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善意
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振興部としての活動、それはよくいえばボランティア、悪くいえば何でも屋のそれであり、声がかかれば、どこぞの居酒屋における「よろこんで!」の精神で駆けつける様はボランティアの範疇を甚だしく逸脱していた。それが分かって入部したとはいえ、釈然としないのも事実ではあった。
ゴミ拾い、草むしり、リサイクルの仕分け、公共施設の清掃、イベントの手伝い等、青少年の健全な精神を培うという大義名分を振りかざせば、町内会レベルの雑事から公的機関におけるスタッフ並みの重労働まで、「よろこんで!」参加させていただくのであった。
そんな中、救いだったのは駅前等で見かける募金活動がないことである。小っ恥ずかしいこともあるが、俺はああいったものは人様の好意につけ込んだ、ゆるやかなユスりタカりの類だと思っている。そもそも道ゆく人に大声で金を出すように強要(※個人的感想)するなど正気の沙汰ではない。いつだったかショッピングモールに子連れの集団がそれをやっていたが、ほとんど無視される中、指示されたのか幼稚園ぐらいの子供が奇声レベルの大声で「お願いしまーす!」と張り上げる様はひたすら異様で痛々しく、恐怖すら覚えた。年端もいかない子供を使えば似た年頃の子供を持つ親世代や自分の孫と重ね合わせる老人は絆されるだろう的な考えが見え透いて非常に気味が悪い。同じ理由で難病に苦しむ救う会的なのもアウトだ。そもそも親や親戚、支持者連中がいったいどれだけ身銭を切ってるんだって話だ。自分たちの生活がギリギリ維持できるレベルまで金を作ってまだ足りない、だからお願いしますっていうのなら分かるのだが、はじめにてめえらでいったいどれくらいの金額を用意できたのか、集まった金の明細を含めて不透明すぎるのだ。実は親は高収入だとか、余った金を生活費に充てたとかそんな噂話を聞くたびに、自分のことではないのに、非常に不快な思いがする。そもそも難度の手術ゆえ待っている患者が多く、その順番を金で買っているなんて話まで聞くと、同じ病気で苦しんでいる他の子供を押しのけてまですることなのだろうかという気がする。とはいえ、事実だった場合に限り命にかかわることだし、絶対的に社会経験のないやつが偉そうに講釈を垂れるのもお門違いなのであろうが、誰に何をいわれようと募金的なモノは俺はいっさい信じないし、やる気もない。
意外だったのはお袋がそんな俺の話を支持したことである。お袋は募金の本質はそのほとんどが自称善人によるお節介か小悪党による安易な集金活動だといい切った。
「むかし経済方面の評論家だったかがさ、慈善ってのは自己満足だから、本人はきっと気持ちいいのだろうが、傍から見ると実に滑稽で苦々しい、にも係わらず愛だの貧しい人に救いの手を、なんだと訴える輩が後を立たないのは、何の苦痛も伴わない、その割に自分は実害を被ることが皆無の、お手軽なお題目だからって看破してたよ」
そういった活動に世間はふつう好意的だし、翻ってこの手の行為に対して批判しようものなら場合によっては非人道的な目で見られることが多い、つまり叩かれることからも守られることになる。うまく軌道に乗れば、新たな仕事につながったり、社会的評価も上がるしで、まさに慈善活動がもたらすローリスクハイリターンの恩恵を受けることになる。
「募金そのものを否定はしないよ。例えば未曾有の大災害が起きた。困っている地域や住人のために、ってんなら分かる。だけど、そういう事例にかかわらず、光と影じゃないけどさ、善意が働く裏で悪意もうごめくのさ。純然たる思いで集められた純然たる金が純然たる機関に流れる、とは限らない。こういうのは疑ったらキリがないけど、募金をするときにはどういう連中の、どういう思惑によって、どういうところに、どういう使われ方をするのかは考えた方がいい。めんどうでもね。弱者を利用したり、パニックに乗じたどこぞの山師による金集めの可能性はいつだってある。厄介なのは動機が単純に己の善意からだと信じて疑わない連中さ。