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第四章 皇女様の帰還

第8話―5 強制捜査とお見舞い

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 人間の怒りというものは、意外な発散のされ方をされるものだ。
 例えば日常的に声を荒げる人間が、普通怒り狂うような状況下では意外なほど落ち着いている事がある。
 これは日常的にストレスや不満をぶちまけているためだ。

 そして、当然その逆もまた存在する。
 普段は温厚だったり、非難や責任を自分で受け入れているのに、それらが一定以上溜まると爆発するタイプの人間だ。
 一木は後者だった。

「ちょ、ちょっと待てよ……お、怒るなよ、な?」

 機動艦隊の情報参謀ともあろう殺大佐が、怒鳴られたくらいで頭が真っ白になるというのは奇異に感じるかもしれないが、実のところ殺大佐に限らず、感情制御型アンドロイドにとって、地球人に怒鳴られるという状況は非常な精神的重圧を感じるものだった。

 勿論作戦行動中や軍務の際は精神にリミッターを掛けているため、こういった事にはならない。
 しかし、今の様なある程度落ち着いた状況下においては、好意を持つ地球人類、ましてや所属組織の人間である一木から怒鳴られるのは、耐えがたいほどの状況だった。

 そうして、怯えた様子の殺大佐を見た一木は、排気ダクトから熱い空気を深呼吸するように排出すると、一歩殺大佐から離れた。

「……結局、こういうことなんだよ、殺大佐」

 一木の言葉に、一瞬びくりとした殺大佐は、恐る恐るといった様子で一木に尋ねた。

「こういう事?」
 
「この時代で目覚めて以来、たくさんのアンドロイドや人間が、俺にアンドロイドとの正しい接し方を教えてくれた……。優しくしすぎない、人間扱いしない、距離感を適切に、否定しない、怒鳴らない、罵倒しない……最後の方は兎も角、優しくしたり人間と同じように扱ったり……そういった事がなんでダメなのか、全然わかっていなかった」

「……」

 一木の言葉をじっと聞いていた殺大佐は、やや落ち着きを取り戻すと、丸まっていた背中を伸ばし、いつものように背筋を伸ばした。

「……怒鳴っていけないのは、君達感情制御型アンドロイドにとって、依存して、執着して、保護欲を抱く地球人類から、負の感情をぶつけられることは耐えがたい。こんな当たり前のことですら、体験しない限り実感することは難しい……」

 殺大佐は、小さく頷いた。
 一木が何を言いたいのか分かったようだ。

「逆もそうだ。歩兵型も、幹部クラスの娘も、みんな俺が親しくすると本当に喜んでくれてた。そりゃそうだ。中学生の頃の俺だって、好きな女の子から親しくされればはしゃいだもんだ……例えは悪いかもしれないが、君達も同じなんだろ?」

 一木に尋ねられた殺大佐は少し迷っていたが、その間に先ほどから黙って立っていた兵員課のSSが口を開いた。

「ええ、そうです。一木さんに分かりやすく言えば、結局のところ私たち感情制御型アンドロイドと言うのは、人間からすると”チョロい”存在と言えます」

「ちょっと待て! 言い方ってもんが……」

 言い回しを考えていただろう殺大佐が咎めるように言うが、兵員課のSSは気にせず続けた。

「どこか間違っていますか? 私たちは優しくされればすぐに惚れて、怒られれば落ち込み、否定されれば自殺せんばかりに落ち込みます。自殺という行為は組織に不利益を与えるので通常はしませんが……」

 はっきりした物言いに、殺大佐は何も言えない。
 そんな中、聞いていた一木はうなだれたまま、ポツリポツリと続けた。

「殺大佐……君たちが言う、上手なアンドロイドとの付き合い方は、現代人が長い時間かけて学んできたことだろう? 申し訳ないが、古い人間の俺が言われるままに、実感を得ないでそれを実践しても、結局はうまく行かず、今回みたいなことになる……だから、殺大佐。ミラー大佐が苦しむことも、君がそれを見ていられないのも承知で頼む。俺に一回ミラー大佐と話させてくれないか?」

 一木としても、こんなわがままな事を好き好んで言っているわけでは無い。
 以前一木の境遇を、江戸時代の人間が二十一世紀にタイムスリップしたのと同じだというたとえ話が成されたことがある。

 一木もその例えの如く、自分は物わかりの悪いサムライの様なふるまいはしないように心がけていた。
 
 だが、そのつもりでいた結果マナは悩み、ジーク大佐はあの手この手で一木に迫り、一木はそれにさらに悩み、そしてミラー大佐は暴走して降格処分を受ける羽目になった。
 結局のところ、百年以上の時間と、それに伴う風習や価値観の変化を言葉の説明だけで受け入れるなど、人間にはどだい無理だったのだ。

 だから、マナやジーク大佐と不器用でグダグダした流れの結果打ち解けたのと同じように、一木はミラー大佐とも、お互いに傷つけあう覚悟で向き合ってみるつもりになったのだ。

 直前まで迷っていたこの結論だったが、殺大佐に怒られた事で踏ん切りがついた。
 もしここで、素直に頷いてアンドロイドと適切な距離を取り、表層的な交流だけに関係性を留める現代的な行動を選択すれば、おそらく自分は一生後悔すると一木は思ったのだ。

 一木のそんな覚悟を含んだ言葉に、殺大佐はしばらく迷っていた。
 一分ほどの沈黙の後、殺大佐は静かに口を開いた。

「ミラーの状況はどうなんだ?」

 問われた兵員課のSSが答える。

「現在、ストレスと紐づいたデータをひとまとめにしてあります。通常ならこの後ストレスの原因の部分を消去するんです。ですがミラー大佐の場合、製造後間もない頃の、人格に関わるデータとストレスデータが深くリンクしています。このままデータの消去を行えば、人格の変化や喪失の可能性があるので、一木司令に許可を得てからと……」

 兵員課のSSの言葉に、一木は吹っ切れたような明るい声を出した。

「なんだ殺大佐。どのみち選択肢は一つだったな」

「……そうか? 俺としては今のままハンス大佐関連のデータを消した方があいつのためだと思うが……」

 まだ不満そうに言う殺大佐だが、一木は殺大佐の頭を軽く撫でてその言葉を遮った。

「俺はどんなに厳しくても、ミラー大佐にはミラー大佐のままでいてほしい。どんなに本人にとって辛くても、黙って人格を変えるような真似が出来るわけない」

 そう言われ、頭を撫でられ続ける殺大佐は湯だったように赤い顔をしていた。
 感情がどんどんと揺らぎ、”照れ”という感情がプログラムの奥底から湧き出してくる。
 リミッターの無い精神はそれらを遮ることなく、表情プログラムが顔をどんどんと赤くしていく。

(こ、この野郎……さっきの話聞いてなかったのか……そういうことしたら惚れちまうだろうが……)

「……勝手にしろ! あとな、俺はミャオ一筋なんだ、あんまり優しくすんなよ……」

「あ、申し訳ない……自分で理解した点に関しては気を付けないとな……」

「お話は済みましたか? ではミラー大佐への処置、お任せしますね」

 兵員課のSSの言葉と共に、ミラー大佐が横たわる処置室の扉が開かれた。
 覚悟を決めた一木と、未だ釈然としない殺大佐が、ゆっくりと入室した。
 首筋の端子から無数のケーブルを生やしたミラー大佐は、まるで眠っているように静かな顔をしていた。 
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