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姉の居ぬ間に
黒塗・前編
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「一さん、私のために三流ポールダンサーに抗議してくれたんだ」
一ナナギにプールに誘われて以降のティナは上機嫌であった。元からテンションの高い女子ではあるけれど、明らかにパワーアップしている。
話題の中心はもうこれで何度目か分からないティナたちがプールで遭遇したという豹柄ポールダンサーたちとの揉めごと。あのツイヒジさんはティナをやり込めたらしいけれど、それはその場に一ナナギがいたからである。ストッパーがいなかったら手も口も早いティナ相手にただで済むはずもない。豹柄さんは一ナナギに感謝すべきだろう。
もっとも男子に守られるという経験をしたのがよほどうれしかったのか、このように会うたびにあの日のことを嬉々と語っているのでそれはそれでティナにとってはおいしいシチュエーションだったらしい。
「あのときさ、マジで濡れちゃった」
白のキャミソールワンピースに黒のベンハーサンダルのティナがうっとりと目を細めた。お気に入りだというレザーサンダルはくるぶしに巻かれたベルトから垂れ下がっているフリンジがインパクト抜群だった。
どことなくアマゾネスを髣髴とさせるけれど、せっかく上機嫌なティナを怒らせたくはないので口にはしない。
「あの日の夜、頼もしい一さんを思い返しながら三回も一人エッチしちゃった」
ティナの艶話は馴れてはいるはずだけれど、顔も分からない男子とは違ってよく知っている一ナナギが相手なので、妙な気がしてしょうがない。
「十五夜さんの妹さんを抱きながら、これが一さんとの赤ちゃんだったらなあとか何度も妄想したおかげで夢の中でしっかり子作りに励んじゃってさ、目が覚めてからもう一回、一人エッチかましちゃったよ」
性欲旺盛なティナの手には紙袋からあふれんばかりの大判焼きが顔を覗かせている。食欲もしっかり旺盛のようでなによりだ。
瓊紅保駅の裏手にある商店街の外れ、市民から忘れ去られたかのような児童公園のベンチで食べる大判焼きは久しぶりということを差し引いてもおいしかった。この店は私たちが生まれるずっと前からタクシー会社の隅、空いてるスペースに陣取られた狭い店舗で連綿と営まれているお店だそうで、今の主人である人懐っこい笑顔が人気のおばさんは三代目らしい。タクシー会社の道を挟んだ向かいにはスーパー――十鳥オガミ行きつけのおしゃれ工房と隣接しているあのスーパーチェーンらしい――もあったそうだけれど、ずいぶん昔に撤退したとかで今は駐車場だ。大判焼きの種類は小豆とカスタード、それらに生クリームを半分づつ入れたハーフバージョンも存在する。ティナは小豆と生クリームのハーフタイプがお気に入りらしく、必ずそれをふたつ注文するのが慣例だけど、機嫌がいいからなのか単純に空腹だからなのか、今日は五つも買っていた。
カスタードと生クリームのハーフが大好きなシーナは用事があるとかで今日は振られた。ちなみに私は生チョコバージョン。ティナには邪道だと大不評の一品。お姉ちゃんはそれに生クリームを合わせた生チョコハーフが大好きなので、予定より一日遅れでようやく帰ってくる愛しの姉上のためにお土産に買っておいた。
ひと頻り一ナナギへの劣情を訴えかけたティナが次に口にしたのは、トナベユウキやツイヒジメグムのいわゆるナスコンのことであった。
「あの連中、最近メンバー増やすのに躍起になってない? 南小時代に仲良かった子たちに訊いたら、ナスコンかどうかはっきりしないけど、妙なサークルへの勧誘を受けたって話があったとかいってた」
南小とは瓊紅保南小学校のことでティナの母校だ。シーナや私が瓊紅保に越してきて転入したのは瓊紅保中央小学校。十五夜さんは瓊紅保小学校、地元の若年層からは無印と呼ばれている小学校の出身だそうだ。あのライオンみたいなツイヒジとやらは台小と呼ばれる瓊紅保ヶ台小学校で、おそらくトナベユウキもそうだろうということであった。
「たこつぼ牛耳ってるのって瓊紅保商科大学付属って噂あるけどさ、あのポールダンサーが元締めかね」