手っ取り早く金を集めたいって詐欺師連中なら、最低最悪のクソみたいではあるけど、生まれ持った胡散臭さは隠しきれないものだから、見分けもつきやすいし、後暗いことをやってるだけあって仕事の成否にかかわらずさっさととんずらするだろう。だけど、善意のみでやってる、良くも悪くも真っ直ぐな人間は自分のやってる行為に疑いを持たないどころか、自分の行いを肯定しない人間を頑なに理解しようとしないんだ。理解しようとしないだけならまだいい。修正しようとこちらに働きかけてくることすらある。自分はきわめて正しいし、ふだんの行ないも清廉潔白だ、そういう考えだから、折れることを知らない。それどころか自分の意見に従わない人間に対して、なぜ分かってくれないのか、すべてはあなたのためだから、と執拗に働きかけてくるから厄介極まりないんだ」
自分こそが正しい。そしてそんな自分に同調してくれる人間には気持悪いくらい擦り寄り、意見が合わない、合わないだけならまだしも、批判したり離反する人間には牙を剥き、いかにもアタマの悪そうな程度の低い罵詈雑言を執拗に浴びせる。ネットにはそういった連中が日々うごめいてる。
「ネットでぎゃあぎゃあ喚いてる分にはまだいいさ。パッとしない現実から眼を背けたい情けない連中が自分たちにとって居心地いい場所でてめえ勝手に吼えてるだけだ。せめて架空の世界では自己主張したくてたまらなんだろうさ。冴えない連中同士でみっともなく群れてればいい。むしろ隔離されてる分、まともな人間にとっちゃ、安全だろう。そういう場所に近づかなきゃいいだけだ。ただ、リアルに存在する善意の塊のような連中には気を許すな。あいつらはこちらのテリトリーだの気持ちを慮るなんて絶対しやしない。善意が自己完結しているうちなら被害もないけど、他者に押しつけたり、強要するようになったら、本当に厄介だ。その最たるものが募金さ」
お袋は振興部で募金活動まであるのなら、僭越を承知でやめさせる気であったとため息をついた。
「お前が使える金はどこから出てる」
考え込む俺に、突然お袋が訊いて来た。
「……親父やお袋から」
「その金を募金したとしよう。お前はそれを善意と胸を張っていえるか?」
いきなり禅問答みたいな展開に躊躇したが、すぐにお袋の真意に気づいた。
小遣いを貰ってる立場のやつが寄付したって、元は親の金だ。自分のじゃない。いつだったか、匿名で養護施設に多額の金やら物を送りつける出来事が頻発し、社会現象みたいになったとき、それに感化されたのか、明らかに子供の筆跡と思われる手紙を添えた現金がやはり養護施設に届けられたことがあった。ある識者はその行為を子供が寄付をしてもそれは親の金であり、自分で汗水流して得たモノではない、こういうことでいいことをしたなどと勘違いしては困ると非難していたが、当時は大人げない、つまんない考えをするやつだと思ったものだった。しかし、今ならこの言葉の意味が分かる。
「あたし個人は募金は大嫌いだけど、その行為自体をとがめはしないよ。やりたきゃやればいい。ただお前にいっておくけど、したきゃ、自分で稼ぐようになってからの話だ。小遣いを何に使おうと勝手だと思うだろうが、そこのラインは譲る気はない。募金だけじゃない、煙草や酒も同じだ」
ただでさえ貴重な小遣いを募金などで消費するような酔狂なことは頼まれたってする気はないんだが。煙草や酒なども同等に興味はない。思春期特有の通過儀礼なのか知らないが、未成年に禁止されている喫煙や飲酒に手を出してはイキがるバカはいつでもどこにでもいるものだが、じつはそういう行為こそがガキっぽいんだとあいつらは気づかない。むかしは盗んだバイクで走りだしたり、夜の学校に忍び込んで窓ガラスをたたき割る救いようのないバカがたくさんいたというが、未成熟の反抗心などを得意げに振りまわしたところで何かを成し遂げた気になっているのはけっきょく身勝手な迷惑行為に手を染めたじぶんだけで、そんなことで世の中はとうぜん変わるわけでもなく、それらはただの犯罪行為である。あまりにも惨めで不様極まりない。
「あとコンドームな。親の金でコンドームを買っても空しいだけだぞ」
……かなしいかな、あいにくとそんなものに頼らなければならないようなシチュエーションは訪れたためしがない。しかし、今後となると……、
