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11.モブ役者はイケメン貴公子に狙われる
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頬にあたる、やわらかな触感のそれがなんなのか、最初はまるで気づいていなかった。
「な、な、な………なにしてるんだよアンタ!?」
めちゃくちゃ動揺した声をあげる矢住くんの反応を見て、ようやく僕は雪之丞さんから自分の頬にキスされているのだと気づいたのだった。
いや、鈍いにもほどがあるだろ!?
でも僕が気づくか、気づかないかのタイミングですぐに離れていったそれは、あまりにも自然なキスの仕方だったのか、困ったことに嫌悪感を抱かせることはなかった。
「んー?かわいいモンは、愛でるもんだろうが。こんくれぇでガタガタ言うねぃ」
「はぁー?!」
今度は肩に腕をまわされたまま、グリグリとあたまをなでられ、どう反応していいのか迷っているうちに、代わりに矢住くんが大声をあげている。
「ひよっ子だってかわいいモンくれぇ、愛でてぇ気持ちはあんだろ?」
そんな姿を見て笑い飛ばすと、雪之丞さんは首をかしげてそんなことを言う。
その表情を仰ぎ見たかぎりでは、まったく悪びれる様子もない。
僕の首にまわした腕を解くと、今度は矢住くんのほうに足を踏み出す。
そして次の瞬間には、チュ、と音を立てて今度は矢住くんの正面からあごをすくうようにしてキスをしていた。
───つまりはそう、くちびるにだ。
「え……雪之丞さんっ!?」
「ん~~~~っ!!」
一瞬なにをされたのか理解できていなかった矢住くんは、しかし次の瞬間には激しく拒否の意向を示して暴れはじめる。
「いきなり、なにするんだよ、バカヤローッ!!」
「いや?ひよっ子が嫉妬したのかと思って、ちゃんとてめぇもかわいいぞ、と」
矢住くんが振り抜いた拳を難なく避けて、ニヤニヤと口もとを笑いの形にゆがめて雪之丞さんがからかっていた。
「雪之丞さんて、ひょっとしてキス魔……?」
あぁ、僕は頬だけでよかった。
なんて、無責任にも思ってしまってから、ふいに込み上げてきた疑問が口をついて出る。
「うん?シンヤとひよっ子がかわいいからであって、だれにでもするわけじゃねぇぞ?あのイケメンにゃあ、しねぇしな」
気がつけばそんなことをつぶやいていた僕に、後方にいる相田さんを親指で指しながら雪之丞さんがこたえる。
「相田さんはダメなんですか?」
「おーよ、やっぱりオレより小せぇのがかわいいだろ?あれだけデケェと、かわいげもねぇしな!」
冗談めかしてたずねれば、カラカラと笑い飛ばされる。
小さいからかわいいと言われても、男としてはあまりうれしくはないんだけどな……。
そんな気持ちは、顔ににじんでしまっていたのかもしれない。
雪之丞さんは、さらに重ねて言う。
「アレよ、かわいげってなぁよ、小せぇだけじゃ出せねぇのさ。そいつの言動ひとつひとつが魅力となって、内からにじむモンだからよ。シンヤもひよっ子も、そういう意味じゃあ『人から愛される存在』ってヤツだ。芸の道に生きるヤツにゃあ必要なモンだろ?」
そうして、パチンとウィンクをしてくる。
「『内からにじむモン』ですか……」
なんだろう、それこそ大衆演劇の役者として、物心つく前から舞台に立っていた、芸歴豊富な雪之丞さんからそう言われるのは悪い気がしない。
というか、むしろ認めてもらえたみたいで、かなりうれしい。
「そうだぞ、シンヤ!てめぇの魅力は、てめぇ自身で演出するもんだ。これまでの努力で身につけた殺陣も演技力も、きちんとてめぇをかがやかす武器になるんだかんな。それを生かすも殺すも、すべてはてめぇ次第よ」
