魔王〜明けの明星〜

黒神譚

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第4章「聖母誕生」

第92話 別れの口づけ

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 アンナお姉様の仰る通り、寝室の窓の外から見える景色は一面、敵兵で埋まっていました。
 まだ遠くの景色なのでわたくしには大地を黒いインクで染めていくかのように何かが近づいてきているのが見える程度ですが、お姉様のような神にはそれが何なのかはっきり見えるようです。しかし、それが敵兵だとわかると恐怖しかありませんでした。
 アンナお姉様はショックで泣き出してしまいました。このままでは誰も助けてあげられないと・・・。
 それは本当にその通りだと私も感じました。
 敵はこちらの何倍いるのでしょうか? 数百万はいると思われます。
 それがこちらに向かってやってくるのです。
 
「こ、このままでは明けの明星様の予言通りになってしまう・・・。」

 私もショックのあまり眩暈めまいを覚えて倒れそうになるのですが、そんな私の体をヴァレリオ様が支えてくれました。ヴァレリオ様も異変を察知なされて、慌てて私の寝室にまでやってきたのでした。

「大変なことになったな。
 こんな距離になるまで私やアンナ様ですらその存在に気が付かなかったのだから、高き館の主様はこれだけの数の兵士に私たち程度の存在には察知できない隠形術を掛けていたとしか思えない。
 わかってはいたが、恐ろしいほどの魔力の持ち主だ。 」
「きっと、この90日近くかけて準備をしてきていたのだろう。
 私達が多くの国を仲間にした。その数倍の数の国を高き館の主様は支配なさったのだ。」
「・・・しかし・・・。」

 ヴァレリオ様はそこまで仰ると顔をしかめました。

「どうにも合点がいかない。
 いくら何でもこの人数は多すぎる。一体、どうなっているんだ?」

 私を抱き寄せたまま窓の外を睨むヴァレリオ様。そのヴァレリオ様に魔神シェーン・シェーン・クー様が声を掛けました。

「この人数。純粋な兵士だけの数ではない。
 恐らく我らに味方する前に軍門に下った国の国民すべてが兵として動員されているのだろう。」

 その推測は敵の狂気を物語っていました。

「こ、国民すべてを兵士にしていると仰るのですか?」

 驚いて私が尋ねるとシェーン・シェーン・クー様は頷かれました。

「まだヴァレリオにはハッキリと見えていないようだが、俺にはこの距離なら高き館の主様の隠形術を看破することができる。
 兵士には老若男女、病気の者まで動員されている。彼らは装備もままならぬ有様の上にギスギスに痩せている。
 恐らく、兵站など一切無視。高き館の主様の軍門に下った者達は食うや食わずの旅を続けここまで来ている。あの痩せ方を見る限り、もう何日も満足に食べてはいないだろうな。
 そうして、命を捨ててこちらに向かってきているんだ。」

 ど、どうして? どうしてそんな有様になってまで、エデンを攻めに来るんでしょう?
 私には理解できません。ただ、狼狽える目をヴァレリオ様に向けるのが精一杯でした。
 

 そうして、そんな私にヴァレリオ様は教えてくださいました。

「恐らく、彼らが生き残るにはそれ以外道がないと教え込まれているんだろう。
 戦争に参加して運よく生き残れれば、助かる。
 戦争に行かねばその場で高き館の主様に殺される。そんな脅しをかけられているんだろう。
 食事が欲しければ戦え。死にたくなければ戦え。
 そう脅されているんだろう。」

 ヴァレリオ様のお言葉にシェーン・シェーン・クー様も同意なさいました。

「恐らくそうだろうな。
 こうなると厄介だぞ。敵兵は全て死を恐れずに向かってくる。
 より大きな恐怖におびえるものが、我を忘れて突撃してくるのだ。心理戦は通用しないと思った方がいい。」

 シェーン・シェーン・クー様の助言に合わせてヴァレリオ様も助言くださいます。

「ラーマ。周囲の味方に気をつけろ。
 寝返りが起こる可能性があるぞ。
 すでに味方の中にも不平不満を抱える者達が大勢いる。実際に離反者も既に出ている。
 心が折れかけている者達もこの数の敵兵を見れば、寝返る可能性が高い。
 そうなると我々は四方に敵を囲まれたも同然だっ!
 今すぐにこの城の守りを徹底的に固めろ。猫の子一匹中に入れるな。スパイが入れば中から城門を開けられてしまうっ!!」

