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第四章 皇女様の帰還

第6話―6 演説

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「兄上たちは! 海向こうの使者が甲冑を纏う者を、交渉相手として求めていると聞いても、官吏や貴族会議議長を派遣すると主張し、その身を張ろうとはしなかった。帝国の中心にある者達が、帝国民の危機に、我が身第一に、恐怖に臆したのだ!」

 そうだ! という群衆の声が上がる。
 グーシュの演説は激しさを増していく。

「だからこそわらわは、この地に来ることを望んだのだ! 海向こうが求めるならば、たとえそれがどのような相手であろうと出向き、民の前に立つつもりだった……それがたとえ、兄上との約定に触れるとて……帝国と民の危機のためならば、それを許す。わらわが敬愛する兄上には、その度量があると信じたからだ!」

 ここでグーシュは、また一つ噂話を肯定した。
 皇太子に対し、政治にかかわらない代わりにミルシャと自分の立場と命を保障するという約束が成された。
 そういう噂だ。

 広く噂されていた事が、このわずかな時間の間に肯定された事で、暗黙の了解。噂。根も葉もない。
 そういった感覚だった皇太子悪玉論は、急速に民衆の間で真実味を増していった。

 身近な存在とは言え、雲の上の人物であった第三皇女が、知りたいという欲求を満たしながら語るその内容は、事実かどうかを問わず受け入れられていった。

 そして、話は核心へと迫っていく。
 そしてグーシュの右手は、発言にあわせて激しく動き、群衆の目により強い印象を与え始めていた。

「だが、わらわは……裏切られた。ガイス大橋を渡ろうとするわらわと、帝国の忠義の騎士たち……その全てが荒れ狂う川に、橋ごと落とされた……兄上の手の者が、仕掛けを施したのだ!」

 広場はざわめきに包まれた。
 皇女が皇太子を事実上告発したも同然なのだから当然だ。

 そしてこの後グーシュは、今までと違いざわめきが収まる前に話し始めた。
 だが、ここまでの演説と違い、無理に絞り出したようなかん高い声だった。
 それはまるで、悲しみに耐えるように、信じがたい事を言っているように、群衆には聞こえた。

「わらわは! 兄上を……信じていた……帝国を思う心だけは! 例え向いている方向が違えども、同じであると信じていた! だが、わらわを荒れ狂う川から救ってくれた、海向こうの……地球連邦の者達が教えてくれた……橋を落としたのは皇太子とその一派の者達だと。信じたくは無かったが、捕えられた橋に細工をした者達と、多くの証拠を見せられては、信じざるを得なかった!」

 泣きながら叫ぶグーシュに対し、疑問を投げ掛けるような声は上がらなかった。
 もし、同じ内容を文章や冷静な場で言えば、あまりにも安直に地球連邦の話を信じる姿勢に、疑問を抱く者が必ずいただろう。

 いや、むしろ今もいるはずだ。
 例えば、今一木と並んで立っている子爵とその部下達だ。
 同情し、グーシュを労わる言葉を投げ掛ける群衆を、信じられない程の愚者を見るような目で見ている。

 だが、群衆は今、物語の渦中にいた。
 民衆の味方が虐げられ、悲しみに暮れるという物語。
 尾ひれのついた、根拠のない噂話。
 もし本当なら、面白いと思っていた物語。
 それに真実のお墨付きがついていく過程に、みな熱中していた。

 そうなっていない少数の者は、子爵とその部下の様に、多少なりとも実情を知っている者たちなのだろう。
 だが、賢さ故に冷静なそういった人間たちは、興奮する群衆の中で身を守る術にも長けていた。

 彼らは、そうして沈黙や迎合を選び、そしてグーシュの語る物語は破綻することなく続いていく。

 期待させ。焦らし。さらに焦らし。静かに語り始め、期待に沿った話を展開する。
 そして群衆を物語に引き込んだところで、彼らをさらに物語に引き込み始めた。

「もはや、皆を見守ってきたわらわには、居場所は無い……兄上はルニ子爵領を……いや、民を見捨てたのだ。初代帝以来の、民衆第一の政治は失われ、これからは兄上とその取り巻きの求める、皇帝と貴族と官吏による政治が始まるのだ……彼らの語る帝国の栄光に、皆に降り注ぐ光はないのだ」