「あー、ないない」
アタマに呼び起こしたナナミさんを読み取ったのか、お袋が瞬時に否定する。
「……分かんないだろう」
「分かるよ」
……くッ。
「まあ、お前がナナミちゃんに拘るのは分からないでもないけどさ。いい女だもんねえ」
さすがは俺のお袋。ナナミさんの魅力をよく分かってらっしゃる。
「あれはいつのときだったっけか、着替えてるときにナナミちゃんのお尻を観察したんだけどさ、よく締まった安産型で惚れ惚れしたよ」
「……へえ」
「そん時さ、あたしなんだか我慢できなくって、思わずナナミちゃんのお尻をなで回しちゃったんだよ」
……なにやってんだよ、お袋は。
「ああ、くそッ、うらやましいな」
「お前、声に出てるぞ」
お袋はそのときの視覚と触覚、両方で感じたナナミさんのヒップの素晴らしさをこれでもかと語るのだった。
「スポーツに打ち込んだことはないっていってたけど、あのお尻の弾力、贅肉とは無縁の締まり具合はふだんから鍛えていると見たね」
「鍛えてるって……どんな」
「そこまでは分からないけどさ。ただナナミちゃんの下半身って、スタイルがいいだけじゃなくて、しなやかさと強靭さが上手く共存してる感じなんだよ。対応能力、フットワークに長けてるっていうかさ。それだけじゃない、あの柔軟にして屈強な下半身なら男なんか伸せるくらいの強烈なパンチだって打てそうだ」
「……強烈なパンチって、ナナミさんがそんな野蛮なことするかよ」
「お前もモノの考え方が古いね。なんで女がパンチの一つや二つ打っただけで野蛮だのいわれなきゃいけないのさ」
女、じゃなくナナミさんがって話なんだが。
「同じだろ。例えばお前はナナミちゃんが格闘系のスポーツ、そうだね……ボクシングとかしてちゃいけないっていうのか?」
そのとき俺のアタマに海へ行く話をシギヤから聞いたときに観ていた、例のナナミさん似のボクシングをしている女性が瞬時に思い浮かんだ。
「女がボクシングってか、格闘技はダメなんて思っちゃいないけど、ナナミさんには関係ないだろ。そもそもやるわけない。そんなの想像でもやめてくれよ」
お袋はやれやれといった風に肩をすくめてみせただけで、それ以上は何もいわなかった。鍛え上げたような下半身を持ってるってだけでいいパンチが打てるだの、ボクシングだの、発想がいちいちヤンキーそのものだ。そういう無粋なものと可憐で淑やかなナナミさんとは相容れない。絶対に。
「まあ、最初の話しに戻るけど、善意ってのは人知れず行なうから善意なのさ。募金したけりゃ黙ってする。それをわざわざアピールしたり、他人に要請するのは筋違いってもんだ。そんな行動は善意じゃない、悪意ってんだ。ボランティアに勤しんでる息子に言うこっちゃないけどさ」
そういうと、お袋はやおら立ち上がると、ボクサーよろしく鼻歌まじりでシャドーをはじめた。
「そういや」
ピタッとストレートの軌道が止まる。打ち抜いた仮想相手はどこの誰なんだか。
「募金で思い出したが、お前が取り組んでいる作品の作者な。金銭は災いである、とかいってたな」
「何それ」
俺の問いかけに、お袋は考え込んだふうに空を見つめた。
「とくに募金に言及した発言じゃなかったと思うけど、金銭を与える者は、災いを他に与えることになるってさ。まあ、真理だな」
……確かに、生きて行く上で多寡はともかく金は必要だ。決して邪魔になるものじゃないが、それ自体、破滅をもたらすことがあるのもまた事実ではある。
「晩年の作者は世間に蔓延る貧富の差ってやつに苦悩してらしくて、じぶんが召使いに傅かれる生活を送っている一方で、食うや食わずで生きている者たちがいることに絶望していたって話だ。同じロシア文学に『どん底』って戯曲があるが、ああいう世界だ」
「ギキョク?」
「舞台で使う台本。演劇のジャンルでもあるな。読んだことはなくともシェイクスピアは知ってるだろ。ああいうやつさ。登場人物の会話と、その動きや状況、舞台上での効果を事細かく指示したト書きってので構成されてるんだ」
お袋は件の『どん底』とやらは舞台を日本に置き換えた映画にもなっていると教えてくれた。