正直、それはないだろうという確信があった。むしろ組織の中で立場が上なのは一緒にいたトナベユウキではないだろうか。あの知計に長けた切れ長の瞳は今思い出しても嫌な感じがする。ただ、十五夜さんは見たことのない生徒だといっていたし、もしトナベユウキがそうだとした場合、さらに別の学校が窓口になっている可能性もある。気になるのはみほが通ってる瓊紅保第一高等学校、通称イチコーにもメンバーがいるらしく、持ちかけられた話はやはり商科大学付属の生徒と遊ばないかという内容で、みほの友人のれんという女子が声をかけられたそうだ。瓊紅保第一は進学校で有名なところで生徒の比率は8:2で圧倒的に女子が多いのが特徴だ。探りを入れてみたいけど、みほを巻き込むのは気が引ける。
「まあ、そんな連中は徹底的に無視すればいいんだけどさ、自分の知ってる子らが巻き込まれるのは気分悪いしなー」
ティナからすれば、一ナナギがナスコンメンバーに声をかけられたというだけで気が気ではないのだろう。
「クシナも目をつけられたんでしょ」
執拗なヤエガキの誘いといい、トナベユウキの接触といい、行き着く先はやはりナスコンなのだろう。若干の懸念を意思の固そうな瞳に乗せているティナに笑いかける。
「相手にしなければいいだけよ」
私の言葉に自分を納得させるみたいに大判焼きにかぶりつくティナを見つめながら、もし自分の親友たちが巻き込まれる事態になったら、徹底抗戦するつもりであった。
「むおッ?」
大判焼きを頬張ったまま、ふいにティナが声を上げた。目線につられて後方を見遣ると、大柄の坊主頭が女子と揉めているようだった。
「こんなさみしい通りで修羅場とか趣味悪くない?」
修羅場かどうかはともかく、状況的に尋常ではないのは確かだ。
「どうする?」
トラブルは御免だ。しかし、伺いを立てたティナの目は戦闘モードに入っていた。心置きなく男を殴れるチャンスを逃したくはないらしい。
こっちの意見を聞く前に熱々の紙袋を私に預けると、軽くシャドーをしながらふたりに近づいていった。
「その人、嫌がってるじゃん」
ティナの威圧的な声に坊主頭が水を差すなといわんばかりに睨んできた。こういう目はジムに出入りしていた頃から見慣れたものだ。それはティナも同じ。怯むに値しない。
前髪を巻き上げるいわゆるポンパドールにしたご令嬢然としたその女子は、膝丈ワンピースにサマーカーディガンを合わせていた。一方のシンプルな丸首の黒Tシャツの上からでもはっきりと分かる分厚い胸板の大男はダメージ仕様のデニムにドイツ生まれのサンダルを履いていた。大男が警戒態勢に入ったのか、じゃりっと砂を踏み締める音と共に首からぶら下がっているIDタグが鋭利な光を放った。
「かンけーねェやつはダマってチャくンねェかなァ」
独特のイントネーションが耳障りな男だった。あごひげとピアスもたいへん鬱陶しい。
「白昼堂々、女を連れ去るとか悪趣味なことするやつに指図されたくない」
ティナは見ず知らずの女をナンパしているように考えていたみたいだけど、ふたりはたぶん知己、それも相当に濃くて深い間柄に思えた。
「オレたチはコイビトドーシなンだよ」
そのセリフにティナが助けを求めるみたいにこちらをみた。息を大きくつくと、紙袋を抱えたままポンパドールさんに訊く。
「ただの痴話喧嘩なら非礼を詫びて大人しく立ち去ります。もしそうじゃなくても、無関係な人間の助けはけっこうというのなら、やはり黙って退散しますがどうですか」
ポンパドール夫人の答えは明快だった。
「もう関係のない人です、できれば助けを呼んでもらえますか」
「おイ、そリゃアねェダろ」
ティナはサンドバッグ決定とばかりに嬉々とシャドーを再開した。
「なンだよ、こイつもボクシングかよ」
も、といういい方が気になるけれど、それ以上にティナのシャドーを目にした瞬間の大男の怯え方が尋常じゃなかった。風体から察するに異常な殺気を巻き散らしながらティナに向かってくると思っていただけに拍子抜けではあるけれど、揉め事に発展しないのならそれに越したことはない。
と、そのときだった。
