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第四章 皇女様の帰還

第9話ー1 それぞれの夜

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 ミラー大佐の説教が一段落した一木は、眠気に襲われながらもある場所を訪れていた。
 こちら側に引き入れるために招いていた、ルニ子爵領の騎士と衛兵たちの宴会場だ。
 一言あいさつでもしようかと思ったが、それは接待を任せていたシャルル大佐に止められた。

「一木司令が顔を出すと、宴会とお酒でのぼせた頭が冷えちゃいますからね。今は目一杯騒がせましょう」

 シャルル大佐の言う通り、宴会場の部屋からは男たちの騒がしい声と、それをはやし立てる福利課のSS達の黄色い声が聞こえて来た。
 生身の頃、上司に連れられて行ったキャバクラがこんな感じだったことを、一木は思い出した。

「よし、このまま接待を続けてくれ。念のため記録を取っておいて、反抗した時に備えるのも忘れずに。ハニートラップはどうだ?」

 一木の言葉に、シャルル大佐は首を横に振った。

「騎士の皆さんはだいたい奥さん思いで、そちらは難しそうですね。独身の方や、相手を選んで行います。一番年下の騎士の子は、ルキ少尉にお熱のようですから、うまく取り込めるかもしれません」

「任せた。申し訳ないけど、俺は休む……さすがに疲れたよ」

 一木がそう言うと、シャルル大佐はニコニコと笑顔を浮かべた。

「マナ大尉にも仕事を上がるように連絡しておきます。二人でゆっくり休んでください」

 一木はシャルル大佐の気遣いに感謝しつつ、その場を後にした。

 宴会場からは、調子はずれな酔っ払いの歌声が聞こえてくる。
 できれば脅迫の必要なく、うまく協力者に仕立て上げられれば。
 一木はそう願った。



「はぁ……はぁ……、で、殿下……もう限界です」 

 同時刻。
 宿営地の客室で、全裸で全身汗だくのミルシャが、あおむけになりベットの上で喘いでいた。
 その隣では、同じく全裸で上体を起こしたグーシュが、部屋にあったペットボトルの水を飲んでいた。

「なんだ……もうへばったのかミルシャ?」

 疲れ切った様子のミルシャに比べ、グーシュは元気そうだ。
 橋から落ちた後、一晩眠って会食、会談、パレード、演説と働きづめだったとは思えないタフさだ。

「殿下ほど、絶倫のお方を僕は知りませんよ……あ、ガズル様は除いてですが」

 女好きで有名な帝弟のガズルは、そちらの方面では有名な男だった。
 とはいえ、ミルシャとしては実際のところは、グーシュはそちらの方でもガズルと同じくらいの好き者だと思ってはいた。
 
 むろん、あの好色オヤジと大好きな殿下が同じだとは、口にはしなかったが。

「ふん、まあそんなことはいい。しかし、寝ている間に寝所に運ばれるとはな……すこし気を抜きすぎたかな?」

「殿下がよく言われる、”隙を見せる”という観点からはよろしいのではないですか? 気を許しているという証にもなるでしょう」

 ミルシャの言葉に、グーシュは少し考え込むような様子を見せた。
 そんな様子のグーシュの手を、ミルシャは指を絡ませるようにして握った。

「今日の交渉と演説は、うまく行ったとわらわは思っているが……正直言って一木達との距離感を掴みかねている部分もあるのだ。わらわは今まで、突拍子の無い行動で相手を驚かせ、その勢いで主導権を握るやり方をしてきたが……身分の無い世界の一木には、効果が薄いな」

 グーシュは、今日の会談で一木にやり込められた点をすでに考察し、ある程度掴んでいた。
 とはいえ、気が付いても変えるには難しいことではある。

 唐突、余裕、許容という、皇族らしからぬ三つの行動を駆使して今まで周囲と渡り合ってきたグーシュにとって、それらの前提である身分差から来るギャップが通じない一木との交渉は、難しいものがある。

 もし仮に、一木に交渉の才覚があれば、グーシュの現状は今とは違うものになっていただろう。
 協力者ではなく、完全な傀儡になっていてもおかしくは無かった。

「一木殿もですが……帝都の反応も気になります。時間的に、今朝には帝都に知らせが届いているはずです……兄上の一派の動きが気になります」

 ミルシャは心配そうに言うが、グーシュはそれを聞くと笑い飛ばした。

「ミルシャ、心配は無用だ。それとな、一つ違う点がある。イツシズ派と、兄上の一派だ。わらわが死んだとなれば、両者は対立するだろう」

 グーシュの言葉に、ミルシャは驚いて起き上がった。
 今までの事から自然と、皇太子派とイツシズの事を一体だと捉えていたからだ。

「そんなことがあり得るでしょうか? イツシズは兄上からの信頼の厚い派閥のトップ……それが対立などと……」

「正確には、イツシズとお前の先輩のセミックだ。両者は兄上を盛り立てるという共通の目的を持ってはいるが、あくまで自分本位のイツシズと、兄上を中心に考えるセミックは相いれないだろう。わらわという共通の敵がいなくなれば、早晩対立が始まるはずだ」

 セミックは皇太子のお付きを務めている事からも分かる通り、お付き達の代表とも言える立場の女だ。
 近衛騎士団の人事官という役職を持っているイツシズと違い、具体的な権限を持っている人物ではない。
 
 ただし、それだけにイツシズ得意の人事権や官吏への働きかけと言った攻撃手段が通じず、また皇太子のへの直接的な働きかけという武器がある。
 グーシュ亡き後、皇太子派の主導権を巡った争いが始まる事は十分にあり得ることだった。

「セミック先輩……確かに強い方です。僕も含めたお付きの中では別格の強さでした。剣も、まつりごとも、謀略も……」

「ミルシャ、お前ももう少し賢くなれ。剣術とわらわの護衛だけでは、これからわらわが目指す世にはついてこれないぞ?」

「……マナ殿にも言われました……お付きや皇女という関係性や身分に囚われていてはダメだと……」

「その割には、未だにわらわを”殿下”と呼ぶのだな」

 少し意地悪そうにグーシュが言うと、ミルシャは不意を打つようにグーシュに口づけした。
 驚いたように顔を赤らめるグーシュに、してやったような顔でミルシャは囁いた。

「もちろん、マナ殿の言う通り、僕も今までとは変わります。ただのお付きではない、より深い関係で殿下を支えます。でも、だからこそ……僕は、全てを変えてしまうあなたの、変わらぬ支えになりたいのです。ですから、変わらぬ僕である証として、僕にだけはこの呼び方を許してください」

 珍しく、自分から攻める様子を見せたミルシャに、グーシュは嬉しそうに笑みを浮かべた。
 そして、決して他には聞かせない、艶っぽい声で囁いた。

「いいだろう、わらわの騎士、ミルシャ」

「ありがとうございます……僕の殿下……」

 ミルシャがグーシュを押し倒す。
 この後、朝まで二人の声は絶えなかった。
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