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最終話 あなたの友の最期の願いは
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俺の小隊に配属されてきたシルヴィオは、俺と同じ十八で、明るい金の髪によく似合う、明るい性格の奴だった。そんなあいつがいつにも増してニコニコしていたので、俺は苦笑しつつ声を掛けた。
『こんな戦況なのにどうした、またえらく上機嫌だな』
『実はさ、イヴェッタから……俺の婚約者から、手紙が届いたんだよ!』
『へぇ、婚約者か。その嬉しそうな様子じゃ、よほどの美人なんだろうな』
俺が呆れ半分にからかうと、シルヴィオは意気揚々と写真を見せつけてきた。
『もちろんさ! ほら、すっごく可愛いだろう?』
単彩画の世界で微笑む女は確かに可愛らしい顔立ちをしていたが、だがまだ十やそこらの、あどけなさの残る少女である。
『なんだよ、子供じゃないか』
『まあ今は子供だけどさ、俺のことを兄さま兄さまって呼んで、どこへ行ってもチョコチョコ後をついてくるんだよ。可愛いだろ?』
『行動までまるっきりガキじゃないか!』
『イヴェッタは十歳でも五十歳でも、ずっと可愛いに決まってるさ!』
『言ってろ、この幸せ者が』
シルヴィオの止まらない惚気話には苛立ちを覚える奴もいたようだが、俺はあいつのいつも明るい話題に付き合ってやるのは悪い気がしなかった。そんな俺の様子が伝わったのか、たまに届く手紙と写真を見せられながら、そこから何年も、ノロケに付き合わされることになる。
『イヴェッタにはまだシル兄さまとしか呼ばれたことがないからなぁ。帰ったらまずは恋人らしく、名前で呼んでもらいたいなぁ』
あの地獄のような戦場で銃剣を抱き、暗い塹壕の中に身を潜めながら……親友が語る君の話だけが、明るくて、楽しくて、唯一の希望の光だった。
自分の複雑な出自に嫌気が差していた俺は、戦争を泥沼化させた暗愚な王への当てつけに、いっそ死んでやろうと前線を志願したはずだった。だが徐々に成長していく写真と丁寧な筆致の手紙を見せられているうちに、いつしか会ったこともない少女へと、自分も想いを募らせてしまっていたらしい。
あの日届いた手紙には、軒先で孵った渡り鳥のヒナたちが無事巣立って行ったこと、そして教会の奉仕活動に参加して、偶然懐かしい友人に再会したことの話が、楽しげに綴られていた。そしていつものように添えられた、恋人へと向ける幸せそうな笑顔の写真――。
『イヴェッタも、もう十八になったのか。本当に、綺麗になったなぁ。彼女は俺を不安にさせまいと明るいことばかり書いてくれてるんだろうけど、本国も物資が不足して、治安もずいぶん悪化してるらしいから心配だ。早く戦争を終わらせて、彼女のところに帰りたいよ……』
いつか復員する日が来たら、シルヴィオと共に一目だけ会いに行っても許されるだろうか。戦いの果てに死ぬつもりだった俺に、君に会う日がわずかな希望となっていた。
だが間もなく俺は大事な友を目の前で喪い、なのに自分は死ねないまま、終戦を迎えてしまった。抜け殻のような身体で十年ぶりに祖国の地を踏んだ、その時……俺はいつも大切に懐にしまっていた、あの友から最期の願いと共に託された君の写真のことを、思い出したのである。
帰国してまずいくつかのしがらみを片付けると、期待しすぎるなと自分に言い聞かせながら、俺は調べておいた君の住まいを訪ねた。現実の人間は、しょせん理想とは全く違うものだろう。
予想していた通り、初めて会った実在の君は理想そのもの……では、なかった。友の死から二年が経つというのに未だ喪服に身を包んだまま現れた君は、痩せ細った身体で顔色も悪く、ひと目で栄養状態がよくないのであろうことが見て取れた。あの写真の中のような微笑みなど、見られるはずもなかったのである。
だが黒いドレスを纏った君は、貧すれどもなお気高く、婚約者の戦友に礼を尽くした。その姿を見た俺は、思わず、君に結婚を申し込んでいた。ある程度まとまった額の援助を示し、それで終わりのつもりだったのに。そして俺の提案を聞いても、その澄んだ目の色は変わらないまま――下卑た色を宿すことは、終ぞなかったのだ。