駅裏、東口方面からやって来た車が止まった。まるでポンパドールさんと大男を割るみたいな止め方は車体の黒光り加減とその体積に反して不気味なほど静かな中絶具合と相俟ってとても嫌な感じがする。
左ハンドルのそれは外車、それも助手席と後部座席のハンドルが隣り合っている観音開きタイプのドアからしてけっこうなお値段のする高級車だ。子供の頃に走る不動産だと四郎丸の伯父さんに教えられた、まぼろしとか亡霊とかいう大層な名前がついた最上級セダン。
そういう伯父さんはフロントグリルを挟んだ左右にライトがふたつづつ並んだ、ボンネットで豹のマスコットが飛び跳ねてる黒いセダンに乗っている。
訝っていると助手席が開いた。
てっきり制帽に白い手袋をしたショーファーが降りてドアを開けに出てくるとかまえてしまった自分が情けない。
「探しましたよ、シュンさん」
出てきたのは白い半袖ブラウスにネクタイ、ビスチェみたいな黒いベストを着込んだ男子だった。いや、パンツルックやベリーショートからそう見えるだけで、声は女子と思われるけれど、自信はない。
シュンと呼ばれた大男は車を見かけた辺りからさらに色を失って気の毒になるくらい絶望的な表情をしている。
「革張りのシートはこんなにもやわらかくて心地いいのに、どうして人生を複雑に考えるんですか。もっとシンプルにいきましょう」
どこか優男風の男女の判別がいまいちつかないその人は散文的な文言を歌うように口にしながらまるで執事みたいな身のこなしで手を差し伸べた。
「さあ、乗ってください」
中性的な笑みで大男に話しかける様は聞き分けのない弟を叱る兄のようでもあった。
「も、モう、カンベンしチャ……くン、ねェか」
シュンと呼ばれた大男はもう涙声だった。
「ジュンさんのいいつけを守らないあなたが悪いんですよ」
「……あ、あンたらとはモう、カカわりアいたくねェンだ」
やり取りと見る限り、大男の方が立場が下に思えるけれど、どう考えてもベリーショート君の方が若い。きっと私たちと同学年が一つ上くらいの差。
「さあ、大人しく我々と一緒に帰ってください」
大男のシュン君は首を横に振りながら、後退りを始めた。明らかにこのベリーショート君に怯えている。
「……ちょ、ちょっと!」
さっきまで敵対関係にあったはずの大男が自分の後ろに身を縮こませればティナではなくとも困惑するだろう。ポンパドールさんは逃げるつもりはないのか表情こそ硬いけれど泰然としている。
ベリーショート君はティナや私にすみませんとアタマを下げると、ゆっくりと、しかし無駄のない速度でシュン君に近づき、あっという間に丸太みたいなその腕を掴んだ。
驚嘆の息がティナのくちびるから漏れた。ひょっとすると、私だったかもしれない。それほど鮮やかな動きであった。リングなら手痛い一発を浴びていたかもしれない。
――いや、勝負が決する深刻な一発。
「さあ、いきますよ」
まるで処刑にでも向かうような面持ちでシュン君が後部座席に押し込まれる瞬間、その奥にもう一人乗っているのが見えた。軽いウェーブのかかったロングの黒髪の女子は涼しげな相貌でじっと前を見つめていた。高級車に佇むシチュエーションといい、どこかのお嬢様なのだろうか。ベリーショート君と同じ服装から今どきめずらしいペアルックかとも思ったけれど、ひょっとするとどこかの制服なのかもしれない。たた向こうはパンツルックではなく、ミニスカートであった。
今にも泣き出しそうなシュン君がおずおずと乗り込むと、軽いロングウェーブのお嬢様は前を見据えたまま怯えまくっている隣りの男の手を取り、撫ではじめた。なぜだかその仕草にいい知れない恐怖を覚える。
「お騒がせしました」
なにごともなかったように後部ドアを閉め、丁寧な辞儀を済ませるとベリーショート君は助手席に乗り込んだ。
「なによ、あれ」
どんどん小さくなっていく黒塗りの高級車を見送りながらティナが興を殺がれたかのようにぼやく。
「迷惑かけてしまったみたいで、ごめんなさい」
ティナとふたりで呆気に取られていると、ポンパドールさんの声が聞こえた。
「よく分からないけど、あれでよかったの?」
ティナの問いかけにポンパドールさんはええ、と小さく頷いてはいたけれど、納得している風ではなかった。
「ああ、思い出した!」
素っとん狂な声はティナ。