「あまりにも気の毒すぎてそういった連中に金を恵んでいたんだけど、それが彼らにとって益になるどころか、害になっているという結論に達したそうだ。今いった『どん底』の作者の別の作品、こっちは戯曲じゃなくて小説の体裁を取った作品だけど、その中に幸福なんて少なければいいと望む人間はいないが、幸福が多ければそれはそれで安っぽくなるってあってな。幸せの箇所を金に変えてもしっくりくるだろう。どっちも多い方がいいに決まってるってやつもいるだろうが、すべての不幸は不足ではなく、過剰から生じるって言葉もあるし、程度の問題だわな」
そういって立ち上がると、ぶるんとブラトップの下で抑圧されていた胸が揺れた。今日のお袋は下着姿ではなく、ドルフィンパンツを穿いている。幸か不幸か、夫婦の営みはないようだ。
「地獄への道は善意で舗装されている」
その言葉に何事かと見上げると、お袋は前方を見据えたままつづけた。
「人助けは気分がいいもんだ。された側も有難いだろう。そういうウインウインの関係が築けるに越したことはない。ただそういった行為はすべてが善意に直結するとは限らない。善行の裏に何か思惑、それも後ろ暗いものがある場合もあるだろうし、助けが必要な弱者が己の立場を利用して、めちゃくちゃなことを強要してくる胸糞悪い事例も情けない話だが少なくはない。じぶんではいいことをしたと思っても、そう受け取ってはくれない勢力も存在する。けっきょく最後に頼りになるのは自分自身だ。生きてりゃいいことも悪いこともあるだろう。成功もありゃ失敗もある。そういうことをくり返していくと後悔に苛まれる場合も出てくるだろう。けど後悔は人生の汚点じゃない。同じような過ちくり返さないために手引きになってくれることもある。いくらでも後悔するといいさ」
ここでお袋は大きくため息をつくと、後悔も限度があるがなと自嘲した。
就寝の言葉とともに居間を出て行く我が母の背中をぼんやりと眺めながら、軽い気持ちで身を投じたボランティアの世界だったが、はたして俺みたいな人間がかかわっていいのかという、今まさにお袋が口にした後悔がアタマをもたげて暗澹たる気持ちになりかけたが、本来のお気楽な性分が勝り、そう深く考えることでもないかと読みかけの課題図書に向かうのだった。
ゴミ拾い、草むしり、リサイクルの仕分け、公共施設の清掃、イベントの手伝い等、青少年の健全な精神を培うという大義名分を振りかざせば、町内会レベルの雑事から公的機関におけるスタッフ並みの重労働まで、「よろこんで!」参加させていただくのであった。
そんな中、救いだったのは駅前等で見かける募金活動がないことである。小っ恥ずかしいこともあるが、俺はああいったものは人様の好意につけ込んだ、ゆるやかなユスりタカりの類だと思っている。そもそも道ゆく人に大声で金を出すように強要(※個人的感想)するなど正気の沙汰ではない。いつだったかショッピングモールに子連れの集団がそれをやっていたが、ほとんど無視される中、指示されたのか幼稚園ぐらいの子供が奇声レベルの大声で「お願いしまーす!」と張り上げる様はひたすら異様で痛々しく、恐怖すら覚えた。年端もいかない子供を使えば似た年頃の子供を持つ親世代や自分の孫と重ね合わせる老人は絆されるだろう的な考えが見え透いて非常に気味が悪い。同じ理由で難病に苦しむ救う会的なのもアウトだ。そもそも親や親戚、支持者連中がいったいどれだけ身銭を切ってるんだって話だ。自分たちの生活がギリギリ維持できるレベルまで金を作ってまだ足りない、だからお願いしますっていうのなら分かるのだが、はじめにてめえらでいったいどれくらいの金額を用意できたのか、集まった金の明細を含めて不透明すぎるのだ。実は親は高収入だとか、余った金を生活費に充てたとかそんな噂話を聞くたびに、自分のことではないのに、非常に不快な思いがする。そもそも難度の手術ゆえ待っている患者が多く、その順番を金で買っているなんて話まで聞くと、同じ病気で苦しんでいる他の子供を押しのけてまですることなのだろうかという気がする。とはいえ、事実だった場合に限り命にかかわることだし、絶対的に社会経験のないやつが偉そうに講釈を垂れるのもお門違いなのであろうが、誰に何をいわれようと募金的なモノは俺はいっさい信じないし、やる気もない。
