姉はすべてを支配する。さればわれらも姉に従おう。

さいきごそ

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お見合い狂想曲

縁談

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「いやいや、そこは断るべきだろ」
 ロクは憤慨していた。
「ナナミさんの見合いだと? 誰に断って決めたんだよ、そんなふざけた話」
 母が持ち込んだ話を姉自身が決定したのだ。問題は、ない。
「……あるだろう」
 ない。
「おい、ナギ。お前、弟の自覚がなさすぎるぞ」
 弟の自覚ってなんだろう。
「至極美しい姉に持ち込まれた不当かつ不誠実な見合いをなかったことにすることだよ」
 どうしてその見合いが不当で不誠実だと分かるのだ。
「ナナミさんに持ち込まれた見合いはすべて不当かつ不誠実なんだよ」
 姉に見合い話が持ち上がったのは昨日の夜だった。
 発端は単身赴任中の父のあとを追いかけて僕たち姉弟と現在別居している母。
 結婚して二十数年経っているのにもかかわらず、未だに新婚気分が抜けない両親はとても仲がいい。母などは口を開けば近いうちに妹か弟ができるかもしれないなどとはしゃいでは僕を困惑させ、姉は姉で妹が欲しいと返すのが常だ。そしていつも最後には、

「お姉ちゃんと仲よくするのはいいけれど、赤ちゃん作ったりしちゃダメよ?」

 などとどこまで本気が分からない釘を刺したりする。
 たまに電話をしてきたかと思えばこんな感じだし、こちらから電話をすれば妹か弟を作っている真っ最中なのか後なのかやたらと荒い息遣いで出たりする確率があまりに多いので、正直、連絡は取りたくないのが本音だ。
 そんな両親に辟易するたび、姉にそれは子供にとって幸せなことなんだからと諭される。
 夫婦仲の悪さから不幸になる子供の事を考えれば、至極まっとうなことのようにも思えるけれど、夫婦の営みまで赤裸々に語られて愉快な気分になれるものでもない。
 いつものように母の諭告を賜ったあと、極力、静かに受話器を置くと姉はくすくすと笑っていた。どういう内容だったのか知っているのかもしれない。
 ごまかすように見合いの日時を訊くと、来週の日曜だという。世間では黄金週間が始まり何かと賑やかになる頃だ。
 昨今のお見合い事情など皆目見当がつかないけれど、身上書とか写真はなし、両家とも親は同席せずに当人同士でいきなり会うらしい。
 当日、先方は付き添い人がやって来るということで、一緒に来る? と誘われたけれど、どうしたものかと口ごもってると無理しなくてもいいわよと姉の方から話は打ち切られた。
 知り合いの知り合いの知り合い経由という、相当いかがわしいものだったけれど、母曰く出自のしっかりした人物らしい。
 知り合い(以下略)の顔を立てる意味でなのか、あるいはなにごとも経験だという甘言にそそのかされたからなのか、てっきり姉は断るものだと思っていただけに、会うだけ会ってみると返事したときにはけっこう驚いた。
「ナナミさんは人がいいからなあ」
 朝特有ののんびりとした空気が漂う中、ひとの席の前に逆座りしながら口も滑らかにロクは続ける。
「どこのどいつなんだよ、ナナミさんと見合いをしようなんて不謹慎なヤローは」
 出自はしっかりしていると聞いたからその辺は問題はないんだろう。大体なにを持って不謹慎な人物って決め付けるんだか。
「ナナミさんと見合いする時点でじゅうぶん不謹慎だ」
 見えない相手を徹底的に否定したらしい。
 姉のことになると、何かに理由をつけて話しに割って入ってくる左衛門三郎のお嬢様が今日は大人しい。というより、何か不愉快そうな表情でこちらをちらちら見ているような気もする。
 休み時間のたびに姉の話を持ち出しては愚痴るロクは、昼休みも当然のように不当で不誠実な見合いと不謹慎な相手に対してバッシングの手を緩めることはなかった。
 食事のときくらいおとなしく出来ないのかといい加減、閉口していると、こちらの心中でも察したのか、忙しなく動かしていた口がふいに止まった。
 視線の先が僕の斜め後方を捉えている。
 今日は一緒のテーブルにいる、隣りのシギも同じ場所を見つめている。
