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乃蒼の章 「La promesse brillante/Partie 3」
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例えば休み時間に呼び出されて叩かれるとか、机の中にあるはずの筆箱が気がつくとなくなっててゴミ箱から出てくるとか、教科書にマジックで落書きされた上カッターで傷つけられている…そういった類のものは結構キツい。
私の場合そういう事はなかったけれど、とにかく存在がないものにされてしまった。
それはそれで結構キツい。
ヒエラルキーの最底辺ならそれでも少しはマシかもしれない。
私はヒエラルキーにすらカテゴライズされなかった。
私自身が自分が何者かがわからないのに、他者からも見えなくなってしまった。
何処かの誰かがなくした筆箱はゴミ箱にあっても、私の場合はどこをどう探しても私を見つけられない。
喪失感はもともとあったものがなくなったときに感じるものなので、私がこの時感じていたのは虚無感だった。
「もういいや、私はそういう運命なんだ」
そう思って眠った夜は必ず悪夢で目が覚めた。
起きたらもう覚えていないけど、とにかく怖い夢だった。
汗でじっとりと体が濡れていて、不快を感じている最中にどんな夢か賢いはずの私の頭の中から抜け落ちていた。
不思議なことに死にたいとは思わなかった。けれど消えてしまいたいとは願った。
私が生きてても良いという意味と理由が私にはなかった。
今度生まれてくるときは、頭が悪くてもいい、可愛くなくていい、男でも女でもどっちでもいい。
ただ、混じりっけのない血が流れる純粋などこかの国の人に私はなりたいと思った。
そんな消えかけの私でも、母といる時だけは自分が「イレーヌの娘」ということを実感できた。
何者でもない私が、イレーヌの娘であることの「私がこの世で生きてても良い」という意味と理由を母がくれた。
それはこの時期の私にはとても大事で、つつがなく生きていくのになくてはならない命綱のようなものだった。
母はそのフランス仕込みのストレートな言動で私を安心させてくれた。
時々やりすぎて私を怒らせることもあったけど、それすらも私のためのような気がした。現に失っていた表情は、家に母といるときは感情豊かだった。
だからだろうか?生まれたばかりの頃のように私は母と離れるのが怖くなった。
死んだように学校に行き、終わるとその足で母の職場に直行し退社する時間まで母のそばで過ごしていた。
その時、母はどう思っていたのだろう?おかしいな、とは気付いていたと思う。
けど何も言わなかった。
だから私が母から離れたくないがために「私もやりたい」と母の通う華道教室に一緒に行くことを希望した時も「どうしたの?」とは言わず、
「乃蒼は可愛いからきっと着物が似合うよ
と喜んでくれた。
母はいつも花を習いに行くときは着物を着て出かけていたし、私にも新調してくれたので華道とはそういうものだと思っていた。
だが実際行ってみると着物を着ていたのは私達親子だけで他の生徒はみんな普通の格好をしていた。
日本人でもない私達が和服を着て日本の伝統文化を習う、というのがとても滑稽に思えた。
けれど滑稽だとしてもこの時の私はきっと、着物を着て花を習う事を通して日本人であろうとし、すがりつきたかったのかもしれない。
私は着物を着ているから日本人である、と。
私は花を習っているから日本人である、と。
「乃蒼は着物が似合う顔をしてるねぇ」
とお花の先生から言われた時には、まるで
「乃蒼は日本人だよ。だから生きててもいいんだよ」
と言われたようでとても嬉しかった。
灰色の泥の中で生きていた私の体を、雨が洗い流してくれたようにとても救われた気がした。
思わず涙がポロポロ溢れて母や先生を困らせた。
泥の中で、それでもなんとか生きていた私だったけれど、4年生の時に大きな転機が訪れた。
私はその日も朝から魚が死んで腐ったような顔をして席に座っていると、先生は東京から来た『なっちゃん』というキラキラした転校生と一緒に教室に入って来た。
私はまだかろうじて賢い子どもだったのでなっちゃんを一目見てすぐに直感した。
この子は他の子とは違う!