意外だったのはお袋がそんな俺の話を支持したことである。お袋は募金の本質はそのほとんどが自称善人によるお節介か小悪党による安易な集金活動だといい切った。
「むかし経済方面の評論家だったかがさ、慈善ってのは自己満足だから、本人はきっと気持ちいいのだろうが、傍から見ると実に滑稽で苦々しい、にも係わらず愛だの貧しい人に救いの手を、なんだと訴える輩が後を立たないのは、何の苦痛も伴わない、その割に自分は実害を被ることが皆無の、お手軽なお題目だからって看破してたよ」
そういった活動に世間はふつう好意的だし、翻ってこの手の行為に対して批判しようものなら場合によっては非人道的な目で見られることが多い、つまり叩かれることからも守られることになる。うまく軌道に乗れば、新たな仕事につながったり、社会的評価も上がるしで、まさに慈善活動がもたらすローリスクハイリターンの恩恵を受けることになる。
「募金そのものを否定はしないよ。例えば未曾有の大災害が起きた。困っている地域や住人のために、ってんなら分かる。だけど、そういう事例にかかわらず、光と影じゃないけどさ、善意が働く裏で悪意もうごめくのさ。純然たる思いで集められた純然たる金が純然たる機関に流れる、とは限らない。こういうのは疑ったらキリがないけど、募金をするときにはどういう連中の、どういう思惑によって、どういうところに、どういう使われ方をするのかは考えた方がいい。めんどうでもね。弱者を利用したり、パニックに乗じたどこぞの山師による金集めの可能性はいつだってある。厄介なのは動機が単純に己の善意からだと信じて疑わない連中さ。手っ取り早く金を集めたいって詐欺師連中なら、最低最悪のクソみたいではあるけど、生まれ持った胡散臭さは隠しきれないものだから、見分けもつきやすいし、後暗いことをやってるだけあって仕事の成否にかかわらずさっさととんずらするだろう。だけど、善意のみでやってる、良くも悪くも真っ直ぐな人間は自分のやってる行為に疑いを持たないどころか、自分の行いを肯定しない人間を頑なに理解しようとしないんだ。理解しようとしないだけならまだいい。修正しようとこちらに働きかけてくることすらある。自分はきわめて正しいし、ふだんの行ないも清廉潔白だ、そういう考えだから、折れることを知らない。それどころか自分の意見に従わない人間に対して、なぜ分かってくれないのか、すべてはあなたのためだから、と執拗に働きかけてくるから厄介極まりないんだ」
自分こそが正しい。そしてそんな自分に同調してくれる人間には気持悪いくらい擦り寄り、意見が合わない、合わないだけならまだしも、批判したり離反する人間には牙を剥き、いかにもアタマの悪そうな程度の低い罵詈雑言を執拗に浴びせる。ネットにはそういった連中が日々うごめいてる。
「ネットでぎゃあぎゃあ喚いてる分にはまだいいさ。パッとしない現実から眼を背けたい情けない連中が自分たちにとって居心地いい場所でてめえ勝手に吼えてるだけだ。せめて架空の世界では自己主張したくてたまらなんだろうさ。冴えない連中同士でみっともなく群れてればいい。むしろ隔離されてる分、まともな人間にとっちゃ、安全だろう。そういう場所に近づかなきゃいいだけだ。ただ、リアルに存在する善意の塊のような連中には気を許すな。あいつらはこちらのテリトリーだの気持ちを慮るなんて絶対しやしない。善意が自己完結しているうちなら被害もないけど、他者に押しつけたり、強要するようになったら、本当に厄介だ。その最たるものが募金さ」
お袋は振興部で募金活動まであるのなら、僭越を承知でやめさせる気であったとため息をついた。
「お前が使える金はどこから出てる」
考え込む俺に、突然お袋が訊いて来た。
「……親父やお袋から」
「その金を募金したとしよう。お前はそれを善意と胸を張っていえるか?」
いきなり禅問答みたいな展開に躊躇したが、すぐにお袋の真意に気づいた。