 振り向くのと、あの、というか細い声が耳に届いたのは同時だった。その聞き覚えのある、胸がざわめくようなシルキーボイスに息が詰まりそうになる。
 肩甲骨の辺りまで伸びた艶やかで上品な黒はどこまでもきらびやかで、横に流された前髪は薄くやわらかな生地で作られた小さな小さな花びらを模ったコサージュで控えめに押さえられていた。
 決して食堂ここやシギたちが不浄なわけではないのだけれど、そこに存在しているだけで辺りが浄化されてゆく気さえしてくる。
 羽二生さんの透明感あふれる瞳からは確固たる決意とわずかながら躊躇いが見て取れた。
 彼女の言葉を待っていると、後者が勝ったのか、定まらない視線と口ごもった声でたちまち消え入りそうに揺らめきはじめる。
 選択肢を間違えると、群れからはぐれた銀色の液状モンスターの如くあっという間に立ち去りそうな緊張感。
 もっと見ていたいという思いとなるべく視線を合わせたくないという思い。
 彼女が僕に近づく理由は悲しいくらい分かっている。
「……姉さんのこと……だよね?」
 風にそよぐ華奢ではかない花のように小さく頷く。
 ロクは明らかに何用だとでもいいたげに眉と口を曲げている。
「……ナナミさんがお見合いするって、聞いたの、だけど……」
 動揺を抑え込もうとして意識してしまい、かえって挙動不審に見えてしまう感じで羽二生さんは途切れ途切れに言葉を押し出す。
 伏し目がちにちらちらとこちらを窺い見、もごもごと唇を窄めるしぐさは途方もなく可愛かった。しかし羽二生さん本人はもちろん、シギやロクに気取られてはいけない。
 油断すると一気に崩れそうな口元をくっと引き締める。
 羽二生さんの挙動がいよいよあやしくなっていく。真相を知りたい気持ちとそれを探る恥ずかしさとが鬩ぎ合っているのだろうか。感情のコントロールが利かなくなってだんだんと表情が曇っていくのが手に取るように分かった。とても気の毒でなにかこっちまで泣きたくなってしまいそうになる。
 件のお見合いは来週の日曜日にあるということ以外分からない。中途半端な情報を提示するよりも場所も含めてはっきりしてからの方が羽二生さんもありがたいかもしれない。
「詳しいことが分かったら、必ず羽二生さんに教えるから」
 フロアに視線を泳がせていた羽二生さんの顔が一瞬で華やぎ、ほんとう? と薄く品のある唇が弾んだ。
 もう一度、必ず教えるからと自分でも驚くくらい大きな声で自分に念を押すようにいう。
 羽二生さんはありがとうと微笑みを添えて頷くと、身体を滑らせるように優雅に翻し去って行った。
「上手く追っ払ったな」
 稚気を帯びたその声に夢見心地だった気分が霧散する。ハッと我に返ると一連のやり取りを凝視していたロクがしたり顔を見せていた。
 瞬間、羽二生さんへの対応に解れがあったのではないか、上気した表情から何かを読み取られたのではないかと不安に駆られる。
「ああはいってたけど、教えないんだろう?」
 どうやら羽二生さんへの気遣いは適当にあしらうための方便だったと解釈したらしい。
「だいたいあいつ、女のくせに桃色オーラ全開でナナミさんにまとわりつきやがって鬱陶しいんだよ」
 レズノ・・・ちゃんはよ、と羽二生さんを独特の言い回しで腐す。
 羽二生さんへの侮辱は心底、腹が立ったけれど、ムキになるわけにもいかない。
 イマジネーションを働かせて、目の前で得意顔を作っているロクにエアデコピンをお見舞いしておく。
「相手の人が気に入ったら、お姉ちゃん、結婚するのかなあ」
 誰ともなしにシーザーサラダのクルトンを転がしながらそういうシギに、ロクは過剰に反応してみせる。
「ないないない。ナナミさんなら男の方は放っておかないだろうが、ナナミさんほどの女が見合いごときで知り合った男に靡くわけないだろ。ナナミさんとつき合いが長いくせにそんなことも分からんとか、シギヤはまだまだお子ちゃまだな」
 シギはむぅと低く唸って、残りのサラダに取り掛かった。
 姉(ほどの女)が見合い(ごときで知り合った)相手に靡かない保障などどこにもないけれど、いちいち口にするのも馬鹿げてるのでスルーした。
 そのあともロクは滔々と姉の見合いの不条理さ、いかがわしさなどを持てるすべての知見を総動員して解説するのだった。

