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第四章 皇女様の帰還

第6話―5 演説

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 グーシュがなぜ、地球連邦の服を着ていたのか。
 なぜ、地球連邦軍の鉄車に乗り、まるで指揮官の様に振舞っていたのか。
 地球連邦と帝国の交渉はどうなるのか、どうなったのか。

 そう言った多くの疑問に、グーシュ自身が答えてくれる。
 子爵公邸前に集った街の人々はそう思っていた。

 しかし、期待を持って集まった人々は、すでに四半刻強(約二十分)程もの間、人間が密集した窮屈な広場で待たされていた。
 すでに不満を抱えた人間から子爵や連邦のSSへの不満の声も上がっている。

 当然、子爵もそれに焦り何かしらの対応を取ろうとするのだが、なぜか子爵達と共に並んで立っている一木とその部下に制止され、何も出来ずにいた。

(なんだ……演説で住人をどうにかするのではなかったのか! これでは説得するどころか、演説の前に暴動が……まさか!)

 汗を流しながら思考を巡らせる子爵は、恐ろしい考えに至った。

(このまま暴動をおこし、それの鎮圧を名目に子爵領を制圧するつもりか……愚かな! 武力で押さえつければ、一時は良くともいずれ統治にほころびが出る! そんなことも分からない程、殿下は追い詰められているのか……もはや!)

 子爵が、殺されてでも状況を何とかしようと、声を張り上げようとした瞬間、不満の声を上げる群衆から甲高い女性の声が上がった。

「ミルシャ様だ!」

 その声を皮切りに、不満で溢れていた広場は一転して期待に満ちた空気に染まる。
 子爵もその声に反応して、公邸の入り口を振り返ると、地球連邦の服に身を包み、愛用の曲刀を持ったミルシャがゆっくりと歩いてきた。
 その後ろには公邸の使用人が二人、腰ほどの高さの机を運んで来ていた。
 
 そして、使用人に持ってこさせていた机を、入り口の前、群衆から見えやすい位置に置かせ、そのまま支えるように命じると、声を張り上げた。

「これより! グーシュリャリャポスティ第三皇女殿下による演説を開始する! ポスティ殿下万歳!」

 声を上げると同時に、曲刀を抜き高く掲げるミルシャ。
 それに呼応して、広場を囲む様に立っていた歩兵や、鉄の巨人たる強化機兵達も手にした武器を掲げ、声を張り上げる。

「「「「ポスティ殿下万歳! ポスティ殿下万歳! ポスティ殿下万歳!」」」

 SS達による声に、ざわめいていた群衆もつられるように声を上げはじめ、やがて広場はグーシュを称える声に包まれた。

 そうして広場が統一されると、狙ったかのようにグーシュが姿を現した。
 瞬間、公邸前の両脇にいた軍楽隊が壮大な音楽を奏でる。

 そうなれば、もはや広場の空気は一変する。
 先ほどまでの不満一色の空気は消え、声を上げて美しい皇女を称える高揚感だけが、その場を支配した。

 そして、グーシュはその高揚感に迎えられた状態で、ミルシャに支えられながら机の上に立ち上がった。
 そして、しっかりと二本の足で立ち、両手を体の前で組むと、堂々たる態度で広場の群衆を見回した。

 すると、周囲の地球連邦のSS達が声を止めた。
 群衆はしばらく万歳の歓声を上げていたが、大音声で先導していたSS達の声が絶えると、次第に万歳の声は止んでいった。

 そして、広場は再びざわめきに包まれた。
 人々の間には期待が渦巻いていた。
 心には高揚感が満ち、あとは知りたかったことを知るだけ。
 好奇心を満たし、不安を解消する。その開放感と達成感を得るだけなのだ。

 否が応にもグーシュの言葉への期待が高まる。
 だが、グーシュは言葉を発しない。
 ただ、静かに立っているだけだ。

 やがてざわめきの質は期待から疑問へと、そして不満へと移り変わっていく。
 子爵もグーシュの立つ机の横に並びながら、グーシュの沈黙に困惑していた。
 
(なぜ何も喋らんのだ! まさか……演説の内容を……忘れて……)