 グーシュの語った言葉に、広場にいる人々は気が付いた。
 この物語において、自分達がかわいそうな皇女を労わる脇役ではなく、皇女の暗殺をきっかけにいたぶられる、被害者というより重要な役割である事を。

 勿論、今現在の帝国において、民衆への派手な弾圧が行われているわけでは無い。
 民衆主義という主義が掲げられている通り、皇族と貴族に主権があるものの、彼らには民衆に豊かな生活を送らせるという義務があり、民衆は帝国への忠義の代価にそれが与えられる。
 それがルーリアト帝国の基本方針だった。

 だが、先ほどまでの流れでグーシュが真実だと述べた噂話。
 それらには、次期皇帝第一候補の皇太子とその一派が、増税や兵役と言った民衆からの収奪を強化し、皇帝と中央の権限を強化しようとしているというものがあった。

 第三皇女と皇太子の対立。
 橋の崩落に伴う根も葉もない噂。

 そう言った事象が真実だと言われた流れは、民衆に当然のように皇太子による支配と収奪を予期させた。
 事実近年実行されていた、増税や風紀取り締まりの強化と言った政策が、それを強く補強した。

「帝国の栄光は皇帝と一部の権力者だけの物になり、民衆にはそれを支える駒としての生活だけが残される。権力者という傘によって、栄光という光は永遠に遮られる……これが、これからの帝国だ」

 グーシュは、ひとしきり暗い話をすると、一旦腕を下ろして黙った。
 民衆からグーシュを慰める声は無くなり、不安を強く煽られ、戸惑い、騒めいた。

 今の現状は、絞られ、抑圧され、外国の勢力が居座り、半ば占領されたも同然。
 中央は権力闘争を優先し、交渉役かつ民衆よりの皇族を暗殺した。外国の勢力下にあるルニ子爵領を見殺しにして……。
 幸いにも、地球連邦が弾圧や殺戮をするような存在ではなかったため、実感は薄いが、今現在の彼らは帝国から見捨てられたのだ。

 民衆を守っていた第三皇女は殺されかけ、外国の手に落ち、そして暗い未来を語る。

 真実を知りたいという好奇心で集まった民衆は、言いようのない不安に戸惑う。
 そして、グーシュは再び黙った。

 だが、今度の沈黙は短かった。
 グーシュはミルシャから剣を受け取ると、それを抜き放ち、高く掲げた。
 それを見た群衆は、一気に沈黙する。
 広場は痛いほどの沈黙に包まれた。
 それは、剣を掲げるグーシュの威厳ある姿への、一抹の期待と、これ以上辛い現実を語られることへの恐れからだった。

「皆はこのまま、奈落に落ちるまで、搾取され続けるのか?」

 再び静かに、だが氷のように冷たくグーシュは言った。

「帝国の裏切り者に、国父の理想の破壊者共に、このまま全て吸い尽くされて、萎びた餅の様になって奈落の底に捨てられるのか?」

 ちらほらと、「違う!」という声が上がるが、戸惑いが大きいのか数も声量も少なかった。
 構わずに、グーシュは冷たい声で続ける。

「違うはずだ。皆は、栄光ある国父を支えた英雄の子孫だ。違うか?」

 このグーシュの問いには、先ほどより多くの声が上がった。
 「そうだ」「そうだ!」「そうだ」「そうよ」「ああ」「その通り」「そうだ!!」
 バラバラで声の大きさもまちまちだが、上がった声は広場を埋め尽くした。

 その声を聞いたグーシュは、剣を掲げたまま叫んだ。

「そうだ!!!」

 その声に続き、群衆はなおも声を上げ続ける。

「そうだ!」「そうだ!!」「そうだ!」「そうよ!」「そう!」「その通り」「そうだ!!!」

 より大きく、叫びが統一されたことを確認したグーシュはさらに叫ぶ。

「そうだ!!!」

「「そうだ!!」」「「そうだ!」」「「そうよ!」」「そう!!!」

 より統一された歓声に、グーシュは演説を一歩進めた。

「ならば! わかっているはずだ! ここにいる皆は萎びた餅ではない……英雄だ! 民に勝利をもたらす英雄なのだ! ルーリアト帝国の真の栄光、すなわち民に光を与える……その理想の先鋒を務める勇者だ……違うか!」