俺はその時、自分の見る目に間違いはなかったのだと思ったよ。君の未来を託してくれた友に感謝し、ようやく生きる目的を見つけられたと考えた。あの写真の中の幸せそうな君を取り戻すことこそが、友への供養になるのだと。
だがやがて、君の傍にいることが苦しくなった。
あいつは俺を信用して、君を託してくれたというのに。
俺はずっと、君をこの腕に抱きたくてたまらなかった。この内に籠る熱を知られたくなくて、必死に感情を、表情を抑え続けた。今夜こそ俺だけのものにしてしまえと、何度寝室を隔てるドアの取っ手を握り締めたことか。
だが自分を産んだ人がどうなったのか……それを思い出して、俺は耐えた。横恋慕の果てに意に沿わぬ関係を強要すれば、きっと君を不幸にするだろう。
ドアから背けるように顔を横に向けると、姿見に映る自分が目に入った。年々父とされる人に似てくる容姿……それに拳を叩き込むと、こちらを睨む憎き男の顔に、ピシリと大きな亀裂が入る。それは間もなく、音を立てて崩れ落ちた。
想定外の騒音に、慌てたようにドアが叩かれる。思わず開けると、そこには薄手の夜着を纏っただけの君が、心配そうな顔をして立っていた。
『どうかなさったのですか!?』
『起こしてしまってすまない。寝惚けて鏡にぶつかって、割ってしまったんだ』
『まあ! ふふっ』
不意に小さく、それでも声に出して笑った君に、俺は呆然と呟いた。
『……初めて、笑ってくれたな』
『ご、ごめんなさい! その、完璧なあなたでも寝ぼけることなんてあるんだなって、つい……』
顔を赤らめる君を抱き締めたい衝動に駆られながら、俺はそっと、破片が危ないからと自室へ戻るよう促した。
――俺は、父と同じ過ちは絶対に犯さない。
だがそんなことを考えながら、俺はずっと親友を裏切り続けていた。しかも最期の願いすら守れずに、君を危険に巻き込んだ。
あの時死ぬべきだったのは、シルヴィオではなく――俺の方だったんだ。
「この写真は、君に返す。約束を守れなくて、本当にすまない。あの世であいつに気が済むまで殴られてくるから、どうか許してくれ……」
そう言って、ずっと懐に仕舞っていた古い写真を手渡すと。君は何やら違和感を感じたらしく、爪を隙間に挿し込んで、写真を補強している台紙を剥し始めた。すると隙間から出てきたのは、小さく折りたたまれたシルヴィオからの手紙だった。
『親愛なるアベラルド
君がこの手紙を読んでいるということは、俺はこの世にいないのだろう。君がどうやらイヴェッタに惚れているらしいことには、ずっと前から気付いてた。その気持ちに付け込むようですまないが、もし俺の死であの子が困っているようならば、代わりに助けてやってくれないか。俺が見込んだ君ならば、あの子もきっと気に入るだろうから。だからもう、死のうだなんて考えるな。二人の幸せを願っている。
君の忠実なる友 シルヴィオより』
「なんだよ、あの野郎……全部お見通しだったのか」
俺が苦笑いを浮かべると、君の柔らかな手が、俺の頬を撫でた。
「あなたの友の最期の願いは、あなたの幸せだったのではありませんか。彼の願いを叶えて、それから謝りに行きましょう、二人で」
「ああ、二人で――」
そこで俺の、意識は途切れた。
◆ ◆ ◆
次に目を開けると、君の涙に濡れた瞳がまっすぐこちらを向いていた。温もりを感じて目をやると、俺の手が彼女の両手に包まれているのが見えた。
「俺は……生きているのか?」
「はい。輸血、というものを試していただいたのです。幸い貴方と私は、同じ血液型でしたから」
終戦の直前、血液に型というものの存在が明らかになり、輸血技術が実用化された話は知っていた。だが生きながらにして多量の血を抜かれるなどという未知の施術を受けるのは、さぞや勇気が要ったことだろう。
ならば俺も、その勇気に応えなければならない。
「イヴェッタ、君を愛している。改めて、俺の妻になってくれないか……?」
「……はい」
頬を染めて頷く君を、俺はそっと、抱き寄せた。
友よ、どうか後少しだけ、俺に時間をくれないか。
あの写真のような笑みを取り戻す、その日まで――。
終
『こんな戦況なのにどうした、またえらく上機嫌だな』
『実はさ、イヴェッタから……俺の婚約者から、手紙が届いたんだよ!』
