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第四章 皇女様の帰還

第8話―6 強制捜査とお見舞い

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「今はどういう状態なんだ?」

 一木が兵員課のSSに尋ねる。
 兵員課のSSは、ミラー大佐に接続された端末を見ながら答えた。

「先ほど言ったように、負担となっているデータをまとめている状態です。通常のストレス軽減処理中……日常の睡眠時と同じ状態です。話しかけてみてください」

 一木は静かに近づくと、静かに目を閉じるミラー大佐に顔を近づけた。

「ミラー大佐、一木だ。大丈夫か?」

「……ん……あ……」

 わずかに反応を見せるミラー大佐。
 一木はさらに、ゆっくりと手をミラー大佐の額に近づけた。
 そして、額に静かに指先をあてた。

「ミラー大佐?」

「た……大佐?」

 呼びかけにオウム返しに答えるミラー大佐。
 だが、それは違った。

 目を開けたミラー大佐は、いつもの厳しい表情とは違う、子供が泣きじゃくるような表情を浮かべた。
 そして、勢いよく一木に抱き付いてきた。

「た、大佐! 無事だったんだ……大佐ぁ……」

 盛大に眼球洗浄液を流しながら泣きついてくるミラー大佐に、一木は困惑して殺大佐と兵員課のSSの方を見た。

 すかさず無線通信が入る。

『大丈夫です。先ほど言ったようにストレスの原因となるデータをまとめているせいで、記憶が混乱しているのでしょう。今回の場合は、おそらくハンス大佐と一木代将関連のデータが混じっているのでしょうね。直前の発砲騒動の件も合わせればその可能性が高いです』

 兵員課のSSの言葉に、殺大佐も頷く。
 正直複雑な気分の一木だったが、今はただゆっくりとミラー大佐の気が済む様にさせてやることにした。

 一木は、ゆっくりと両手をミラー大佐の背中に当てると、幼子をあやすようにポンポンと叩いてやる。

 そうしていると、だんだんと泣き声が収まっていった。
 そして、ポツリポツリとミラー大佐が話し始めた。

「よかった……大佐が死んじゃったかと思った……あの女が……自爆して……大佐が粉々になっちゃう夢を見たの……」

「ああ……」

「でも、私今度はちゃんと出来たよ……。あの女を拳銃で撃ちぬいてやったんだよ? だからもう大丈夫……大佐はもう、大丈夫……もう、いなくならないよ……」

「ああ……」

「大佐……私は……あれ、私は……ハンス大佐が死んで、あれ……あれは夢で……私大佐の事を忘れたくなくて、だからサリファ師団長にもカナード司令にも嫌われるように。あれ、でも、大佐は助かって……」

 最初は一木とハンス大佐の事を混同していたミラー大佐だが、結局はミラー大佐にとって近しい存在を精神的負担とデータの整理によって混在しているに過ぎない。

 覚醒して感情が活性化して、オンラインによる各種データのフィードバックが行われれば、すぐに混乱は収まる。

 収まってしまう。

 一通り涙と共に、幸せな勘違いを終えたミラー大佐は、静かに一木の胸元から顔を離した。

「落ち着いたか?」

 ポロポロというよりは、ダバダバと言った擬音が当てはまるような大量の涙を流しながら、しばし一木と見つめあっていたミラー大佐の顔は、涙が収まると同時に急速に赤くなっていった。

 顔色が変わるという事は、対人用の感情プログラムが活性化した証拠だ。
 正直先ほどのまま、戻らなかったらどうしようかと不安に思っていた一木は、ホッとした。

「一木司令……そうか……そうよね」

 真っ赤な顔のまま、取り繕うようにいつもの口調で話し始めるミラー大佐。
 内心は兎も角、誤魔化そうとする程度には思考も働いているようだ。
 ミラー大佐は一木から体を離すと、部屋を見渡した。

「さっきのは夢……ね。ああ……ああ、そうか。一木司令、先ほどの事は申し訳ありませんでした……殺にも、迷惑かけたわね。それに……皇女様に、怪我は?」

「無事だよ……シャルルにも礼言ってけよ」

 殺大佐がホッとしたような、そして少し怒ったような口調で伝えると、ミラー大佐は小さくうん、と呟いた。
 そして、一木の方を改めてみると、あきらめたような表情で自分の処分を聞いた。

「それで一木司令、私の処分はどうなりますか? 出来れば処分前に、部下と同僚たちに別れを……」

 やったことから言えばしょうがないのかもしれないが、自身の人格消去を前提とした物言いに、一木は少し慌てた。

「いやいやいや、処分って言ってもそこまでの事はしないよ。グーシュにも怪我は無かったし、グーシュもミラー大佐の事を心配していた。ただ、さすがに何もなしではない。外務副参謀への一時降格の上、外務参謀を兼務するクラレッタ内務参謀にミラー大佐の事を監督及び監視してもらう事になった」

「げ、クラレッタにーが……」

(ニー?)

 聞きなれない単語が聞こえたが、一木は仇名か何かと思って詳細は聞かなかった。
 クラレッタニー。あの縦ロール悪役令嬢参謀に、どのような由来でその仇名が付いたのだろうか?
 膝蹴りでもすごいのだろうか……。

 いつものように思考がずれて考え込んだ一木に、ミラー大佐はある種、予想通りの頼みをしてきた。

「そういう事でしたら、あえて反論いたしませんが、一つお願いがあります」

「あ、ああ。どうした?」

 聞き返す一木に、少しためらったような間を空けたミラー大佐は、意を決して答えた。

「殺から聞いているでしょうから詳細はいいませんが、私には精神的な欠陥があります。ハンス大佐という、最初の指揮官に対して、私は参謀型SSにふさわしくない感情を抱いております」

 真っすぐに一木のモノアイを見つめて、ミラー大佐は話し始めた。
 だが、口調も表情もいつもと同じ厳しい物なのに、目元にはジワリと涙が浮かんでいる。

「一木司令に対する無礼な態度も、その結果です……。そして今回の発砲事件もそうです。寛大な処分を頂きましたが、私がこの欠陥を抱える限り、今後も同様の事件を起こすリスクがあります」

 そこまで行った所で、とうとう目尻の眼球洗浄液が決壊して、頬を伝って流れ出した。

「ですから一木司令、兵員課のSSに命じて、私のハンス大佐に対する感情を消去していただけないでしょうか? これは処分ではなく、私への温情と思ってください。どうか、お願いします」
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