「「「「「「「「「「そうだ!!!!!!!!!」」」」」」」」」」

 大きな声が、広場を包んだ。
 群衆は、理想の先鋒が何を意味するかも分からず、統一された声を上げる快感に身を任せていた。
 
 グーシュは、群衆がその快感の虜になりつつあるのを見ると、掲げた剣を左手に持ち替え、台にしていた机に突き刺した。
 そして、空いた右手を激しく振り、ここまでで一番美しく、大きな声で話し始めた。

「勇者たちよ! ……図らずも現状は、国父が立ち上がった時と酷似している……だが、二つ当時と異なる点がある」

 グーシュは右手の人差し指を立てると、高く掲げた。

「まず、わらわには国父程の力が無いことだ……だが、それでもわらわには意思はある。帝国とその理想、民の勝利のためならばどんなことでもするという、強い意志だけはある!」

 グーシュは右手の人差し指に加え、中指を立てて、ピースサインの様にして掲げ続ける。

「そしてもう一つが、ここにいる多くの勇者の存在だ! 絶対の力を持つ国父と、少数の勇者だけがいた当時。無力で意思だけがあるわらわと、こんなにも多くの勇者がいる今現在……これならば、やれる!」

 そこまで言うと、グーシュはボロボロと涙を流し始めた。
 表情を変えずに、手を掲げたままで、声色を変えずに涙を流す。
 それは異様でありながら、なぜか感動と統一感と陶酔を呼び起こす、不思議な涙だった。

(こればっかりは伍長閣下も真似できない……これが……本当のカリスマ……)

 現代人であり、カリスマという言葉を聞いた事はあっても実感したことは無い一木にとって、二人きりの会談で感じた以上の、圧倒的なカリスマがそこにはあった。
 ヒトラーの演説テクニックという、地球ではありふれたプレゼンテーションのテクニック。

 それに近い構成の演説と、一木達による仕込みや演出、諜報課のサクラによる歓声。
 そう言った全てが、グーシュの話術や身振り手振りと合わさり、圧倒的な魅力を醸し出していた。

 中世から近世程度の教育しか受けていないが、近代国家並みの愛国心を持つ民衆という、地球の歴史には見られない特殊な群衆にとって、これは極めて効率的だった。

「どうか、皆! このあまりにも強大な力を、一時わらわに貸してもらえないだろうか! さすれば、わらわは剣の刀身となり、真っ先に血にまみれ、真っ先に折れ、砕ける! 皆にはその剣を持つ、勇敢な騎士になってもらいたい! 勇敢な騎士として、帝国の真の栄光。民に勝利をもたらす勇者になってもらえないだろうか?」

 そういってグーシュは、一木の立っている方向をちらりと見た。
 正確には、一木の隣にいる、大柄な中年男性。
 カラン・ルニ子爵を、一瞬だけ見た。

(三秒間……さて、どうでるかな……子爵)

 子爵がここでグーシュの意図に気が付き、そのうえで乗ればよし。
 だが、そうならなければ……一木が一芝居うつ必要がある。

(緊張すると、無いはずの喉が渇くな……)

 そんなことを考えながら、一木は滝のような汗を流すルニ子爵を見た。

 見られた当のルニ子爵は、必死に考えを巡らせていた。

(ここで……私に声を上げろと……そういう事か!)

 1。

(私に花を持たせる温情……違う、外国の手を借りたという批判を抑えるために、あくまで主力はルーリアト国内勢力である必要があったのか……)

 2。

(勝算は……地球の戦力……正当性……息子……妻……領民……家臣……殿下……)
 子爵の脳裏を、計算や思考とも呼べないような様々な映像が巡った。
 一瞬に過ぎない、だが子爵とタイミングを計るグーシュにとっては長い一瞬の果てに、子爵は……。
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