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第四章 皇女様の帰還

第9話-2 それぞれの夜

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 眠気でふらつきながら、やっとの思いで一木が部屋にたどり着くと、そこにはすでにマナが待っていた。

「ああ、マナ……もう来ていたのか……容疑者と家族は?」

 椅子に座り込んだ一木の背中に、充電用のケーブルを差し込みながら、マナは答えた。

「容疑者の方は、これから憲兵隊の尋問官が事情聴取するそうです。休ませずにやった方が、薬物や拷問に頼らずに疲労から口を割りやすいからと。家族の方は不安がっていますが、監視担当には不自由が無いように命じていますので、直に落ち着くでしょう」

 充電ケーブルを差し込まれた一木は、落ち着いた様子で報告を聞いていた。
 問題が無いことにホッとして、ようやく一息ついたのだ。

「ありがとう、マナ……すまないが今日はもう休もう……」

「はい、弘和君」

 一木はマナが自分の首筋にケーブルをつないだのを確認すると、仮想空間へと意識を移した。
 そしてマナも、一木が意識を仮想空間へと移したのを確認すると、一木の手を握り、もたれかかるようにして自分も意識を仮想空間へと移した。

 そうして二人が同時に仮想空間へと移ると、そこはいつもの見慣れたアパートの一室だった。
 現実のルーリアト同様の夜。
 設定通り、一木の好きな雲一つない星空に、大きめにデフォルメされた満月が輝いていた。

 アバターである、目元が陰で隠れた、ゲームのモブキャラの様な姿になった一木は、リビングのテーブルの所にへたり込んだ。

「疲れた……情けないが、本当に疲れたよ」

「今、お布団敷きますね」

 マナがそう言って、テキパキと布団を敷く。
 データを弄って即座に準備するよりも、こうして手間をかけるのが、一木は好きだった。
 
 ふと、一木は布団を敷くマナを見つめた。
 異世界派遣軍の黒い制服に身を包んだ、いつものマナだ。

 身長180cmの長身で、すらりとしたモデル体型。
 だが、それでいて出ている所は出ている、まるで漫画の様な恵まれたボディ。

 布団を敷く動作をするマナの、そんな体が、なぜだかいつもより艶めかしく感じられる。
 なぜかと考えると、実のところ今日は非常に誘惑が多い日だったことを思い出す。

 いきなり全裸になったグーシュや、四つん這いになった一木の下で寝そべるジーク大佐とマナやグーシュ、ミルシャ。

 見舞いに行った場所で、照れ隠しの説教をしながら密着してきたミラー大佐。
 冷静になって思い出すと、まるで自分がラブコメの主人公になったかの様な濃厚な日だった。

「弘和君、お布団敷き終わりました……きゃあ!」

 そんなことを考えていたら、眠気が消えていた。
 代わりに、この体になってから久しく感じていなかった、とある感情に体を支配される。
 源になる器官もないのに、盛る自身に呆れつつも、制御が効かなかった。
 気が付くと、布団を敷き終わったマナを押し倒していた。

 この構図に、一木は見覚えがあった。
 巨大人造人間のパイロットになった十四歳の少年が主人公のアニメで、主人公がこうしてヒロインを押し倒してたシーンがあったはずだ。
 相手は青い髪の子だっったか、赤い髪の子だったか……。

「いい、ですよ」

 益体も無いことを考えていると、マナが驚きから立ち直り、目を閉じて小さな声で囁いた。
 吐息交じりのその言葉には、一木の体に身震いが走るような濃密さが感じられた。

 こうして、一木弘和の一日は、延長戦が確定した。 
 そして、そんな様子をアパートの入り口で見ている人影が一つ……。

「…………」

 ジーク大佐だった。
 宿営地の業務を部下や宿営地の部隊に任せて夜這いに来たのだが、どうも出遅れたようだ。

(まあ、愛人は一歩引くものさ……)

 微かに嫉妬を感じながら、ログアウトするジーク大佐。
 とはいえ、彼女は妹のミラー大佐程面倒な精神はしていない。
 
(ミラーも、恋愛をストレスの軽減と割り切れればいいんだけどね……)

 ミラー大佐と違い、ジーク大佐にとっては人間個人への好意というものは、あくまで補助的な物に過ぎない。
 ジーク大佐の様な一般的なSSにとっては、自らの職務そのものが自己を確立する柱となるのだ。

 そうして、作業していた宿営地の飛行場建設予定地に意識を戻したジーク大佐は、瞬間激しい衝撃と共に、数メートルほども弾き飛ばされた。

「!!」

 想像だにしない出来事に、緊張が走る。
 同時にメタルアクチュエータを覚醒状態に移行、一気に体を戦闘モードにすると、身体を捻って強引に着地、素早く身構えた。

(なんだ……現地人……それともまさか、火星陸軍の……!?)