「あの格好、お嬢様学校の制服じゃん! 聖あう、あう、なんてったっけ」
「聖アウトン女学園」
助け舟を出したのはポンパドールさんだった。
その顔はやはり、笑ってはいなかった。
一ナナギにプールに誘われて以降のティナは上機嫌であった。元からテンションの高い女子ではあるけれど、明らかにパワーアップしている。
話題の中心はもうこれで何度目か分からないティナたちがプールで遭遇したという豹柄ポールダンサーたちとの揉めごと。あのツイヒジさんはティナをやり込めたらしいけれど、それはその場に一ナナギがいたからである。ストッパーがいなかったら手も口も早いティナ相手にただで済むはずもない。豹柄さんは一ナナギに感謝すべきだろう。
もっとも男子に守られるという経験をしたのがよほどうれしかったのか、このように会うたびにあの日のことを嬉々と語っているのでそれはそれでティナにとってはおいしいシチュエーションだったらしい。
「あのときさ、マジで濡れちゃった」
白のキャミソールワンピースに黒のベンハーサンダルのティナがうっとりと目を細めた。お気に入りだというレザーサンダルはくるぶしに巻かれたベルトから垂れ下がっているフリンジがインパクト抜群だった。
どことなくアマゾネスを髣髴とさせるけれど、せっかく上機嫌なティナを怒らせたくはないので口にはしない。
「あの日の夜、頼もしい一さんを思い返しながら三回も一人エッチしちゃった」
ティナの艶話は馴れてはいるはずだけれど、顔も分からない男子とは違ってよく知っている一ナナギが相手なので、妙な気がしてしょうがない。
「十五夜さんの妹さんを抱きながら、これが一さんとの赤ちゃんだったらなあとか何度も妄想したおかげで夢の中でしっかり子作りに励んじゃってさ、目が覚めてからもう一回、一人エッチかましちゃったよ」
性欲旺盛なティナの手には紙袋からあふれんばかりの大判焼きが顔を覗かせている。食欲もしっかり旺盛のようでなによりだ。
瓊紅保駅の裏手にある商店街の外れ、市民から忘れ去られたかのような児童公園のベンチで食べる大判焼きは久しぶりということを差し引いてもおいしかった。この店は私たちが生まれるずっと前からタクシー会社の隅、空いてるスペースに陣取られた狭い店舗で連綿と営まれているお店だそうで、今の主人である人懐っこい笑顔が人気のおばさんは三代目らしい。タクシー会社の道を挟んだ向かいにはスーパー――十鳥オガミ行きつけのおしゃれ工房と隣接しているあのスーパーチェーンらしい――もあったそうだけれど、ずいぶん昔に撤退したとかで今は駐車場だ。大判焼きの種類は小豆とカスタード、それらに生クリームを半分づつ入れたハーフバージョンも存在する。ティナは小豆と生クリームのハーフタイプがお気に入りらしく、必ずそれをふたつ注文するのが慣例だけど、機嫌がいいからなのか単純に空腹だからなのか、今日は五つも買っていた。
カスタードと生クリームのハーフが大好きなシーナは用事があるとかで今日は振られた。ちなみに私は生チョコバージョン。ティナには邪道だと大不評の一品。お姉ちゃんはそれに生クリームを合わせた生チョコハーフが大好きなので、予定より一日遅れでようやく帰ってくる愛しの姉上のためにお土産に買っておいた。
ひと頻り一ナナギへの劣情を訴えかけたティナが次に口にしたのは、トナベユウキやツイヒジメグムのいわゆるナスコンのことであった。
「あの連中、最近メンバー増やすのに躍起になってない? 南小時代に仲良かった子たちに訊いたら、ナスコンかどうかはっきりしないけど、妙なサークルへの勧誘を受けたって話があったとかいってた」
南小とは瓊紅保南小学校のことでティナの母校だ。シーナや私が瓊紅保に越してきて転入したのは瓊紅保中央小学校。十五夜さんは瓊紅保小学校、地元の若年層からは無印と呼ばれている小学校の出身だそうだ。あのライオンみたいなツイヒジとやらは台小と呼ばれる瓊紅保ヶ台小学校で、おそらくトナベユウキもそうだろうということであった。
「たこつぼ牛耳ってるのって瓊紅保商科大学付属って噂あるけどさ、あのポールダンサーが元締めかね」