『へぇ、婚約者か。その嬉しそうな様子じゃ、よほどの美人なんだろうな』
俺が呆れ半分にからかうと、シルヴィオは意気揚々と写真を見せつけてきた。
『もちろんさ! ほら、すっごく可愛いだろう?』
単彩画の世界で微笑む女は確かに可愛らしい顔立ちをしていたが、だがまだ十やそこらの、あどけなさの残る少女である。
『なんだよ、子供じゃないか』
『まあ今は子供だけどさ、俺のことを兄さま兄さまって呼んで、どこへ行ってもチョコチョコ後をついてくるんだよ。可愛いだろ?』
『行動までまるっきりガキじゃないか!』
『イヴェッタは十歳でも五十歳でも、ずっと可愛いに決まってるさ!』
『言ってろ、この幸せ者が』
シルヴィオの止まらない惚気話には苛立ちを覚える奴もいたようだが、俺はあいつのいつも明るい話題に付き合ってやるのは悪い気がしなかった。そんな俺の様子が伝わったのか、たまに届く手紙と写真を見せられながら、そこから何年も、ノロケに付き合わされることになる。
『イヴェッタにはまだシル兄さまとしか呼ばれたことがないからなぁ。帰ったらまずは恋人らしく、名前で呼んでもらいたいなぁ』
あの地獄のような戦場で銃剣を抱き、暗い塹壕の中に身を潜めながら……親友が語る君の話だけが、明るくて、楽しくて、唯一の希望の光だった。
自分の複雑な出自に嫌気が差していた俺は、戦争を泥沼化させた暗愚な王への当てつけに、いっそ死んでやろうと前線を志願したはずだった。だが徐々に成長していく写真と丁寧な筆致の手紙を見せられているうちに、いつしか会ったこともない少女へと、自分も想いを募らせてしまっていたらしい。
あの日届いた手紙には、軒先で孵った渡り鳥のヒナたちが無事巣立って行ったこと、そして教会の奉仕活動に参加して、偶然懐かしい友人に再会したことの話が、楽しげに綴られていた。そしていつものように添えられた、恋人へと向ける幸せそうな笑顔の写真――。
『イヴェッタも、もう十八になったのか。本当に、綺麗になったなぁ。彼女は俺を不安にさせまいと明るいことばかり書いてくれてるんだろうけど、本国も物資が不足して、治安もずいぶん悪化してるらしいから心配だ。早く戦争を終わらせて、彼女のところに帰りたいよ……』
いつか復員する日が来たら、シルヴィオと共に一目だけ会いに行っても許されるだろうか。戦いの果てに死ぬつもりだった俺に、君に会う日がわずかな希望となっていた。
だが間もなく俺は大事な友を目の前で喪い、なのに自分は死ねないまま、終戦を迎えてしまった。抜け殻のような身体で十年ぶりに祖国の地を踏んだ、その時……俺はいつも大切に懐にしまっていた、あの友から最期の願いと共に託された君の写真のことを、思い出したのである。
帰国してまずいくつかのしがらみを片付けると、期待しすぎるなと自分に言い聞かせながら、俺は調べておいた君の住まいを訪ねた。現実の人間は、しょせん理想とは全く違うものだろう。
予想していた通り、初めて会った実在の君は理想そのもの……では、なかった。友の死から二年が経つというのに未だ喪服に身を包んだまま現れた君は、痩せ細った身体で顔色も悪く、ひと目で栄養状態がよくないのであろうことが見て取れた。あの写真の中のような微笑みなど、見られるはずもなかったのである。
だが黒いドレスを纏った君は、貧すれどもなお気高く、婚約者の戦友に礼を尽くした。その姿を見た俺は、思わず、君に結婚を申し込んでいた。ある程度まとまった額の援助を示し、それで終わりのつもりだったのに。そして俺の提案を聞いても、その澄んだ目の色は変わらないまま――下卑た色を宿すことは、終ぞなかったのだ。
俺はその時、自分の見る目に間違いはなかったのだと思ったよ。君の未来を託してくれた友に感謝し、ようやく生きる目的を見つけられたと考えた。あの写真の中の幸せそうな君を取り戻すことこそが、友への供養になるのだと。
だがやがて、君の傍にいることが苦しくなった。
あいつは俺を信用して、君を託してくれたというのに。
俺はずっと、君をこの腕に抱きたくてたまらなかった。この内に籠る熱を知られたくなくて、必死に感情を、表情を抑え続けた。今夜こそ俺だけのものにしてしまえと、何度寝室を隔てるドアの取っ手を握り締めたことか。