じわりと胸に、熱いものが込み上げてくる。
「ありがとう、ございます……」
はげまされているんだと、それがわかるから、僕もできる全力で返したいと思う。
この人に褒めてもらえるようなお芝居がしたいし、殺陣がしたい。
「そういう意味ではアレだな、シンヤとひよっ子は対のようなモンじゃねぇか。技術はあるのに己の魅せ方に自信のねぇシンヤと、反対に、てめぇをいちばんかがやかせる方法を知ってんのに、技術が足りてねぇひよっ子と。たがいに補いあったら、こりゃあいいモンが生まれると思うぜ?」
うっすらと艶のある笑みを浮かべる雪之丞さんの目には、いったいどんな絵が見えているんだろうか。
でもその言葉は、ビックリするほどするりと心に染み入ってくる。
それこそ、ポロリと目から鱗が落ちる思いだった。
卑屈になったってしょうがないとわかっていたはずなのに、僕が役を降板させられたのは、相手が大手事務所所属の華やかな人気タレントだからと、心のなかでいいわけをしていただけだ。
人目を集めずにはいられない、そんな『華』を持てるのは、芸能人のなかでもかぎられたひとにぎりの人たちだけで、そうでない人たちは、決して華のある人たちには敵わないのだと思い込んでいた。
その華の重要なファクターとなる、恵まれた外見というのは、生まれつきで持ち得るものである以上、今さら僕がどうあがいたところで華のある人には勝てないのだと、そう言い聞かせてしまっていたんだ。
でも、それはまちがいだった。
華のある存在になるというのも、ある種の技術のひとつにすぎないのだと、そう雪之丞さんは教えてくれた。
そう、僕が『華』と呼んでいたものは、『自分をいかによく魅せるのかという技術』にすぎなかったんだ────。
そう気づかされた瞬間から、足元がおぼつかないような、そんな不安な気持ちに駆られる。
それと同時に『僕は華がないから』と言って、自分を、そして自分の持てる技のあれこれを魅せる技術を磨いてこなかった僕自身が、急にはずかしくなってきた。
「あぁ……そっか……そういうことなんですね……」
相手は華のある人気のタレントさんだから敵わなかったわけじゃなくて、今回のこの悠之助という役は、いわゆるムードメーカーだけれども、それは彼が己の個性を理解しているからこそ、そうわざと明るくふるまっているところもあるキャラクターだ。
つまり、『己を知り、どう演出すればそれが最も良い効果をもたらすのかを理解しているキャラクター』というわけだ。
いつでも明るい言動で周囲を盛り上げている彼の本質を、自覚の有無にかかわらず、矢住くんのほうこそしっかりと捉えていたということになる。
本質がビシッとハマれば、あとの技術はそれこそ稽古次第でどうにでもなるものだ。
そう考えると、己の魅せ方ひとつ満足にできないものの、演技力だの殺陣だのと、いわゆるガワ部分でしか悠之助を捉えられていなかった僕が彼に劣るのは、無理もない。
気づいていないものを気づかせるのは、単純な技術を上達させるより、よほどむずかしいことだからな。
その点、今回の僕は、とてもツイていた。
雪之丞さんていう、やさしい先輩がいてくれたからだ。
「ふーん、もう心配いらねぇみてぇだな?」
「はい、ありがとうございます!雪之丞さんのおかげで、目が覚めました」
「おうよ、カッコいいって褒めてくれてもかまわねぇんだぜ?」
お礼を言えば、軽い冗談まじりのウィンクで返される。
己のくちびるを指先でなぞりながら、不敵な笑みを浮かべる雪之丞さんは、たしかにカッコよかった。
東城がいなきゃ、ちょっとときめいてしまっていたかもしれないな。
……なんて思っていたら。
「つーことで、シンヤ!あらためて礼なら、からだで払ってくれてもいいんだぜ?」
ん?あれっ??