               *

にのまえ君」
 延々と見合い話に対する激情を淀みなく撒き散らすロクを捨て置き教室に戻る途中、十鳥さんに出会った。
 シギへのお見舞いスイーツを買いに瓊紅保駅前のデパートで出会って家に招待され、お茶菓子をお供に色々と話すうちに打ち解けたものの、イワさん以外の家族のことでちょっと空気がおかしくなったままお暇して以来だ。
 たかだか数日前のことなのに、もうずいぶん昔のことのように思えるのは彼女との距離感がそうさせているのだろうか。
 両親が健在で現在離れて暮らしているということまでは聞いたというか、彼女が話してくれたけれど、それ以上のことは話さなかったし僕も訊かなかった。
 興味があるない以前にデリケートそうな事案だったし、内容がヘビィなものだったらどういう顔をしたらいいかわからない。
 こちらが好奇心を隠すことなく求めれば、十鳥さんはこちらの心情など構わずに、淡々と詳細を話してくれただろうけれど、僕はそれらを受け止める勇気も度量もあいにく持ち合わせていない。
 触れてはいけないものに触れてしまったような罪悪感と呼ぶにはいささか軽い後悔の念に苛まれていると、彼女につまらない話をしてしまってごめんなさいと逆に謝られてしまった。
 そんな言葉を玄関先まで見送ってくれた十鳥さんの口から聞いたときには、いつもと同じ凛とした顔つきではあったけれど、どこか憂いを染み込ませたような声調が彼女の心に翳を揺らめかせている気がして、思わず元気を出してねとかいい出しそうになってしまった。
 そんなことは大きなお世話だし、第一、何に対しての元気を出してなのか。
 どこか不明瞭な気持ちを抱いたまま彼女と別れていたので、正直、気まずかった。
 ……そういえば、十鳥さんとはいつもこういう感じで会ったり別れたりな気がする。
「この間はいきなり誘ったりしてごめんなさい」
 人のことはいえないけれど、十鳥さんもよく謝る人である。
「そんなことないよ。すごく楽しかった」
 世辞ではない。最後の数分はともかく、楽しいひとときであった。久しぶりのばあちゃん菓子は美味しかったし、イワさんもお茶目で素敵なご婦人だった。
「あとになって考えたのだけど、何か用があったのにムリをさせたんじゃないかと気になっていたの」
 確かにあの日はスイーツを買いにデパートへ行ったのだけど、結果的に見舞いは行けたし、シギは元気になったしで問題はない。
 そういえば十鳥さんもあそこにいたということは、何か用事があったのだろうか。
「春に越して来てまだ街をよく知らないから、時間を見つけては市内を歩いているの」
 ここでひと呼吸置くと、それで、と十鳥さんは視線を下に落としていい淀んだ。いつも毅然としているイメージがあるのでこういう彼女は妙に新鮮な気がする。
「来週の日曜日なのだけれど、一君は何か予定があるのかしら」
 特に予定はなかった。というか僕の場合、先々まで予定があることの方がめずらしい。
 その旨を十鳥さんに伝えると買い物に付き合って欲しいと切り出した。
 断る理由もないので、承諾すると十鳥さんはホッとしたように微笑んだ。
「この間は一君の都合も聞かずに勝手に約束して、迷惑をかけてしまって」
 偽メモ事件があった日のことをいっているのだろう。再び、ごめんなさいと続けた。
「気にしてないよ、全然」
 ファーストインプレッションが強烈だったから、声をかけられてちょっと構えていた分、いきなりの約束に呆気に取られはしたものの、特に問題はなかった。嘘ではない。
「私、誰かと約束したり誘ったり……今までそういうことに無縁だったから、上手く立ち回れなくて」
 申し訳なさげに目を伏せ下唇を噛む十鳥さんはこのまま謝りつづける気がしたので、押し止める意味で待ち合わせの場所と時間を決めるべく切り出した。
 十鳥さんはハッと顔を上げると、僕をじっと見つめ、相好を崩し、ありがとうといった。
 陽だまりを思わせるその笑顔が何か照れくさくて誤魔化すように話を進めた。
 約束の内容を確認し、十鳥さんと別れたあと、僕への二人称代名詞がさん・・からくん・・に変わっていたことに気が付き、なんだか不思議な心持ちで教室に戻った。
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