正直、それはないだろうという確信があった。むしろ組織の中で立場が上なのは一緒にいたトナベユウキではないだろうか。あの知計に長けた切れ長の瞳は今思い出しても嫌な感じがする。ただ、十五夜さんは見たことのない生徒だといっていたし、もしトナベユウキがそうだとした場合、さらに別の学校が窓口になっている可能性もある。気になるのはみほが通ってる瓊紅保第一高等学校、通称イチコーにもメンバーがいるらしく、持ちかけられた話はやはり商科大学付属の生徒と遊ばないかという内容で、みほの友人のれんという女子が声をかけられたそうだ。瓊紅保第一は進学校で有名なところで生徒の比率は8:2で圧倒的に女子が多いのが特徴だ。探りを入れてみたいけど、みほを巻き込むのは気が引ける。
「まあ、そんな連中は徹底的に無視すればいいんだけどさ、自分の知ってる子らが巻き込まれるのは気分悪いしなー」
ティナからすれば、一ナナギがナスコンメンバーに声をかけられたというだけで気が気ではないのだろう。
「クシナも目をつけられたんでしょ」
執拗なヤエガキの誘いといい、トナベユウキの接触といい、行き着く先はやはりナスコンなのだろう。若干の懸念を意思の固そうな瞳に乗せているティナに笑いかける。
「相手にしなければいいだけよ」
私の言葉に自分を納得させるみたいに大判焼きにかぶりつくティナを見つめながら、もし自分の親友たちが巻き込まれる事態になったら、徹底抗戦するつもりであった。
「むおッ?」
大判焼きを頬張ったまま、ふいにティナが声を上げた。目線につられて後方を見遣ると、大柄の坊主頭が女子と揉めているようだった。
「こんなさみしい通りで修羅場とか趣味悪くない?」
修羅場かどうかはともかく、状況的に尋常ではないのは確かだ。
「どうする?」
トラブルは御免だ。しかし、伺いを立てたティナの目は戦闘モードに入っていた。心置きなく男を殴れるチャンスを逃したくはないらしい。
こっちの意見を聞く前に熱々の紙袋を私に預けると、軽くシャドーをしながらふたりに近づいていった。
「その人、嫌がってるじゃん」
ティナの威圧的な声に坊主頭が水を差すなといわんばかりに睨んできた。こういう目はジムに出入りしていた頃から見慣れたものだ。それはティナも同じ。怯むに値しない。
前髪を巻き上げるいわゆるポンパドールにしたご令嬢然としたその女子は、膝丈ワンピースにサマーカーディガンを合わせていた。一方のシンプルな丸首の黒Tシャツの上からでもはっきりと分かる分厚い胸板の大男はダメージ仕様のデニムにドイツ生まれのサンダルを履いていた。大男が警戒態勢に入ったのか、じゃりっと砂を踏み締める音と共に首からぶら下がっているIDタグが鋭利な光を放った。
「かンけーねェやつはダマってチャくンねェかなァ」
独特のイントネーションが耳障りな男だった。あごひげとピアスもたいへん鬱陶しい。
「白昼堂々、女を連れ去るとか悪趣味なことするやつに指図されたくない」
ティナは見ず知らずの女をナンパしているように考えていたみたいだけど、ふたりはたぶん知己、それも相当に濃くて深い間柄に思えた。
「オレたチはコイビトドーシなンだよ」
そのセリフにティナが助けを求めるみたいにこちらをみた。息を大きくつくと、紙袋を抱えたままポンパドールさんに訊く。
「ただの痴話喧嘩なら非礼を詫びて大人しく立ち去ります。もしそうじゃなくても、無関係な人間の助けはけっこうというのなら、やはり黙って退散しますがどうですか」
ポンパドール夫人の答えは明快だった。
「もう関係のない人です、できれば助けを呼んでもらえますか」
「おイ、そリゃアねェダろ」
ティナはサンドバッグ決定とばかりに嬉々とシャドーを再開した。
「なンだよ、こイつもボクシングかよ」
も、といういい方が気になるけれど、それ以上にティナのシャドーを目にした瞬間の大男の怯え方が尋常じゃなかった。風体から察するに異常な殺気を巻き散らしながらティナに向かってくると思っていただけに拍子抜けではあるけれど、揉め事に発展しないのならそれに越したことはない。
と、そのときだった。
駅裏、東口方面からやって来た車が止まった。まるでポンパドールさんと大男を割るみたいな止め方は車体の黒光り加減とその体積に反して不気味なほど静かな中絶具合と相俟ってとても嫌な感じがする。