なんで今、僕は雪之丞さんからお尻をなでまわされているんだろう。
「えぇと、それって殺陣の稽古の相手になれってことですよね?」
若干引きつったような笑い方になってしまったのは、ゆるしてほしい。
なんていうか、よぎる予感が危険すぎる。
「あぁ、ひよっ子がまともにできるようになるまでは、シンヤ相手のが手ぇ覚えるにゃあいいのは、たしかだな」
したり顔でうなずきながら、しかし気がつけばガッチリと腰をホールドされている。
「いや、あの……っ?!」
どういうつもりなのかと問おうにも、相手の顔まで距離が近すぎる。
そんなに身長は変わらないはずなのに、鍛え方がちがうのか、身をひるがえして逃げようにも、残念なことにそれができずにいた。
いや、雪之丞さんだってふだんは女形をやっているから、決してガチムチってわけじゃないけれど、なよやかなその動きを可能とするには相当な筋肉が必要なのもわかる。
案外、日本舞踊とかも、体幹を鍛える必要があるものだしな。
だから腕力もあるのかもしれないけれど、でも今はそれ以上に本人の持つ色気だとかなんだとか、そういう物理的な力ではないモノに縛られていた。
伏し目がちの切れ長の目元からは、ゾクッとするような色気が立ちのぼる。
「そうさなぁ……、夜の個人的なお稽古につき合ってくれてもいいんだぜぃ?」
「あの、それってどういう意味で……」
ニヤリと笑って、耳もとでささやかれた。
かすれそうになる声で問い返せば、その笑みはよりいっそう深くなる。
「色事、艶事、どんな経験もオレたちにとっちゃ、芸の肥やしになるからなぁ。シンヤが望むなら、どこへだって連れていってやるし、なんだってしてやるさ」
あぁ、これだから大衆演劇の貴公子は、人タラシがすぎる。
「えーと、その……できれば遠慮しておきたいかなぁ……」
その艶やかな笑みを見てしまったら、思わずうなずいてしまいそうになるところだった。
だからそう返すのが、やっとだった。
「ふぅん、本当に?そんなつれねぇことを言ってくれるなよ?愛してるぜ、シンヤ」
面と向かって、こっぱずかしいセリフを堂々と吐いてくる雪之丞さんに、僕は困り果てるしかなくて。
「あのっ、離してください、雪之丞さんっ」
しっかりと抱き込まれてしまっているこの体勢に、距離を詰めてくる相手の涼やかな美形と甘いセリフとがあいまって、どうあらがえばいいのかわからない。
ただ、お願いをするしかなくて。
「残念、相手に怯えられちまったら、男の名折れだな。あくまでも紳士であれ、それがオレの信条なのによ。すまねぇな、シンヤ。からかいすぎちまった」
名残惜しそうに解放され、ホッと息をつく。
「いえ、なんかこちらこそ、すみません……」
またもや相田さんにしたみたいに、過剰反応を示してしまったような気がして、はずかしくなる。
ぺこりとあたまを下げれば、ワシャワシャと乱暴になでられた。
あぁ、もう東城のバカヤロー!
お前のせいで、ハグすら受けつけられない面倒なヤツになっちゃっただろ!!
思わずここにいない東城に、心のなかでこっそりと理不尽な八つ当たりをする。
「あぁ、でもあれだな、シンヤの女形の姿は本気で見てぇ。なんなら手取り足取り腰取り教えてやるから、いつかオレの楽しみにつき合ってくれよな?」
「……そうですね、いつか」
どう返していいか迷って、結局あいまいな笑みを浮かべるしかなかった。
「つーか師匠!そいつ、セクハラで訴えたほうがいいッスよ!?」
「え……?」
「だって『手取り足取り』はともかくとして『腰取り』なんて、どう考えてもムチャクチャやべぇヤツじゃないですか!理緒さん、ガードゆるすぎなんスよ!」
「そう、なのかなぁ……?」
矢住くんにこぶしをにぎりながら力説され、よくわからなくて首をかしげれば、呆れたような深いため息をつかれた。
えー、なんでそんな東城みたいな反応するんだよ??
「あぁ、もう、そんなんだから心配になるんじゃないッスか!いいッスよ、ボクの目が届く範囲では、ちゃんと代わりにガードしてあげますから!」
「えぇっ?!」
ビシッと人差し指を突きつけられながら、矢住くんから、そんな宣言をされる。
どういうことなんだよ、これ?!
