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番外編 その後の姉
妹を送り出してから抜け殻のように過ごしていた私のもとに、ある日、一通の手紙が届きました。
『観劇の席を予約したのですが、行けなくなってしまいました。お義兄様とご一緒にいかがですか?』
そして演目として挙げられていたのは、今巷で一番流行りの悲劇の名前です。
「観劇?」
「ええ、妹が代わりにどうですか? と。……でもごめんなさい、貴方はきっとお忙しいわよね」
義務的に確認した夫から返ってきたのは、意外な反応でした。
「いいね、行こうか」
*****
ふたりきりで上級貴族用の豪華なボックス席に着いたところで、何も話題などないのです。私達が直前に会場入りすると、間もなく座席の灯火が落とされました。
歌劇の語るお話は……かつては想い合った恋人同士が些細なことですれ違い、やがて未だ相手を想いつつ、別れに至るというものです。
たとえ愛し合った者同士でも、ほんの小さな齟齬がきっかけで道が分かれてしまう――そんなこと、現実でもよくある話でしょう。
ただの政略でつながった、真に愛し合ったこともない者同士なら、なおのこと。
そう、ありふれた物語です。でも私は……カーテンコールが鳴り響く中で、動きだすことができませんでした。
*****
母を亡くした、あの日。私はまだ幼い妹に寂しい思いをさせまいと、母の分までこの子を慈しもうと、強く心に誓いました。しかしそれは、逆でした。私は母を失った寂しさを、妹の世話をすることで紛らわせていたのです。
やがて妹は成長し、私にも新しい家族ができました。このまま自然と大人になって、疎遠となっていくのだろうかと、ほんの少しの寂しさを覚えていたのですが――。
『跡取りは、まだ?』
周囲からそう問われるたびに、私の心には重い澱が溜まっていったのです。
その辛い気持ちを共有しようと、私は何度も夫に訴えました。ですが夫は、興味もなさげに言いました。
『悩む必要なんてないよ。どうせ領地もないんだし、跡取りのことなんて気にしなくていいだろう?』
やがて夫は、私が悩みを口にしようとするたびに、さりげなく話題を変えて逃げるようになりました。
――この人には、私の気持ちなどきっと一生分からない。
『どうせ領地もないんだし』
――それがきっと、本音なのでしょう。
妹が他家に嫁ぐ日も近くなり、私の空虚はさらにつのってゆきました。私はもう、誰からも必要とされていないのです。
そんな時でした。妹が事故にあい、そして婚約が解消となったのは。
罪深きことに、私は心の奥底で仄暗い喜びに包まれました。不自由な身となったこの子は、きっと、ずっと、私だけを頼ってくれることでしょう。
一心に妹の世話をしていると、私は自分の悩みを全て忘れていられるようでした。私はこの子に――必要とされているのです。
あるときの夜会にて。ここのところ母となった友人たちの『苦労話』についていけなかった私は、思わずこう言いました。
『今はとても、それどころではなくて』
初めは、ただの言い訳だったのです。ところがその夜、話題の中心となったのは私でした。皆に褒められ、話を乞われ、私は調子に乗るかのように『苦労話』を披露しました。
ですが、そんな私はただの道化であったのだと……今ならば分かります。他人の不幸は、蜜の味。自分よりも「かわいそう」な人を見付けて、人は心の安寧を得るのです。
そんな私を、妹はすっかり見透かしていたようでした。それでも私をただの一度も責めることはなく……黙って自分だけの新しい道を見つけると、とうとう私の手から離れて行ってしまいました。
そして最後の日、散々彼女の存在を利用していた私に……こう言いました。
『どうかもう一度、本当の気持ちを話してみて下さい』――と。
*****
私が泣きじゃくりながら全ての懺悔を終えると、夫は言いました。
「領地もない、跡取りも気にしなくていいと言ったのは……僕には君さえいればいいと、そう言ったつもりだったんだ。上手く伝えられなくて、本当にごめん。初めて顔を合わせたあの日、顔を真っ赤にしてうつむく君をひと目見た時から……一生大事にしようと、そう誓ったはずなのに」
そして私を抱きしめながら、言いました。
「やり直そう、あの日から」
夫は私を理解しようとしてくれないと、ずっとそう思っておりました。ですが夫を理解しようとしていなかったのは、私も同じだったのです。
平凡でこれといった特徴もなく、ただ穏やかなことだけが取り柄の夫。でももう一度、夢を見てもいいのでしょうか。
いつしか静かになった劇場で。
私達の第二幕は、ここから始まるのです。
...