 ヴァレリオ様は切羽詰まった表情とお声でそう仰るのです。
 私はどうしていいのかわからず、明けの明星様を求めます。

「・・・明けの明星様・・・。
 そうですっ!! 明けの明星様はどうなさいましたかっ!?
 明けの明星様なら何とかしてくださるかもしれませんっ!!」

 狼狽えて救いを求める声を上げる私の問いに対して魔神シェーン・シェーン・クー様は首を横に振りながらお答えになります。

「旦那様なら遥か上だ。
 いちはやく事態にお気づきになり、今、城の上空で高き館の主様と睨み合っている。」

「た、高き館の主様とっ!?
 この城の上空に来ておられるのですかっ!?」

「ああ。すでに我らは高き館の主様の掌の中と言うわけだ。
 あの方が何時、攻撃を始めるのかわからない。
 この戦争がはじまると同時か、それとも疲弊しきってからか・・・。可能性が高いのは高き館の主様にペナルティがかかりにくい戦争の後だが・・・。
 正直、あのレベルまで魂を昇華しておられる方たちのお考えは俺にはわからん。」

 数百万の敵に、戦争を見据える高き館の主様。
 ただでさえ私たちは窮地に立たされているというのに、ヴァレリオ様は言いました。

「ラーマ。僕達は契約に従い、戦争には参加できない。
 敵軍の中にも神の姿は見えないという事は、この戦争に参加すると契約していなくても戦争に加担すればとんでもないペナルティがかかるらしい。
 だから、君たちの戦争は君たちの手で勝利を勝ち取る以外、助かる道はないと思ってくれ」

 なんという事でしょう・・・。私たちは数百万の死に物狂いの敵兵だけでなく、さらに絶体絶命なことに神のご加護を受けられないというのです。

「・・・ふふふ・・・。全く、苦難の連続ですわね。」

 私はこの危機的状況の中になって糸が切れたかのようになんだか恐怖や絶望を感じるよりも、この馬鹿馬鹿しいほどの窮地が面白くなってきました。

「ラーマ?
 しっかりするんだっ! ラーマっ!!」

 くすくすと笑う私を見てヴァレリオ様は私が壊れてしまわないように抱きしめてくださいますが、そうじゃないのです。
 そうじゃないのです・・・。

「大丈夫ですわ、ヴァレリオ様・・・。
 私、運命というものが馬鹿馬鹿しくなっただけです。
 どんなに頑張っても誰も助からないこの状況にしか思えませんが、こうなったら、とことんあがいて見せますわ。」

 私を抱きしめてくれるヴァレリオ様を両手で押し戻すと私はヴァレリオ様の支えなしで立てることを証明します。

「行きます。やります。
 どうぞ、お見届け下さいませ。」

 私がそう言って寝室を出ようとした時、ヴァレリオ様は不意に私の手を取って、再び抱き寄せるといきなり・・・

 私に口づけをしてくれたのです。

 
 ・・・世界が永遠に止まってしまったのかと思いました。
 今、この場所には私とヴァレリオ様以外は存在せず、私たち以外の時が止まっている。私たちだけの時間。そんな錯覚を覚えました。
 私を焼抱き締める力は優しく、私への口づけは激しく・・・。そして、私もヴァレリオ様を激しく求めました。
 お互いが唇を通して愛を確かめ合い、優しさを送りあい、そしてお互いの別れを惜しんだのです・・・。

 今生こんじょうの別れになるかもしれない・・・。
 私は私の戦争で。ヴァレリオ様は高き館の主様との戦いで命を落とすかもしれない。
 もう二人とも二度と会えないかもしれない・・・。
 そう思うと哀しくて、切なくて、苦しい・・・。そんな思いを私たちは交換し合ったのです。


 ずっと、このままでいたい・・・。
 お互いにそう思っていましたが、そういうわけにはいかないことを私たちは知っています。
 やがて、その思いが私たちの唇を離れさせ、二人の世界は終焉しゅうえんの時をを迎えるのです。

「・・・君を愛している。ラーマ。」
「・・・お慕い申し上げております。ヴァレリオ様・・・。」

 キスの後。私たちが交わした会話はそれだけでした。
 私たちは知っています。私たちの時間が私たちだけの時間ではなく、今、この時、この世界の生きとし生ける者を救うための時間でないといけないことを。