だが自分を産んだ人がどうなったのか……それを思い出して、俺は耐えた。横恋慕の果てに意に沿わぬ関係を強要すれば、きっと君を不幸にするだろう。
ドアから背けるように顔を横に向けると、姿見に映る自分が目に入った。年々父とされる人に似てくる容姿……それに拳を叩き込むと、こちらを睨む憎き男の顔に、ピシリと大きな亀裂が入る。それは間もなく、音を立てて崩れ落ちた。
想定外の騒音に、慌てたようにドアが叩かれる。思わず開けると、そこには薄手の夜着を纏っただけの君が、心配そうな顔をして立っていた。
『どうかなさったのですか!?』
『起こしてしまってすまない。寝惚けて鏡にぶつかって、割ってしまったんだ』
『まあ! ふふっ』
不意に小さく、それでも声に出して笑った君に、俺は呆然と呟いた。
『……初めて、笑ってくれたな』
『ご、ごめんなさい! その、完璧なあなたでも寝ぼけることなんてあるんだなって、つい……』
顔を赤らめる君を抱き締めたい衝動に駆られながら、俺はそっと、破片が危ないからと自室へ戻るよう促した。
――俺は、父と同じ過ちは絶対に犯さない。
だがそんなことを考えながら、俺はずっと親友を裏切り続けていた。しかも最期の願いすら守れずに、君を危険に巻き込んだ。
あの時死ぬべきだったのは、シルヴィオではなく――俺の方だったんだ。
「この写真は、君に返す。約束を守れなくて、本当にすまない。あの世であいつに気が済むまで殴られてくるから、どうか許してくれ……」
そう言って、ずっと懐に仕舞っていた古い写真を手渡すと。君は何やら違和感を感じたらしく、爪を隙間に挿し込んで、写真を補強している台紙を剥し始めた。すると隙間から出てきたのは、小さく折りたたまれたシルヴィオからの手紙だった。
『親愛なるアベラルド
君がこの手紙を読んでいるということは、俺はこの世にいないのだろう。君がどうやらイヴェッタに惚れているらしいことには、ずっと前から気付いてた。その気持ちに付け込むようですまないが、もし俺の死であの子が困っているようならば、代わりに助けてやってくれないか。俺が見込んだ君ならば、あの子もきっと気に入るだろうから。だからもう、死のうだなんて考えるな。二人の幸せを願っている。
君の忠実なる友 シルヴィオより』
「なんだよ、あの野郎……全部お見通しだったのか」
俺が苦笑いを浮かべると、君の柔らかな手が、俺の頬を撫でた。
「あなたの友の最期の願いは、あなたの幸せだったのではありませんか。彼の願いを叶えて、それから謝りに行きましょう、二人で」
「ああ、二人で――」
そこで俺の、意識は途切れた。
◆ ◆ ◆
次に目を開けると、君の涙に濡れた瞳がまっすぐこちらを向いていた。温もりを感じて目をやると、俺の手が彼女の両手に包まれているのが見えた。
「俺は……生きているのか?」
「はい。輸血、というものを試していただいたのです。幸い貴方と私は、同じ血液型でしたから」
終戦の直前、血液に型というものの存在が明らかになり、輸血技術が実用化された話は知っていた。だが生きながらにして多量の血を抜かれるなどという未知の施術を受けるのは、さぞや勇気が要ったことだろう。
ならば俺も、その勇気に応えなければならない。
「イヴェッタ、君を愛している。改めて、俺の妻になってくれないか……?」
「……はい」
頬を染めて頷く君を、俺はそっと、抱き寄せた。
友よ、どうか後少しだけ、俺に時間をくれないか。
あの写真のような笑みを取り戻す、その日まで――。
終
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素敵なお話でした、2人に幸あれ🥰
他作品から流れてきて嬉しいめぐりあいでした。読ませていただきありがとうございます。
こちらこそ、読んでいただきまして、そして嬉しいと言っていただきまして、本当にありがとうございました!
最終話を綺麗と言っていただけて、とても嬉しいです。
ご感想、本当にありがとうございました!
とてもとても素敵なお話でした。
読み終わって涙が流れました。
心の綺麗な優しい人たちのお話、これからも何度も読み返すと思います。
ありがとうございました。
そう言っていただけて、とても嬉しいです。
優しいご感想を、本当にありがとうございました。