 自分では素早く対処したと思ったのだが、身構えたと同時に目に入ったのは、自身に攻撃を加えたであろう対象の膝だった。
 ジーク大佐を打撃で弾き飛ばした上に、即座に追撃して着地点に向けて膝蹴りを放ったのだ。

 顔面への激しい衝撃を覚悟すると同時に、相手の正体に思い至り、ジーク大佐は体から力を抜いた。

「クラレッタ……」

 ジークの言葉より数瞬早く、猛烈な勢いの膝蹴りは動きを止めた。
 そして、その膝蹴りの主である、金髪縦ロールに参謀モールと勲章だらけのドレスじみた制服に身を包んだ、内務参謀のクラレッタ大佐は満足そうに笑みを浮かべた。

「合格ですわ、ジーク。でも、少し気を抜きすぎですわよ?」

 パンッっと音を立てて扇子を開くと、口元を隠しながらクラレッタ大佐は言った。
 
「ああ、すまない。ちょっと司令に報告があってね。仮想空間に接続しようとしたけど、もう寝ているようだったから」

 まさか、夜這いに行っていたとは言えず、咄嗟に誤魔化すジーク大佐。
 クラレッタ大佐は、こういう事にはうるさいSSだ。

「あらそう……驚かせようと思って、こっそり今夜の内に補給便で来たのですが……それなら挨拶は後にしますか……」

 今頃、盛り上がっているだろう一木達の時間が守られることにジーク大佐はホッとした。
 ところが。

「それならば、もう一つの用事を今のうちに済ませるとしましょう」

 不敵に笑う笑みを見て、ジーク大佐は顔を強張らせた。
 
「現地の要人に銃を向けた愚妹に折檻といきますか……」

 その言葉を聞いて、ジーク大佐は天を仰いだ。
 
(ああ、甘えん坊ミラ―に幸あれ……)

 口は悪いが、根は甘えん坊の末妹の運命を嘆くと、ジーク大佐はクラレッタ大佐に言われるまま、ミラ―大佐の元へと案内した。

 口調は丁寧だが、根は武闘派な姉に、一抹の不安を抱えながら。
 その夜、宿営地に嬌声とは別の、苦悶の声が響いた……。



 同時刻。
 第049機動艦隊旗艦シャフリヤールの首席参謀執務室。

 そこで、ダグラス大佐がむっつりとした顔で端末の画面を眺めていた。

 彼女の表情が硬い理由は二つある。
 まず一つはサーレハ司令からの、突然言われたある言葉だった。

『君が調べている事の答えは、一木代将に教えた。私が許可するから聞いてみるといい』

 正直ダグラス大佐自身、一木代将の謎の特性や、謎の白い女について調べている事がサーレハ司令に筒抜けなのは覚悟していた。
 しかし、こうまであからさまに言われるとは思っていなかった。

 とは言え、無視するのも難しい。
 事情を殺大佐以外の参謀にも伝えて、サーレハ司令の言う通り一木代将に聞くべきだろうか。
 
『一木代将には、私が話すことを許可したと言えば大丈夫だ。君達は彼の味方になってやってくれ』

 自分で許可せずに、わざわざ自分達に言わせるところが胡散臭い。
 ダグラス大佐は不機嫌そうに息を吐いた。

 そして、もう一つの原因が端末に表示されたデータだった。

 ダグラス大佐はここ最近、一木の経歴を調査していた。
 その過程で、一木弘和という人物を形作ったと言っても過言ではない、あるアンドロイドの事を調べてたのだ。

 サガラ社製試作看護型SL、シキ。

 サイボーグとして目覚めた一木弘和の専属看護担当であり、パートナーアンドロイドとするために一木弘和が異世界派遣軍に入る事を決めた、きっかけとなったアンドロイドだ。

 調べるなら本丸からと、サガラ社のデータベースを合法非合法問わない手段で調査していたダグラス大佐だったのだが、不思議な事にシキという名のアンドロイドのデータが存在しないのだ。

 新型看護型SS。つまりはマナ大尉の同型の素体になった機種について、何の情報もないなど考えられないことだ。

 ましてや、看護型は民間でも使用するタイプだ。軍事機密でデータベースから削除するほどの機種でもない。

 そうしてしばし頭を抱えていたダグラス大佐だったが、不意に思いついた。
 字だ。
 サガラ社のデータベースという事でシキという名称を日本語や英語のみで調査していたが、日本に本社を置く会社だ。

 日本語では漢字を用いる。そしてしばしば、その読みは当の日本人ですら理解できないような奇妙な物が充てられることがある。

 それに読み仮名の情報がなければ、単純な検索や低機能AIでは見つける事が出来ない、難データの完成だ。

 とはいえ、その発想に至れば超高性能AIでもある参謀型SSにとっては朝飯前だ。
 ダグラス大佐は機嫌よく、条件を変更してデータベースを漁った。

 そして、数秒もしないうちに該当するデータを見つけた。

 そして、びくりと体を震わせた。

「なんだ、こりゃあ……」

 しばし愕然とした。
 本当にこれが、一木弘和の愛したパートナーアンドロイドのデータなのかと、何度も見直した。

 しかし、製造年月日や分かる範囲の経歴。
 そして何より、惑星ギニラスで全損という最終経歴が、そのデータが正しいことを示していた。


 新型看護型SS技術実証試験用SL ”死期シキ”。


 死期。命が尽きる時を表す日本語。
 当然ながら、看護型アンドロイドにつける名ではない。

 その異常に場違いで、不気味な文字に、ダグラス大佐はアンドロイドでありながら恐ろしさを感じた。

 一木弘和は、パートナーアンドロイドにしていたのだ?

「虎穴に入らずんば虎子を得ず……とも言うか……」

 自身を律する感情がもたらす寒気を感じながら、ダグラス大佐はある決断をするのだった。
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