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第3章
第49話 オメガとオメガ
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桜が散り落ちて、葉が緑めいてきた。薄いジャケットだけで外出できることも増え、清々しい日々が続いている。
名津が通う大学の構内は広く、たくさんの木々が揺れる自然豊かな場所だ。その中を歩くと清々しい気分にはなるが、緊張は解れない。
今日は、ルークに会いに来た。
名津には、ルークと会うことを禁止されている。だが、ルークと直接会わなければ何も分からないままだ。
もしルークと会った途端に発情してしまったら……と不安ではあるが、それだって会わなければ分らない。
名津が以前住んでいた寮の前の木陰で、ルークが来るのを待つことにした。名津と練習時間は同じはずだから、もう少しで帰ってくるだろう。
しばらくすると、バスケの試合で見かけたことがある学生たちが現れた。その少し後ろを歩いてきたのは、ルークだ。瞬間、自身の唾を飲み込む音が耳元で弾け飛んだ。
ルークは誰かと談笑しているようだ。こちらの不安を他所に、にこやかな表情だ。相手に目をやると、思わず絶句してしまった。——井沢だった。
井沢は高校の同級生で、名津の幼馴染でもある。井沢も名津と同じように、アメリカにかバスケ留学している。しかし井沢は、名津とルークとは別の大学のはずだが……?
「井沢!」
なぜ井沢がここにいるのか、なぜルークと一緒にいるのか。複数の疑問が脳を支配し、居ても立っても居られず、思わず声をかけてしまった。
井沢は驚いたのか、ビクッと身体を震わせこちらに視線を送った。
「え…委員長?なんでこんなところにいるの?」
井沢は喫驚しているようだが、無理もない。突然物陰から人が現れたら、誰だって驚く。しかしそれ以上に、ルークと井沢が知り合いで、加えて非常に親しげな点の方が驚倒する事柄ではないか。
——もしかしたら井沢が、俺がオメガだということをバラしたのではないか
良くない考えだとは分かっているが、思わずにはいられなかった。井沢に口止めをしたわけではない。だがわざわざ言わなくても、他人にオメガであることが知られることが、どれだけ危険なことなのか理解していると思っていた。しかし俺が勝手に期待していただけで、実際は違ったのかもしれない。
「そっくりそのまま聞きたい。なぜ井沢がここにいる?」
「俺は…」
井沢が言いかけると、その前にルークが一歩出て俺を見下ろした。
“That’s not your concern.”(君には関係ない)
あえて視界に入れないようにしていたルークが、俺の目と鼻の先に立っている。いきなり発情しないか介意しつつも、俺の首裏を勝手に噛んだこの男への、混沌とした怒りが込み上げてきた。
「お前……何が関係ないだ!いい加減にしろ!勝手に番になっておきながら、『関係ない』はないだろう?!」
俺は高まる憤激に任せて、ルークの胸ぐらを掴み、怒鳴り散らしていた。
「What?! つがい? No way!……」
その感情の波を浴びたルークは、俺以上に混乱しているように見えた。薄いそばかすが浮いて見えるような白い肌が、わずかに赤く染まっている。
至近距離で見るルークは、長いまつ毛に潤んだ眸子が麗しい青年だった。ルークの、ふっふっと生温かい息が、俺の額を湿らせる。
散々悩まされた日々を、全てぶつけるようにルークを睨みつけた。だが、当然のように俺の背を優に超えるルークに、その思いが届いているか分からない。それでも、俺はルークを掴んだ手を離さず、視線を送り続けた。
先ほどまで淡い朱色を放っていたルークの頬が、真っ赤に染まってきていることに気づいた。両耳は、痛そうなほどの赤紫色になっている。
「おい……大丈夫か?」
心配になって声をかけたが、真っ直ぐにこちらを見下ろすだけで返事がない。その直後、ルークの身体がこちらに倒れてきた。咄嗟に抱きかかえると、手のひらに伝わる熱にハッとした。
ルークに押される形で、その場に尻餅をついて座り込んだ。すぐに井沢が近づいてきたが、壁に跳ね返されたかのように、後ろに仰け反った。
「うっ……これって……」
「ああ」
——発情だ。
ルークはオメガだった。苦しそうに肩で息をするルークの姿が、自分と重なる。まだ周囲に人は少ないが、これから多くの学生が寮に帰ってくるだろう。
「井沢、耐えられるか?」
「う…ん……な、なんとか……」
井沢はトレーナーの袖で口を押さえ、発情の独特のにおいを吸わないようにしている。
「ルークを部屋に運ぶのを手伝って欲しい。俺1人では難しそうだ」
井沢は頷き、ルークの首裏と膝裏に手を入れ、抱えるようにして持ち上げた。ルークはチームの中ではそれほど背は高くないものの、体つきはしっかりしている。井沢はそんなルークをしっかりと抱きかかえていた。
井沢がルークと一緒に居たことで、さまざまな憶測が脳裏を掠め、俺の気持ちは不安定になった。しかし今は、井沢がここに居てくれたことに心底感謝している。なんとも都合の良い話だ。
井沢には悪いが、早めに人目につかない場所に移動することが最優先だ。ポケットには俺の抑制剤があるが、ルークに勝手に飲ませて良いものか分からない。とにかく、今は井沢に頑張ってもらわなければならない。
ルークがオメガだったという事実に驚愕しているが、今はルークを助けたい気持ちが強い。発情している人を、オメガの俺が放っておくことなどできない。例えそれが、恨んでいる相手でも。
ルークと井沢の荷物を持ち、寮の受付でルークが体調不良であることを説明した。苦しそうな井沢に声かけをしながら、どうにかルークの部屋に辿り着くことができた。
名津が通う大学の構内は広く、たくさんの木々が揺れる自然豊かな場所だ。その中を歩くと清々しい気分にはなるが、緊張は解れない。
今日は、ルークに会いに来た。
名津には、ルークと会うことを禁止されている。だが、ルークと直接会わなければ何も分からないままだ。
もしルークと会った途端に発情してしまったら……と不安ではあるが、それだって会わなければ分らない。
名津が以前住んでいた寮の前の木陰で、ルークが来るのを待つことにした。名津と練習時間は同じはずだから、もう少しで帰ってくるだろう。
しばらくすると、バスケの試合で見かけたことがある学生たちが現れた。その少し後ろを歩いてきたのは、ルークだ。瞬間、自身の唾を飲み込む音が耳元で弾け飛んだ。
ルークは誰かと談笑しているようだ。こちらの不安を他所に、にこやかな表情だ。相手に目をやると、思わず絶句してしまった。——井沢だった。
井沢は高校の同級生で、名津の幼馴染でもある。井沢も名津と同じように、アメリカにかバスケ留学している。しかし井沢は、名津とルークとは別の大学のはずだが……?
