溶ける背徳、秘め事の灯

春夏冬

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溶ける背徳

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目の高さがそろったとき、彼はわずかに唇の端を上げた。からかうような、それでいてどこか感情の抜けた笑顔だった。

「……キスだけでいいの?」

あまねの胸が一瞬で跳ねた。

「え……?」

思わず聞き返すと、清澄は片眉を上げ、くすっと喉の奥で笑うように息をもらした。

「冗談だよ。ほら、目閉じて」

一瞬だけ戸惑ったけれど、あまねは小さく息をのんで、そっとまぶたを下ろした。暗闇の中で、心臓の音だけが大きく響く。

清澄の気配が近づき、頬に感じた吐息に思わず肩がわずかに震えた。

「……うん。それでいい」

清澄は少しだけ目を伏せ、それから静かに手を伸ばした。指先があまねの頬に触れ、髪をやわらかくかき上げる。

ほんの一瞬──唇が、そっと触れた。

それは、たしかに“キス”だった。けれど、痛みのように切なかった。

「……これは、ふたりだけの秘密だよ。あまねちゃん」

彼の言葉に、小さく頷く。

これは誰にも言えないこと。友達にも、家族にも。この日のことは、胸の奥に押し込めて、鍵をかけなければいけない。

──これでおわり。これからはまた、ただの生徒に戻る。

そう自分に言い聞かせながら、あまねは痛む胸を誤魔化すようにぎゅっと目を閉じた。



だが翌週、清澄は来なかった。

連絡は何もなく、ただ教務センターから「担当変更」の知らせが届いただけだった。

「急に辞めたんだって。理由は教えてくれなかったけど……優しくて教え方も上手だったのに、残念ね」

と、母は少し残念そうに言った。


あまねは、何も言えなかった。

携帯の番号も知らなかった。どこに住んでいるのかも、大学のことも何も知らなかった。

ただ一つ、たしかにわかっていた。あのキスが──あの人なりの“さよなら”だったこと。

初めて触れた唇の温度。
そのあとの静けさは、風のように冷たく、どこまでも遠く感じられた。

この恋が叶わないことなんて、最初からわかっていた。

けれどそれを、会えなくなった理由にはしたくなかった。

突然のいなくなった原因を考えても、答えは出ない。でも、あのとき胸が苦しくなるほどうれしかったこと。触れられた指先の温度が、ずっと離れなかったこと。ぬくもりの離れたあとの、切なさ。

それだけは、どうしても嘘にはできなかった。



篠宮しのみやあまね、十六歳。
最初で最後の「失恋」だった。

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