直感通りなっちゃんは転校初日からクラスメイトに囲まれていた。
さすが東京、着ている服もなんだかお洒落だし、髪もどんなふうにしているのかわからない複雑な結い方をしていた。
可愛いわ勉強は出来るわ足は早いわお洒落だわで男子からも人気を集めていた。
けれど、それまでクラスの中心人物だったユミちゃんはなっちゃんの登場がお気に召さなかったようだ。
ある日私のところにユミちゃんと4人の愉快な仲間達がやって来た。
「ちょっと来て」
何年かぶりに話しかけれるとトイレに連れていかれ、上から目線の命令口調でこう言った。
「仲間に入れてあげるから、その代わりあの転校生のこと無視しなさい」
ユミちゃんは唇の端を上げてニヤニヤと笑っていた。
(醜いなぁ…)
私は賢い子どもだったから何が綺麗で何が醜いかはすでに分別できていた。
下駄箱で私を睨みつけ「あんた、絶対許さないから」と言ったあたりから、私は教室から消えてしまった。
きっとこんなふうに、私は消されてしまったんだろう。
それを今さら、今度はなっちゃんを消すために私に話しかけて来たの?
絶対に許さないんじゃなかったの?
あなたは日本人なのに、なんでそんなに醜いの?
結局翌日もそれまでと同じように私は消えたままだった。
そしてなっちゃんも私と同じように消えてしまった。
あんなにキラキラしていたなっちゃんでさえ、転校からたった7日ばかりで消えてしまった。
学校の帰り道、後ろからなっちゃんが追いかけてきて私を呼び止めた。
「ねえねぇ。なんか私達、まるで皆から無視されてるみたいじゃない?笑」
私は、みたいじゃなくてそうなんだよ?となっちゃんに教えてあげた。
「あは笑、そうなんだ~。もしかして乃蒼も?」
こくん、とうなづく。
「へぇ~、乃蒼って無視されてたんだ~」
とケラケラ笑いながら指で私を指す。
いや、なっちゃんもだから。
「じゃあ私達、友達だね」
一緒に無視されたら友達なのだろうか?
自慢じゃないが私は1度も友達というのが出来たことがないので友達の作り方がわからない。
けどなっちゃんがそう言うのだからきっとそうなのだろう。
こうして私は生まれて初めての友達ができた。
私の場合そういう事はなかったけれど、とにかく存在がないものにされてしまった。
それはそれで結構キツい。
ヒエラルキーの最底辺ならそれでも少しはマシかもしれない。
私はヒエラルキーにすらカテゴライズされなかった。
私自身が自分が何者かがわからないのに、他者からも見えなくなってしまった。
何処かの誰かがなくした筆箱はゴミ箱にあっても、私の場合はどこをどう探しても私を見つけられない。
喪失感はもともとあったものがなくなったときに感じるものなので、私がこの時感じていたのは虚無感だった。
「もういいや、私はそういう運命なんだ」
そう思って眠った夜は必ず悪夢で目が覚めた。
起きたらもう覚えていないけど、とにかく怖い夢だった。
汗でじっとりと体が濡れていて、不快を感じている最中にどんな夢か賢いはずの私の頭の中から抜け落ちていた。
不思議なことに死にたいとは思わなかった。けれど消えてしまいたいとは願った。
私が生きてても良いという意味と理由が私にはなかった。
今度生まれてくるときは、頭が悪くてもいい、可愛くなくていい、男でも女でもどっちでもいい。
ただ、混じりっけのない血が流れる純粋などこかの国の人に私はなりたいと思った。
そんな消えかけの私でも、母といる時だけは自分が「イレーヌの娘」ということを実感できた。
何者でもない私が、イレーヌの娘であることの「私がこの世で生きてても良い」という意味と理由を母がくれた。
それはこの時期の私にはとても大事で、つつがなく生きていくのになくてはならない命綱のようなものだった。
母はそのフランス仕込みのストレートな言動で私を安心させてくれた。
時々やりすぎて私を怒らせることもあったけど、それすらも私のためのような気がした。現に失っていた表情は、家に母といるときは感情豊かだった。
だからだろうか?生まれたばかりの頃のように私は母と離れるのが怖くなった。