 故にこの抱擁は私たちの最後の甘え。私たちの個人的な時間はここで終りなのです。

 私は寝室を出ると衛兵に声を掛けます。

「すぐにフェデリコを呼びなさい。
 それから私に鎧と朝食の準備を。」

 衛兵は大粒の涙を流しながら命令する私を見て、敬礼も忘れて「は、はいっ!!」と返事だけすると大慌てで行動を開始しました。
 そして、私も執務室に急いで向かいます。
 そんな私の後をアンナお姉様が一緒について来てくれました。

「アンナお姉様・・・。よろしいのですか?
 ペナルティが・・・。」

 驚いて尋ねる私にアンナお姉様は
「よいのです。どうせ、もはや戦いを忘れた私は旦那様の戦いの役には立てません。もちろんあなたの戦争に力を貸すことも出来ませんが・・・。
 それでもラーマ。あなたの側であなたの心を支えます。」と、言って下さったのです。
 
 それはもしかしたら初めてのことだったかもしれません。
 明けの明星様よりも私の方を優先してくださるなんて・・・。
 感激のあまり再び涙が止まらなくなった私の体を抱きしめ、支えてくださりながら共に執務室に向かって下さったのです。
 そして執務室に入ると人払いをして衛兵が準備してくれた鎧へと私が着替える補助をしてくださいました。
 本来なら端女はしため達がするお仕事をアンナお姉様はいつもやってくれていました。恥ずかしい話ですが私は今になっても一人では鎧を着ることができません。そんな私をアンナお姉様は上手に導き、手早く鎧を着せてくださるのです。

 時折、
「あら? またお胸が大きくなったのかしら?
 本当にいやらしいお乳ね。」
「ラーマ。あなた、少し太ったんではなくて? ウエスト周りがきつくなってますよ。」
 なんて、冗談を交えて私を笑わせようとしてくださいます。

 ・・・って、冗談ですわよね?
 冗談ですわよね?
 ・・・私、太ってないもんっ!!


 そんなやり取りの中、私が鎧に着替え終え、パン一切れとミュー・ニャー・ニャー様の果樹園でとれた果実を一切れだけの朝食が終わりかける頃にフェデリコが執務室に入室してきました。

「大変なことになりましたな。
 いやはや。城の外は敵の数で地面が見えぬほど。
 これほどの大軍と戦できるのは将軍冥利に尽きますなっ!!」

 フェデリコは大慌てで入室してきましたが、それでも軽口は叩けるようです。

「おや、朝食中でございましたか。
 私も一杯いただけますかな?」

 そういって私の飲みかけのお紅茶を奪い取ると、一気に飲み干しました。

「・・・美味い・・・。
 親子ほども年の離れた姫様の香りがしますな。
 甘く、青い。未成熟な婦女子の香りが口の中に広がります。
 このフェデリコ。これほどの紅茶を飲んだのは生まれて初めてのことです。
 いや、至福の時。」

 感無量とばかりに恍惚こうこつとした表情でそう言ったフェデリコの姿に私とアンナお姉様の背中にぞわっと寒気が走りって抱き合って怯えました。。
 何でしょう、このかんじ・・・気持ち悪いというか、気持ち悪いというか、気持ち悪すぎるのですっ!!

「うううっ!! き、ききき、気持ちの悪い事を言わないでっ!! 
 あ、ああああ、あなたっ!! ロリコンでしたのっ!?」

「はっはっは。おや、哀しいですなぁ、姫様。
 姫様は未だに私の正気を信じておられたのですか? この狂気のフェデリコとこれだけ長い間、共にいたというのに・・・。」

 フェデリコはそう言って自信満々の笑みを浮かべます。こんな絶体絶命の危機的状況で自信満々の笑みを・・・。
 そしてその時、私は気が付いたのです。フェデリコが私たちを安心させようと一芝居打っていることに。

「そうね。フェデリコ。忘れていたわ、あなたの狂気を。
 そして、今こそあなたの狂気が必要です。
 わずか一人でも多く人の命を救うためにあなたの狂気が今、私たちに必要なのです。」

 フェデリコは慇懃無礼かと思われるほど深々と頭を下げると「御意」と答えてくれるのでした。
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