これにて一件落着、菊姫は名奉行

勇内一人

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弐の巻 豆福入れ替え騒動

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 日本橋の米問屋小島屋こじまやは、呉服屋伊勢本屋の近くに店を構えていた。すると、二人は店先で例の男を見かけた。
「見ろ、光之介殿。あれは例の男ではないか?」
 年の頃、二十歳くらいの気弱そうな商人風の色白の男がそこにいるではないか。
「それならば、ここがそうなのだろうか?」 
 二人は顔を見合わせ頷く。
「さっそく本人に聞いてみようではないか」
 男に声をかけると観念したような表情を浮かべ、店の裏へと連れて行かれた。
「やはり気づいていたのですね。尾行などしたことないですから当然ですよね」
 男は小島屋の手代で、名は正彦まさひこというそうだ。
「でも、そのお陰でこの店にたどりつけました。是非とも真相を教えてください」
 米問屋の小島屋はここ最近になって、代替わりしたらしい。そのせいだろうか、店の様子が一変したという。
「あれはふた月ほど前のことでした」
 小島屋の店主忠兵衛ちゅうべえが突然病に倒れ、急遽長男の壱太郎いちたろうが店を任された。ところが、この長男というのが商いよりも芝居見物、歌や三味線の稽古などに夢中の道楽者だった。
「いつも番頭さんに任せ切りで、店に顔すら出しません」
 そのくせ、いつも威張り散らして手代たちをこき使うという。それに母子揃って銭喰い虫で、店の売上に手を付けているそうだ。
「でも、何でそんな奴に店を任せたのだ? 小島屋には他に子供はいないのか?」
 菊が素直に疑問を投げかけた。
「実はお嬢さんがいるのですが……」 
 実は後妻、お千せんが産んだ壱太郎は元服を終えたばかりの十五歳。商売の何たるかなんぞ全く知らない若輩者だった。店を任されたというものの、実際に手綱を握るお千が我が物顔で振る舞っているらしい。
「お内儀さんは商売のいろはも知らないくせに、番頭さんや私らに見当違いな指図をするのです」
 少しでも手代たちが反論すると、どこからかお千が連れて来た用心棒という男どもが手出しする。
「今では誰も怖くて何も言えません。ですが、お嬢さんだけは私ら手代の意をくんで、お内儀さんに意見してくださいます」
 小島屋には亡くなった前妻が産んだ加代かよという娘がいるそうだ。
「お嬢さんは誰よりも小島屋の商売を知っていて、お得意様にも信頼されています」
 それなのに、お千のやっかみで今では肩身の狭い思いをしているらしい。邪魔な加代を厄介払いするために、内緒で縁談話を進めて更に二人の仲は険悪になったという。
 壱太郎については店を任されたと決まれば、少しは落ち着いてくれるだろうと皆が期待していた。だが、根っからの道楽者はこれ幸いと、店の売上で遊び呆けているらしい。
「だから、みんな反対したのよ。壱太郎に店を任せたら、小島屋は終わりだから」
 いきなり、背後から若い娘の声がした。驚いた一同は振り向いて、その正体を確認する。
「お、お嬢さん」
 この娘こそ小島屋の長女、加代だった。
「私が表立って商いをしたいと申し出たら……父さんまで体裁が悪い、女の出る幕じゃあないなんて言うのよ」
 そして、これがきっかけで父親との仲までもこじれてしまったという。病で気弱になった忠兵衛は、今では口のうまいお千の言いなりらしい。そのため、悪い噂も流れ始め、小島屋の売り上げも減っているらしい。
「壱太郎を改心させるって約束したけれど、嘘ばっかりだもの」
 もちろん、そんな約束なんぞ端からなかったように振舞っているのは言うまでもない。
「でも、きっとお内儀さんにしたら、若旦那が今のままの方が良いんですよ。手前が好き勝手に小島屋を牛耳れますからね」
 忠兵衛の病もなかなか治らず、皆がどうすれば良いかと悩んでいるうちに、ひと月、ふた月と経過してしまったらしい。
「取り返しのつかないうちに、義母さんを止めないといけないと思っているのよ」
 既に奉行所に押し入った三太の件もある。これ以上、お千の好き勝手にはさせたくない。
「それで、狆の入れ替えの件にはどういう理由があったのだ?」
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