有言実行とばかりに、さっそく雪之丞さんとのあいだに立つ矢住くんの、その華奢な背中にかばわれながら、僕は本気で首をかしげるしかなかった。
「な、な、な………なにしてるんだよアンタ!?」
めちゃくちゃ動揺した声をあげる矢住くんの反応を見て、ようやく僕は雪之丞さんから自分の頬にキスされているのだと気づいたのだった。
いや、鈍いにもほどがあるだろ!?
でも僕が気づくか、気づかないかのタイミングですぐに離れていったそれは、あまりにも自然なキスの仕方だったのか、困ったことに嫌悪感を抱かせることはなかった。
「んー?かわいいモンは、愛でるもんだろうが。こんくれぇでガタガタ言うねぃ」
「はぁー?!」
今度は肩に腕をまわされたまま、グリグリとあたまをなでられ、どう反応していいのか迷っているうちに、代わりに矢住くんが大声をあげている。
「ひよっ子だってかわいいモンくれぇ、愛でてぇ気持ちはあんだろ?」
そんな姿を見て笑い飛ばすと、雪之丞さんは首をかしげてそんなことを言う。
その表情を仰ぎ見たかぎりでは、まったく悪びれる様子もない。
僕の首にまわした腕を解くと、今度は矢住くんのほうに足を踏み出す。
そして次の瞬間には、チュ、と音を立てて今度は矢住くんの正面からあごをすくうようにしてキスをしていた。
───つまりはそう、くちびるにだ。
「え……雪之丞さんっ!?」
「ん~~~~っ!!」
一瞬なにをされたのか理解できていなかった矢住くんは、しかし次の瞬間には激しく拒否の意向を示して暴れはじめる。
「いきなり、なにするんだよ、バカヤローッ!!」
「いや?ひよっ子が嫉妬したのかと思って、ちゃんとてめぇもかわいいぞ、と」
矢住くんが振り抜いた拳を難なく避けて、ニヤニヤと口もとを笑いの形にゆがめて雪之丞さんがからかっていた。
「雪之丞さんて、ひょっとしてキス魔……?」
あぁ、僕は頬だけでよかった。
なんて、無責任にも思ってしまってから、ふいに込み上げてきた疑問が口をついて出る。
「うん?シンヤとひよっ子がかわいいからであって、だれにでもするわけじゃねぇぞ?あのイケメンにゃあ、しねぇしな」
気がつけばそんなことをつぶやいていた僕に、後方にいる相田さんを親指で指しながら雪之丞さんがこたえる。
「相田さんはダメなんですか?」
「おーよ、やっぱりオレより小せぇのがかわいいだろ?あれだけデケェと、かわいげもねぇしな!」
冗談めかしてたずねれば、カラカラと笑い飛ばされる。
小さいからかわいいと言われても、男としてはあまりうれしくはないんだけどな……。
そんな気持ちは、顔ににじんでしまっていたのかもしれない。
雪之丞さんは、さらに重ねて言う。
「アレよ、かわいげってなぁよ、小せぇだけじゃ出せねぇのさ。そいつの言動ひとつひとつが魅力となって、内からにじむモンだからよ。シンヤもひよっ子も、そういう意味じゃあ『人から愛される存在』ってヤツだ。芸の道に生きるヤツにゃあ必要なモンだろ?」
そうして、パチンとウィンクをしてくる。
「『内からにじむモン』ですか……」
なんだろう、それこそ大衆演劇の役者として、物心つく前から舞台に立っていた、芸歴豊富な雪之丞さんからそう言われるのは悪い気がしない。
というか、むしろ認めてもらえたみたいで、かなりうれしい。
「そうだぞ、シンヤ!てめぇの魅力は、てめぇ自身で演出するもんだ。これまでの努力で身につけた殺陣も演技力も、きちんとてめぇをかがやかす武器になるんだかんな。それを生かすも殺すも、すべてはてめぇ次第よ」
じわりと胸に、熱いものが込み上げてくる。
「ありがとう、ございます……」