小遣いを貰ってる立場のやつが寄付したって、元は親の金だ。自分のじゃない。いつだったか、匿名で養護施設に多額の金やら物を送りつける出来事が頻発し、社会現象みたいになったとき、それに感化されたのか、明らかに子供の筆跡と思われる手紙を添えた現金がやはり養護施設に届けられたことがあった。ある識者はその行為を子供が寄付をしてもそれは親の金であり、自分で汗水流して得たモノではない、こういうことでいいことをしたなどと勘違いしては困ると非難していたが、当時は大人げない、つまんない考えをするやつだと思ったものだった。しかし、今ならこの言葉の意味が分かる。
「あたし個人は募金は大嫌いだけど、その行為自体をとがめはしないよ。やりたきゃやればいい。ただお前にいっておくけど、したきゃ、自分で稼ぐようになってからの話だ。小遣いを何に使おうと勝手だと思うだろうが、そこのラインは譲る気はない。募金だけじゃない、煙草や酒も同じだ」
ただでさえ貴重な小遣いを募金などで消費するような酔狂なことは頼まれたってする気はないんだが。煙草や酒なども同等に興味はない。思春期特有の通過儀礼なのか知らないが、未成年に禁止されている喫煙や飲酒に手を出してはイキがるバカはいつでもどこにでもいるものだが、じつはそういう行為こそがガキっぽいんだとあいつらは気づかない。むかしは盗んだバイクで走りだしたり、夜の学校に忍び込んで窓ガラスをたたき割る救いようのないバカがたくさんいたというが、未成熟の反抗心などを得意げに振りまわしたところで何かを成し遂げた気になっているのはけっきょく身勝手な迷惑行為に手を染めたじぶんだけで、そんなことで世の中はとうぜん変わるわけでもなく、それらはただの犯罪行為である。あまりにも惨めで不様極まりない。
「あとコンドームな。親の金でコンドームを買っても空しいだけだぞ」
……かなしいかな、あいにくとそんなものに頼らなければならないようなシチュエーションは訪れたためしがない。しかし、今後となると……、
「あー、ないない」
アタマに呼び起こしたナナミさんを読み取ったのか、お袋が瞬時に否定する。
「……分かんないだろう」
「分かるよ」
……くッ。
「まあ、お前がナナミちゃんに拘るのは分からないでもないけどさ。いい女だもんねえ」
さすがは俺のお袋。ナナミさんの魅力をよく分かってらっしゃる。
「あれはいつのときだったっけか、着替えてるときにナナミちゃんのお尻を観察したんだけどさ、よく締まった安産型で惚れ惚れしたよ」
「……へえ」
「そん時さ、あたしなんだか我慢できなくって、思わずナナミちゃんのお尻をなで回しちゃったんだよ」
……なにやってんだよ、お袋は。
「ああ、くそッ、うらやましいな」
「お前、声に出てるぞ」
お袋はそのときの視覚と触覚、両方で感じたナナミさんのヒップの素晴らしさをこれでもかと語るのだった。
「スポーツに打ち込んだことはないっていってたけど、あのお尻の弾力、贅肉とは無縁の締まり具合はふだんから鍛えていると見たね」
「鍛えてるって……どんな」
「そこまでは分からないけどさ。ただナナミちゃんの下半身って、スタイルがいいだけじゃなくて、しなやかさと強靭さが上手く共存してる感じなんだよ。対応能力、フットワークに長けてるっていうかさ。それだけじゃない、あの柔軟にして屈強な下半身なら男なんか伸せるくらいの強烈なパンチだって打てそうだ」
「……強烈なパンチって、ナナミさんがそんな野蛮なことするかよ」
「お前もモノの考え方が古いね。なんで女がパンチの一つや二つ打っただけで野蛮だのいわれなきゃいけないのさ」
女、じゃなくナナミさんがって話なんだが。
「同じだろ。例えばお前はナナミちゃんが格闘系のスポーツ、そうだね……ボクシングとかしてちゃいけないっていうのか?」
そのとき俺のアタマに海へ行く話をシギヤから聞いたときに観ていた、例のナナミさん似のボクシングをしている女性が瞬時に思い浮かんだ。
「女がボクシングってか、格闘技はダメなんて思っちゃいないけど、ナナミさんには関係ないだろ。そもそもやるわけない。そんなの想像でもやめてくれよ」
お袋はやれやれといった風に肩をすくめてみせただけで、それ以上は何もいわなかった。鍛え上げたような下半身を持ってるってだけでいいパンチが打てるだの、ボクシングだの、発想がいちいちヤンキーそのものだ。そういう無粋なものと可憐で淑やかなナナミさんとは相容れない。絶対に。
