼントをくれ、なおかつお正月にはお年玉もくれる。
どうやら俺の貰った携帯の料金も季節外れのサンタさんが支払うらしい。
「そうなんだ。サンタさんも大変だね」
サンタは実在しないことを知ってしまった時、俺は誕生日プレゼントやお年玉もくれるサンタさんは実は父親なのではないかと疑っていた。
花さんもサンタさんのことあいつ呼ばわりしているし。
けれど

『秋はいろんな人から愛されてるんだよ』

と嬉しそうにしている花さんを見てそうではないのだと確信した。
結局そのサンタが何者なのかは未だにわかっていない。
まぁ自分のこともわからないのに人のことも分かるわけがないのだ。
自分の部屋に戻り机から携帯を取り出した。
こいつの使用頻度は正直少ない。
充電したのはいつだったか覚えてないけれどまだ36%も残っていた。
充電器を差しながらメモに書かれている11桁の番号を打ち込む。
知らない電話番号からかかってきて乃蒼は出るのかな?と心配したが3コールして「もしもし」と乃蒼の声が聞こえた。その声はいつもより少し枯れていた。
「あの、七尾ですけど。クラス一緒の」
「私の知り合いに七尾って男の子は1人しかいないよ。
ケホッケホッと可愛い咳が聞こえた。
「あのさ、こないだの事なんだけどーーーーーー」
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