死んだように学校に行き、終わるとその足で母の職場に直行し退社する時間まで母のそばで過ごしていた。
その時、母はどう思っていたのだろう?おかしいな、とは気付いていたと思う。
けど何も言わなかった。
だから私が母から離れたくないがために「私もやりたい」と母の通う華道教室に一緒に行くことを希望した時も「どうしたの?」とは言わず、
「乃蒼は可愛いからきっと着物が似合うよ
と喜んでくれた。
母はいつも花を習いに行くときは着物を着て出かけていたし、私にも新調してくれたので華道とはそういうものだと思っていた。
だが実際行ってみると着物を着ていたのは私達親子だけで他の生徒はみんな普通の格好をしていた。
日本人でもない私達が和服を着て日本の伝統文化を習う、というのがとても滑稽に思えた。
けれど滑稽だとしてもこの時の私はきっと、着物を着て花を習う事を通して日本人であろうとし、すがりつきたかったのかもしれない。
私は着物を着ているから日本人である、と。
私は花を習っているから日本人である、と。
「乃蒼は着物が似合う顔をしてるねぇ」
とお花の先生から言われた時には、まるで
「乃蒼は日本人だよ。だから生きててもいいんだよ」
と言われたようでとても嬉しかった。
灰色の泥の中で生きていた私の体を、雨が洗い流してくれたようにとても救われた気がした。
思わず涙がポロポロ溢れて母や先生を困らせた。
泥の中で、それでもなんとか生きていた私だったけれど、4年生の時に大きな転機が訪れた。
私はその日も朝から魚が死んで腐ったような顔をして席に座っていると、先生は東京から来た『なっちゃん』というキラキラした転校生と一緒に教室に入って来た。
私はまだかろうじて賢い子どもだったのでなっちゃんを一目見てすぐに直感した。
この子は他の子とは違う!
直感通りなっちゃんは転校初日からクラスメイトに囲まれていた。
さすが東京、着ている服もなんだかお洒落だし、髪もどんなふうにしているのかわからない複雑な結い方をしていた。
可愛いわ勉強は出来るわ足は早いわお洒落だわで男子からも人気を集めていた。
けれど、それまでクラスの中心人物だったユミちゃんはなっちゃんの登場がお気に召さなかったようだ。
ある日私のところにユミちゃんと4人の愉快な仲間達がやって来た。
「ちょっと来て」
何年かぶりに話しかけれるとトイレに連れていかれ、上から目線の命令口調でこう言った。
「仲間に入れてあげるから、その代わりあの転校生のこと無視しなさい」
ユミちゃんは唇の端を上げてニヤニヤと笑っていた。
(醜いなぁ…)
私は賢い子どもだったから何が綺麗で何が醜いかはすでに分別できていた。
下駄箱で私を睨みつけ「あんた、絶対許さないから」と言ったあたりから、私は教室から消えてしまった。
きっとこんなふうに、私は消されてしまったんだろう。
それを今さら、今度はなっちゃんを消すために私に話しかけて来たの?
絶対に許さないんじゃなかったの?
あなたは日本人なのに、なんでそんなに醜いの?
結局翌日もそれまでと同じように私は消えたままだった。
そしてなっちゃんも私と同じように消えてしまった。
あんなにキラキラしていたなっちゃんでさえ、転校からたった7日ばかりで消えてしまった。
学校の帰り道、後ろからなっちゃんが追いかけてきて私を呼び止めた。
「ねえねぇ。なんか私達、まるで皆から無視されてるみたいじゃない?笑」
私は、みたいじゃなくてそうなんだよ?となっちゃんに教えてあげた。
「あは笑、そうなんだ~。もしかして乃蒼も?」
こくん、とうなづく。
「へぇ~、乃蒼って無視されてたんだ~」
とケラケラ笑いながら指で私を指す。
いや、なっちゃんもだから。
「じゃあ私達、友達だね」
一緒に無視されたら友達なのだろうか?
自慢じゃないが私は1度も友達というのが出来たことがないので友達の作り方がわからない。
けどなっちゃんがそう言うのだからきっとそうなのだろう。
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