「まあ、最初の話しに戻るけど、善意ってのは人知れず行なうから善意なのさ。募金したけりゃ黙ってする。それをわざわざアピールしたり、他人に要請するのは筋違いってもんだ。そんな行動は善意じゃない、悪意ってんだ。ボランティアに勤しんでる息子に言うこっちゃないけどさ」
そういうと、お袋はやおら立ち上がると、ボクサーよろしく鼻歌まじりでシャドーをはじめた。
「そういや」
ピタッとストレートの軌道が止まる。打ち抜いた仮想相手はどこの誰なんだか。
「募金で思い出したが、お前が取り組んでいる作品の作者な。金銭は災いである、とかいってたな」
「何それ」
俺の問いかけに、お袋は考え込んだふうに空を見つめた。
「とくに募金に言及した発言じゃなかったと思うけど、金銭を与える者は、災いを他に与えることになるってさ。まあ、真理だな」
……確かに、生きて行く上で多寡はともかく金は必要だ。決して邪魔になるものじゃないが、それ自体、破滅をもたらすことがあるのもまた事実ではある。
「晩年の作者は世間に蔓延る貧富の差ってやつに苦悩してらしくて、じぶんが召使いに傅かれる生活を送っている一方で、食うや食わずで生きている者たちがいることに絶望していたって話だ。同じロシア文学に『どん底』って戯曲があるが、ああいう世界だ」
「ギキョク?」
「舞台で使う台本。演劇のジャンルでもあるな。読んだことはなくともシェイクスピアは知ってるだろ。ああいうやつさ。登場人物の会話と、その動きや状況、舞台上での効果を事細かく指示したト書きってので構成されてるんだ」
お袋は件の『どん底』とやらは舞台を日本に置き換えた映画にもなっていると教えてくれた。
「あまりにも気の毒すぎてそういった連中に金を恵んでいたんだけど、それが彼らにとって益になるどころか、害になっているという結論に達したそうだ。今いった『どん底』の作者の別の作品、こっちは戯曲じゃなくて小説の体裁を取った作品だけど、その中に幸福なんて少なければいいと望む人間はいないが、幸福が多ければそれはそれで安っぽくなるってあってな。幸せの箇所を金に変えてもしっくりくるだろう。どっちも多い方がいいに決まってるってやつもいるだろうが、すべての不幸は不足ではなく、過剰から生じるって言葉もあるし、程度の問題だわな」
そういって立ち上がると、ぶるんとブラトップの下で抑圧されていた胸が揺れた。今日のお袋は下着姿ではなく、ドルフィンパンツを穿いている。幸か不幸か、夫婦の営みはないようだ。
「地獄への道は善意で舗装されている」
その言葉に何事かと見上げると、お袋は前方を見据えたままつづけた。
「人助けは気分がいいもんだ。された側も有難いだろう。そういうウインウインの関係が築けるに越したことはない。ただそういった行為はすべてが善意に直結するとは限らない。善行の裏に何か思惑、それも後ろ暗いものがある場合もあるだろうし、助けが必要な弱者が己の立場を利用して、めちゃくちゃなことを強要してくる胸糞悪い事例も情けない話だが少なくはない。じぶんではいいことをしたと思っても、そう受け取ってはくれない勢力も存在する。けっきょく最後に頼りになるのは自分自身だ。生きてりゃいいことも悪いこともあるだろう。成功もありゃ失敗もある。そういうことをくり返していくと後悔に苛まれる場合も出てくるだろう。けど後悔は人生の汚点じゃない。同じような過ちくり返さないために手引きになってくれることもある。いくらでも後悔するといいさ」
ここでお袋は大きくため息をつくと、後悔も限度があるがなと自嘲した。
就寝の言葉とともに居間を出て行く我が母の背中をぼんやりと眺めながら、軽い気持ちで身を投じたボランティアの世界だったが、はたして俺みたいな人間がかかわっていいのかという、今まさにお袋が口にした後悔がアタマをもたげて暗澹たる気持ちになりかけたが、本来のお気楽な性分が勝り、そう深く考えることでもないかと読みかけの課題図書に向かうのだった。
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物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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