『観劇の席を予約したのですが、行けなくなってしまいました。お義兄様とご一緒にいかがですか?』
そして演目として挙げられていたのは、今巷で一番流行りの悲劇の名前です。
「観劇?」
「ええ、妹が代わりにどうですか? と。……でもごめんなさい、貴方はきっとお忙しいわよね」
義務的に確認した夫から返ってきたのは、意外な反応でした。
「いいね、行こうか」
*****
ふたりきりで上級貴族用の豪華なボックス席に着いたところで、何も話題などないのです。私達が直前に会場入りすると、間もなく座席の灯火が落とされました。
歌劇の語るお話は……かつては想い合った恋人同士が些細なことですれ違い、やがて未だ相手を想いつつ、別れに至るというものです。
たとえ愛し合った者同士でも、ほんの小さな齟齬がきっかけで道が分かれてしまう――そんなこと、現実でもよくある話でしょう。
ただの政略でつながった、真に愛し合ったこともない者同士なら、なおのこと。
そう、ありふれた物語です。でも私は……カーテンコールが鳴り響く中で、動きだすことができませんでした。
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母を亡くした、あの日。私はまだ幼い妹に寂しい思いをさせまいと、母の分までこの子を慈しもうと、強く心に誓いました。しかしそれは、逆でした。私は母を失った寂しさを、妹の世話をすることで紛らわせていたのです。
やがて妹は成長し、私にも新しい家族ができました。このまま自然と大人になって、疎遠となっていくのだろうかと、ほんの少しの寂しさを覚えていたのですが――。
『跡取りは、まだ?』
周囲からそう問われるたびに、私の心には重い澱が溜まっていったのです。
その辛い気持ちを共有しようと、私は何度も夫に訴えました。ですが夫は、興味もなさげに言いました。
『悩む必要なんてないよ。どうせ領地もないんだし、跡取りのことなんて気にしなくていいだろう?』
やがて夫は、私が悩みを口にしようとするたびに、さりげなく話題を変えて逃げるようになりました。
――この人には、私の気持ちなどきっと一生分からない。
『どうせ領地もないんだし』
――それがきっと、本音なのでしょう。
妹が他家に嫁ぐ日も近くなり、私の空虚はさらにつのってゆきました。私はもう、誰からも必要とされていないのです。
そんな時でした。妹が事故にあい、そして婚約が解消となったのは。
罪深きことに、私は心の奥底で仄暗い喜びに包まれました。不自由な身となったこの子は、きっと、ずっと、私だけを頼ってくれることでしょう。
一心に妹の世話をしていると、私は自分の悩みを全て忘れていられるようでした。私はこの子に――必要とされているのです。
あるときの夜会にて。ここのところ母となった友人たちの『苦労話』についていけなかった私は、思わずこう言いました。
『今はとても、それどころではなくて』
初めは、ただの言い訳だったのです。ところがその夜、話題の中心となったのは私でした。皆に褒められ、話を乞われ、私は調子に乗るかのように『苦労話』を披露しました。
ですが、そんな私はただの道化であったのだと……今ならば分かります。他人の不幸は、蜜の味。自分よりも「かわいそう」な人を見付けて、人は心の安寧を得るのです。
そんな私を、妹はすっかり見透かしていたようでした。それでも私をただの一度も責めることはなく……黙って自分だけの新しい道を見つけると、とうとう私の手から離れて行ってしまいました。
そして最後の日、散々彼女の存在を利用していた私に……こう言いました。
『どうかもう一度、本当の気持ちを話してみて下さい』――と。
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私が泣きじゃくりながら全ての懺悔を終えると、夫は言いました。
「領地もない、跡取りも気にしなくていいと言ったのは……僕には君さえいればいいと、そう言ったつもりだったんだ。上手く伝えられなくて、本当にごめん。初めて顔を合わせたあの日、顔を真っ赤にしてうつむく君をひと目見た時から……一生大事にしようと、そう誓ったはずなのに」
そして私を抱きしめながら、言いました。
「やり直そう、あの日から」
夫は私を理解しようとしてくれないと、ずっとそう思っておりました。ですが夫を理解しようとしていなかったのは、私も同じだったのです。
平凡でこれといった特徴もなく、ただ穏やかなことだけが取り柄の夫。でももう一度、夢を見てもいいのでしょうか。
いつしか静かになった劇場で。
私達の第二幕は、ここから始まるのです。
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