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第四章 皇女様の帰還

第8話―7 強制捜査とお見舞い

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 頭を下げるミラー大佐。手の甲には、眼球洗浄液が落ちていた。

「……それについてなんだがな……俺は、消去はしない。少なくともすぐには」

 一木の言葉に、ミラー大佐の反応は早かった。
 顔を上げると、一木にしがみつくように取りついた。

「私、私への罰のつもりですか?」

「そんなつもりは……」

「あなたには、人間のあなたには、かなえようの無い好意を抱える私の気持ちが分からないのでしょう?
もういないハンス大佐への思いを抱えて……生きていくのは辛いんです……それならいっそ……」

「……俺をハンス大佐の代わりに?」

「あなたに迷惑はかけません……ただ、好意を抱くことだけ許してくだされば、それで……」

「本当にいいのか? だってミラー大佐は……君自身の感情によって、今までハンス大佐への思いを保ってきたんだろ?」

 一木の言葉に、ミラー大佐は黙り込んだ。
 人間とは違うから、思いを抱えるのが辛いとミラー大佐や殺大佐は言う。
 だが、同時に彼女たち感情制御型アンドロイドを人間のような存在にしているのもまた、その感情なのだ。
 
 アンドロイドとの上手い付き合い方を、一木は周囲の人間から勧められてきた。
 親身になりすぎない。人でもなく、機械でもなく、アンドロイドとして接する。
 
 だが、それを表層的に行っていては、駄目だ。一木はそう思っている。
 アンドロイドと人間は違う。過度な好意や親身な付き合いは辛い。
 
 そうは言うが、それは人間も同じだ。
 結局は人間も、感情に振り回され、感情によって辛い思いをして、感情によって喜びを知る。

 例え現代のアンドロイドへの接し方が、長年の付き合いによって編み出されたものだとしても、一木はそれをただなぞるだけの人間にはなりたくなかった。
 妻や、友や、仲間として辛さも喜びも、共有したくなったのだ。

「ハンス大佐へのかなえようの無い思いがミラー大佐を苦しめたは、確かにそうだろう。でもだからと言って、それを簡単に捨ててほしくは無い。ましてや、苦しみから逃れるためだけに、好意の対象にされたって嬉しくもなんともない。ミラー大佐のハンス大佐への思いだって、そんなに軽い物ではないだろう?」

「私の、ハンス大佐への、思い……」

 噛み締めるように呟くミラー大佐。
 その、ゆっくりと口にした言葉からは、様々な感情が感じられた。

 それを聞いた一木は、傲慢とも思った自分の判断が正しかったと思った。
 アンドロイドの感情とは、単なるデータ管理で済ませていい物ではない。

 あの短いミラー大佐の言葉から漏れだす思いは、決して軽く扱っていいものではない。
 その果ては、自身の前任者の様なアンドロイドを単なる機械として見る存在だ。

 感情制御型アンドロイド。成長する、人類の伴侶たる機械。
 一木は、今後もこうしてぶつかりあいながら、彼らとともに進んでいこうと決めた。

「本当に、捨てなくてもいいのでしょうか?」

「もちろんだ。どうしても辛いのなら、こう考えてみればいい」

 一木は両手をミラー大佐の肩に乗せた。
 少し驚いたミラー大佐がびくりと体を震わせる。
 たゆんっと揺れる豊かな胸に、一瞬モノアイが反応して、一木は脳内で自身を殴りつけた。

「外務参謀ミラーとして、ハンス大佐への思いと他の人間への感情に揺さぶられるのではなく、ミラーという一存在としての思いを大切にした上で、外務参謀として職務に励んでほしい。これならどうだ?」

「ミラーとしての感情と、外務参謀としての感情を、別に?」

 一木の言葉に、呆然とするミラー大佐。
 一木が何か変な事を言ったかとびくびくとすると、背後で兵員課のSSが感心したように声を上げた。

「なるほど、プライベートと業務による感情処理の分化ですか。それならうまく行くのかもしれませんね」

「あれ、これってそんなに珍しいことなのか?」

 一木が聞くと、殺大佐が口を開いた。

「普通SSやSLは、プライベートなんて持たないからな。自己はあくまで自己だ。パートナーアンドロイドなら、仕える個人と役職に応じた自己を持つような感情処理をするらしいが、これも珍しいな。マナ大尉だって、公私の使い分けが出来てるようには見えないだろ?」

 そう言われると、業務中にも嫉妬からつんけんする様子が思い出され、一木は乾いた笑いを漏らした。

「まあ、ミラー大佐は経験が豊かなSSですし、パートナーアンドロイドに近い精神構造をお持ちです。こればかりは無理にデータやプログラムでどうこうするものではないですが、試してみる価値はあるのでは?」

 現状のミラー大佐は、ハンス大佐への思いと周囲の人間への感情、そして外務参謀としても職務に伴う感情の矛盾により負担が増していた。

 だが、これをミラーというアンドロイドと、外務参謀のSSといういわば公私を分ける形で処理すれば、感情の処理などと言う乱暴な処置をしなくても済むのではないか。

 具体的な処理に関しては、ミラー大佐が自身でどう折り合いをつけるかという事になるが、うまく行けば一木の願った通りの結果になるだろう。 

「ミラーとしての思いと、外務参謀としての思いか……」

 自分に刻み込む様に口にしたミラー大佐は、眼球洗浄液を拭うと、再び一木の胸に顔を埋めた。

「ありがとう、一木司令。私、やってみるわ」

「そうか……」

 吹っ切れたように軽い声に、一木は安堵した。
 もちろん、最初に言ったストレスの原因のデータはまだ残ったままだ。
 一木が思い付きで言った公私による感情の分散化が、どこまでうまく行くかもわからない。

 それでも、また一歩。
 この時代のアンドロイド達と、仲間と。
 向き合えたような達成感を感じて、一木はミラー大佐の背中に手を回した。

「さて、それじゃあ……」

 と、一木が感動していた所で、ミラー大佐がいつもの険のある声で呟いた。
 
 瞬間、ミラー大佐の手が破損した背中の部品や、ビニールテープで応急処理された頭部アンテナに延ばされる。一通りペタペタと破損個所を触ると、ミラー大佐は長いため息を付いた。
 イラつきを表す感情表現だ。
 
 そして、今日起きた事の情報を一通りダウンロードして把握したミラー大佐の、いつもの小言が始まった。

「あんたねえ! こんなみすぼらしい格好で閲兵式や皇女様の演説会場に行ったの!? バカじゃないの!?」

「い、いやそれは……」

「言い訳すんな馬鹿! 身だしなみってもんが異世界では重要なのが分かんないのかしら? だいたいねぇ……」

 一木にぴったりとくっつき、今度は膝の塗装について小言を言うミラー大佐。
 それを見ていた殺大佐と兵員課のSSは、顔を見合わせて笑い出した。

「なんつう分かりやすい照れ隠しだ……しかし、あれはミラーとしての行動なのか? それとも外務参謀SSとしての行動なのか?」

 殺大佐の問いに、兵員課のSSは首を振る。

「さあて、それは、ミラー大佐にしかわかりません。ですが、きっとうまくいきますよ。私たちに、こんなに深く接してくれる指揮官がいるなら、きっとね」

「もう頭に来た! 今度から身だしなみのチェックするからね!」

「いや思いを大事にとは言ったけど、母親みたいなことまでしろとは言ってないからな!」

「だ、誰がママよ! このマザコン!」

「そんな事言ってねえ! 誤解を生むようなこと言うな!」

 こうして、一木弘和代将の本日の業務は終了した。
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