 子爵がそんな不安に冷や汗をかく間も、グーシュは沈黙を続ける。
 
 だが、グーシュへの沈黙に合わせて、群衆のざわめきは徐々にだが小さくなっていった。
 それはグーシュへの不満からであり、不満を一通り吐き出したからであり、グーシュの言葉に期待しているからであり、グーシュの言葉を聞き逃さんと待っているからであった。

 やがて、広場に沈黙が訪れる。
 群衆も、子爵も、そして子爵領の幹部も、誰もがグーシュを真っすぐに見つめていた。
 
 そんな緊張感の中、子爵だけが一木の小さな呟きを耳にした。

「沈黙を味方にする……ヒトラーの演説そのままだ」

(ひとらー……誰の事だ?)

 瞬間、スゥッという、息を吸い込む音が聞こえた。
 グーシュだった。
 呼吸が聞こえるほど、広場の人間はグーシュに集中していたのだ。

「わらわは、このルニ子爵領の事を、我が家だと思っている。民は優しく、温かい。子爵はうまい飯を食べさせてくれるし、奥方は美人だ。太鼓腹には少々もったいないくらいに」

 最後のところで、広場には少々の笑いが起きた。
 グーシュは笑いが収まるまで一呼吸置くと、手を前で組んだまま続けた。

「だが、何よりもわらわが、このルニ子爵領を愛しているのは、ここが誇りある場所だからだ。かつて、初代ルニ子爵は、国父ボスロ帝のお付きの一人だった。そのボスロ帝が大陸の統一を決意し、そのせいで兄たちに疎まれ襲撃された際、最後まで従い、そして生き残った唯一のお付き、それが初代ルニ子爵だ。そして、その時、襲撃を退けるため戦った護衛兵達の子孫。それがここにいる皆だ。つまり、ここは忠臣の住まう土地なのだ。帝国の、お付きが住まう場所なのだ。ミルシャの腕の中と同じように、落ち着くのは当然のことだ」

 群衆から歓声と、女性たちのキャーっという黄色い声が聞こえる。
 机の下ではミルシャが顔を真っ赤にしていて、「ミルシャ様ー!」「お似合いですよ!」という声が掛けられた。

 グーシュはここで笑顔を見せると、両手で群衆を制するようなしぐさを見せ、広場を再び沈黙させた。

「そんなわらわと、そして帝国にとっても大切な場所に、危機が訪れた」

 グーシュがそう切り出すと、広場に緊迫した空気が流れた。

「皆に言うまでもない。そう、海向こうからの使者が来た。しかも軍勢を伴ってだ。わらわはその報を帝都で聞いた時、心が張り裂けるような思いがした。我が家が、優しく温かい皆が。武人であり、忠義の漢であるカラン・ルニと、優しく美しい奥方が。忠臣である子爵領の騎士や使用人達が。どのような目に遭っているか。それを考えただけで、数年前ミルシャが死にかけた時と同じような恐怖が、心と体を支配した」

 ここで数年前のミルシャの事を持ち出した瞬間、広場の人々の脳裏には皇太子とグーシュの確執の事がよぎった。
 同時に、どんなに広く伝わっていても確証のなかった噂話が、やはり真実だったのかという、そういった思いに人々は至った。

「だが!」

 突然の激しい声に、広場の人々は驚いた。
 同時に、話が聞きたかった部分に差し掛かった事を察し、さらにグーシュの言葉に集中した。

「忠臣であるならば。帝国に仕える者ならば。そして国父の血を引くものならば! 当然感じるべきその恐怖を、感じない者達がいたのだ。そう……」

 ここでグーシュは、前で組んでいた手を離し、目元をぬぐった。
 群衆の多くが、グーシュは泣いていると思い、そしてそのことからこの後呼ばれる名前を察した。
 疎まれていると噂され、それでも健気に慕っていると噂されていた、ある人物の名前だ。

 そして、一瞬ためらったようなしぐさのあと、大きく右手を振りあげながら、グーシュは叫んだ。

「我が兄、皇太子たるルイガリャリャカスティと、その一派だ!」

 広場の人々は、息を呑んだ。
 だが、ざわめきは無い。
 グーシュの次の言葉を、待っていたからだ。
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