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35 別れ
しおりを挟む翌日、リンファのもとに手紙が届いた。
「ケイカ様から?」
「はい。至急、とのことで」
使者から届けられた手紙をビンスイが受け取り、リンファに持って来た。
(手紙をもらうこと自体初めてなのに、差出人が宰相ケイカ様だなんて……なんだろう)
恐る恐る、折り畳まれた手紙を広げる。そこに書いてあったことは、こうだ。
『王の訪問を断るような妃は、後宮にいる資格はない。王の寵愛がなくなった妃は臣下に下げ渡されるが、あなたはそもそも下女である。下女の場合は女子修道院にて余生を送るというのが規則。すぐにでも出立してもらうのでそのつもりでいるように』
下女の行く先のことは知っていた。妃や女官は後宮を出る時には貴族や官吏に嫁ぐ。だが下女は、市井に放り出して後宮のことをあれこれ庶民に話されては困るため、都の一番北にある女子修道院で一生を送るのだそうだ。
(ケイカ様がこう仰っているということは、タイランの要望ということなのだわ)
宰相が単独で決めるなどということはあり得ないだろう。タイランはもう、私のことは過去にしようと決めたのかもしれない。
(仕方がない。今の私にはタイランを癒すことができないのだから。彼の苦しみや悩みを分かち合い、癒す存在になりたかったけれど、私の存在自体が彼を苦しめる。私は彼を見るたびチュンレイを思い出すし、彼もまた私を見るたびに過去の行いを思い出して苦しんでしまう。私たちはもう……離れなければならないのだ)
リンファはビンスイを呼んだ。
「ビンスイさん。今までありがとうございました。私は、修道院へ行くことになりました。ビンスイさんはまたシャオリン様にお仕えすることになるでしょう。本当に、こんな私に良くしていただいてありがとうございました」
「ええっ、リンファ様! 本当に、ですか?」
リンファは頷く。
「私は後宮妃としての務めを果たすことができないのです。ここで高い給金をもらいながら生活する資格はもうありません。ケイカ様に返事を書いたので、これを届けてもらえますか?」
ビンスイは涙ぐんでいた。
「はい、わかりました……」
手紙を受け取ると部屋を退出して行く。
(少しくらいの荷物は持って行ってもいいのかしら……)
たくさんの襦裙、家具や寝具。そういったものは持って行けないだろう。一つだけ、初めてタイランに贈られた翠色の耳飾り。これだけ、持って行かせてもらえないかとケイカに手紙で尋ねてある。
ケイカからの返事はすぐに届き、出立は三日後、耳飾りだけは持ち出しても良いと許可をもらえた。リンファは耳飾りを大切に箱にしまい、荷物を整えてその日を待った。
「なんだと? ケイカ、今なんと言った」
タイランは厳しい表情でケイカを問い詰めた。
「はい、リンファ様が今日修道院へ出発なさいます」
「私はそんなことを許可した覚えはない。なぜそんなことになっているのだ」
「畏れながら、リンファ妃におかれましては自ら、修道院へ行って兄への祈りを捧げて暮らしたいというご要望がありまして」
「リンファから?」
「はい。妃のご希望とあれば叶えるのが筋かと。修道院は下女も大勢いて寂しくはありませんし、護衛兵士も外で見張っておりますので安全も確保できますでしょう。リンファ様も心の平穏が訪れる良い場所だと喜んでおられます」
「……後宮にいることすら厭うのか……」
しばらくの間、タイランは目を閉じて考え込んでいた。
もしかして、許可しないと言うだろうか? ケイカはそれを案じていた。このままあの下女を後宮に置いておくと、いつまでたっても王の未練が断ち切れない。未練を断ち切って子作りに専念してもらわないと困るのだ。そのためには目の前から消し去るに限る。
(何か冤罪をなすりつけて処刑という手もあるが、そういう別れは後で引きずるからな。俗世を離れるというのが一番よいのだ)
しばらく黙っていたタイランがようやく口を開いた。
「わかった。許可しよう」
ケイカは顔を輝かせた。
「では私はリンファ様を見送って参ります」
「いや……ああそうだ、ケイカ。江南地区の治水について質問状が来ていた。急ぎだから、それを先にしておいてくれないか」
「……はい、わかりました。では」
ケイカは部屋から退出しながら首を捻っていた。案外とあっさりしたものだったな、と。すぐに修道院行きを許可し、政務を優先させるとは。
(シャオリンが心を掴んだのかもしれん。世継ぎは意外と早いかもな)
その日、リンファは馬車に乗り後宮を出発した。ケイカが来ると言っていたが、急用のため来れなくなったらしい。だがそのおかげでビンスイ、メイユー、ジンリーが気兼ねなくワンワン泣きながら見送ってくれた。
(さようなら、みんな。少しの間だけどとても楽しかった。いつかまた、会える日を楽しみにしています)
馬車は北に向かって進む。都を囲む外壁の一番北に修道院はあるのだ。町並みを見るのも最後だからずっと見ておこうと、頭から被った薄絹越しに周りの景色を見ていた。
都の北部にそびえる山がどんどんと近くなってくる。それにつれて空も雲が多くなり、風が冷たくなってきた気がする。やがて高い塀に囲まれた建物が見えてきた。
門前で馬車を降りると、ここまで連れて来てくれた兵士たちは休むこともせず、すぐに宮城へと帰って行った。その代わり、門の横には屈強な護衛兵士が仏頂面で見張るように立っている。
(きっと、ここから下女たちが逃げ出さないように見張っているのね。守るためではなく)
リンファはすうと息を吸い、歩を進めた。門をくぐると兵士たちがゆっくりと扉を閉め、完全に外界から遮断された。これから、ここで一生を暮らすのだと覚悟を決めた。
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