はげまされているんだと、それがわかるから、僕もできる全力で返したいと思う。
この人に褒めてもらえるようなお芝居がしたいし、殺陣がしたい。
「そういう意味ではアレだな、シンヤとひよっ子は対のようなモンじゃねぇか。技術はあるのに己の魅せ方に自信のねぇシンヤと、反対に、てめぇをいちばんかがやかせる方法を知ってんのに、技術が足りてねぇひよっ子と。たがいに補いあったら、こりゃあいいモンが生まれると思うぜ?」
うっすらと艶のある笑みを浮かべる雪之丞さんの目には、いったいどんな絵が見えているんだろうか。
でもその言葉は、ビックリするほどするりと心に染み入ってくる。
それこそ、ポロリと目から鱗が落ちる思いだった。
卑屈になったってしょうがないとわかっていたはずなのに、僕が役を降板させられたのは、相手が大手事務所所属の華やかな人気タレントだからと、心のなかでいいわけをしていただけだ。
人目を集めずにはいられない、そんな『華』を持てるのは、芸能人のなかでもかぎられたひとにぎりの人たちだけで、そうでない人たちは、決して華のある人たちには敵わないのだと思い込んでいた。
その華の重要なファクターとなる、恵まれた外見というのは、生まれつきで持ち得るものである以上、今さら僕がどうあがいたところで華のある人には勝てないのだと、そう言い聞かせてしまっていたんだ。
でも、それはまちがいだった。
華のある存在になるというのも、ある種の技術のひとつにすぎないのだと、そう雪之丞さんは教えてくれた。
そう、僕が『華』と呼んでいたものは、『自分をいかによく魅せるのかという技術』にすぎなかったんだ────。
そう気づかされた瞬間から、足元がおぼつかないような、そんな不安な気持ちに駆られる。
それと同時に『僕は華がないから』と言って、自分を、そして自分の持てる技のあれこれを魅せる技術を磨いてこなかった僕自身が、急にはずかしくなってきた。
「あぁ……そっか……そういうことなんですね……」
相手は華のある人気のタレントさんだから敵わなかったわけじゃなくて、今回のこの悠之助という役は、いわゆるムードメーカーだけれども、それは彼が己の個性を理解しているからこそ、そうわざと明るくふるまっているところもあるキャラクターだ。
つまり、『己を知り、どう演出すればそれが最も良い効果をもたらすのかを理解しているキャラクター』というわけだ。
いつでも明るい言動で周囲を盛り上げている彼の本質を、自覚の有無にかかわらず、矢住くんのほうこそしっかりと捉えていたということになる。
本質がビシッとハマれば、あとの技術はそれこそ稽古次第でどうにでもなるものだ。
そう考えると、己の魅せ方ひとつ満足にできないものの、演技力だの殺陣だのと、いわゆるガワ部分でしか悠之助を捉えられていなかった僕が彼に劣るのは、無理もない。
気づいていないものを気づかせるのは、単純な技術を上達させるより、よほどむずかしいことだからな。
その点、今回の僕は、とてもツイていた。
雪之丞さんていう、やさしい先輩がいてくれたからだ。
「ふーん、もう心配いらねぇみてぇだな?」
「はい、ありがとうございます!雪之丞さんのおかげで、目が覚めました」
「おうよ、カッコいいって褒めてくれてもかまわねぇんだぜ?」
お礼を言えば、軽い冗談まじりのウィンクで返される。
己のくちびるを指先でなぞりながら、不敵な笑みを浮かべる雪之丞さんは、たしかにカッコよかった。
東城がいなきゃ、ちょっとときめいてしまっていたかもしれないな。
……なんて思っていたら。
「つーことで、シンヤ!あらためて礼なら、からだで払ってくれてもいいんだぜ?」
ん?あれっ??