「井沢!」
なぜ井沢がここにいるのか、なぜルークと一緒にいるのか。複数の疑問が脳を支配し、居ても立っても居られず、思わず声をかけてしまった。
井沢は驚いたのか、ビクッと身体を震わせこちらに視線を送った。
「え…委員長?なんでこんなところにいるの?」
井沢は喫驚しているようだが、無理もない。突然物陰から人が現れたら、誰だって驚く。しかしそれ以上に、ルークと井沢が知り合いで、加えて非常に親しげな点の方が驚倒する事柄ではないか。
——もしかしたら井沢が、俺がオメガだということをバラしたのではないか
良くない考えだとは分かっているが、思わずにはいられなかった。井沢に口止めをしたわけではない。だがわざわざ言わなくても、他人にオメガであることが知られることが、どれだけ危険なことなのか理解していると思っていた。しかし俺が勝手に期待していただけで、実際は違ったのかもしれない。
「そっくりそのまま聞きたい。なぜ井沢がここにいる?」
「俺は…」
井沢が言いかけると、その前にルークが一歩出て俺を見下ろした。
“That’s not your concern.”(君には関係ない)
あえて視界に入れないようにしていたルークが、俺の目と鼻の先に立っている。いきなり発情しないか介意しつつも、俺の首裏を勝手に噛んだこの男への、混沌とした怒りが込み上げてきた。
「お前……何が関係ないだ!いい加減にしろ!勝手に番になっておきながら、『関係ない』はないだろう?!」
俺は高まる憤激に任せて、ルークの胸ぐらを掴み、怒鳴り散らしていた。
「What?! つがい? No way!……」
その感情の波を浴びたルークは、俺以上に混乱しているように見えた。薄いそばかすが浮いて見えるような白い肌が、わずかに赤く染まっている。
至近距離で見るルークは、長いまつ毛に潤んだ眸子が麗しい青年だった。ルークの、ふっふっと生温かい息が、俺の額を湿らせる。
散々悩まされた日々を、全てぶつけるようにルークを睨みつけた。だが、当然のように俺の背を優に超えるルークに、その思いが届いているか分からない。それでも、俺はルークを掴んだ手を離さず、視線を送り続けた。
先ほどまで淡い朱色を放っていたルークの頬が、真っ赤に染まってきていることに気づいた。両耳は、痛そうなほどの赤紫色になっている。
「おい……大丈夫か?」
心配になって声をかけたが、真っ直ぐにこちらを見下ろすだけで返事がない。その直後、ルークの身体がこちらに倒れてきた。咄嗟に抱きかかえると、手のひらに伝わる熱にハッとした。
ルークに押される形で、その場に尻餅をついて座り込んだ。すぐに井沢が近づいてきたが、壁に跳ね返されたかのように、後ろに仰け反った。
「うっ……これって……」
「ああ」
——発情だ。
ルークはオメガだった。苦しそうに肩で息をするルークの姿が、自分と重なる。まだ周囲に人は少ないが、これから多くの学生が寮に帰ってくるだろう。
「井沢、耐えられるか?」
「う…ん……な、なんとか……」
井沢はトレーナーの袖で口を押さえ、発情の独特のにおいを吸わないようにしている。
「ルークを部屋に運ぶのを手伝って欲しい。俺1人では難しそうだ」
井沢は頷き、ルークの首裏と膝裏に手を入れ、抱えるようにして持ち上げた。ルークはチームの中ではそれほど背は高くないものの、体つきはしっかりしている。井沢はそんなルークをしっかりと抱きかかえていた。
井沢がルークと一緒に居たことで、さまざまな憶測が脳裏を掠め、俺の気持ちは不安定になった。しかし今は、井沢がここに居てくれたことに心底感謝している。なんとも都合の良い話だ。
井沢には悪いが、早めに人目につかない場所に移動することが最優先だ。ポケットには俺の抑制剤があるが、ルークに勝手に飲ませて良いものか分からない。とにかく、今は井沢に頑張ってもらわなければならない。
ルークがオメガだったという事実に驚愕しているが、今はルークを助けたい気持ちが強い。発情している人を、オメガの俺が放っておくことなどできない。例えそれが、恨んでいる相手でも。
ルークと井沢の荷物を持ち、寮の受付でルークが体調不良であることを説明した。苦しそうな井沢に声かけをしながら、どうにかルークの部屋に辿り着くことができた。
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