左ハンドルのそれは外車、それも助手席と後部座席のハンドルが隣り合っている観音開きタイプのドアからしてけっこうなお値段のする高級車だ。子供の頃に走る不動産だと四郎丸の伯父さんに教えられた、まぼろしとか亡霊とかいう大層な名前がついた最上級セダン。
そういう伯父さんはフロントグリルを挟んだ左右にライトがふたつづつ並んだ、ボンネットで豹のマスコットが飛び跳ねてる黒いセダンに乗っている。
訝っていると助手席が開いた。
てっきり制帽に白い手袋をしたショーファーが降りてドアを開けに出てくるとかまえてしまった自分が情けない。
「探しましたよ、シュンさん」
出てきたのは白い半袖ブラウスにネクタイ、ビスチェみたいな黒いベストを着込んだ男子だった。いや、パンツルックやベリーショートからそう見えるだけで、声は女子と思われるけれど、自信はない。
シュンと呼ばれた大男は車を見かけた辺りからさらに色を失って気の毒になるくらい絶望的な表情をしている。
「革張りのシートはこんなにもやわらかくて心地いいのに、どうして人生を複雑に考えるんですか。もっとシンプルにいきましょう」
どこか優男風の男女の判別がいまいちつかないその人は散文的な文言を歌うように口にしながらまるで執事みたいな身のこなしで手を差し伸べた。
「さあ、乗ってください」
中性的な笑みで大男に話しかける様は聞き分けのない弟を叱る兄のようでもあった。
「も、モう、カンベンしチャ……くン、ねェか」
シュンと呼ばれた大男はもう涙声だった。
「ジュンさんのいいつけを守らないあなたが悪いんですよ」
「……あ、あンたらとはモう、カカわりアいたくねェンだ」
やり取りと見る限り、大男の方が立場が下に思えるけれど、どう考えてもベリーショート君の方が若い。きっと私たちと同学年が一つ上くらいの差。
「さあ、大人しく我々と一緒に帰ってください」
大男のシュン君は首を横に振りながら、後退りを始めた。明らかにこのベリーショート君に怯えている。
「……ちょ、ちょっと!」
さっきまで敵対関係にあったはずの大男が自分の後ろに身を縮こませればティナではなくとも困惑するだろう。ポンパドールさんは逃げるつもりはないのか表情こそ硬いけれど泰然としている。
ベリーショート君はティナや私にすみませんとアタマを下げると、ゆっくりと、しかし無駄のない速度でシュン君に近づき、あっという間に丸太みたいなその腕を掴んだ。
驚嘆の息がティナのくちびるから漏れた。ひょっとすると、私だったかもしれない。それほど鮮やかな動きであった。リングなら手痛い一発を浴びていたかもしれない。
――いや、勝負が決する深刻な一発。
「さあ、いきますよ」
まるで処刑にでも向かうような面持ちでシュン君が後部座席に押し込まれる瞬間、その奥にもう一人乗っているのが見えた。軽いウェーブのかかったロングの黒髪の女子は涼しげな相貌でじっと前を見つめていた。高級車に佇むシチュエーションといい、どこかのお嬢様なのだろうか。ベリーショート君と同じ服装から今どきめずらしいペアルックかとも思ったけれど、ひょっとするとどこかの制服なのかもしれない。たた向こうはパンツルックではなく、ミニスカートであった。
今にも泣き出しそうなシュン君がおずおずと乗り込むと、軽いロングウェーブのお嬢様は前を見据えたまま怯えまくっている隣りの男の手を取り、撫ではじめた。なぜだかその仕草にいい知れない恐怖を覚える。
「お騒がせしました」
なにごともなかったように後部ドアを閉め、丁寧な辞儀を済ませるとベリーショート君は助手席に乗り込んだ。
「なによ、あれ」
どんどん小さくなっていく黒塗りの高級車を見送りながらティナが興を殺がれたかのようにぼやく。
「迷惑かけてしまったみたいで、ごめんなさい」
ティナとふたりで呆気に取られていると、ポンパドールさんの声が聞こえた。
「よく分からないけど、あれでよかったの?」
ティナの問いかけにポンパドールさんはええ、と小さく頷いてはいたけれど、納得している風ではなかった。
「ああ、思い出した!」
素っとん狂な声はティナ。
「あの格好、お嬢様学校の制服じゃん! 聖あう、あう、なんてったっけ」
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