なんで今、僕は雪之丞さんからお尻をなでまわされているんだろう。
「えぇと、それって殺陣の稽古の相手になれってことですよね?」
若干引きつったような笑い方になってしまったのは、ゆるしてほしい。
なんていうか、よぎる予感が危険すぎる。
「あぁ、ひよっ子がまともにできるようになるまでは、シンヤ相手のが手ぇ覚えるにゃあいいのは、たしかだな」
したり顔でうなずきながら、しかし気がつけばガッチリと腰をホールドされている。
「いや、あの……っ?!」
どういうつもりなのかと問おうにも、相手の顔まで距離が近すぎる。
そんなに身長は変わらないはずなのに、鍛え方がちがうのか、身をひるがえして逃げようにも、残念なことにそれができずにいた。
いや、雪之丞さんだってふだんは女形をやっているから、決してガチムチってわけじゃないけれど、なよやかなその動きを可能とするには相当な筋肉が必要なのもわかる。
案外、日本舞踊とかも、体幹を鍛える必要があるものだしな。
だから腕力もあるのかもしれないけれど、でも今はそれ以上に本人の持つ色気だとかなんだとか、そういう物理的な力ではないモノに縛られていた。
伏し目がちの切れ長の目元からは、ゾクッとするような色気が立ちのぼる。
「そうさなぁ……、夜の個人的なお稽古につき合ってくれてもいいんだぜぃ?」
「あの、それってどういう意味で……」
ニヤリと笑って、耳もとでささやかれた。
かすれそうになる声で問い返せば、その笑みはよりいっそう深くなる。
「色事、艶事、どんな経験もオレたちにとっちゃ、芸の肥やしになるからなぁ。シンヤが望むなら、どこへだって連れていってやるし、なんだってしてやるさ」
あぁ、これだから大衆演劇の貴公子は、人タラシがすぎる。
「えーと、その……できれば遠慮しておきたいかなぁ……」
その艶やかな笑みを見てしまったら、思わずうなずいてしまいそうになるところだった。
だからそう返すのが、やっとだった。
「ふぅん、本当に?そんなつれねぇことを言ってくれるなよ?愛してるぜ、シンヤ」
面と向かって、こっぱずかしいセリフを堂々と吐いてくる雪之丞さんに、僕は困り果てるしかなくて。
「あのっ、離してください、雪之丞さんっ」
しっかりと抱き込まれてしまっているこの体勢に、距離を詰めてくる相手の涼やかな美形と甘いセリフとがあいまって、どうあらがえばいいのかわからない。
ただ、お願いをするしかなくて。
「残念、相手に怯えられちまったら、男の名折れだな。あくまでも紳士であれ、それがオレの信条なのによ。すまねぇな、シンヤ。からかいすぎちまった」
名残惜しそうに解放され、ホッと息をつく。
「いえ、なんかこちらこそ、すみません……」
またもや相田さんにしたみたいに、過剰反応を示してしまったような気がして、はずかしくなる。
ぺこりとあたまを下げれば、ワシャワシャと乱暴になでられた。
あぁ、もう東城のバカヤロー!
お前のせいで、ハグすら受けつけられない面倒なヤツになっちゃっただろ!!
思わずここにいない東城に、心のなかでこっそりと理不尽な八つ当たりをする。
「あぁ、でもあれだな、シンヤの女形の姿は本気で見てぇ。なんなら手取り足取り腰取り教えてやるから、いつかオレの楽しみにつき合ってくれよな?」
「……そうですね、いつか」
どう返していいか迷って、結局あいまいな笑みを浮かべるしかなかった。
「つーか師匠!そいつ、セクハラで訴えたほうがいいッスよ!?」
「え……?」
「だって『手取り足取り』はともかくとして『腰取り』なんて、どう考えてもムチャクチャやべぇヤツじゃないですか!理緒さん、ガードゆるすぎなんスよ!」
「そう、なのかなぁ……?」
矢住くんにこぶしをにぎりながら力説され、よくわからなくて首をかしげれば、呆れたような深いため息をつかれた。
えー、なんでそんな東城みたいな反応するんだよ??
「あぁ、もう、そんなんだから心配になるんじゃないッスか!いいッスよ、ボクの目が届く範囲では、ちゃんと代わりにガードしてあげますから!」
「えぇっ?!」
ビシッと人差し指を突きつけられながら、矢住くんから、そんな宣言をされる。
どういうことなんだよ、これ?!
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